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なぜ就職したいのかと聞かれれば、朝目が覚めるから生きていると答える。


君はどうしたいという問い。
相反する気持ちがせめぎあって僕を削る。
成長したい、ちゃんと会社を選んで、裁量持った仕事をして、人と関わって自分の生きた証を残していきたい、そんな仕事をしたいという気持ち。
もう就職活動につかれたという気持ち。
成長とか証とかそんなものを仕事には求めなくてもいいんじゃないか。もうほんとに何でもいい。就職できればそれでいい。
成長も、証も、それはもう、仕事じゃなくてプライベートでどうにかするから。それに俺は不安だ。俺にそんな仕事ができるのか。
でも、どちらにせよ渇望は止まない。
人として前に進みたいという欲は止まない。

あなたのとこで働きたいと俺は言うが、それはただ最悪の結果を避けたいというだけなのだ。
第一志望ではないとか、やりたい仕事ではないとか、そういった話ではない。
俺は本当に働くということが怖ろしい。不安でたまらない。
俺は俺にできるとは思えない。俺は自分が一般社会で生きていけるようには思えない。
例えば受験のように紙に志望先を書いて、あとは本人のやる気や自信や熱意とは関係なくテスト勉強を続けてそこそこの点を取ればそれで熱意があると認められ、入学できるのとはわけが違う。
俺はやる気や熱意や自信がなくとも、それがやるべきことならば多少は努力できる。だから、別にそこまで大学に入りたいと思っていなくとも、その大学のことをあまり知らなくとも、俺は受験勉強をするし、その大学に入る。
でも就活は、就職は違う。
本当にその会社に入りたいと思っていなくてはならない。義務感がにじみ出てはいけない。

プレッシャーが怖ろしかった。その会社の新入社員として俺は本当に全うできるのだろうか。業務をこなせるだろうか。
俺は喜び勇んで前に進めるような人間ではないから。怖くて仕方がない、やりたくない。そういった気持ちのままにその恐ろしい場所に飛び込む。


一日に数分しか歩けないとして、それでも一年歩き続ければ遠くまで行ける。
英単語を一日に数個しか覚えられないとして、それでも一年覚え続ければ一冊完ぺきに覚えきれる。
今まで私はそういう世界で生きてきた。そして愚かにも私は、そういう世界がこれからも続くのだと思っていた。熱意も想いも伝えず伝わらず、それでも先へ行けるのだと。
熱意など、ない。

自分がどこにいるのか、どこへ向かって何をするのか。そんなこと

揺蕩うようにも生きてきた。それでも、地を踏みしめて生きてきたとも思っている。潮の流れを感じ、帆を張り、進路を決めて。何もわかりやすく簡単な道ばかりを選んで生きていてはいない。海に落ちる日も櫓をこぎ続ける日もあった。嵐とわかっていながら進む日もあった。そうして今ここにいる。
ただ、俺の航海に目的地はない。
中継の島が目的で、魚が目的で、空が目的で、航海が目的だった。
それはどれも楽しかった。海を潮任せに揺蕩うのは楽しかった。
それでも俺は漂流者になりたくないし、冒険家にもなれなかった。
熱意はないのかと聞かれれば、そうだろう。
俺は人生の目的はない。理由もない。人生そのもの、生きること自体が目的なのだ。

ただ前に進みたい。

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