愛はごみ箱の中に


“まもなく、大阪、大阪、大阪です“

車掌が駅名を3回コールする。時刻表通りに目的地に到着するのは、海外から日本に来た外国人からすれば素晴らしい光景だという。私の知人がドイツに留学していた時に一番衝撃を受けたと言っていたのも、この電車の時間のことについてだった。電車が時間通りに来ることなど滅多になく1時間遅れ、2時間遅れはよくあることらしい。決められたことを精密に行うことができるのは、日本のいいところだ。だがこれからAIが発達していく中で、おそらくその精密さは“人間“がすることでは無くなっていくのだろう。

扉が開くと共に多くの人がホームに流れていく。
専門学生時代に毎日通っていただけに、この雪崩に巻き込まれるのは随分と慣れたものだ。鞄を胸に抱え、流れに身を任せて改札口まで迷わずに向かう。格安切符をポケットから取り出し、改札口を出る。土曜日の昼間とあってか、さすがは大阪。人で溢れている。私は慣れた足付きで人の隙間を縫うように歩いて行き、今日の目的の場所へと急いだ。

2年間通っていた大阪の中でも、今まで一度も足を踏み入れたことのないビルに入る。綺麗に磨かれた地面は大理石このような素材で光っていた。入ってすぐインフォメーションにいる女性に声をかける。わからないときは聞く方が早い。私はオンラインチケットの画面を見せ場所の確認をした。

真っ直ぐ歩いて一度外に出たら、そのまま向かいのビルに入る。エスカレーターで降り地下2階がどうやら私の到着点となるらしい。先ほどの人の多さと比べて、高級街となるからか、少し若者の気配は消え、年齢はグッと上がったような感じがした。学生時代と比べ、自分の居心地の良い場所がこちら側に近づいているような気がして、何だか複雑な気分だ。

エスカレーターで降りていくと一部分にだけ人が集合している。どうやらそこが私の目指していた場所でゴールらしかった。私はポケットから携帯を取り出しオンラインチケットの準備をする。ピンクのパネルが大きく聳え立っている入り口を見て思わず携帯をカメラモードに切り替える。ようやく見に来ることができた。今年度の私の目標である『本物』にふれる第一弾の幕開けにふさわしい美術展。

“Who is BANKCY ?”
- それはまるで映画セットのような美術展 -

チケットを見せ会場に足を踏み入れる。入口すぐで案内音声を600円支払いてに入れる。姉からの誕生日プレゼントで買ってもらったBluetoothイヤホンを耳に入れ接続すると、有名俳優の声で案内が始まった。これで、多くの人がいても“自分“と“バンクシー“だけの世界に閉じこもり集中して『本物』を味わうことができるようになる。カメラ撮影可能な作品ばかりだったが、私は入ってから出るまで一度も携帯のカメラモードを発動することなく、彼の魂が描き出した世界にのめり込んでいった。

彼の作品であまり世に出ていないもの。それをこのバンクシー展では惜しげもなく披露してくれている。彼の作品は、世の中に溶け込んでしまっている人気キャラクターの“マクドナルドのドナルド“や“ディズニーランドのミッキー“までにも『それは本当に愛か?』という疑いの眼差しを浴びさせ続ける。人気キャラクターの間には、服装がボロボロの少女が、手を繋がされて泣き喚いているイラストが描かれている。戦争には莫大な金を動かす経済効果がある。この戦争の元でこの大手企業が生き延びているとでもいうのか。戦争に加担している国のシンボルとして批判しているのか。彼は純粋な『愛』を求め続けているようにも思えた。

彼の作品が少しずつ時代と共に変化していく。彼の表現の手法として現れたものに、元々ある芸術作品や商品を切り取り、置き換えるというものが現れた。議会の様子を人を猿に置き換えて描き上げた作品は『Devolved Parliament』と名付けられ、バンクシー作品で過去最高額の13億円の値がついたものだ。猿から進化して人間となったのに、私たちのしている議会の内容といったら…君たちはまだそんんなことを言っているのか?いつになったら進化して人になれるんだ?退化している。とバンクシーは呆れているのだろうか。私は人になりきれているのだろうか。人として知性を持ち、感性を磨き今ここに存在できているのだろうか。胸に刺さるメッセージ性に、酸欠になりそうだ。

彼の世界観に魅了されながら進んでいくと、あっという間に最後の作品となった。最後の出口の前には、彼の代表作とも言われる『Girl with Balloon』が飾られていた。バンクシーのことを詳しく知らなくてもこの絵は見たことがある。という人は多いだろう。少女が儚げに飛んでいってしまうハートの風船に手を伸ばしている。走って追いかける訳でもなく、ただただその場に立ち尽くし風船に手を伸ばすその姿からは、当たり前に与えられるべき愛情・平和・自由すらも手にできない子供達が、世の中にはたくさんいるということを物語っているようにも見てとれた。
2006年彼のこの作品が、壁ではなくカンパスに描かれたものがオークションに出品された。104万ポンド。日本円にして1億5000万円という金額で落札されたそれはまだ未完成品だった。落札と同時に額縁に仕掛けられたシュレッダーで下半分が見事に切断されるという演出がついて彼の作品『Love in the Bin』は完成された。

彼のことを“芸術テロリスト“と世の中の人たちは表現する。
確かに、彼は世の中の正とする綺麗な“artist“ではないかもしれない。
でも私は、これこそが芸術の力が可能にする「表現の可能性をなくす」ことの一歩だと思う。日本でも森山直太朗さんの作った曲が批判されたことがあった。生きていることが辛いなら、で始まるこの曲のことは日本に住むあなたなら知っているだろうか?芸術とは、私たちが嘘をつかずに生きていくために必要なツールなのだ。本音を言葉だけで伝えると、棘があって傷つけてしまうかもしれない。でも芸術というフィルターを通すことで、相手は自分の受け止められる範囲を自分で決めて少しずつ飲み込んでいくことができるようになる。彼の作品の中で『Keep it real』という札を首にかけた猿が描かれたものがある。

自分らしく生きろ。
彼は、芸術の力を使って『本音』を世の中にぶつけている。彼の『本音』や『本物』を全て理解するときはやってこない。彼が実際に描いた壁や、作り上げた建物は全て取り壊され、レプリカだらけの作品になった。芸術は、人の本音を映し出すその一瞬の鏡のようなもの。時代と主に彼の気持ちも変わり、彼の描いたものが残り続けることが彼の苦しみになるかもしれない。芸術の美しさは、消える儚さの中にあるのかもしれない。彼が求め続ける『愛』もまた、現れては色褪せ消えていく。そしてまた違う『愛』を見つけ手を伸ばすが、それもま風船のように風に飛ばされる。そんな手に入らないものだからこそ、人は求め続け、そしてそんなものに『愛』なんて名前をつけてしまっているのかもしれない。

自分らしく生きろ。
それは『愛』というものの束縛から解き放たれ、依存せずに自由に生きることを意味しているのかもしれない。あなたは、今この瞬間も、あなたらしく生きているだろうか?

Image time 2022.05.15
Image human @Bankcy
Image space バンクシー展

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?