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【奇譚】白の連還 第4話 白い男

 その年の冬は大荒れに荒れた。正月寒波を迎え豪雪下にある白馬山系の、標高一八〇〇メートルの分岐点にある避難小屋に、表層雪崩をかいくぐって辿りついた大勢の登山家が、偶然、閉じ込められることになった。 

 さきの見えない逗留生活は人を不安にさせる。過度のストレスを心配した医師が、毎晩、ひとりづつ、話をすることを提案した。

前夜の話をおえた助監督が、その夜の語り部として、左脚に添え木をした若い商社マンを指名した。

 かれは、観念でもしていたのか、すぐ両手で上体を起こすと、折れた足の向きを器用に壁側からみなの方にクルリと転換させ、今度は大仰に尻をずらして背中を壁にもたせかけ、フーと一つためいきをついた。

         白の連還 第4話 白い男

 きのうのハナシをきいていて、おもったんですけど、女監督さんとボクと、なんとなく、どこかでつながってるっていうか、因縁があるっていうか、不思議なんですよね、ハナシの中身が。とくに、ダッカ・ハイジャック事件のあたりから、どこかでリンクしているみたいな気がして、ならないんですよ。どんな風にリンクしてるかって、きかれても、あまり、とっかかりがない、というか、みなさんとは、あまり関係ないコトなんで、説明にこまっちゃうんですけれど。でも、どうしようかって、困ってばかりはいられないんで、ウン、そうっすね、こうしましょうか。さっき、ヒロシマ、っていいましたっけ、あのバスクのオジサンのことですけど、カレがナガサキさん、つまり女監督さんにしたテストね、あの現状認知テストから、はじめてみましょうか。

 ボク、いや、せっかくの休暇中なんで、オレって、いわしてもらいますけど、オレ、あの質問に全部答えられますよ。まず、日本の独立記念日でしたよね。あれ、千九百五十七年四月二十八日ですよ。サンフランシスコ講和条約が発効して、日本がいわゆる主権を回復した日です。建国記念日じゃ、ないっすよ。それから、人口ね、これは誰でも知ってるでしょう、一億二千万人ですね、いまのところ。それから、離島を除いた国土面積、これは三十七万七千平方キロメートルです。端数はきりすてましたけど。離島の数は六千八百四十八、面積は、だいたい一万一千八百二十平方キロメートルくらいかな。あと、なんでしたっけ、そうそう、東京の緯度は三十五度、広島は34度、長崎は33度、そして、最北端の地は、北海道稚内市の宗谷岬、最南端は,、意外や意外、東京都にあるんですよね。東京都、小笠原村、沖ノ鳥島です。六十八年に小笠原諸島と一緒に、合衆国から返還されました。あとは、ま、いいですよね、きりがありませんから、このへんでやめましょうか。

 オレ、べつに、地理マニアでもなんでもないんです。実は、あなた、ナガサキが、バスクのヒロシマに問いつめられたみたいに、オレ、アルジェリアという国で、仕事してるんですけど、そこの商務省の役人から、すごくバカにされた経験があるんですよ。

 オレの務める会社、商社やってまして、戦前から、ビジネスモデルさがしながら、アフリカ諸国に進出していたんですけど、その一つに、アルジェリアという国があって、ちょうど日航一ニ三便が御巣鷹山に墜落した翌年の十月、オレ、入社したばかりだったんですけど、そこの連絡事務所に、赴任したんすよ。そしてすぐ、さっきいった、商務省の課長クラスの技官と会った最初のアポで、ガツン、てかまされたんすよね、強烈なジャブを。

 キミ、自国の領土の説明もできないで、わが国で商売しようなんて、ひとをバカにするにもほどがある、わが国は、千九百六十二年七月五日にフランスから独立した歴とした主権国家だ、お隣さんとお喋りするような気分で会いにきてもらっては困る、出直したまえ、てね。要は、襟を正して、勉強し直してから来い、ということなんですよ。

 オレ、クソッ、とおもって、一生懸命、おぼえたんす。自国を外国人にプレゼンするときに、常識として知っておかないとカッコわるいことって、あるじゃないですか、最低限のデータとして、ね。

 ところで、みなさん、アルジェリアって、知ってますか? 地球儀の、どのへんにあると、おもいますか? ここに東京がありますね。北緯35度です。この緯度戦をずーとたどって、ちょうど裏側の、地中海までいくと、ほら、フランスのマルセイユの、ちょうど真ん前あたり、ここ、ここに、アルジェ、てあります。首都です、アルジェリアの。北緯は36度ちょっと。東京とほぼ同じですね。大昔のフランス映画ペペルモコの舞台になったカスバのあるところ、です。この映画、年配の方は、よくご存じですよ。カスバのオンナ、という歌でね。  

 この、アルジェリアの西隣にモロッコ、その南にモーリタニア、両国の間にはさまれて、西サハラ、という国があります。東隣にはリビアがあって、二つの国にはさまれて小さい国チュニジアがあります。これら六つの国をマグレブ六か国、とまとめて呼ぶこともあります。マグレブというのは、日没するところ、という意味で、日出るところ、というのはマシュレクといいます。ですから、日本はマシュレクの国、というわけですね。  

 昨夜、アルジェ空港の閉鎖からはじまって、ダッカ・ハイジャック事件や連合赤軍、パレスチナやコーゾー・オカモト、それに赤軍兵士の高校の先輩でアルジェ在住の若い技師などなど、いろんなハナシが出ましたけれど、どういう偶然か、全部、どこかでオレと、リンクしてるんですよ、こわいくらいっす。  

 なかでも、超偶然だ! て叫びたいのは、アルジェ空港閉鎖の日に、あのヒロシマがオルリー空港であった、若い技師、のことですよ。ビックリです! オレがアルジェに赴任したときの連絡事務所長が、なんと、その技師さん、だったんです。 

 赴任早々、世界に冠たる商社の武勲として、飲み会なんかでは、しょっちゅう、アルジェ空港封鎖の経緯、事件の影響に翻弄された在留邦人や事務所の苦労話、対マスコミ対策に苦慮したことや、大使館の不甲斐ない対応など、いろいろきかされましたけど、そのときに、空港閉鎖の報をパリのオルリー空港でうけた所長が、ポルトガルのオリベイラ金型工場に工場検収で出張するところだったんだ、てことも、聞かされていたんすよ。  

 アルジェリアって、百三十二年間、フランスの植民地、というより、フランスの一部、だったんですね。その間、アルジェリアという国は、存在していなかったんですよ。日本は、一万五千年年前の縄文の時代から、ずっと存在しつづけてますけどね。やがて、五十四年に独立戦争が勃発して、百五十万人の犠牲を払って、ていってますけど、フランス側の公式発表では二十万人とされていますが、とにかく、六十二年に独立戦争に勝利して、アルジェリア民主人民共和国、として再出発しました。そして、豊富な石油と天然ガスを原資に、野心的な近代化を推進することになるんすけど、日本の石油やプラスティック、建設関連企業も大挙して進出したし、その一環で、オレの会社も儲けてる、ってわけなんすよ。

 七十七年十月に、ヒロシマがオルリー空港であった若い日本人技師さんが、ちょうど十年後の八十七年十月に、オレが赴任した連絡事務所の所長になっていた、という、ビックリするハナシが超偶然としたら、さて、ハイジャック実行犯の連合赤軍兵士で、アルジェ空港で投降した、オレの所長の高校の後輩が、オレのオヤジと同級生だった、となると、どうなるんすかね、みなさん。超超偶然、ていうより、確率ナノナノ分の一の発生率になっちゃうんじゃないでしょうか、危機管理の事案として考えたら。それに、実をいえば、オヤジ、同級生どころか、連合赤軍の兵士だったんじゃないか、って疑ってもおかしくない事態が、発生していたんです。事件のちょうど半年まえ、どっかに、蒸発しちゃったんですよ、オヤジが。

 オレ、ちょうど、七歳になったばかりでした。ウチの近所に、結構おおきな公園があって、春先の天気のいい日なんか、両親に連れられて、よく遊びにいったんです。

 あのときも、よく晴れた日でした。梅林に白梅が咲き乱れていましたから、三月ごろだったとおもいます。そのころ、オヤジはフリーターやってましてね。ヒトが働いてるときにオレは遊ぶんだ、なんていってましたけど、結局は毎日、どこかに出かけていましたね。オフクロは、反対に、医者のタマゴで、いつも忙しそがしそうにしていました。小児科医でしたけど、臨床にはむいてないっていって、研究室に出入りしていたみたいです。理由はよくわかんないすけど。なので、家族ででかけるといえば、どこもゴタゴタと混雑してるからいや、なんていいながら、だいたい土曜か日曜でした。

 その日も土曜日でしたが、時間がはやかったせいか、園内はヒトもまばらで、おまけに三寒四温の寒の日にズバリあたったみたいに、何枚重ね着しても、がまんできないくらい寒くて、遊歩道歩いてて、オレ、すごく悲しくなってきて、帰りたいなとおもいながら、仕方なく、両親のうしろについていったんです。けれど、いったん芝地に入ると、そこは、ちょっとした丘陵地帯じゃないかとおもうくらい、ひらけていて、小さな起伏もいくつかあって、そんな緑地の、日の照り返しと、芝の生のにおいが、元気づけてくれたのか、パッと体中が温まってくる気がして、急にうれしくなったんスよ。で、オレ、いきなり、はるか向こうの、青空の下に広がる雑木林めがけて、一目散で走ったんです。すると、クヌギ、タイサンボク、ケヤキ、シロカシ、ハクウンボク、いろんな高木が、生き物みたいに、どんどん目の前に迫ってくるじゃないですか。オレ、思いきり、走りました。そのうち、しんどくなってきて、太ももがパンパンになってきて、とうとう、のどがゼーゼーいいだしたんです。ちょうどそのとき、大声で叫んでるオフクロの声が、ずーと後ろの方から、聞こえてきたんですよ。

「見てー! ポピーよ! ポピー畑よー!」

 芝と樹木と青い空と、耳たぶをかすめる風の音しかない、そんななかで、いきなりオフクロの声が聞こえてきたので、どういうわけか、オレ、反射的にダッシュして、そのまま芝生の上に、ドサーッと、ヘッド・スライディングしたんすよ。見事に顔面、こすりましたね。ヒリヒリする顎の痛みをこらえて、そっと目を上げると、群生する芝の隙間や、ジャンパーのめくれあがった袖の間から、赤や、黄色や、青色や、白の、たくさんのポピーが、花冠をもたげて背比べするみたいに、所狭しと、咲き乱れているじゃないですか。オレ、すっかりうれしくなって、その場で跳ね起きるや、ワーワー叫びながら、駆けだしました。そして、ポピー畑を囲ったロープにそって、そのまま、いつまでも走りました。ただただ走るんだ、もし、走るのをやめたら、このうれしい気持ちが、永遠に消えてしまうんじゃないかと、おもって…。

 いつの間にか両親は、ポピー畑の近くの、背の高いタイサンボクの木陰の、芝生の上に敷いたゴザの上で、議論を始めてました。あの二人は、とにかく議論好きで、そうしなければ生きた心地もしない、みたいに、いつも取っ組み合って、やってましたね、もち、口で、ですけど。だから、傍の人から見たら、ケンカばかりしてる救いようのない夫婦、としかみえなかったんじゃ、ないっすかね、気の毒です。

 でも、あの日は、どういうわけか、様子がちがってたんです。いつもなら、向かい合った瞬間から、そのころのオレには見当もつかない、なになに主義だどか、連体とか、インターナショナルだとか、わけのわからない言葉が、とびかうんですけど、そんな様子はみじんもなくて、ひとしきり喋くったあとは、二人ならんで、ゴザの上に仰向けになって、じっと、空みつめてました。なんとなく、いつもと違う、危機はらむ空気だな、なんて感じがしたので、オレ、うつ伏せになったまま、芝生の葉っぱの隙間から、しばらく、はりつめた気持ちで、様子を眺めていたんです。

 そのうち、まわりの空気が、だんだん、ゆるんできて、二人のどちらともなく、ハミングしはじめたんです。なんの歌か、知らなかったけれど、オレ、急にうれしくなって、すぐに飛び起きて、駆けだしました、というのも、経験則から、オヤジとオフクロがハミングすると、ひとまずケンカはおあずけ、と分かっていたからなんです。思ったとおり、二人は、徐々に、ハモりだして、起きあがったオフクロが、ニコッとわらって胡坐をかき、拍子をとりはじめると、今度はオヤジが、リュックから手製のミニ竪琴を取りだし、腕にかかえて、ポロン、ポロン、と伴奏はじめたんです。アリコ、ていうんですよ、その楽器。

 ほら、これです。これがアリコです。こうやってオレ、いつもリュックにしまって、持ち歩いているんすよ、どこいくにも。雪上のテントでも、沢渕の野宿でも、真夏のキャンプや、サハラの野営でも、これと一緒に、歌いましたよ。何度も何度も。

 アリコって、フランス語でインゲンマメのことなんです。どっかから仕入れてきたオークの古材を、オヤジが切ったり削ったりしながら、時間かけて、正直、汗水ながして、作ったものなんすよ。弦は九本あります。最初は七本で、ギター用のコード使ってましたけど、気に入らなくて、ピアノ線で九本に落ち着きました。形は長方形から台形、和琴型と、いろいろ試してましたが、最終的に洋ナシに似た流線形になり、持ち運びに便利なように、中を抜いて軽いボディになりました。出来上がった楽器をみたオフクロがこういったそうです。

「あら、アリコそっくりね」

 単語の響きがたいそう気に入ったらしく、オヤジはことあるごとに、オレのアリコ、オレのアリコ、ていってました。オレには、超旨い物にきこえたので、オフクロに聞いたんです。 

「アリコ、って、どんな食べ物?」
「あら、よく分かったわね、食べ物って。アリコって、フランス語で、インゲンマメのことよ」

 そして、こう付け加えました。

「本当はね、わたし、膿盆のつもりでいったのよ」
「ノウボン?」
「ほら、あなたも使ったこと、あるでしょう、食べ過ぎてゲーゲーやったときに使う、アレよ」

 知ってか知らずか、オヤジは、このアリコを、たいへん愛していたみたいです。あの日も、腕にしっかり抱え込んで、いたわるように九弦をつま弾きながら、オフクロの声と歌詞とリズムに合わせて、楽し気に、自分も歌ってましたね。 

 どんな歌かって? 

そうスね、これが、あのころ、超はやってたフォーク、じゃないんですよ。オレの両親、やっぱり変わり者だったんでしょうね。うたうといえば、大昔の日本の小学唱歌と、あと横文字の、フランス語とかスペイン語の、オレには全然意味のわからない、でもリズミカルで躍動感があって、聞いていてつい踊りだしたくなる、気持のいい歌でしたね。せっかくですから、よかったら、ちょっと、ヤッてみましょうか。

 ♪♪♪

 アプレンディモス ア ケレルテ
 デスデ ラ イストリカ アルトゥーラ
 ドンデ エル ソル デ トゥ ブラヴーラ
 レ プーソ ウン セルコ ア ラ ムエルテ

 ア キ セ ケダーラ クラーラ
 ラレントゥラニャブレ トゥランスパレンシア
 デ トゥ ケリーダ プレセンシア
 コマンダンテ チェ ゲバラ……

 ♪♪♪

 これ、スペイン語です。アキセケダーラ以降はリフレーンになるんスけど、調子のいい歌でしょう? これにボンゴ、マラカス、タンバリンみたいなパーカッションや、ケーナみたいな縦笛でも入れば、中南米満艦飾って感じですよね。

 革命家チェ・ゲバラを称える詩、らしいス。あの、フィデル・カストロとキューバ革命を実現した、アルゼンチンの医師ですよ。生粋のマルキストで、革命直後、政府の要人として、日本にもきたこと、あるらしいスよ。オヤジが、ちょうど、高二のときかな。さっきも、いいましたけど、オヤジ、高校に入学してすぐ、同級生だった将来の赤軍兵士と友達になって、二人してドップリ、共産主義思想にはまり込んでいってみたいスね。いわゆる六十年安保を控えてましたから、日本でも、世の中、騒然としていたらしいスよ。周りはゴリゴリの左翼組織だらけ、ひとが集まれば安保反対、そこらじゅうに活動家集団があふれていて、おまけに労働組合とか教職員組合とか、ナンタラ組合とか、町内会のオッサン、オバハンまで、なんでもかんでも反米反帝だったみたいで、青春満開の未熟なオヤジたち学生にとって、世の中は、明日にでも革命が成就するんだ、なんて状況にみえたんでしょうね。

 しかも、そんな勇ましい革命前夜の真っただ中に、いきなり、キューバ革命の報が世界中を駆けまわったわけですから、次はオレたちの番だ、って、本気でおもったみたいスよ、信じられないスけど。もちろん、これも、けっこうデカくなってから、オフクロから聞いたことなんですけど、安保の前の年の夏、チェ・ゲバラが日本にきたらしいんですよ、あの革命の英雄が。そしてそのとき、大阪に立ち寄ったというんです。これ、事実なんですけどね。

 正月に革命して夏には使節団と外遊ですから、すごく精力的というか、とても急いでたんでしょうね、日本からの経済協力を。キューバの資源は砂糖しかなかったし、大顧客のアメリカを追い出して革命したわけですから、かわりに日本に買ってくれ、って、売りこみにきたんでしょう。アメリカと違って、日本はキューバとの国交を断絶せずに、独自の関係を維持しつづけましたから、両国の通商関係には、さほど影響はなかったみたいですけど、オヤジたちみたいな、共産主義革命思想に憧れる偏差値左翼集団にとっては、もう、絶大な影響力をもつ存在だったはずで、まるで革命前夜じゃないか、みたいな雰囲気のなかで、実際の革命の英雄が地元の大阪にくるんだ、てことを知った将来の赤軍兵士やオヤジたち革命分子が、じっとしていられるわけ、ないじゃないですか。だから、大阪商工会議所主催の歓迎会が、国際ホテルで催されるという情報が流れるや、居ても立ってもいられなくなった分子たち、自分たちの革命への堅い意志を、直接ゲバラに伝えようと、上部の了解もなく、大挙して新地に繰りだし、方々にアミ張って、斥候だして、なんとか捉まえようとしたらしいんですけど、結局ダメで、失意のまま、集会所の総括会議で自己批判してるときに、本部にゲバラからの伝言が届いた、という情報が入ったらしいんです。

「ドコのレポや?」
「コクサイらしい」
「さすがやな」
「で、なんやて?」
「医薬品が不足しているので同志の協力を仰ぐ、やて」
「ホ…、さすが、医者やなぁ」

 これをきっかけに、オヤジ、キューバに医薬品を届けよう、という運動に没頭していったんです。

 正直、オレ、まだ小さかったし、具体的にオヤジがなにをしたのか、なにも知らないスよ。オフクロも、そのころのことについては、ほとんど話してくれなかったし。ただ、オレ、六十七年の十月十日、体育の日に生まれたんスけど、誕生日になると、オレ囲んで、ローソク立てて、誕生日オメデトー、なんてやってくれたんスけど、日ごろみたこともないサラダや肉料理でメシくって、ケーキ食べて、満腹になって、そろそろ眠くなってきそうなころ、寝る時間だ! なんていわれるの、イヤじゃないですか、だから、なんだかんだいって、暴れまわったりしちゃうんですけど、そんなとき、オヤジ、必ず、例のアリコもってきて、さっきのゲバラ賛歌をはじめるんです。そして、二人でさんざん歌ったあげく、最後にはワーワー泣きだすんですよ、大の大人が。

 オレ、なんでオレの誕生日に二人ともなくんだよ、生まれてきて悪かったのかよ、て本気で悩んだこと、ありましたね。あとでわかったんですけど、それには、ちゃんとした理由があったんです。六十七年十月九日、ボリビアのジャングルで、チェ・ゲバラが銃殺されたんです。あっちの九日は、日付変更線で、日本の十日になるんです。オレの誕生日、ゲバラの命日だったんですよ。これも、超偶然、スよね。

 でも、ゲバラの命日も、オレの六歳の誕生日で、おわりました。翌年の七歳の十月十日は、祝えなかったんです。あの年の2月、いつもの公園の、ポピー畑の近くの、背の高いタイサンボクの木陰の、芝生の上に敷いたゴザの上で、アリコ片手に、オフクロと、ゲバラ賛歌に興じていたオヤジは、翌日からいなくなりました。蒸発です。オフクロに何度も聞きました。どして、いなくなったのか、って。でも、なんの説明もなく、ただ、こういっただけでした。カレにも、…いつもならパパというのに、カレっていったんでスよね、あのとき、オヤジのことを…、カレにも、イノチかけて、ヤリたいこと、あるのよね、って。 

 オレ、不思議、というより、周りの世界が、脱ぎ捨てた靴下みたいに、全部、裏返って、そこら中に散らばっているみたいな、空しい気がしましたね。だって、ひと一人、フッと、いなくなったんスよ。七歳のガキに理解できるわけ、ないじゃないですか。

 どうしても納得できなかったので、オレ、その後、なんどか、オフクロに確かめようとしたんですけど、オレたち母子家庭にも急変がありまして、オフクロが、パスツール研究所との協力関係でパリに移動することになり、オレも一緒にいくことになったんスよ。夏休み中に出発、てことになったので、なんやかやで大忙し。パリも早くみたいし学校にも行きたいし、オヤジの消えたことなんか、いつのまにか、忘れちゃいましたね。ただ、八月も末、出発間際に、国際貨物便で、デカい段ボールが一つ、オレあてに届いたんですよ。開けてみると、これでした。このアリコが、パッキン代わりの新聞紙にグルグル巻きにされて、入ってました。見たこともない活字で、汚れて変色した新聞紙をはがしてみると、たしかにオヤジが造ったアリコでした。そして、九本ある弦の間に、絵ハガキが一枚、挟んであったんです。そこには、こう書いてありました。

「オマエも、思いきり、生きろ!」

 ただ、それだけでした。 よく言うよ! て感じですよね。

 オレ、おもうんですけど、オヤジの世代って、超、勝手なんですよね。オヤジとは、七歳のとき蒸発したきりなので、なんの話もしていなし、よくわかりませんけど、それだけに、同世代の大人には、とても興味があって、その言動や振る舞いに、結構、敏感に反応したり、ムリして対応したり、してきたんですけど、一言でいえば、総じて、自分の物の見方や考え方は絶対的に正しい、と思ってるみたいなんですよね。

 なぜそう思うかというと、会話の端緒に、もっぱら誰かの、何かの、批判がくるんです。その流れで、自分の考えを主張するんです。そして、主張が通らなければ、通るまで抵抗しようとするんです。じゃあ、なんでそんなに自信があるのか、なんでそんなに抵抗するのか? とおもうでしょう? 答えは、抵抗には理がある、からなんです。じゃあ、どんな理があるんでしょうか? 理由は、既成の価値や権威や権力が、弱者を抑圧しているからだ、ということになるんです。

 ま、ここまでは、ムリして、分かる気もするんですけど、他のひとが同じことを言ったときに、はたしてそれを受け入れる余裕があるのか、といえば、絶対、拒否するんですよね、これが。

 オフクロとオヤジのケンカも、似たようなものでしたよ。自分のことは相手に認めさせる、けれど、相手のことはみとめない、自分の言うことは正しいけど、相手の言うことは間違っている、事実を見せても、見ないふりをする、言ったことも言ってないと言いはる、なんでこうなるのか、よくわかんないんスよね、正直いって。聞いていて最後には、オレ、目が回って、アタマが痛くなって、耳を塞いじゃうんですよ。いつもそんな感じでしたね。唯一の例外は、オヤジが蒸発する前日の、あの公園の、ポピー畑の周りを走り回ったあとの、ヒッソリと抱き合った二人が、居間でいつまでも踊っていた、最後の夜だけでした。

 ところで、アリコを包んであった新聞紙のことですが、かき集めてオフクロに聞いたんです、どこの新聞かって。

「どこかしら? バングラじゃない?」
「バングラって?」
「バングラディッシュのことよ。むかし、インドだったところよ」
「パパはいま、バングラにいるの?」
「そうね、ナハ、ハバナ、ダッカ、ていってたから、バングラかもね」
「じゃあ、パパもパリにくるの?」
「さー、どうでしょう」

 そして、ウフフと、オフクロ、笑ったんです。

 このウフフが、どういうウフフだったのか、よくわかんないスけど、これから起こることに、なんとない期待を抱いているっていうか、嬉しい気持ちをさとられたくない、フェイント気味のテレのジェスチャーというか、どちらかといえば、肯定的なウフフだったようにおもったんですけれど、その一か月後に起こったあの事件で、オレの推測どおりだったことがよく分かった反面、オフクロにとっては、期待の歯車が、一挙に逆回転しはじめたんだ、ってことが、わかったんですよ。

 そう、きのうの夜の、監督さんのヒロシマが遭遇したという、日本連合赤軍がダッカで起こした日航機ハイジャック事件が、それなんです。

 オレが、アパートの近くにある公立の初等科に入学して間もなく、ホントに間もなく、事件は起こりました。入学して一か月もたたないのに、オレの周りには、ずいぶん取り巻きが集まっていて、というのは、直毛黒髪で、肌の色が違う、フランス語もしゃべれないアジアのサル、みたいなのが、めずらしかったんでしょうね、きっと。髪ひっぱったり肩こついたり、尻けとばしたり、時には目隠ししてグルグルまわしたりするヤツもいれば、さも親し気に肩を抱いて、ほおずりして、挙句に大外刈りで転がしてみたりするガキもいるなかで、ひときわデカい、栗毛のヘラジカみたいな、サミールという、なにかにつけオレの盾になってくれた、北アフリカ系のボスみたいなヤツがいたんですよ。そいつが、ある日、真顔で、こういうんです。

「オマエ、アルメ・ルージュって、知ってるか?」 
「知らない」
「革命って、知ってるか?」
「知らない」
「ナンも知らんな、オマエ」
「だって、習ってないもん」
「バカ、自分で勉強するんだよ、世の中のことは。いいか、教えてやる。第一が、革命を成功させたソビエト連邦のアルメ・ルージュ、赤い軍隊だ。第二が、ドイツ連邦共和国のアルメ・ルージュだ、反体制の赤軍だ」
「赤軍?」
「そうだ、第三はどこだか、知ってるか?」
「知らない」
「オマエ、日本人だろ」
「そうだよ」
「だったら、日本のアルメ・ルージュ、知らないで、どうすんだよ。きのう、ダッカでハイジャックやったの、お前の国の赤い軍隊だぞ、革命の兵士たちだ、分かってんのか!? オマエんちに、ラジオ、ないのか? 帰ってママに聞いてみろ!」
「でも、ダッカなら、知ってるよ」
「ダッカを知ってる!? なんで?」
「だって、いま、パパが、いるところだもん」
「なんだって! オマエのパパは、赤軍の兵士なのか?」
「でないわけ、ないとおもうよ」

 言ってしまって、オレ、自分でもビックリしました。
 正直いって、ハイジャックってなに? なんて、聞きたかったんスけど、きっとバカにされるな、て直感したし、それに、なにも知らないことで、グイグイ劣勢に立たされていく自分が、子供ながらに不甲斐なかったのか、形勢を一挙に挽回しよう、と考えたんでしょうね。思惑どおり、効果は抜群で、その日以来、クラス内でのオレの格、グンと上がっちゃって、大外刈り狙って抱き着くヤツも、目隠ししてグルグル回すヤツも、アジアのサルといってからかうガキどもも、いなくなって、そのかわり、革命とか赤軍とか、兵士とか、パレスチナの英雄とか、なんだかんだと、称賛の言辞が方々から聴こえてくるようになって、逆に好意ある取り巻きが、前にも増して多くなっちゃたんですよ。

 そんな感じで、オレの場合は、とてもハッピーな展開になったんスけど、反対にオフクロには、けっこう迷惑かけちゃったみたいでしたね。何回か呼び出し食らって、学校に来てましたよ。帰り際に校庭で会ったりしましたけど、いつも他人みたいでしたね。態度はにこやかでしたが、顔は笑っていませんでした。呼び出しの理由についても、一切、説明、なかったですけどね。七歳のガキに、なに言っても仕方ない、とおもってたんでしょう。以来、ウフフとテレ笑いしたオフクロは跡形もなく消えて、校庭で会ったときの、あの他人みたいな母親が、自分の息子の面倒をみる、って感じで、義務付合いしてくれました。突き放された気がしたオレ、オフクロとの密着感を取り戻したくて、オヤジのハナシをしようと、なんどもトライしたんですけど、その度に、ますます疎遠になっていくような気がして、そのうち、オレの中でも、オヤジのことをタブー視するようになっていったんです。そして、それと引き換えに、自分の父親がハイジャック犯の一員だった、という確信を、ますます強くしていったんです。 
 
 どういう事情でそうなったかは、よく覚えてませんけど、初等科が終わって中等科に進むとき、十二区にあった公立初等教育学校をやめて、十六区にある私立の有名学校にかわりました。オフクロの側に、なにか理由があったんでしょうけど、オレにとって、学校は勉強するところで、どこでもよかったんですよ。でも、唯一、サミールと離れるのがイヤで、寂しかったスね。カレもそう感じたらしくて、別れ際に、オレの手をギュッとにぎって、こう言ったんですよ、オマエも、ブルジョワの子弟だったんだな、裏切るなよ、てね。

 なにを裏切るなといったのか、よくわかんなかったけど、とにかく、すごい熱意と仲間意識に引きずられて、オレ、体中が火照ったのを、よく覚えてます。

 オヤジとおふくろ、というか、オレのウチもそうだったけれど、大抵の家は、世の中の事、とくに政治とか経済については、すごく敏感で、一般の役人とか警察とか、政権に縁のないひとたちは、毎日、身の回りで起こる出来事に、ほとんど生体反応じゃないか、ていうくらい、ナマの反応してましたからね。サミールの家なんか、いい例で、父親はアルジェリア人、母親はチュニジア人、両方とも移民で、パリで知り合って結婚したらしいんですけど、子供が六人いて、サミールはその長男、父方の祖母にはリビア人がいて、母方の祖父は、なんとマリ人ですよ。かつての祖国が資源国なのかどうか、地理的に得なのか損してるのか、宗教が合うのか合わないのか、それとも敵対せざるをえないのか、いろんな面で、それぞれに独自の環境条件があるわけで、そんな風に考えると、みな、けっこう緊張感ただよう国の出ばっかりなんですよね。

 合計十人の家族に、そんな基国籍のひとたちが入り混じって、一つ屋根の下に暮らしてるわけですから、自分たち全員の存立に直接かかわってくる政治や経済に、敏感にならざるをえないのは、当然といえば当然ですよね。サミールを見てて、思ったんスけど、いつも存立の危機に瀕している、という状況が、かれらの輪郭を、とてもスリムで、クリアにしてるな、てことでしたね。

 経済的に安定したら、気がゆるむし、ぜい肉もついてくる、それだけでも輪郭がぼやけてくるのに、政治的に安定してしまったら、途中下車できないお召列車みたいなもので、終点まで居眠りっきゃない、ってことでしよう。これじゃあ、時の流れや景色にもドンカンになるし、時間軸もずれてくるから、なにからなにまでボヤケてくる。

 ところが、サミールの場合、これがまるで正反対なんですよ。父方の祖母は、独裁体制の祖国から国境を越えてアルジェリアに逃れたリビア人です。そこでアルジェリアの男性と結婚して父親が生まれました。母方の祖父は、マリ人といっても、もともとアザワド地域を根城とする遊牧民で、ガオ出身のトアレグ人なんです。それがチュニジアの女性と結婚して母親が生まれました。つまり、サミールがこの世に存在するまでの時間と空間の軸が、手に取るようにたどることができるんですよ。ドラマに登場する主人公の輪郭が、ひときわシャープに浮きあがってくる、てわけなんですよね。
 
 急にヘンなハナシになって、どうしたんだ、てカオ、してらっしゃいますけど、ムリもないスよね。時間と空間の軸なんて、みなさんにとって、なんの意味もない、言葉の遊びに過ぎないことかもしれませんものね。でも、これからお話しすることに、ちょっとでもミミを傾けてくだされば、多分、なるほど、と思ってくださるに違いない、て確信してるんスけど。 
 
 きっかけは、入社早々から始まった、海外連絡事務所での仕事でした。

 さっきお話したアルジェリアという国に赴任することになったんですけど、そこは、奇遇というか、あのサミールのオヤジさんの祖国だったんです。といっても、赴任時にサミールのことを思い出したかといえば、まったく考えもしませんでした。十六区の私学にかわってから、取り巻きの環境もかわってきて、直毛黒髪や肌の色、目細のサル顔や言葉の出来不出来といった、相手の品性とはほど遠い、下卑た好奇心にかられた、羽交い絞めや大外刈りみたいな、暴力を伴ったいじめではなくて、もっと複雑で陰湿で、人の品性を頭から見下してしまうみたいな、超上から目線の、決して明るみには出てこようとしない、冷やかな区別、みたいなものでした。なので、あの直接的で、たのもしくて、単純明快な、栗毛のヘラジカの盾は、毎日の抗争で出る幕もなかったし、いつのまにか忘れてしまっていたんですよね。

 赴任して一週間後の木曜日、オレの着任歓迎会をする予定だったんですが、行革デモがあるっていうので中止、ごく少人数で一杯やろう、ということになって夕刻、先輩たちの誘いで、ブラリと、繁華街の一角にでかけました。

「サイゴンにでも、いくか」

 むかし、ベトナムが南北に分裂して戦争していたころの、南の首都の名をそのまま継承した、アルジェで一軒しかないアジア料理店でした。首都サイゴンて、オレがまだ小学生だった七十五年に陥落した商都市なんスけど、多くの人がベトナム戦争に無関心ではいられなかったあの時代、多かれ少なかれ、その渦中で青春を謳歌してきた先輩たちには、甘いか苦いかは分からないスけど、ある種の遠赤外線的な、あったかいノスタルジーに浸らせてくれる響きをもった、格別な名称だったんでしょうね。

 うす暗くてカビくさくて、ウナギの寝床みたいな縦長の洞窟で、窓も明り取りもなく、窒息しちゃいそうな店内でしたけれど、粗末なガタガタのテーブルを数人で囲んで座ると、赤と白のテーブルクロスの温かみや、石壁にはめ込んだ昼行燈みたいなやわらかい照明が、ゆったりと視野を満たしてくれて、意外に落ちついてしまうんですよね。
 落ち着いたところで、先輩たちが、口々に、品定めをはじめました。

「ここのイカリングは、うまいよ」
「エビテンもいけるな」
「ナムもいいしハルマキもわるくない」
「セピアの煮込み、駅弁のイカメシおもいだすな」
「とにかく、適当に注文して、あとはチャーハンに焼きそばでしめるか」
「野菜がくいたい。二、三品、たのんどこう」
「オレはフォーがいいな」
「オレも」
「なんだ、結局、いつものパターンか」
「だね、やっぱ、フォーに焼き飯に焼きそば、プラス野菜、だな」
「とにかくビールだ、まずビール!」
「オマエ、飲めるだろ?」
「ハイ、大好きです」
「遠慮せず、好きなもの、食えよな。どうせ事務所のオゴリだし」
「ハイ、いただきます」
「オマエも、きっと、やみつきになるさ、ここは」
「いえ、ボクは自炊派ですから、毎晩マイキッチンで」
「なるなる、すぐわかるよ」
「ハァ?…」

 その意味がわかったのは、注文した食べ物が出そろって、ビールを追加するかワインに切り替えるか、みなと相談していたときのことでした。入り口の方から、カランコロンという、素朴な金属音が聞こえてきたんです。それまで気がつかなかったんスけど、ドアに来客用のカウベルが、吊り下げてあったんですね。みると、ちょうど外開きのドアが、カランコロンと閉まったときで、そこに栗毛の女性が、というか、女の子が一人、たっていました。
 
 一見して、アジア人と白人のハーフとわかる、やせて小柄で、でもしなやかに手足が延びた、愛らしく小鼻のしゃくれた、まさにいま伸び盛りのアルジェっ子、て感じの娘でしたが、そのコが入り際に、グルリと店内を見わたしたんですよね、そのとき、どういうウタイミングか、オレ、白磁にアーモンドの実を彫り込んだような黒い瞳と、カチッ、と目線が合ってしまって、おもわず、ゾクっ、としてしまったんスよ。ヒトをみて、背筋に寒気がするなんて、初めての体験でした。そんなオレのことを、どうも、先輩の一人が見透かしていたみたいで、こういうんです。

「な、カワュイだろ」
「エ? ェ、まあ…」
「ミンナ、ていうんだ」
「ミンナ?」
「ここのオーナーの、ひとり娘だよ」
「オーナーって、アルジェリアの人ですか?」
「ピエノワールだよ。フランス植民時代に入植したフランス人」
「じゃあ、お母さんがベトナム人?」
「そう。南ベトナムからの亡命者らしいね。けっこう有力な一族の出だったらしいよ。これがまた、いいヒトなんだ!」 

 そういえば、入り口から入った真ん前に、白塗りの小さなカウンターが一つ切ってあって、背後のモスグリーンで彩色した石壁を背に、なにか書き物をしているひとが一人、いたんですよね。それがどうも、ミンナのオフクロさんだったらしくて、現にミンナが、カウンターにかけよって、二言三言、声をかけると、銀髪の小柄な夫人が、スッと立ち上がって、鼻眼鏡をはずしながら、慈しむように娘に話しかける姿が、青春アニメの一シーンみたいに、目に入ってきたんです。

「あのひとが、オフクロさん?」 
「そう。可愛いだろ。ホント、アジアの女性はいいね」
「でも、あまり、娘さんに似てませんね」
「ン、父親似なんだな」
「オヤジさんも店に来るんですか?」
「来るも来ないも、ここのシェフだよ。いま、あのなかで、せっせと調理やってるのさ」
期せずして、注文した料理が、次々と運ばれてきました。
「これ、全部、オヤジさんの造った料理さ」
「ヘー、そうなんですね…」 
 
 ミンナの父親がどんなひとか、すぐにでも見てみたいとおもったんスけど、逆に、見ない方がいいのかも、ともおもったんですよね。というのも、ベトナム戦争やアルジェの戦いみたいな、並みでは味わえない苦難を乗りこえてきた父母のオーラが、娘のミンナ自身の輪郭をぼかしてしまうんじゃないかとおもって、すごくもったいない気がしたんスよ。だから、オレ、いまそこにいるミンナというアルジェっ子を、そのまま、まるごと、知覚野に吸い取って、記憶野に刻み込んでおこうと、その一挙手一投足を、ずっと、目で追っていたんです。すると、さっきの先輩が、ニヤニヤしながら、こういったんですよ。

「な、オレがいったとおりだろう、わかったか?」
「なにが、ですか?」
「ほら、マイキッチン、どころじゃ、ないだろ」
「ハァ…」

 虚を突かれた反動で、オレ、すぐ否定しようとしたんですけど、そのとき急に、奥の方から歌声が聞こえてきたんです。それも、大勢でがなり立てるみたいな、集団のダミ声で、とても不快でうるさかったので、つい、反論する気もそがれてしまって、黙りこんじゃったんスけど、みると先輩たちも、あきれた表情で、また始まったか、みたいな顔つきで、互いに目配せしているところでした。

「おまえ、あの歌、知ってるか?」
「いえ、知りません」
「カスバのオンナ、という歌だよ」
「カスバのオンナ? ここの、ですか?」
「さあ、カサブランカ、かもしれないね」
「カサブランカの、カスバ?」
「どっちでもいいんだよ。かれらは鉄鋼会社の派遣社員でね。ここの製鉄会社で技術指導している技師さんたちなんだ。定期的にここで夕食会開いて、内内で楽しんでくれるのはいいんだけど、必ず、あの、カスバのオンナ、で締めるんだよ」
「ちょい、うるさいスね」
「うちのお客さんでもあるから、文句いえないしね」
「オマエ、映画は好きか?」
「好きです、古典もいいスよね」
「ペペルモコは観たのか?」
「エエ、ジャンギャバンの出るフランス映画でしょう? たしか邦題は望郷でしたよね」
「あれに出てくるカスバは、ここのだけどね」
「じゃあ、歌のカスバは、ここじゃないと?」
「モロッコ、て映画、観なかったか?」
「ゲーリークーパーの? たしか、デートリッヒが恋人役、だったスよね?」
「そう。カスバのオンナは、どうもあの映画が由来らしいよ」
「ヘー、外人部隊に日本人が?」
「いても、おかしく、ないんじゃないか」
「でも、ここはモロッコじゃなくて、地の果てアルジェリア、なんでしょう?」
「どこでもいいんだよ。要はだね、大義に殉じ、地の果てで戦う、外人部隊の一兵卒、実らない刹那の恋をして、やがて迎える悲しい別れ、そして孤独…なんでもいいんだよな。こうやって、何分間か思いを込めて、にわか作りの悲劇の主人公になれるわけだ。結局、日本人て、演歌がすきなんだよな、演歌が」
「はあ…」

 さて、みなさんは、どうスか、演歌、好きですか? オレは、あまり、好きじゃないスけど。でも、アルジェリアのライ、ていう歌、超いいスよ。さしずめ、マグレブの演歌、といえなくもないスけど、ああいう虚構というか、お芝居というか、作り物の情念にのっかって、出来合いの情感に酔いしれる、みたいなニセの空間じゃないんスよね。あくまで直接的で、具体的で、なによりも即物的で、圧迫された生体に直結した欲望欲情の抗えない発露、とでもいえばいいんスかね、ハイテンションのパーカッションと切れのあるアルジェリア語で、心底、煽られまくりますよ。マジ、ホンモノです。

 もともとはベドウィンの民謡らしいんですけど、それが、アルジェリア西部のオランという都市にきて、都市文化、とくに若者たちの表現文化と接触し、融合していくなかで、なにかにつけ、自分たちを抑え込もうとする、宗教や政治の圧力に対する反発や抵抗、を原資に生まれ、中近東、アジア、アフリカ、欧米の多種多様な民族、民謡、歌謡音楽を貪欲に取り入れ、かつ、それらを触媒として、したたかに発展進化してきた独特の流行歌なんです。このアリコなんかでは表現不可の、焦熱感、に苛まれますね、マジに。先輩たちは、どうなんだろう? 聞いてみました。

「先輩は、ライ、お好きですか?」 
「ライか」
「オレは好きだね、グイグイと、ひとを責め立てる力、がある」
「オレは、ダメだな、とにかく、おしつけがましいんだ。イライラしてくる」
「それに、なに言ってんだか、わからんしね」
「そこが、いいんだよ。分かったら、聞けたもんじゃ、ないんじゃないか」 「オマエは、どうなんだ?」
「ボク、大好きです。二週間前、生まれて初めて、ここの空港に着いたんですけど、タラップを一段おりた瞬間、グワーと滑走路から熱風が巻き上がってきて、パリのオルリー空港からズッとまとわりついてきた、あの悩ましい香料のニオイが、いきなり熱気にあおられて拡散し、目から鼻から口から、耳からも体のなかに入ってきて、脳髄をギリギリ刺激して、こういうんですよね、ここは、別世界だよ、アタマを空にしろよ、ナマのアタマで付き合わないと、もたないよ、ってね。で、迎えの車でホテルに向かう間、運ちゃんが、これがホントのライだよ、て初めてみる日本人のボクに、マジに自信満々でかけてくれたんですけど、そのテープを聞いていて、リズミカルな笛と太鼓の掛け合いと、強引で粘った男性歌手の声にのせられて、いつのまにか、グングン引きこまれていったんですよ。そのうち、初めて目にした国際空港ビルの惨状や、復元工事中のロビー、キャラバンサライを彷彿とさせるテント張りの搭乗エリアや、イミグレの熱気、税官吏の悪態、広場や車道の喧騒、市街の雑踏、髭ずらのオトコども、白いコモをかぶったオンナたち、なんやかや、目に入ってくるもの全部が、あの悩ましい刺激といっしょに、ボクのなかで、やっぱりこういうんですよね、ここは、別世界だよ、アタマを空にしろよ、ナマのアタマで付き合わないと、もたないよ、ってね。だから、ボクにとってライは、不安と好奇と期待に満ちた、マグレブ入門歌なんですよ」
 
 ふんふん、と聞いていた先輩たち、みな、だんだん、興味ないな、て顔つきになってきたので、ライは止めにして、ずっと気になっていたことを、この際、聞いてみようとおもったんです。

「きょう、デモがあるってことでしたけど、なんのデモなんですか?」

 一番年配の先輩が答えてくれました。

「あれはね、一党独裁に対するデモ、なんだよ」
「FNL、民族解放戦線という政党に対するデモ、ですか?」
「そう」
「でも、街中歩いていて、独裁体制という威圧感、あまり感じませんけど」
「百三十年間、植民地だったからね。支配や抑圧とどう付き合うか、よく知ってるのさ」
「でも、たくさんの血を流して独立を勝ち取ったというのに、今度は、味方のはずの解放戦線が、民衆の抑圧を?」 
「民衆の抑圧、といえば、イデオロギーぽいので、別の言い方すれば、まあ、ざっと言って、ぶんどり合戦、蓄財疑獄、利権の争奪戦、錬金術の品評会、てとこかな」
「じゃあ、少なくとも恐怖政治ではない?」
「ない」

 そのうち、別の先輩たちが、口々に説明を加えてくれまし。

「むしろ、先代の大統領は、イスラム社会主義建設のために窮乏政策を強いていたんだが、新大統領になって、民生重視を政策の目玉に据えたんだ。だから、今のところ、なんとか政権への攻撃をかわしているがね」
「地方分権、規制緩和と、構造改革も推進しているしね」
「もともと教育熱心で、教育予算は三十五パーセント台を維持、識字率も改善されつつあるし」
「なら、いいことばかりじゃないですか。なんで、デモ、で騒ぐんです?」
「失業率が高い」
「五十パー、超えてんじゃないのか」
「あとは、不公正、不平等、不可解、不正、要は、党員にあらずんばヒトにあらず、ってところかな」
「たとえばだよ、党員経営のスタンドにはタイヤが山と積んである。ところが、他では一本もない、とい現実」
「上質小麦が山と積んである利得パン屋、いくら申請しても小麦の輸入許可をもらえないで潰れていく真面目なパン屋」
「数え上げればキリがないよね」
「溜まり溜まった怒りは、いずれ爆発するだろうね」
「そこで危ないのは、イスラム原理主義勢力の台頭だよ」
「新大統領になって、リベラルいわゆる世俗派が、政権を牛耳っているんだけど、腐りきった政治への怒りの隙間に、イスラム原理主義が入り込んだら、一気にヤバくなるな。すでにアトラス以南は、そうとう浸透しているらしい」
「所長も悩んでる。イザとなったらどうやって逃げりゃいいんだ? てね」
「ストレス、溜まりますよね」
「ストレスどころか…」

 だれかが続けてなにかいおうとしたとき、カウベルがガラン、ゴロンと激しく鳴ったんです。みると、若者が二人、血相変えて飛びこんできたところでした。どうみても、ダレかに追われて、必死でにげてきた、て感じで、そのままカウンターに跳びついたかとおもうと、押し殺した声でこう叫んだんです。

「ミンナ、たのむ!」  

 途端に、厨房の奥から、危機はらむ太い男の声がしたかとおもうと、カウンターの下側がパっと開いて、さっきの若者二人がサッと、そのなかに吸い込まれるように、消えてしまったんです。先輩たちもオレも、呆気にとられて見ていたんスけど、今度はそこから、ミンナが飛び出してきて、いきなり鉄鋼会社の宴席に駆けよるや、早口の英語で、こう頼んだんです。

「おねがい。わたしの友人が、とても困っているの。助けて。今夜、みなさんの仲間で、一緒に食事していることに、してください。お願いします!」  
 その声には、切羽詰まった響きがありました。オレ、直感したんスよ。これは、あきらかに、デモってた学生、ていうか、反体制派の若者が、警察か憲兵に追われて、逃げてきたんだと。だとしたら、頼まれた鉄鋼会社の派遣社員たち、どんな反応するんだろうか? そのまま受け入れたら、反体制派に加担した、ってことになっちゃうじゃないですか。ことわったら、目の前で、若者二人が、こつかれ、殴られ、蹴飛ばされ、手錠かけられてしょっ引かれる修羅場を、見届けなくちゃならないことになる。なにより、ミンナという、いたいけないアルジェッ娘から、一方的に寄せられた、有難迷惑といえなくもない、無垢な信頼の証を、大の大人として、裏切ることができるだろうか? また、大袈裟にいえば、二国間の交易にとって、けっこう微妙な問題になっちゃうかもしれないし、個人的には、国際市場の恩恵を享受する一企業人としてのプライドが、許してくれないんじゃないか、ということもあるし、どんな風に対応するのか、オレ、とっても興味をそそられて、しばらく、ことの成り行きをみてたんスよ。

「分かった! 速く、速く!」  

 いきなり、ヘッドらしい社員が立ち上がって叫ぶや、せわしくミンナに手招きして、急いで自分たちの宴席に加わるよう、促したんです。

「ありがとう!」

 ほとんど半泣きになっていたミンナ、反射的に礼いうや、カウンターにとってかえし、転がるように若者二人と戻ってきました。

「このひとアルジェ大学の学生、こちらパンやさん、お願い!」
「よし! みんな、肩を組もうじゃないか!」

 ヘッドは、会席者全員を立たせてテーブルを囲むと、学生とパン職人を交互に交えて肩を組み、こういいました。

「さ、歌おうじゃないか! カスバのオンナを!」

 全員、肩を組んで、歌いだしました。学生もパン職人も、肩組んで、右に左に揺れながら、あのウタ、歌ったんスよ。居合わせた客たちは、みな、うるせーな、って、おもっていたはずなんですよ。でもね、みな、事のいきさつを、一部始終見ていたわけでしょう。内心、どこかで、拍手みたいなものを、送っていたかもしれません。すくなくともオレは、そうでしたね。なんなら、一緒にうたってやろうじゃないか、て、おもってたくらいでしたから。

 でも、そのとき、ガラン、ゴロンと、入り口でカウベルが鳴って、ブルーの警官とカーキーの憲兵が、のそりと、入ってきたんです。官憲は、緊張した面持ちで対応にでたオフクロさんに、意外なほど丁寧に、紳士的な態度で、なにか確認をとっている風でした。その様子を見ながら先輩が、そっとオレに、耳打ちしたんですよ。

「アレが、ウチの売った服地、だからね」
「ハア…」 
 
 なんのハナシ、ておもったんスけど、あとで考えたら、服地市場で、警察と軍のマーケットを獲得したのはウチの会社だ、ていいたかったらしいんです。商社魂、ていうんですかね、これが。で、オフクロさんの方は、納得したのか、させられたのか、ふりかえって二言三言、厨房に声をかけ、出てきたミンナに、やさしく、こういったんですよ。。

「このお二人、案内してちょうだい」

 オレ、そのとき、直感しましたね。あ、この母娘、慣れてるな、って。案の定、ミンナは、ためらう素振りも見せずに、警官と憲兵を、各テーブルに案内して、事の事情を説明し、官憲二人の身分証明書確認業務に、応じてくれるよう、頼んであるきました。二人は、テーブルをかえるごとに、礼儀正しく、確認業務の必要性を説明し、謝意を述べて、極力権力の威圧感を払拭しようと、努めていましたが、肩を組んでカスバのオンナを歌う宴席にくると、わざと踵を鳴らして直立の姿勢になり、慇懃無礼に歌うのをやめるよう、促したんです。

「こんばんは、みなさん。身分証明書の確認です。パスポートをみせていただけませんか?」
「オー、マイフレンド! ゴクローサン!」

 まずヘッドが、さも親しそうに、パスポートを差し出すとほかの社員も、それに続きました。日本人全員のチェックを終えた警官が、今度は、学生とパン職人に、証明書の提示を求めました。二人とも、鋭い四つの目線に怯えたみたいで、つられてオレも、ちょっとヒヤヒヤしたんスけど、それぞれに、覚悟を決めたらしく、ペラペラでクニャクニャに変形したペーパーを、胸やパンツのポケットからとりだして、提示しました。手に取ってチェックした警官が、ジロリと、学生をにらみました。 
 
「君は、学生か?」
「はい」
「どこの学区だ?」
「アルジェです」
「何を学んでる?」
「建築です。現代建築」
「指導教授は?」
「まだ決まっていません。来年からです」
「住まいは?」
「アブデルカデル15」
「カスバの真上か?」
「そうです」
「しっかり勉強して早くカスバを浄化してくれ」
「浄化?」
「民族浄化じゃない。下水設備の浄化だよ」
「わかりました」

 今度は警官に代わり、憲兵がパン職人に的を絞りました。

「オマエはフッサンデイの住人か?」 
「そうです」
「フッサンデイのどこだ?」
「シテ・パトゥリモワヌ32」
「市職員の団地だな」 
「そうです」
「仕事は?」
「パン職人です」
「なんてパン屋だ?」
「ブーランジュリー・ハッサン・アブデルカデル」
「パン職人が、いまごろレストランで、酒盛りか?」
「酒は飲んでません。イスラム教徒ですから」
「なるほど」
「ありがたいことだ」

 そこで官憲は、二人して示し合わしたみたいに、こう聞いてきたんですよ。

「ところで、オマエたち。ここで何してるんだ?」

 アレって、いかにも、たったいま、逃げこんできたんじゃネーカ、って感じの、ほとんど尋問といってもいい、聞き方でしたね。一瞬、緊張と沈黙の空気が流れて、内心、ここまでか!…とおもって、オレも生つばゴクリ、とのみましたよ。でも、そのときでした。

「マイフレンド! ヒー・イズ・アワ・インタープリーター! かれは、ウチの、通訳、通訳! ほら、モハメッド、はやく訳せ、ヤクせ!」

 ヘッドの機転でした。オレ、うれしくなって、おもわず、ホントかよ! って呟いたくらいスよ。すると今度は、憲兵が、警官を押しのけて、いったんスよ。

「じゃあ、コイツは、なんだ?」 
 
 間髪を入れず、ヘッドが、パン職人の肩をパンパンたたきながら、それに応じました。

「ジス・イズ・アワ・クック、だよ!」
「クック?!」
「そう! パンもうまいし、メシもうまい、ヴェリー・グッド・クック、だよ!」

 そこまでイウか! ておもって、オレ、ちょっと感動、しましたね。なにもかもままならない異国の地で、みな、けっこうきつい操業指導に従事してるわけしょう。そんな技師団をうまくたばねていくなんて、はんぱな技量じゃ、とてもできないことじゃないですか。そんな風に考えると、たったいま垣間見たヘッドの機転というか、急場のしのぎ方というか、大げさにいえば、危機管理手法のカスタマイズ版というか、やっぱ、並みの半端なひとじゃなかったんだな、ておもったんスよ。

「パスポート」

 今度はオレたちの番でした。先輩たち、どう対応するか、とっても興味、ありましたね。

「ハイ、ハイ」

 みんな、礼儀正しく従順に、ていうか、慣れた手つきで滞りなく、というよりも、無関心で無造作に、胸やらパンツのうしろやらのポケットから、分厚い査証をとりだして、ブルーとカーキーの官憲に、差し出したんです。ところが、二人とも手にした査証を調べもせず、こう聞いて来たんです。

「知り合いか?」

 一番の先輩が答えました。

「はい、エルハッジャール製鉄所で操業指導している、夜勤製鉄技師さんだちですよ」
「アルジェに住んでるのか?」
「いえ、アンナバです」
「じゃあ、あのコックは?」
「アルジェにも社宅をレンタルしてますから、そこで雇ってるコックでしうね」
「なるほど。で、あの通訳は?」
「多分、英仏の技術通訳でしょう。結構むつかしい複雑な専門用語がありますからね。大学並みの知識が必要でしょうし」
「なるほど」

 官憲の方は、それで納得しかけたみたいだったけど、反対にオレ、全然、納得できませんでしたね。なんでオレたちに、それ、聞くんだよ? 技師団に、直接、聞けばよかったじゃないか。本人たちが、目の前にいるんだから。ちょっと、義憤じみたものを、感じましたけど、その理由、官憲が帰ったあと、すぐにわかりましたね。

「さ、飲みなおし、だな」

 先輩の一人が、技師席のヘッドのところへ行って、二言三言、言葉を交わしたあと、かえってきたんですけど、そのとき、オレ、きいたんですよ。

「あの方、結構、ヤバイっスね」

 すると、先輩、こんなハナシ、してくれました。

「ウチの所長と技師団長って、同期なんだ」
「同期?」

「所長は理工の資源工学科、団長は冶金科でね。専攻は、まるで違うんだが、二人とも体育会でね、ボートでクルーを組んでたらしいよ。種目はダブルスカルで、団長がストロークサイド、所長がバウサイドだったって、いってたな。バウとストローク、わかるか?」
「わかりません…」
「ストロークサイドは船尾側、バウサイドは船首側、とい意味でね。ボートは、ほら、漕いで進むだろ」
「ええ」
「だから、漕ぎ手は後ろを向いたまま進むことになる」
「はぁ」
「後ろを見ないと前がみえない」
「そう、ですね」
「振り向いて前がみえるのは、どっちだ?」
「バウ、ですよね」
「そうだ。振り向いて進行方向を確かめ、適宜、艇に指令をだす」
「ストロークは?」
「バウの指示にしたがってピッチを変え、左右オールの負荷比を調整し、ひたすら漕ぐ」
「きついッスね」
「ああ、きついよ」
「所長と団長、どっちがどっちだったんですか?」
「その前に、なんで二人が、同じ国、ここにいるか、だよな」
「それもそうですね。なぜです?」
「ダブルスカルでクルーを組んでいた二人は、卒業後、所長は老舗の精鉱会社に、団長はメジャーな製鉄会社に就職して、それぞれの道を歩むことになるんだけど、所長は七十年代に、ここの炭化水素公団に、技術支援で来てんだよね」
「それは教わってます。プラスチック製品射出成型機の技術指導でしょう。五年間、指導されたと聞いています」
「そう。そのキャリアを買って、五年前にウチがスカウトしたわけだ」
「はい。着々と、その成果が出ている、とも聞いています」
「そのとおり。ところで、鉄は国家なり、とよく言うだろう?」
「ええ、それって、鉄やさんの信条ですよね」
「五年間、炭化水素やって、この国に力をつけるには、やっぱり鉄が必要だ、と結論に達したひとがいたんだな」
「ウチの所長ですね」
「そのとき、学生時代にダブルスカルのクルーを組んでいた、ストロークのことを思いだしたんだ」
「あの団長のことですね」
「そう。で、帰国後、すぐ電話して、こう頼んだそうだよ」
「なんて?」
「おい、今度は琵琶湖じゃなくて、実業界でクルーを組もうじゃないか」
「なるほど」
「今後はオレがストロークやる、バウはオマエがやれ、ってね」
「フーッ、カッコイースネー!」
「通産がらみのプロジェクトだったから、精鉱側さえ承諾すれば、それで決まりだったんだよ、技術者の派遣がね」
「で、団長がOKを?」
「そう。製鋼部長だったし、そこを落とせば事は成る、て所長も踏んでたわけだな」
「あの巨大プロジェクトが、ほんのわずかな人脈で、簡単に決まっちゃうんですね」
「世の中、そうしたものさ。さっきのオマワリだって、その類だよ」
「さっきの警官が?」
「ここだけのハナシ、あれ、ウチのお抱えのオマワリ、なんだよ」
「エッ!」
「警察、憲兵隊、市町村役場、病院、あらゆる公的機関などなどには、コレ、届けてあるのさ」
「ツ〇?」
「そう。さっそくオマエにも、まずはそこから、働いてもらわなくちゃなんないな」
「じゃあ、さっきのは?」
「お決まりのお手打ち、さ」
「ウ―、納得!!」
 オレのサイゴンデビューって、実は、こんな感じで終わってしまったんスけど、帰り際に、ミンナがどこにいるのか、もう一度見たくて、薄暗い店内を探したんですよ。でも、客席にも厨房にも、どこにもいなくなっていました。残念だけど、またあした来りゃいいか…なんか、ちょっとオーバーかもしんないスけど、オレ、けっこう切ない気持ちになっちゃって、気落ちしてしまったんスよね。でも、愛らしくて、小鼻のしゃくれた、伸び盛りのアルジェっ娘そのまんまの、ミンナの小顔を思い浮かべると、急に、やり場のないホットな想いばかりが強くなってきて、どうしようもなくなっちゃったんスよね。かといって、どうにかできる妙案が浮かんできてくれる分けもなし。オレ、その夜は、そのまま帰ることに決めました。まだ仮住まいのホテル暮らしだったし、毎日が避難所の、仮設の回転椅子でクルクル回っているみたいで、なにかにつけ落ち着かないし、おぼつかない。とにかく、まず居をかまえることが先決だな…そうおもったオレは、翌週から集中して、住居探しに専念できるよう、スケジュールを調整しなおすことにしたんです。
 まず頭に浮かんだのは、カスバの真上、というキーワードでした。さっき話したサイゴンで、どこに住んでるんだと聞かれた学生が、アブデルカデル15、ていう住所を答えてたでしょう。それを聞いて警官が、カスバの真上の、ごくあたりまえの区域として、即座に認知したんですよね。
 
ということは、つまり、良かれ悪しかれ、公安局がよく知る居住区にランクされている界隈、ということになるじゃないですか。劣悪で猥雑な環境なのか、それとも高級でシックな住宅街なのか、赴任したばかりのオレには分かるはずもなかったですけど、とても惹かれたんですよね。なんたって、あのカスバの女のカスバを、真上から見下ろす界隈、なんですからね。
実際、行ってみると、国道1号線とカスバの城門の間に、街路がいくつか走っていて、そこから分岐した隘路が数本、きつい傾斜で下方に伸びていました。そのなかで、これといった理由はなかったんスけど、一号線に一番近い隘路を選んで入り込むと、まさしくそこがアブデルカデル通りだったんです。隘路の出口までざっと50メートルはあったでしょうか、通りには、わりと古風で、いかにも植民地時代の建物だなって感じのレトロなヴィラが、いくつも連なって並んでいて、その一番奥の建物が15番地で、隘路の出口、というより、崖っぷちの真上になっていていました。そこに立つてみると、いきなり眼下に展望が開け、標高百メートルは下らない大斜面が、急勾配の巨大なカール状に広がって、民家やスラム、モスクやモニュメント、玉石混交の建物群をザックリ巻き込んで、波静かな紺碧の地中海へと急降下し、そしてまた、崖っぷちの真上からは、ひと一人、やっと通れるか通れないかの石の階段が、カスバの赤黒い屋根屋根を縦横に縫い縫い、カールの底部の、分厚い油状の海水がヒタヒタ洗う埠頭群のアルジェ港まで、一気に下っていました。
「スゲー眺めだなぁ…」
オレ、おもわず、ため息、ついてましたね。といっても、スケールのデカさにびっくりしたわけでもないし、混然一体、思うに任せて増殖してきた無節操な都市開発に、唖然としたわけでもないんスよ。ただ、薄汚れた石壁や、変色したコンクリ、壊れそうなバラックや半分はがれた赤レンガ塀の内側に、いったいどれほどの人間が呼吸し、うごめき、怒鳴ったり笑ったり、喜怒哀楽に身を任せて生き、そして生き延びようとしているのか…。
そうおもうと、オレ、急にひとびとの存在が、かけがえもなく大切で、愛おしくおもえだしたんですよ、マジに。旅するとセンチになる、っていうじゃないですか。旅情、ていうヤツですかね。でも、そんなロマンチックなモンじゃなかったんスよ、実は。というのも、赴任辞令時にいろいろ勉強して、なまじ知っていたせいか、多分、オレのなかに偏見があって、アルジェという都市が、もとをただせば、地の利に敏い海賊どもが、格好のアジトとして選んだ巣窟だったんだろうし、またそこを拠点に、ひとの富を強奪し、男とみれば喉をえぐって殺し、女子供とみれば見境なく誘拐強姦監禁して、あげくに奴隷市場で売りとばして巨万の富を築いてきた人非人に、今どきの見方からすれば、地中海交易の遺産を裏から支える闇のプラットフォームを提供してきた、といえなくもないじゃないか、ておもったんですよね。そんな風に考えると、長年、私益収奪構造の利権を貪って肥え太ってきた富豪層と、拉致され売られ虐待され、圧殺された怨嗟と悲憤の叫びをなおも押し殺して、それでも戦々恐々として生き延びてきた貧困層の二つの層が、この巨大なカール状の居住空間に、一触即発の危機を懐に抱えたまま、混然と同居しているわけじゃないですか。マジで、恐ろしくありませんか、この危なっかしいバランスが? 富める者のサジ加減ひとつで、生きるか死ぬか売り飛ばされるかが決められる恐怖の均衡が? ギリシャ叙事詩の時代から、ローマ、ヴァンダル、オスマン、フランスの帝国略奪の支配を経て、やっと独立国になったいまにして、なお、厳然と温存され続けている現実の統治構造の存在が、オレ、なんとも恐ろしくなってしまって、あのとき、カスバを見下ろす崖っぷちに立って、地雷の雷管を踏みつけてしまった間抜けな兵卒みたいに、茫然自失、身動きできなくなって、コチンコチンにフリーズしてしまったんスよね。

それが解けたのは、ふくらはぎに軽い痙攣が走ったときで、はたと気がつくと、いつの間にかカスバは、夕日に煙っていました。粗末なモザイクタイルでふいたんでしょうね、小さなスペイン風の中庭やベランダ、市街戦で爆破されたのがもろ分かる南仏様式の石壁や、薄汚れたオスマン時代の漆喰の瓦礫、路地沿いのパン屋、肉屋からつきでた不揃いの煙突などなど、あちこちから夕餉の煙が、旧市街全体を覆っていたんですよね。そんなカスバを、突っ立ったまま、オレ、じっと見入っていたんですけど、そのうち、なにか白いものが、ずっと下の方で、チラチラと妙な動きをしていることに、気がついたんスよ。
 いびつな段差の石段が、足元から急な角度で下ってるんですけど、そのずーと下方で、白いなにかが動いていたんです。目を凝らすと、黒ずんだセメント張りの屋上の一角に、雑でへたくそな左官仕事で造作した、日干し煉瓦造りの小屋が二つ、継ぎ足してあったんですけど、粗末な板張りの屋根越しにみえるモザイクタイルの床の上で、それは、一定のリズムで、単純な反復動作をくりかえしながら、動いていたんです。
「なんだろ?…」
 それは、わざとこちらを挑発するみたいに、屋根の陰から出たり入ったり、していました。いったいなにが動いてるんだ?…オレ、イラッとして、しばらく凝視してたんスけど、そのうち、なんのことはない、実は、ひとが一人、動いてるんだ、てことに気がついたんです。アラブの白いトーブを着たオトコが、腕をクルクルまわしたり、体を後ろに反らしたり、前かがみになったり、脚を開いたり、曲げたり、規則的なリズムと動作で、中途で飽きる様子もなく、ずーっと動いてるんです。ひとって、この種の動きをするとき、なにをしているとおもいます? 
 
そう、まず踊りですよね。北アフリカだったら、さしずめ、タブケとかウルナイルとか。それから、ブルース・リーみたいに、カンフーとか空手とか、とにかく武術の型の稽古もありますよね。また、単なるストレッチか、自己流のヨガの変形だった、てこともありますよね。オレも、その辺じゃないか、て想像してたんですけど、でも、どれもこれも、いまいち、どこかピッタリこなかったんです。踊りにしてはセクシーじゃないし、伝統のニオイもない、マーシャルアーツのマネにしても、武の精彩に欠けるし運動軸がみえてこない、かりに自己流のストレッチやヨガだとしても、リズムが速すぎるし、関節の曲げ角度が大まかすぎる。いったいなんなんだ、この単調な反復運動は?…とおもったとき、一瞬、オレ、ひらめいたんスよ、そうか、ラジオ体操だ!ってね。でも、変じゃないですか? アルジェって、北アフリカの白いパリ、といわれてるんスよ。その旧市街のカスバの片隅で、日本の一般国民向けの健康体操をしているヒトがいる、なんて、だれが考えます? 思いもつかないことでしょう?
  この疑問、確たる答えのないまま、ずいぶん長い間、オレのなかで、モヤモヤとくすぶり続けていた、ていうより、その後のさまざまな選択肢に、ぜんぶに関わり続けてきたんじゃないか、とおもえるくらいに、いつも気になってたんですけど、住居を決めるときも、やっぱりそうでしたね。崖っぷちからカスバを見下ろしたあのあくる日から、さっそく、住まい探しに専念したんですけど、結局、オレ、おなじアブデルカデル通りの、しかもどん詰まり20番地にある、植民地時代に建てられたという石造りの、二階建ての立派な館を、まるごと一軒、借りる結果になっちゃったんですよね。数ある物件のなかで、どれにしようかとさんざん迷ったんですかど、最後には、カスバを見下ろす地の利を手放す気になれず、また、旧市街の一角でラジオ体操する白いオトコのことが気になって、というより、妙にこだわってしまって、つい、決めちゃったんスよ。
 
 おっと、もうこんな時間ですか! 人に話す、って、除草作業ににてますよね。あれって、地下茎の雑草にかかわっちゃうと、たどっていくのが大変で、しっかりしないと、除草してること自体も、自分がどこにいるのかも、分かんなくなっちゃうんスよね。記憶をたどるのも、にたようなとこがあって、思い出って、全部、地下経でつながってるじゃないですか。だから、どこまで行っても終わりがないし、きのうのことも二十年前のことも、同時に呼び出せてしまう。結果、いま、という感覚が乏しくなっちゃうので、ちょうど今のオレみたいに、いまは眠る時間なんだよ、てことも、忘れてしまうんですよね。でも、これで終わり、てわけにもいきませんので、もうすこし、時間をいただけますか。できるだけこまかいとこ省いて、猛スピードで、行けるとこまで行っちゃいますので。
 カスバを見下ろす高台に居を構えた翌年の十月、首都アルジェで大暴動が勃発したんです。ちょうど赴任一年目でしたね。そのころ、オレ、アルジェから東に百キロちょっと行ったところにティジー・ウーズーという、カビリー地方の主都といわれてる大きな都市があって、その周辺にある小さな国営の冷蔵庫製造工場の担当をしてたんです。十年前に外国企業が入って建てた工場で、開業当初は、初の国産冷蔵庫の誕生、という掛け声で売れに売れたんですけど、契約切れで外国企業が抜けた途端、欠陥商品続出でそっぽを向かれ、だれも買わなくなっちゃったんスよ。工場は不良品の山積み、稼働率がた落ちで、生産ラインは停止同然、なんとかならんのか、ということで日本になきついてきたのが五年前、うちの仲介で日本の大手冷蔵庫メーカーが参入することになり、三年前から再建工事に入っていました。それが、やっぱりていうか、モメにモメてたんですよ。

 というのも、契約交渉でメーカーさんは生産設備の改善計画を主張したんですけど、お客さんの方が、どうしてもリフォームにしてくれ、てことにだわったこともあって、結局、既存設備の再建計画で、契約しちゃったんスよね。もしオレだったら、絶対、新規の設備工事、という中身にしてましたね。他社の生産ラインを修理して、あとで生産性を保証する、なんてこと、できるわけないじゃないですか、いくら完璧な再建工事をしたとしても。案の定、工事完了段階になって、約束の稼働率が達成できず、検収検査で保留、保留の連続、客先から工事完了証明書が出るまで、延々と、修理工事を続けるのか、ある程度のところで、国際調停に懸けるのか、ギリギリの交渉を続けている最中だったんです。

 でも、そのとき、モメにモメていたのは、オレたちだけじゃなかったんスよ。肝心の、国と民の間が、メチャクチャ、モメていたんですよね。ほら、さっき、レストラン・サイゴンでの一件、はなしたでしょう。反政府デモに参加していた学生とパン屋が逃げ込んできて、鉄屋さんとウチで助けたというハナシ。あの時点で、事態はもう、相当、緊迫していて、一触即発の危機を孕んでいた、といってもおかしくないくらいの、状態だったんです。あのことが縁で、オレ、カスバの真上に住むことになったんスけど、毎朝、崖の上から俯瞰するアルジェの都は、姿こそ変えなかったけれど、わずかな地鳴りにもおびえ、いまにも瓦解してしまいそうな、危なっかしい、砂上の城塞群みたいにみえました。平穏でいられるのは、アザーンの鳴り響く未明の一瞬だけ、あとは、パトカーの警報、救急サイレン、金属の衝突音、破裂音、砕け散るガラス音、耳をふさぎたきなる増幅音で日がな一日がなり立てるライの歌声、街路の喧噪、カフェで怒鳴りあう客たちの声、女たちのけたたましい叫び、怒号、方々から立ちのぼる煙、焼け焦げるタイヤの臭い、ありとあらゆる破壊と破滅と崩落の兆しが、排ガスの熱気とともに、上昇気流にのって吹き上げてくる、不吉な毎日でした。

 冷蔵庫工場再建の件も、まるで国情に歩調を合わせたみたいに、先の見込みのない、不幸な結果に、終わろうとしていました。仲裁条項の発動が、現実味を帯び始めていたんです。稼働率が上がらないのは、それ相応の金をかけた工事をしてないからだ、と客先はいうし、いくら金をかけても現地工員のスキルが低すぎるからだ、と、こっちは反論する。折り合うわけ、ないじゃないスか。対立したまま三日三晩、冷え冷えした工場の会議室でぶっ続けに交渉、あげくに、最悪、調停案を含めた、最終対案を後日提出する、という結論になって、あの日、一番でアルジェ事務所に帰るため、ティジー・ウーズー経由で国道二号線に向かったんです。

 よりによって、明け方に十何年ぶりかの大雪、村道・市道沿いのユーカリ並木が、雪の重みにたえきれず、そこここで倒れ、それでなくてもでこぼこの未舗装道路を寸断していました。ちょうど事業車が四駆のバンだったので、悪路隘路はなんとか切り抜け、やっとの思いでティジー・ウーズーにたどりついたんスけど、街の入り口を通過した瞬間、異常な様相に、おもわず恐怖を感じました。

 手に手にこん棒や農具、鎖や大型工具などを持ったひとたちが、そこここにたむろしていました。みな、追い詰められ、逼迫し、報復心に燃え高ぶった、沸点寸前の沸き上がる怒りの形相で、うろうろ動き回っていましたが、その定まらない動きが、方々で今にも一つにまとまり、でっかい集団になって、無作為に選んだ標的めざしてどーっと突き進んでくるみたいな、恐ろしいエネルギーの沸騰が、みてとれたんです。

 現に、街の中心部に切ってあるロータリーに、タイヤが山積みにされていて、そこから、黒々した煙が、もうもうとたちのぼっていました。暴徒が仕掛ける不吉な狼煙、とでもいえばいいんでしょうか。焼け焦げたゴムのにおいが、あたり一面に漂っていて、今にもなにかが起こりそうな、異常な雰囲気でした。方々でガラスの砕ける音がしました。石やレンガ、壁や建物が壊れる音が、四方八方から鈍い地響きと一緒に伝わってきました。そして、オレたちが乗る車のボディ全体を、内側からビリビリ、震わせていたのです。
オレたち、そんななかを、恐る恐る、ゆっくり走ってたんスけど、なにがきっかけか、よく分かんないうちに、それまで混然とうごめいていた人の群れが、スーと、ひとつにまとまって、急にオレたちの車に狙いを定めたみたいな、不吉な恐ろしさにとらわれたんです。オレ、無意識でしたけど、運転席のアブダッラに、大声でこう叫んでました。

「ライだ! ライをかけろ!」

 アブダッラの太い指が、パチーンと、デッキにカセットを突っこむと、途端に耳をつんざくパーカッション、甲高いライの詩歌が、車中一杯に、ガンガン響きわたりました。オレ、鼓膜が破れるくらい、もっと音量を上げさせてから、ダッシュボードに収納してあったステッカーを、フロントグラスの右端下に貼りつけたんです。在留邦人会が、緊急時用にと配ったもので、黄色い地に赤の太字で、デレガシオン・ジャポネーズ、つまり、日本派遣団、と、はっきり識別してもらうためにつくった、サバイバル目的の張り紙でした。咄嗟にかけたライも、効き目はありましたけど、この張り紙の効力にも、目を見張るものがありましたね。車を狙った暴徒たちは、たしかに殺気立ってはいましたけど、暴発するまでにはまだ間があったみたいで、救われましたよ。こん棒で窓ガラスを割るかわりに、開けろ、と、去勢をはって威嚇する余裕はまだあったし、オレたちを車から引きずり下ろすかわりに、おっ、ライじゃないか、と、自慢の歌と音楽を、赤の他人と共有して、無邪気に喜ぶ気持ちのゆとりも、まだ残っていました。日本派遣団のステッカーにいたっては、日の丸をみたとたんに、トヨタだのソニーだの、なかにはホンダのシビックはおれの宝石だ、などと、なかには日本製を礼賛するヤツもいたりして、その効力は抜群でしたね。オレたちがティジー・ウーズーを抜けて国道二号線に入るまでは、事態はまだ、引き金に指がかかったままの状態で、最後の一線は、超えていなかったんです。直後にアルジェで、火の手が上がるまでは。
 
 みなさんはどうか、知りませんけど、オレ、正直いって、それまで、暴動の体験、ていうか、ほんとうの暴動にまきこまれた経験なんか、なかったんスよね。暴動のきっかけが欲求不満の爆発ということであれば、ミニ暴動は、日常茶飯事にありました。

 とくに、お巡りとの衝突が引き金になった、小競り合いみたいなもんですよ。警察は、一党独裁の既得権益をむさぼる富裕層の手先だ、みたいにおもわれていて、事実、そうなんですけど、その末端のお巡りとなると、実は、地元の馴染みやお隣さん、だったりするんですよね。だから、日ごろ積もり積もった不満をぶっつけやすい、格好の相手になっちゃうんですよ。路上なんか口論になると、あっという間に人の輪ができて、それがどんどん大きくなって、はげしい苦情、文句、怒り、野次、抗議の叫びが飛び交うなか、多分、火付け役がいるんでしょうね、なんかのきっかけで、群衆は、あっという間に燃え上がってしまうんです。だれが火をつけるんでしょうか。扇動するヤツがまぎれこんでいるのかもしれないし、発火点突破の暴発かもしれない。だれにもわからない。そしてそのまま、欲求不満は爆発、暴徒は破壊と略奪にむかってまっしぐら、てわけです。

 だから、オレたちがティジー・ウーズーを抜けて国道二号線を突っ走っていたころ、アルジェでは、きっと、そんなことが、同時多発的に起こっていて、首都は一挙に燃え上がっていった、と想像できるんスよ。というのも、首都圏に入る前に、小さな町や村を通過するんですけど、そのたびに、人の群れが増えてって、暴徒っぽい武装集団が、県道や村道を、わがもの顔で闊歩する始末でした。連中の、血走った目や、引きつった顔面の様相から、合理をこえた集団心理の衝動が、ますます危なっかしく、ヒステリックになっていくのが、ひしひしと、こちら側に伝わってくるんです。現地人だけに、せまりくる危険を、マジ、肌で感じ取っていたんでしょうね、アブダッラが、青い顔で、こう訴えました。

「危ないスよ。逃げましょ」
「逃げる⁉ どこへ?」
「山側にっ。あっちは旧街道なんスよ」
「よく知ってるな」
「おれ、この辺の出です。頼りにしてやってください」

 アブダッラは、左に大きくハンドルをきって、真っ暗な、未舗装の狭い路に突っ込んでいきました。ハイビームでも、先の見えない闇のなかを、そのままグネグネと、進みつづけたんですけど、右に左にはげしく揺れる車のなかで、オレ、アブダッラが人格的に、信用できるヤツなのかどうか、心配になってきたんスよ。暴徒に知ったヤツがいて、そいつにオレたちを売りわたすんじゃないか、って、妙な不安に取りつかれちゃったんです。

「大丈夫か、アブダッラ?」
「OKっす」
「おまえ、この辺りの出って、いってたけど、どこだよ」
「ブージー」
「ブージー? どこだい?」
「いまのベジャイア、っす」
「あそこ、海側だぞ!」
「陸側、ムギばたけ。穀倉地帯っす」
「なんでウチで運ちゃん、やってんだ?」
「高校出て、お巡りやってたんすけど、やめたんす」
「なんで?」
「アルジェで、所長に、引き抜かれたんす」
「ゲー、ウチの所長に!」
「所長、とっても、いいヒト、っす」
「住まいはどこだ?」
「殉教者広場の近く、カスバの真下、っす」
「ゲー、オレの対極じゃないか」

 中学を出て警察官になる、それ自体、この国ではキャリアなんですけど、アブダッラは、向学心にもえた、というか、結構な野心家というか、ウチに引き抜かれたあとも、それに飽き足らず、眠る時間をけずっては、殉教者広場のモスクにかよって、先のキャリア形成のために、雑学というか、いろんな知識を身につけようと、日々、知恵をしぼっていたみたいですね。

 みなさん、マドラッサって、聞いたことありますか? モスク、つまりイスラム寺院に併設された伝統的な教育施設のことなんすけど、カスバのマドラッサって、そんな大げさなものじゃなくて、お祈りの後に信徒が集まって、坊さんのお説教をきいたり、イスラムの教義を教わったり、世の中の情勢や政治の実情についての解説を受けたり、ときには、地域や家族の諸問題にはじまって、個人の人生相談にいたるまで、いろんなことを信徒同士で話しあったりする、いってみれば、集会所を兼ねた一種の寺小屋みたいなとこなんですよ。そんなとこでアブダッラは、毎日、せっせと雑学をつんでいる。オレ、急にきいてみたくなったんスよね、いったいそこで、なにを勉強してるんだ、って。

「殉教者広場で、イスラム教義以外に、なにを教わってるんだ?」
「いろいろ、あります」
「たとえば?」
「いまは一党独裁についてです」
「つまり、民族解放戦線の功罪について、とか?」
「功罪どころか、罪しかないすよ! アルジェリアは金持ちなんだ、石油もでる、天然ガスもでる、それを売って金をもうける、金持ちなんだ、豊かなんだ、おれたちの国は。それが、なんだ、なんでおれたち、こんなに貧乏なんだ、家もない、借家もない、寝る場所もなけりゃ、流しに水も溜まらない、まともに食うモノもなければ、コーヒーに入れる砂糖もない、クースクースどころか、パン一切れ買うカネにもこまってるんだ、おれたちは! なぜだ、なぜだ! これが正義か! おかしいじゃないか!」

 アブダッラは、ハンドルをバンバンなぐりつけ、怒鳴り散らして、たまりにたまった怒りを爆発させてるみたいでした。カッと見開いた両眼は、異様なまでに爛々と輝やき、理不尽な犠牲を強いる現政権を、まがいもない悪の実体と捉え、まさにそれ自体を抹殺の標的にしているんだ、という自信と確信に満ち満ちていて、そこから発散する深い怨念や強靭な抵抗心、加えて変革への熱い息吹が、助手席にいるオレにも、ピシピシ伝わってくるくらいでした。

 一外国ミニ商社の、ミニミニ連絡事務所で働く、単なる運ちゃんじゃないですか。そんな人間を、社会的にここまで覚醒させてしまうパワーって、いったいどこから来るんだろう? そこんとこ、オレ、急に知りたくなったんですよ。

「民族解放戦線て、そんなにひどいのか?」
「ひどいどころか、悪の根源です」
「悪? アクにもいろいろあるとおもうんだけど?」
「正しくないことです」
「正しくない、っていうと?」
「公正じゃない、ということです」
「公正じゃない?」
「ひとは互いに公正に接し、公正に裁きあう、これが正義です」
「公正に生きることが正義?」
「そうです。ひとは中庸を尊び、寛容と博愛の精神を礎にして、傲慢にはならず、欲求や欲望を控え、心のおごりを清め、肉体的欲望を制御し、財産へのどん欲を克服するために、公正を実践し、公正を貫くことです」
「公正、て、すごく、むつかしいんだね」
「そうです。神の意向にしたがって、親切と慈善の心、忍耐と他人への思いやりに支えられて、初めて公正を実践し、正義を貫くことができるのです」
「アブダッラ、おまえ、イスラムの高僧みたいなこと、いうね」
「とんでもない。預言者の教えに沿った生き方を、したいだけです」

 沸騰した悪への怒りが、ちょっとおさまりかけたところで、オレ、ライのボリュームを下げて、すぐに聞いたんです。

「で、奥さんは、いるの?」
「まだです。残念です、とても」
「そりゃ、残念だ。ガールフレンドは?」
「モチ、いますよ」
「じゃあ、すぐ結婚すれば、いいじゃないか」
「それが、だめなんです。もう少しなんです」
「もう少し?」
「そうです。結納金が、まだ足りないんですよ」
「結納金?」
「はい。この国では、妻になるひとにカネを納めます。納めたカネは妻のもので、夫に権利はありません」
「どうして?」
「妻がひとりになったときの保証なんです」
「なるほど。じゃあ、稼がなくちゃね」
「そうなんです、そうなんですよ、そうなんだ!」

 アブダッラのこめかみが、急に青筋たてて膨らんだかとおもうと、またひどく怒りだしたんスよ。

「ヤツらは、アブラで、ガスで、大儲けしてるんだ! どんよくな先進国相手に、おれたちの財産を切り売りして、やすやすと、ボロ儲けしてるんだ! おかげさまで、おれたち、一文無し、てわけだ、満足にパンも買えやしない、コーヒーものめない、クースクースなんて、夢のまた夢だ、これが正義か! これが公正か! これが神の信託にこたえた生き方といえるか! だろッ! どうだ、どうおもう!? だろッ!」

 アブダッラは、またハンドルをバンバンなぐりつけ、怒りをぶちまけました。

「正義は、ひとが神から授かった信託なんだ! ひとには、神の信託を完遂する義務があるんだ! だろッ!」
「…そうだ!」
「すべてのひとが正義を貫く責任を負うんだ、すべてのひとに、正義が、生まれながらの権利になるよう、努めるんだ、それが、ひとの美徳として尊ばれ、高められるんだ、そんな世界が、神の招来する世界なんだ、そうじゃないのか! だろッ! だろッ!」
「…美徳として?」
「そうだ、美徳として、だ。神の教える中庸と節度を敬うこころだ! 美徳をとおして、ひとは、神に近づくことができるんだ! だろッ!」
「…」
「どうしたんですか! そうじゃないんですか!」

 アブダッラが、またバンバン、ハンドルを殴りだしたので、オレ、危険を感じて、つい、妥協してしまったんスよね。

「そ、そうだよ!」

 するとアブダッラは、人差し指をオレの目の前につきたてて、こういったんですよ。

「その点、日本は、すごいです」

 さっきまでの激昂がウソみたいな、意外な冷静さに、オレ、拍子抜け、しました。

「すごい? って、なにが?」
「伝統です。おれの国には伝統がない。砂しかない。湧き出る泉がない。源流がない。あるとしても、そこまで遡っていける記憶と時間の道標が、ない。すぐに干上がって、消えて、なくなってしまうんです」

 オレ、なぜか、気持ちに、ズシンときました。日本の伝統なんて、あって当たり前、そうておもってるじゃないですか、でしょ? でも、ないひとからすると、すごく大事なものにみえるらしいんスよね。そこんとこ、よく分からなかったし、伝統に対するオレ自身の認識も、はっきりさせておきたかったので、聞いてみたんです。

「日本の伝統、ていうけど、なにが伝統なのかな?」
「記憶と、時間です」
「記憶と時間?」
「そうです。きのう、おととい、さきおととい、半年前、去年と、自分の記憶をたどっていけば、ずーとつながった自分と周りの時間を、遡っていくことができるんです。あなたは、自分の国の時間を、二千年、三千年、一万年の出来事をたどって、ずーと遡っていくことができるんですよ」
「へ?」
「それができないのが、おれたちの国、このまえ、できたばかりだからです。そのまえは、フランスだったし、そのまえは、トルコで…まったく別の国だったんです」
 たいした歴史観だと、おもいませんか? 歴史を、史実の記憶と縦の時間軸で、しっかりと捉えているじゃないですか。
「すごいな、アブダッラ、まるで歴史学者、みたいじゃないか」
「おれ、勉強してるんです」
「モスクで?」
「そうです。歴史や政治にくわしいハッジがいるんです」
「ハッジ?」
「メッカ巡礼を成し遂げたひとです。みな、尊敬して、ハッジと呼びます」
「ハッジ、ね」 
「はい。ハッジは、いつも白い巡礼着を、はおっています」
「白い巡礼着!」

 どういうわけか、オレ、そのとき、カスバの白い男のことを、一瞬、連想したんスよ。

「そのハッジ、どこに住んでるのかなぁ」
「カスバです。たしかじゃないけど、モスクからの帰りには、いつも、石段を上っていきますから」

 背すじに悪寒が走りました。あのカスバの白い男と、このモスクのハッジ、ひょっとしたら、同一人物じゃないのか。そしたら、なにか妙で、不可思議な、悲観的にいえば、どこか不吉な符合が、そこにあるんじゃないか、て予感がしたんですよね。
 
 歴史や政治に詳しいハッジ、そこから得た知識やものの見方を、実社会で実践的に磨いていけば、アブダッラみたいな、中学出の一介の運ちゃんでも、いま起こっている事象の源泉まで、記憶を頼りに、時間をさかのぼっていくことができる。明晰な歴史分析を説く、一種、アカデミックな方法論ですよね。オレ、べつに、中学出のひとや運ちゃんのことを、バカにしてるわけじゃないんスよ。ものの例えとして、その事実を、現に、目の前で見てしまった、てこと、いいたいだけなんスよ。
 余談はさておき、オレたちふたり、あいかわらず猛スピードで、闇のなかをくぐりぬけて走っていましたが、ハイビームに照らし出された樹木群の向こう側に、街の灯りが、チラホラと、まばらに見えだしたころ、突然、急ブレーキをかけたアブダッラが、小声で叫んだんです。

「検問です!」

 ズズッと停止した車のウィンドウから、自動小銃をかかえた五、六人の憲兵隊員が、こちらに駆けよってくるのが見えました。
 
「どこから来たんだ?」  

 厳しい口調でした。

「ティジー・ウーズーからです」
「日本人か?」
「デレガシオン・ジャポネーズです」
「だろうな、まるで危機感がない。いま、ティジー・ウーズーとアルジェの同時暴動で、警戒中なんだぞ。ティジーからの暴徒は射殺してもいいことになってるんだ。いいか、これは公安当局の命令なんだ。日本人でなきゃ、穴だらけになってたぞ! いいか、この時間にうろつくな! どこへ行くつもりだ!」
「ユーセフ大通りのアルジェ事務所に帰るところなんです」
「オーララー! オマエたち、どこまでオトンボなんだ! 二号線はとっくに閉鎖されてるぞ!」
「エッ!」
「命が惜しけりゃ、一号線に出てブリーダ側から入れ。城壁の外側はまだ禁止区になっていない。いいか、禁止区域には絶対はいるな! 分かったか?」
「わ、わかりました!」 

 こんな、お花畑なやり取りで、急場はしのいだんですけど、ブリーダ側からアルジェ入りするのに、2時間以上もかかってしまい、事務所についたのが夜中の二時、さっそく本社に緊急連絡をいれて、返事をもらったのが、明け方の六時ごろでしたね。出張社員を含め全員即刻帰国するように、との社命が出たので、すぐに帰国準備を開始し、翌々日、ティジー・ウーズーからの一行も空港直行で、総勢十三人、ほとんど着の身着のままで、催涙弾や瓦礫の噴煙煙る街々を横目に、自動小銃の弾音とどろくアルジェの脱出に、ほうほうの体で成功したんです。 
 
 世の中って、不思議なもので、同じようなことが、同じ時期に、いろんなところで、起こるものなんですね。
 みなさん、覚えてますか? そのころ、かなりまえからグラスノチやペレストロイカで揺れていたソビエト連邦ですけど、とうとう連邦にひび割れが生じて、ちょうどアルジェ大暴動の年ですよ、エストニアに始まって、リトアニア、ラトピアのバルト諸国が、次々と反旗をひるがえして独立するって、宣言しちゃったんですよね。この流れが一挙に中央アジア、東欧、コーカサスの国々に伝播して、カザフスタン、アゼルバイジャン、ウクライナまでも、同じように独立しちゃったんです。いったんひび割れすると、もろいもので、その二年後、ポーランドがソ連無視の自由選挙で、実質、連邦からの自立を実現すると、半年後にはベルリンの壁が崩壊し、二年足らずでソビエト連邦は解体しちゃったんです。でもその間、ベルリンの壁が崩壊する一方で、アルジェリアでは、夢の新憲法が、新政権下の制憲議会で、採択されたんですよ。
 オレたちが暴動の災禍をくぐりぬけて脱出した翌年、アルジェリアでは、バルト諸国の独立機運にのっかったのか、暴動鎮圧の不手際の責任をとって内閣総辞職、かわって登場した新政権は、多党制、を目玉に民心をたばねて発足、新憲法策定のための制憲議会を設置して、野心的な民主化の試みに挑戦したんです。みな、熱狂しました。街でも家でも、朝起きて夜寝るまで、猫も杓子も、多党化、多党化、と口々にとなえ、民主化、民主化、と叫んでは、そこらじゅうを走りまわったそうです。ほんと、うれしかったんでしょうね。とくに、だれでも好きに政党をつくれる、理想の実現のためにだれでも総選挙に立候補できる、というある種のファンタジーに、みな、酔いしれたのかもしれません。実際、制憲会議での新憲法採択と前後して、ポーランドのワレサ議長ひきいる労組連帯が、自由選挙を強行して実質的にソビエト連邦からの自立を達成した、なんてニュースが国外から飛び込んでくると、もう大変、自分の国が明日にでも民主国家になるんだ、てみな、思い込んじゃったんスよ。

 新品タイヤ山積みのガレージ、客だけは立派な食えないパン屋、高級車を乗り回す軍属の子弟ども、公社公団でボロ儲けの政治屋ども、戦争利得者、利権の貪りあいに明け暮れする国内外のハゲタカども、いいかげん、こんなヤツらに食い物にされてたまるか、おれたちの国はだれのものだ、おれたち人民のものじゃないか、おれたち人民が、国の生き方を決めるんだ、みな、選挙に出ようぜ、叫ぼうぜ、一党独裁はおわったんだ、ヒツジの皮でヒモを編め、捕食者どもの、あの腐った口を縫い塞げ、二度と再び、日の目をみぬよう目を潰せ、二度と再び、息をせぬよう喉を抉れ、選挙だ、自由選挙だ、民主主義だ、やるぜ!……こんな調子で、みな、多党選挙挑戦に身を奮い立たせたんでしょう、まさに雨後の竹の子、大小玉石混交の集団が、新憲法下で誕生した新政党として、あっという間に登録されちゃったんスよ。
 
 そんななか、一躍、脚光を浴びたのは、イスラム救国戦線FIS、という政党でしたね。これって、イラン革命の影響もあったんでしょうけど、もともと、一部の大学で、だいぶまえからイスラム原理主義的環境が醸成されつづけていたんですけど、実は、そこに巣くうカルト的原理主義者の集まりで、イランやアフガニスタンの神権政治をモデルに政体を改変しようと、満を持して結党したんです。普通なら、みな、カルトのにおいに危険を感じて、ていうか、国法を超越するシャリア法の厳格さをよくしっているから、FISの坊主には目もくれないし、ましてや説教などには耳も貸さない、そんな具合だったんですけど、民主選挙という、この千載一遇のチャンスに、とにかく現政権を倒して多党政治を実現するんだ、という願望にのみこまれて、ただただ政権奪取の可能性大の政党に、みな、自分の夢を、託そうとしたんスよね。歴史は繰り返す、ていいますけど、まさに合法的に、手のつけられないモンスターを、つくりあげてしまったんスよね。 
 
 といっても、最初から、モンスターって、わかってた分けじゃなかったんスよね。オレがアルジェに戻ったのは、大暴動の翌年のことで、現地では、民主化プロセスの第一歩を踏み出したばかりの時期だったんです。まず議会制度が導入されました。つぎに新しい憲法が発布されました。そして、その憲法下で、地方議会選挙、国会議員選挙、大統領選挙が、順番に、日程通り、実施されることになってたんです。ちょうど、オレがアルジェ空港に到着した日は、まさに史上初の自由選挙が行われる記念すべき日で、民主化プロセス最初の選挙、地方議会選挙、の投票日だったんスよ。オレ、もちろん、迎えにきたアブダッラに、まず、聞きましたよ。

「投票にいったのか?」
「もちろん、いきましたよ!」
 デカい鼻が、思い切り膨らんでいました。
「で、どこに、入れたんだ?」
「もちろん、イスラム救国戦線FISです!」
「それって、大丈夫なのか?」
「もちろんですよ! いま、民意を最も代表している政党ですからね」
「多党制ていうけど、かっての政権党は、どうなったの?」
「民族解放戦線ですか?」
「そう」
「候補だしましたよ、幽閉されていた初代大統領をね。でも、あんな政党に、だれが入れるもんですか!」

 実際、選挙結果は、おそろしくドラスティックなもので、自治体の八割でイスラム系政党が躍進、中でもFISが、五十七パーセントの議席を確保しちゃったんです。これって、いままでの世俗リベラル主義が、どんだけ腐敗し、堕落し、嫌われていたか、てことを、まざまざと見せつける結果におわってしまった、てことなんスよね。

 史上初の自由選挙熱に沸きに沸いた当初、大半の選挙民は、イスラム勢力の大躍進という結果を、してやったり、と大歓迎、新しくも正しい歴史の流れとして、当然のように受け入れたんスけど、実際には、なかなか期待通りには運ばないな、てことが、だんだん分かってきたんですよね。最初はよかったんスよ。でも、加熱する一方の民主化熱が、いつのまにかイスラム熱に飛び火してしまった、というか、すりかえられてしまった、というか、ホントはみな、より民意を反映したリベラルな世俗主義、みたいなものを期待していたはずなのに、それとは真逆の、宗教的な戒律や慣習、伝統的な決め事や規範を尊重しよう、復権させよう、みたいな動きが、あっちでもこっちでも、幅を利かしはじめたんスよね。まず、地方議会レベルで、男女共学をやめよう、ということになって、即、法案が提出、可決されちゃったんスよ。男と女がいっしょにいてはいけない、て、法律で決まっちゃったんですよ。新しくも正しい歴史の流れ、どころじゃない、逆行もいいとこです。つぎに、婦女子をベールで隠そう、ということになって、あっという間に、チャドルの使用が義務化されました。女性たちは、年中、頭から布をかぶって、黒髪を隠さなければならなくなっちゃったんです。オトコだって、例外じゃないんですよ。アルジェリアって、百三十年間、フランスの一部だったので、独立してイスラム教を国教と定めたといっても、みな、あのワイン好きの酒飲み文化を、着実に継承してるはずなんですよ。ブドウ園もたくさん残ってるしね。そこへ、FISの大勝利で、イスラム復古運動がもりあがってきた。当然、酒はのんじゃだめだ、てことになりますよ。結局、いつのまにか酒類は市場から消えてしまいました。そりゃあ、呑み助、怒りますよ。当然、珍奇な復古運動にさからいますよ。すると、黒髭のマッチョ連中が、背信行為は許さない、と、いたけだかに襲いかかってくるんです。いつの間にか、市場やカフェや、街路のあちこちで、世俗派とイスラム派の暴力沙汰が、日常茶飯事になってしまいました。
 
 FISが大勝した議会選挙から一年半後、民主化プロセスに従って、国会議員選挙が実施されたんです。多党選挙の二ラウンド多数決方式で投票が行われたんですけど、第一ラウンドでFISが四百三十議席中、二百三十一議席もとっちゃったんです。一回で政権党に決まっちゃったんですよね。なので、即、統治体制の準備に入りました。そこまでは、しごく当然のことなんですけど、みな、この成り行に、愕然としてしまったんです。だって、当然でしょう。民主、民主、と叫んでゴールを目指していたら、いつの間にか、イスラム原理主義のコースを走っていた、て分けなんですから。民衆がバカだったのか、FISの誘導がたくみだったのか、よくは分かんないスけど、とにかく、こんなはずじゃなかった、てことになっちゃったんです。FISは、自由選挙で第一党に選ばれて政権党になったんだから、民意を得たものと、大手を振って、大改革に着手しはじめました。大改革って、なにか? それは、国の政治と宗教を両面で指導するカリフ体制の復興、だったんですよ。これ、オスマン帝国時代の支配体制だったんですけど、帝国崩壊の時点でなくなったんスよね。で、国のかじ取りをまかされたいま、ぜひともこれを再興しよう、と考えたんですね。イスラム主義の真骨頂、といえば、説得力ありますけど、世俗主義者にとっては大迷惑で、とんでもない大改悪だったんです。徐々に、反発はつよくなっていきました。とくに、都市部に多く住むリベラル派、つまり旧支配体制の利得層や、世俗リベラルの学識やキャリアを重ねてきた人々にとっては、カリフ体制の復興など、中世暗黒社会への逆行にも等しい蛮行で、一歩たりとも許せない歴史の退行現象に映ったんです。方々で、いたるところで、衝突、暴力沙汰が、日常化しました。シャリア法を振りかざして神権政治への屈伏をせまるものと、民主主義を標榜して個人の権利を主張するもの、との、あくなき相克が、始まったんです。でも、まだ、殺し合いの段階までには、至っていませんでした。ただ、この対立軸の強度を、はるかに上回る負荷が、ある日突然、多方向から働いて、なにもかもが、死と恐怖と闇のカオスに、投げ込まれてしまうのでは、と、みな、恐れていたにちがいありませんね。

 それを肌身に感じたのは、最初の自由化プロセスだった地方議会選挙でFISが大勝した年の、ラマダン明けの、乾期の盛りの、暑い暑い朝のこと、だったんですけど、オレ、そのとき、なぜか、急にオランの友人をたずねよう、と思いたったんです。ラマダン明けって、通りには、人っ子一人、いないんですよね。夜っぴいて遊びまわり、日の出直前に朝飯くって、バタンと眠る。朝晩ひっくりかえった一か月間のお祭りの最終日、最後の朝食をとったあとは、みな、疲れきって、熟睡してるんですよ。街にはだれもいない。だから、ドライブにはうってつけなんです。アルジェからオランまで、四百五十キロの単独市街地走破。なんにも考えずに、思いっきり、ぶっ飛ばす。モンテカルロサーキットなんか、メじゃないッスよ。ずっとダイナミックです。だって、地中海沿岸を四百二十キロ、海に沿って走るんスよ。モナコネズミみたいに、周回走りするわけじゃ、ないんです。まさに、ドライブの醍醐味ですよね。この醍醐味を、この地にいる間に味わっておきたい、て、かねがね、願っていたんですよ。というのも、オレ、パリの小学校にいるとき、おふくろに連れられて、ニースからバルセロナまで、夏のバカンスを、キャンピングでドライブしたことがあったんです。すばらしい旅行でした。ずっと窓から海をみていて、あっち側は地中海の南側で、アフリカ大陸なんだ、北側のこっちが、こんなに美しいんだから、南側は、もっと素敵で、爽快で、魅力的なんだろうな、なんておもって、そのときから、ずっと、あこがれに近い想いを、抱きつづけてきたんですよね。まさにそのきっかけを、その日の、ラマダン明けのアザーンが、プレゼントしてくれたわけなんです。とりあえずパンとデーツと、それから、脱水対策とて部屋中にある炭酸水ボトルをかき集め、ありったけのTシャツをトヨタカリーナの後部座席につっこむと、着の身着のままでセルを回し、スタートしました。市街地は、おもっていたとおり、人っ子一人いませんでしたね。乾ききった空気が、たちまち体中から、水分を吸い取っていきます。デーツをかじりかじり、オレ、ほとんどアクセル全開で、走ったんですよね、ずっとね。 

 カスバの天辺から海に飛び込むつもりで急降下、国道十一号線に出たところを左折すると、そこはもうキラキラの、地中海南海岸線です。右手に青い分厚い海原が、洋々と広がっていいて、それが延々と、続いていくんですよね、オランまで。途中、ひさしぶりにローマ遺跡でも訪ねてみよう、とおもって、約六十キロ先のティパザまで、一気にぶっ飛ばしました。そろそろ遺跡への分岐かな、とアクセルを緩めたとき、幹道の脇にくろぐろと茂っていた松の木の木陰に五、六人の憲兵隊員が、退屈そうに、たむろしていました。幅広の片側一車線の道路の真ん中に、警告!の看板が立ててあります。移動検問です。これ、しょっちゅう抜き打ちでやるんスけど、大した意味はなくて、たいていの場合、事故防止が目的なんですよね。検問があれば、少なくとも、その前後ではスピードをおとす、なので、事故は減る。とにかく無謀運転のお国柄だから、そうでもしない限り、事故死が減らないんですよ。でも、その日はラマダン明けで、ほとんど車はいないのに、なぜだ?…オレ、へんだな、ておもって、停車しながら、胸のポッケに入れた仮滞在許可証に手をかけ、ボスらしい年配の隊員に、それとなく聞いてみたんスよ。

「なにか、あったんですか?」

 オレの手から、無言で許可証をとりあげて点検するボスのよこから、別の若い隊員が、興味深そうな顔つきで、質問してきました。

「日本人か?」
「そうです」
「いまごろ、なにしてるんだ、こんなトコで?」
「なにって、オランにいくところなんです」
「オランに?」
「ええ、友人をたずねようとおもって」
「その友人もジャポネか?」
「はい」
「なにしてるんだ?」
「アルズーの天然ガスプラントで働いてます」
「技術者か?」
「はい、炭化水素公団との契約で、技術支援やってます」

 そのとき、もうひとりの、もっと若い、好奇心まるだしの隊員がやってきて、オレにこういったんスよ。

「おい、ジャポネ、降りて、ちょっと、こっちに来いよ」
「エッ…」

 オレ、一瞬、ドキッ、としたんスけど、よくやるんですよね、連中は。同国人を呼びとめて相手にしても、代わり映えがしないし、政権の犬め、みたいな目つきで斜に見られるのがおちで、おもしろくない。その点、外国人だったら、官憲に一通りの敬意ははらってくれるし、自分たちの手の届かないホットな情報も、転がり込んでくることだってある。とくにジャポネは、フランス人とは正反対で、正直で、人がいいし、利害に疎く、よく笑うし、人畜無害だ、というわけなんですよ。

「ジャポネ、いまのアルジェリアをどう思う?」

 案の定、退屈してたんだね、かれは。ベルリンの壁の崩壊にさきがけて、自国の自由化が先鋭的に突き進むなか、自分たちの初の自由選挙で、イスラム政党が八割方とってしまった、という母国の立ち位置が、とても気になってたんだろうな、若いだけに。でも、一国の官憲が、通りすがりの一外国人に、こんな政治がらみの質問していいもんなんですかね?

「どう思うって、自由化の第一歩の自由選挙、なんだから、とてもいいことだと、おもいますけど」
「とてもいいとおもう、か…。だろうな、キミのような一外国人には、そう映るかもしれないな」

 やっぱり、自分たちの選択が、他人にどうおもわれているのか、気になって仕方がない、って感じでしたね。

「そう映るかもしれない、って?」
「オレたちは、ベルリンの壁の一年前に、独裁政権を倒して、自由への一歩を踏みだしたんだ」
「ええ、知ってますよ」
「知ってる?」 
「三年前の大暴動のとき、いましたよ、アルジェに。アブダッラという運転手から、事のいきさつ、よく聞かされましたよ」
「そうか!」
「なので、自由化への背景っていうか、事情はよくつかんでるつもりだし、とくに今は、民主化プロセスがうまくいくかどうか、とても気になってたんですよ」
「そこが問題なんだ。もちろん、自由化はいいことだ。そのために、オレたちの仲間は、大勢ころされた。民主化プロセスも大切だ。敢行しなければならない重大事項の一つだよ。だが、いましがた踏みだしたばかりの、第一歩の、自由選挙の結果は、どうだ。みろよ、イスラム主義の勝利が、その結果だよ。妙じゃないか、え、これでイスラム政権が誕生したら、どうなる? 原理主義の復権じゃないか!これって、なんのためのプロセスなんだ!」
「いま、仲間が大勢ころされた、っていいましたよね?」
「ああ、いった」
「アナタ、憲兵でしょう? 仲間が殺されたって、クーデターでもあったんですか?」
「ちがう、ちがう。仲間というのは、オレの、つまり大学時代の、友人たちのことだよ」
「大学の? アルジェ大学ですか?」
「そうとは限らないさ、方々にいるよ、学卒は」
「大学出て、憲兵隊に?」
「ああ。ウチは軍属でね。学卒の幹部候補生、てとこかな」
「となると、検問展開中のかれらは?」
「部下、ってことに、なるな」」

 そいつ、新入りの、好奇心旺盛の、チンピラ一兵卒かとおもいきや、なんと検問小隊の司令官、コマンダン、だったんスよ。

「すると、コマンダンは、FLNの一党独裁には」
「当然、反対だったんだ、とんでもないヤツらだよ」
「でも、暴動では、鎮圧する側だったんでしょう?」
「憲兵は軍組織で、大統領命令で動くんだ。三年前の暴動時、大統領の選択肢に軍の介入はなかったね」
「じゃあ、コマンダンの仲間は、だれに殺されたんですか?」
「警察だよ。都市の治安は警察の仕事、軍は国防と都市以外の国土保全と治安が使命で、オレたち軍は行政府に手をだせない。要請がない限りね」

 変な国ですよね。憲兵隊の司令官が、政権党だった解放戦線のわるくちを、オレみたいな他人に、いいますかね。おまけに、暴動のさなかに警官に殺された友人がたくさんいた、ていうんですよ。

「よく、わからないな。この国って、まえは社会主義国、だったんですよね」
「そうだ、イスラム社会主義を標榜していたんだ」
「社会主義って、けっこう、ちゃんとしたイデオロギー、ですよね」
「偉大な思想だよ」
「それとイスラムがくっついたら、どうなるのかな? イスラム主義社会主義? これって、独裁の独裁、てことにならない?」
「イスラム主義じゃない、イスラム的なんだ」
「イスラム的社会主義?」
「そうだ」
「なに、それ?」
「この国は、政治や経済、それに精神までも、宗主国によって骨抜きにされたんだ。百五十万の犠牲を払って独立したんだけど、そんな国を守るためには、まずは軍事力、そして堅固な統治理論、この両方で武装する必要があったんだよね。じゃないと、またハゲタカどもに、食い散らかされてしまう。そこから自分たちを守らなければならない。そして国の統一、民心の確保を実現するためには、精神的な拠り所、つまり、イスラム教という、共同体をはぐくむ知の源泉と心の支えが必要だった」
「キミはまるで国士だね」
「と、オヤジの世代はいっていた、ていうことだよ」
「オヤジの世代? つまり、キミは、キミの世代は、そうは考えない、ということなのかな?」
「そういうわけじゃないが、なにかにつけ、押しつけがましいからね」
「押しつけがましい?」
「プレッシャーをかけすぎるんだ。あたまから、そうすべきだ、こうあるべきだ、国は守るべきだ、我欲は捨てるべきだ、貧しい人はたすけるべきだ、なんでもかんでも、べきべきだ、とね」
「それって、まるっきり、ジャポンと同じだけど」
「日本はちがうさ」
「違う? どうちがう?」
「オヤジたちは、敗戦の壊滅状態から立ち上がった日本人の強さを、ほとんど畏敬していたね。と同時に、軽蔑もしていたけどね」
「軽蔑?」
「そう。日本は、無一文から列強を脅かすほどの金持ちになった、後進国の英雄的存在なんだ。いわば後進国のエース、リーダー、なんだよ」
「後進国のリーダー…」
「なのに、ジャポネ本人は、いつのまにか、先進国になったつもりでいる」
「ハー…」
「アメリカにヘコヘコあたま下げて、ゴマばっかりすって、いいなりだ。これじゃまるで、大金持ちにへつらう成金国家じゃないか」
「ヘー…」
「と、オヤジの世代はいってるんだよ」
「オヤジの世代? すると、キミの世代は?」
「もう少し正当に評価はしているね。むしろ、日本に研修にいった技師連中には、日本て、ほとんど理想的なイスラムの国、として映ったみたいだよ」
「イスラム国?」
「そうだよ。まず、清潔だ。どこを見ても掃き清められている。イスラムはまず清潔でなければならないからね。次に、みな平等だ。貧富のさがない。階級もない。これもイスラムの目指す、分け隔てをしてはならない、という教えの実践だ。そして、なによりも、ひとへの敬意がある。みな、おもいやりがあって、他の人をリスペクトしている、と、いいことばかりいってたよ」
「ちょっと買いかぶりすぎ、だな。そんなひとばっかしじゃ、ないけどね」
「もちろんそうさ、例外のない規則はない。でも、そうかな。ボクの知ってる日本人だって、そのままのひとだけどね」
「キミの知ってる日本人?」
「そうだ。キミも知ってるだろう、ずいぶんまえからカスバに移り住んでいるジャポネだよ」
「カスバ!…」
「知らないのか?」
「カスバの、どの辺に住んでるひと?」
「そこまでは知らないな。コロネルはしってるはずだよ、自分の管区だからね。呼んで聞いてみようか?」
「コロネルって、どこに大佐が?」
「キミの許可証をチェックした、あの年寄りのことさ。部下だけど、風采は大佐って感じ、するだろ? だから、コロネルって呼んでるんだよ」

 そこでコマンダンは、コロネルを呼びつけてオレにカスバの日本人のことを話せ、といったんですけど、学卒の上官に命令されるのがイヤだったんスかね、コロネルは、それを完璧に無視してから、こうオレにいったんですよ。

「本官は、アナタのこと、よく知ってますよ」
「え?」

 意外な反応でした。

「どういう意味ですか?」
「五年前の十月、指定監視施設のサイゴンで、アナタにあいました」
「サイゴンで?…」
「そうです。たしか、反政府系の街頭示威行動のあった日でしたよ。サイゴンに寄ったところで、アナタにあった」
 そうなんスよ。オレが赴任した最初の週末、みなで着任祝いしようってことになって、サイゴンに集まったんです。一杯のんで食事してたら、いきなりブルーの警官とカーキーの憲兵がふみ込んできたんですよね。
「そう、そうでしたね、あの時の憲兵が、コロネルでしたか」
「アナタや所長、社員、それに別卓の技師たち、みな、楽しそうに食事してましたね」
「ええ、ボクの歓迎会だったんです。で、あのときコロネルは、なにしにサイゴンに寄られたんでしたっけ?」
「破壊活動分子の追跡でした」
「破壊活動分子?」
「そうです。デモ隊の跳ね上がり分子がいましてね。窓は破る、壁は壊す、道路に穴をあける、敷石をはがす、はがした石を見境なく投げつける、とんでもない連中です。わが方にもずいぶんけが人が出ましたのでね、追跡捜査していたんですよ」
「わが方にも?」
「そう、憲兵隊の側にもね」
「でも、憲兵隊は軍の管轄で行政には介入しない、て、さっきいってませんでした?」
「あのあと、そう決まったんですよ。市井、市中の住民側から、対応が暴力的で厳しすぎる、と、多くの苦情がでましたのでね。民生重視に切りかえた以上、大統領も無視できなくなってたんですよ」
「なあ、コロネル」

 コマンダンが割って入ってきました。

「そんなハナシ、いいじゃないか。あのジャポネのハナシをしてくれって、頼んでるんだけどね」
「コマンダン、失礼ながら、あのジャポネって、簡単にいいますけど、本当のところは、だれにもわかりませんよ。なぜなら、カレは、レバンノン政府発行のパスポートを所持してるんです。どこから見てもアジア人で、どう疑っても、その挙動からしても、明らかにジャポネそのもの、と分析できますけど、国際法上、カレは歴としたレバノン人なんです」
「旅券なんて、どうせ偽造だろ? で、滞在の目的は、なんなんだ?」
「宗教伝道ということです。趣旨指定の滞在許可も出てますから、偽物ではありません。というより、査証が本物かどうかの真贋の問題ではなくて、なぜジャポネであるカレが、レバノンのパスポート所持者なのか、いや、所持できるか、という疑問なんです。コマンダンはどう思いますか?」
「その答えとしては、亡命者か、工作員か、投資家か、資金洗浄マフィアか…くらいだろうけど、キミは知ってるのか?」
「いえ。でも、本官には一つ、明確な疑いがあります」
「疑い? それはなんだ?」
「日本赤軍の兵士ではないか、という疑惑です」

 そのとき、オレ、総身の毛がよだつの感じました。

「七十七年十月三日にアルジェ空港が閉鎖されました」
「ああ、よく覚えている。ダッカで日航機をハイジャックした犯人が投降した事件、十二歳のときだったね。入隊してから、投降対処作戦の実地訓練は何度もしたよ、武装犯罪者集団の犯行モデルとしてね。まだ実践の経験はないが」
「本官は、あのとき、ちょうどダルエルベイダ管区に配置されたばかりでした。空港防備の任務を受けて、あの投降現場に実戦展開していたんです」
「そうだったのか。さぞ緊張したことだろうね。で、コロネルの疑惑というのは、その投降した五人の兵士のなかに、あのカスバのジャポネがいたんじゃないか、とでも?」
「そうではありません」
「じゃあ、なんなんだ?」
「わが国軍と、日本商社と、赤軍工作員の、奇妙な関係、のことです」
「?!」

 おもわずオレと顔をみあわせたコマンダンが、すこしあきれ顔になって、コロネルに聞きなおしたんです。

「それはないよ、コロネル、いったいだれがそんなことを?」
「残念ですが、いまだに、だれもいってません」
「いまだに、って、まるで証拠をつかんでいるみたいに聞こえるが?」
「証拠って、コマンダン、相手は忍者の国の工作員ですよ。証拠を残すワケ、ないじゃないですか!」
「ということは、コロネル個人の推論でしかない、ということになるが?」
「証拠とか推論とか論拠とか、そんな頭の体操ではなくて、いろんな事実の積み重ねをみてると、自然にわかってくることなんです」
「事実の積み重ね?」
「いいですかコマンダン、ジャポネとユダヤには、長いつきあいがありますよね」
「昔のことは知らないが、近現代では、ジャポネはユダヤから、多額の戦費を借りている、と聞いているね」
「日露戦争の戦費を、なんとかというユダヤから借りてるんですけど、これは事実です」
「ああ、そうだな」
「当時、ジャポネはイギリスの同盟国でした。これも事実ですよね」
「そうだ」
「当時、パレスチナはイギリスが統治していましたよね」
「それも事実だ」
「パレスチナには、ユダヤとアラブが共存していましたよね」
「そのとおりだ」
「ところが、嘆きの壁事件をきっかけに、ユダヤとアラブの対立が先鋭化していきました。これも事実ですよね、コマンダン」
「そうだな。ユダヤ教とイスラム教の聖地にかかわる対立だ」
「そこらじゅうに神様がいて、宗教的対立に鈍感、とうか、無理解、というか、無関心なジャポネは、双方と仲良くする戦略をとりました、よね」
「鈍感とか無関心とかというのは、事実じゃなくて、コロネル自身の解釈、じゃないのか?」
「さすがコマンダン、まさにそうです。言い方をかえましょう。鈍感な風を装って、といえば事実になります」
「それこそ推測、というより、偏見じゃないのか?」
「いいですか、ジャポネは忍者の子孫ですよ」
「また忍者か」
「当時、パレスチナは、ユダヤとアラブの両方から、世界中の投資を集めていたし、インフラ整備も盛んだったし、とても潤っていたんです。一方、ジャポネは、マンチューリに建国して、世界中から非難をあびていたんです。経済液な地歩をかためるために、ジャポネにとってパレスチナは、手放せない交易地だったんですよ」
「なるほど、国益を確保するために無知なふりをした、と?」
「そうです。思想も理念もない。義理とカネがあるだけです。ユダヤ人には借りがある。パレスチナにはカネがある。だから、イスラエルができればイスラエルにも、パレスチナにはパレスチナとして、同じように敬意を払って付き合い、商売する。要は、義理が果たせてカネがもうかればいい、というのが、ジャポネの本質なんですよ。裏を返せば、義理がなければなんでもやる。サムライ精神が抜けおちたニンジャ、謀略しかない拝金集団、とでもいうんでしょうか」
「ちょっと、いいすぎじゃないか」
「いいすぎなもんですか。事実そのものですよ。ジャポネは主権国家じゃないんです。アアメリカの同盟国なのに、軍隊がないんです。同盟国の基本じゃないですか。守ってもらうが、守ってやらない。軍隊がないから、世界にも責任が果たせない。自分チでテロリストが出たら、やすやすと国外に逃がしてしまう。いや、つつしんで逃げてもらう。犯罪者の処断は外国でやってくださいね、のいいかげんさ。ダッカ事件がその典型事例じゃないですか。自国を救うために他国を危険にさらす。そのくせ、平和を愛する国だと、あつかましくもシラをきる。アルジェ空港で投降した連中、あれ、日本赤軍の殺人集団ですよ! そいつらが、海外に活動拠点を求めて、大手を振って、中東アフリカを、闊歩してるんですよ、コマンダン!」
「ふむ。なるほど」
「いいですか、コマンダン、ダッカを発った殺人集団がアルジェ空港で投降したとき、そのお膳立てをしたのはダレだか、知ってるんですか?」
「いや、知らん。ダレなんだ?」
「ジャポネの商社ですよ」
「!?」
「むかし、日本大使館に秘密のトンネルがあったこと、知ってるでしょう?」
「ああ。ジャポネの、どこかの大学の探検部がきて、たしかにあることを確認した、と聞いているが」
「しかし、秘密トンネルの存在は確認したが、その使い道については、一切、公表していません」
「使い道?」
「そうです。何につかわれたとおもいます?」
「安易な連想すれば、いざというときの逃げ道だろうな」
「半分、あたってますね」
「あとの半分は?」
「アルジェの戦いですよ。あの苛烈な都市ゲリラ戦で、機密のルートとして、フルにつかわれたんですよ」
「それって、伝説、だろ?」
「いえ、事実です。あのおかげで、独立派都市ゲリラとして闘った多数の同志が、死なずに済んだんです。これは確かな事実です」
「否定はしない。ウチの遠い親戚からも、そういう事実があった、ということは聞いている」
「さっきもいいましたが、列強と中近東と長年うまくつきあってきたジャポネは、とっくにアフリカにも深く浸透していて、アルジェリアも例外ではないんです。独立戦争中、ジャポネは、先の利権を見込んで、秘密裏に独立派を支援していたんですよ。もちろん、大使館は番外ですよ。大っぴらに敵味方をつくるわけにいきませんからね。そこで暗躍したのが、国益の任を負った商社なんです。もちろんアルジェリアも、パレスチナのシンパですから、好都合だった、ということもありますが、それより根深いのは、レバノンとの因縁ですよね」
「レバノン?」
「レバノンはフェニキアです。フェニキアは商人です。ですから、商社とフェニキアは、ライバルとして、またコラボとして、実に性が合うんですよ」
「しかし、もともとアラブでは、商人は尊敬されているよ、預言者ムハンマド自身が商人だった事実からもね。フェニキアにかぎったことじゃない。全体に、尊い仕事としてうやまわれている」
「フェニキアのカルタゴはローマと戦ったんですけど、その壮絶な最期はよくしられていますよね」
「玉砕して地球上から消えた」
「そうです。それが、なんとなくジャポネと似ているし、ナイーブなサムライ魂と、すごくしっくりくるそうなんですよ」
「だれの見方だね」
「大使館付き武官が、いつかこっそり、本官につぶやいていましたよ」
「ふむ。商社、サムライ、ニンジャか」
「そうです。まさに、ニンジャ商社のネットワークが、真価を発揮したんです。ジャポネの商社網は世界中にはりめぐらされていますからね。先進国、アジア、中近東、アフリカ、地球のどこへいってもジャポネがいる。ヒマラヤの天辺でハーケン落としたら最初にあたったのがジャポネだった、という笑い話もあるくらいです。しかも華僑をしのぐ歴史がある。ただ、ジャポネはコロニーをつくらない。儲けはすべて本国に入る。外に出ても外に住みつかない。かならず国に帰る。ここが、ところ選ばずどこでも住みついてしまう華僑とは、違うところなんです。富も民も本国に帰る。もちろん、例外はありますけどね」
「ちょっとまて、コロネル、いいたいことはわからないわけではないが、なぜそんなに、ジャポネのことに詳しいんだね?」
「ここで、さっきの、カスバのジャポネが、でてくるんですよ。本官が日本の事情に詳しいのは、ですね」
「カスバのジャポネが工作員で、そこから情報を得ていた、てわけか?」」
「情報、というより、教わった、といった方が正しいいです」
「伝道師の衣をかぶった工作員から?」
「いえ、ハッジだからです」
「ハッジ!? カスバのジャポネは、イスラム教徒なのか?」
「そうです、コマンダン。毎年ライードの日にはメッカ巡礼にいってます。定期的にレバノンにも帰ってますね。実に、妙でしょう。そんな金が、どこから…」

 オレ、コロネルのハナシを聞きながら、日本赤軍の事実の積み重ねと、オヤジの人生を重ね合わせて、きっとどっかで交差し、からみあうんじゃないかって、おもったんスよ。みなさんも、よく知ってらっしゃるとおもいますけど、日本赤軍、て、もとはといえば、ベトナム戦争という狂気、ていうか、十七度線を境に、覇権のベクトルが激しく軋み合う危うい時代のさなかで、過激に衝突しあう大小もろもろの分子集団からはじき出された鬼っ子、ていうか、超過激な分子、なんですよね。

 あの、汚い戦争が、世界中にまき散らした反戦感情のタネ、それが、とりあえず反米運動という、とても恣意的なうねりのなかに、たくみにとりこまれていくわけなんスけど、その格好の菜園になったのが、オヤジたち世代の、造反有理、なる革命心情なんスよ。自由で裕福で豊かな栄養をたくわえた、世界政治から遠く隔離されたこの菜園で、反戦のタネはすくすく育ち、とても大きくなって、見事な、そして危険な花を咲かせることになるんですけど、結局は実を結ばない徒花で、終わっちゃうんですよね。代表的なのが、聞いたことあるでしょう、あの新宿騒乱事件、あれもその一つですよ。ただ破壊するだけ。後にはなにものこらなかった。そんなあだ花が、世界中で、どれだけ咲き、散っていったことか。

「ちょっと、すみませんが…」

 オレ、気になること、あったので、ハナシ遮って、コロネルにきいたんスよ。

「そのハッジ、のことなんですけど、ひょとして、殉教者広場のモスクにきてるひと、ではないですか?」
「多分、そのひとだろうね。殉教者広場のマドラッサで伝道活動しているハッジ、といえば、他に心当たりはないからね。で、それが?」
「やっぱりそうですか。いえ、実はそのひとのこと、そのハッジのこと、事務所の運転手からきいたこと、あるんですよ」
「アブダッラのことか?」
「えっ、どうして、アブダッラを知ってるんですか?」
「本官はアルジェ管区所属でね。だいたい所属管区の在外公館、企業、団体などと接触する邦人のなかには、けっこう関心の対象になるケースがおおい、ということだ」
「すると、アブダッラが、なにか?」
「アブダッラには、二つの点で関心がある。まず、外国企業とのつながり、もひとつは、マドラッサとの関係、だね」
「まさか、ウチの会社が、なんとかリストにでも?」
「商社だから、おおむね、そういうことになるな」
「で、もうひとつの、その、マドラッサ、というのは?」
「原理主義との関係、だね。もともとマドラッサには、そういう傾向はあるが、殉教者広場のは、とくにその色が濃い。ということで、関心が高いんだね」
「でも、そんな微妙なこと、ボクみたいな外国人に、あなたのような官憲が、大っぴらにハナして、いいもんなんですかね?」
「ジャポネあいてなら、いいんだよ、な、コロネル」
「いい、というか、関係ない、というか」
「体制に影響ないんだよ。ジャポネには軍事力がない、だから、手もだせなきゃ、口もだせない。だから、気にしなくていい。そういうことだ、な、コロネル」
「かもしれません。とにかく本官は、自由で民主的な国家の官憲です。中近東アフリカで、大声で大統領に文句をいい、気に入らなければタマゴを投げつけて、だれも非難しないし、攻撃もされない、唯一の自由な国の、憲兵隊員なんですよ、本官は!」
「わかった、わかった、コロネル」

 コマンダンがひきついで、オレにいいました。

「コロネルの世代は、実際に血をながした経験があるんだ。だから、その体験や考えは、とても重い。しかし、オレたちは、若い。闘いを知らない。未経験で、未熟なだけに、何も知らない。歴史あるフランスには、ノウハウが山積している。日本にだって伝統があるし、ためになるひな形が、山ほどある。しかし、だからといって、ひとから、ああしろこうしろと、押し付けられるのは、まっぴらだね。若いなら、若さを生かして、若いなりに、思いのまま、やっていくさ。試行錯誤をくりかえしながら、ね」

 すると今度は、コロネルが、横目でコマンダンに気をくばりながら、真顔になって、オレにいったんですよ。

「本官とコマンダンは、いろんなところで考えがちがう。しかし、これだけはいえる。アナタが困ったとき、困るようなことがあったとき、われわれの家にきてくれさえすればいい。一宿の来訪者を、身を挺して守るのは、われわれマグレブの気性なんだ。本官もコマンダンも、我が家では、アナタの期待を裏切るようなことは決してしない。それが、アルジェリア人気質、真骨頂といものなんだ!」

 そのときオレ、反射的に、こうきき返してたんスよ。

「あのカスバのハッジも、そんな風にして、カスバに逃げ込んで、カスバの人たちに守られている、ということ、なんでしょうか?」

 すると、コマンダンもコロネルも、ほら、よくやるでしょ、こうやって、ヒョイ、と肩をしゃくって、かおを見合わせて、それから同時に、こういったんですよ。

「それは、ハッジに直接聞いた方が、いいだろう」

 にわかに、オレ、焦ってきました。カスバの天辺から、あの白い男をみたときの直感が、まざまざと、よみがえってきたんです。あれが五年前、そしていま、まさに、そのハッジについて、偶然、会った覚えもない官憲たちの口から、妙に辻褄の合う状況証拠が、いろいろ目の前に、並べたられたんですから。あのとき感じたあの直感が、あながち間違ってなかったんだ、ておもっても、ね、ムリないことでしょう? だからオレ、無性にそのことを、確かめたいとおもったんスよ。もうオランのことなんかふっ飛んじゃって、オレ、すぐさまアルジェに引返さなくちゃ、て決めたんスよね。

「ン? オラン行きはやめたのか?」

 踵を返そうとするオレに、怪訝なかおつきで、コマンダンがききました。

「ええ、気が変わったんです。アルジェでし忘れたこと、たったいま、おもいだしたものですから」
「そうか。まあ、賢明な選択かもしれんな。たったいま、幹線道路の閉鎖指令が出たばかりでね。いずれにしても、オランにはどりつけなかっただろうし」
「道路閉鎖?」
「そうだ。原理主義者どもが、方々で悪さしてるらしい」
「悪さ? どんなワルサ?」
「分からん。分かってても、口外するつもりはないがね」
「でも、アルジェまでまだ大丈夫かどうか、くらいは…」
「それは心配はいらんよ。ジャポネにはだれも手をださないからね」
「手をださない? どういう意味ですか」
「ジャポネは政治にからまない、とみな、おもっているからね。コロネルじゃないが、ニンジャの思惑通りの、情報操作じゃないのかね、ハハハ…」

 ちょっとまった。いくらなんでも、ジャポネのこと、イジリすぎじゃないのか。オレ、さすがに、ハラたちかけたけど、さもあらん、ともおもいましたね。なんたって、ジャポネは戦争で負けた国、逆にかれらは、独立戦争の勝利者なんスから。革命は銃口から生まれる、なんてむかし、いったみたいですけど、泥棒から自分のモノをとりもどすのに武力をつかう、ていうか、闘って奪われた国土と文化を力で奪還する、これ、普通の行動原理ですよね。べつに乱暴でも暴力的でもないし、ましてや、深い革命的思考が導きだす必然の帰結、でもないスよ。あたりまえの行動様式です。それを、すなおに踏襲したにすぎないじゃないですか。

 そのあたりまえ、を捨ててしまって、というより、同情的にいえば、捨てさせられてしまったジャポネが、武器のかわりにカメラを背負って、戦車の代わりにクルマを売って、なぜか申し訳なさそうに、世界平和の眼鏡をかけて、地球上を所狭しと、歩き回っている。その自虐的な閉鎖空間のなかで、自身の国土と文化を、血を流して奪還したわけでもないくせに、何事もおこらなかった無傷の故郷みたいに、自分の国に、あたりまえのように帰っていく。ここの人たちには、ジャポネという存在が、あたりまえのヒューマンな感性が備わっておらず、カネにしか反応しない嗅覚や味覚をたよりに生きている、超異次元の知覚種族みたいに映ってるんじゃないか、なんて、つい、なまいきなこと、いいたくなっちゃったり、するんスけど、いいすぎですかね。

 ついでに、もうちょい、いわしてもらえば、ジャポネって、生まれ故郷の母川が恋しくなって、いそいそと帰りを急ぐ、サケみたいな可塑性魚類ににてるんじゃないか、ておもうんスよね。ほら、最初の夜に、お医者さんが話してくれたような世界、山があって、川があって、神社があって、儀式があって、そこでみた犬の首や血の色、そして、きのうの夜、女監督が描いてくれた北アルプスの雪とか、清流、青鬼村の里、自分でかぎ分けられる山野のニオイとか、とにかく、生まれたときから周りにあった水や風やニオイが、母なる環境、ていうより、母文化が、世界のどこにいても、自分を呼び戻してしまう、とでもいえばいいんでしょうか。 

 そんなこと、日本に限ったことじゃないでしょ、てカオ、みなさん、してらっしゃるけど、でも、考えてもみてくださいよ。人類って、ホモサピエンス、でしょう。その故郷がどこかっていえば、アフリカの南の方の、どこかの洞窟、なんていわれてるでじゃないですか。そしたら、オレも、みなさんも、お釈迦さんも、キリストさんも、全部が全部、故郷がどこかといえば、南アフリカの洞窟、てことになっちゃう。これ、おかしいっスよね? 

 十万年まえにオレたちの先祖はアフリカを出た、これが周知の事実としても、そのあと、いろんなルートで、地球の上を移動していったわけでしょう。オレたち日本列島までの道筋を考えたって、北方ルートもあれば、南方ルートもあるし、中央突破だってありうる。三万年まえには列島にヒトがいたことまでは分かってますけど、それが、北からきて南下したのか、南から北にのぼっていったのか、いや、そうじゃなくて、真ん中から入って左右に分かれたんだよ、なんてハナシになると、もう、だれにも分かんないスよね。

 でも、詳しいこと、知らないスけど、最近、石器時代の遺跡や発掘物、それから遺伝子分析なんかから、いろんなことが分かってきたみたいスよ。一説によると、氷河期の終わりのころに、まず北から、地続きだったバイカル湖周辺の地域から、マンモスやケサイを追って狩猟民がやってきて、そのあと、南から、丸木舟かなんかで、どうやったのか皆目見当つかないスけど、とにかく黒潮にのって漁労民がやってきた、ということらしいスね。この狩猟と漁労の民が、遡ること遠い遠いむかしの、ジャポネのご先祖様、といわけなんです。この二つの民に交流があったかどうかは、よく分かってないんですけど、一万五千年くらい下ると、温暖化で氷も解けて、大陸とは陸続きではなくなってるし、マンモスやケサイも、食い尽くしちゃったから、狩猟民も漁労民や木の実の採取民になっただろうし、最終的には、クリの栽培までてがける植林造林の民、にも変身していたらいいですね。そのころになると、発掘物のなかに、北でないものが南で発見されたり、その逆もあったりして、北も南も、地産物の交易に生存をかけて、海上水運に活路を求めはじめたんだ、てことが、推して、分かるようになってくるんスよね。

  こうした一連の出来事って、ジャポネのご先祖さまの、遠いむかしの記憶の一ページ、のはずなんスけど、なんせ、文字がなかったし、書き物も残っていないから、ご先祖さまの記憶、つまりオレたちの記憶、として扱ってくれないんですよ。文字で記録されたものが歴史であり記憶である、という、アカデミックな愚論、なんでしょうけれど、それって、変だとおもいませんか? 

 歴史って、いってみれば、連続する記憶の積みかさね、でしょう? だったら、文字にならない、文字にされなかった記憶にも、おなじ重みがあるはずなのに、そうはなっていない。これって、どうなっちゃうんでしょうね。だれにも相手にされない、だれも相手にしない、記録から排除された記憶、なんかは、いったい、どうしてくれるんスかね?
 
 じゃあ、文字にされなかった記憶って、いったいなんなんだ? てカオ、みなさん、してらっしゃいますけど、そこなんですよね、肝心なのは。

 記憶、といえばすぐに、それはメモリーのことだよ、ていうひとが、ほとんどだと思うんですけど、それは、多分、蓄積されたデータのことを記憶、と考えてるからじゃないでしょうか。データが記憶、というのは、確かに正しい見方かもしれないんスけど、気をつけなくちゃいけないのは、電脳との違い、というか、電脳がまだ手も足も出ない領域、つまりヒトの領域、との、とてつもない開き、ですよね。電脳のデータは、依然、あくまで、電子データにすぎないんです。ヒトの記憶には、まだまだ電子化できないデータが、うんとたくさん、あるとおもうんですよね。たとえば五感、なんかはどうでしょう。視覚、聴覚、嗅覚、味覚、触覚と、いろいろありますけど、これって、電子化できますかね。たとえば六感、なんかはどうでしょう。悪い予感がするの予感、背筋が寒くなるの恐怖、脳みそが飛び出しそうになるくらい激しい怒り、なんか、データになりますかね。

 オレ、さっきもいいましたけど、小学校のとき、オフクロにくっついてパリにいったんです。初等教育は公立でしたけど、中等教育で、私立の学校に行かされたんですよ。そこは、けっこう有名なトコで、なんで有名かというと、卒業生に偉大な文学者がいる、ということだったんです。ご存じかとおもいますけど、失われたときを求めて、とかいう題の私小説を書いたひとで、そのせいか、授業で、やたらと、その文学者の作品を読まされたり、分析解釈や解説を聞かされたり、したんですよね。

 そんななかに、特権的瞬間、というのがあって、なにかというと、普段、なにげなく過ごしている日常生活のなかで、ふと嗅いだ覚えのあるニオイをハナに感じる、すると、いきなり過去の記憶がよみがえってきて、限りない記憶の連鎖に、遠く、深く、ひきずりこまれてゆく、そんな、きっかけとなる時間のことなんですけど、後年、研究者たちが、なにかが契機となって、現在が過去に裏返る、その瞬間のことを、特権的瞬間、と呼ぶようになったらしいんです。でも、とくに偉大な文学者でないオレたちにだって、こんな経験、けっこう、ありますよね。ニオイだけじゃなくて、音とか、感触とか、味とか、色とか、いろいろありますよ。

 どっかから教会の鐘がきこえてきたら、いきなり結婚式のことを思い出して、そこから次々と青春時代の記憶が蘇ってくる、なんてこともあるだろうし、赤い色を見ると、いきなりカミソリを連想して、鉛筆と間違えて切り裂いた自分の親指からタラタラと血が流れ出る、ズッキン、ズッキン、鋭い痛みが指先によみがえる、ブルブルッて全身が震えて、お尻のあたりがキューンと縮みあがる、なんて体験したひとも、けっこう沢山いらっしゃるんじゃないでしょうか。ただ、そこは偉大な文学者、といわれるだけあって、単なる思い出話を語ってるわけ、じゃないんですよね。描かれているのは、美しさと情愛に満たされた記憶と、親しみと節度に縁どられた時間が、近づこうとすればするほど、愛おしくおもえばその分だけ、いまの自分から離れ遠のいていく、まさしく、失われたとき、を空しく探し求める、という、せつないハナシなんですよ。

 自分の記憶なのに、求める分だけ、自分から離れていく。これって、言い方を変えれば、自分の生なのに、生きる分だけ、死に近づいていく、つまり、一時期もてはやされた、あの、不条理の哲学、ということになりませんか? ね、なるでしょう。ということは、だれも相手にしない、されない、単なる個人の記憶でも、不条理の世界にさえいれば、普遍的な、みんなで共有できる記憶として、立派に成立するんだ、ということになりますよね。

 つまり、生死のハザマにいるかぎり、すべてのひとは、他人の記憶を共有することができる、ということなんです。これは、まるで、いまオレたちが置かれている状況そのもの、じゃないですか。雪山で雪崩にあって、からくも避難した小屋のなかで、明日をも知れぬ風前の時、をすごしているオレたち、助かるか、助からないか、だれにも分からないし、もう死んだも同然だ、といってもおかしくないくらい、理不尽な状況に置かれているんです。そんななかで、ひとり、またひとりと、自分と分かちようのない親密な記憶の積み重ねを、みなの前に、惜しげもなく描いてみせてくれました。これ、連帯の姿、そのものだと、おもいませんか。どうして、そうなれるんでしょう? 生と死のハザマで生きるひとは、そこで起こるすべてのことを、みなで共有することができるからではないでしょうか。いいかえれば、アナタ個人の記憶の積み重ねが、ジャポネ全体の歴史の核になっていく、ということなんですよ。オレもアナタも、三万年まえのジャポネと、同じ記憶を共有している、ということなんです。

 変な理屈だな、なんてカオ、してらっしゃいますね。理不尽な状況にいるからって、みながみな、三万年まえのジャポネと同じ記憶を共有するなら、ホモサピエンスすべてが、十万年まえの洞窟の記憶を共有する、ということになるじゃないか、てことですよね。

 たしかにそのとおりなんです。でも、それは、胎内宇宙の、つまり、五感とか六感とか、内側からヒトを創りだす宇宙の記憶なんです。記憶にはもう一つあって、それは、胎内宇宙の、つまり、文明とか文化とか、外側にヒトが創りだす宇宙の記憶なんです。そして、二つの記憶は、たえず相互に作用しあいながら、連還しているんです。

 連還て、なに? てカオ、してますね。そうですよね。分かんないですよね。ちょっと説明、させていただけますか。

 連還ていうのは、リンクが、クサリみたいに連続して、つながっていくこと、なんですよ。ウェブサイトに張り付いたリンク、ありますよね。それを開くと、開いたサイトにまたリンクが張り付いていて、それを開けると、また張り付いたリンクがあらわれる…そんな感じで、関連する記憶が、どんどん開いていく、それが、記憶の連還、ていうカラクリの実態、といえばいいのかな。で、それが、どんな風に連還してるのかって、ていうことですね?

 そうですね、たとえば、こんな風ですよ。

 さっき、連帯の姿、なんて、オレ、もろ労組みたいなこと、くちばしっちゃったんスけど、くだいていえば、向こう三軒両隣の助け合いの心、ということになりますかね。つまり、人類の歴史って、一応、七百万年まえから現在まで続いている、ってことになってるんスけど、その、気が遠くなる時間のなかで、膨大な数のヒトの種が生まれては、絶えていったわけでしょう。そんな種のなかで、最後まで、ていうか、現在まで生き延びることができたのが、われらがご先祖さまの、ホモサピエンス、なんですよね。どうしてか? 答えは、もちろん、ご存じでしょう? そうです、さっきの連帯の姿、なんですよね。オレたちのご先祖さまが、サバイバルできたのは、向こう三軒両隣のみんなが、苦心のすえ、知恵を出し合って、互いに助け合って、自分たちの弱さを克服するスベを見つけだして、そのプロセスを記憶に刻みこんで、営々と、次の世代につないできた、からでしょう。だから、オレたちの記憶の連還は、まず、オレたちの生存を支える記憶を刻み、関連する生存を支えるためのリンクを開くことから始まるんですよ。決して、生存を脅かすリンクには関連しないし、もともとできないし、連還もしていないんです。そう考えたとき、オレ、あのカスバの、白い男のことを、直感したんスよ。アイツは、きっと、自分のリンクの張り間違いに、ある日突然、気づいてしまったんだ、と。

 オランのことなんか、そっちのけで、アルジェに取って返した日、唐辛子をすりこんだバゲットにメルゲスをはさんだサンドをかじりかじり、午後、さっそく、カスバを歩き回りました。初めて赴任したのが五年まえ、新天地への好奇心もあって、入り組んだ路地という路地を、かたっぱしから歩き回って、あるていど土地勘を身に着けたつもりだったんスけど、しばらく来ないうちに、あるはずの家屋が消えちゃったり、行けるはずの路地が行き止まりだったりして、分かんなくなっちゃったんです。もともと十六世紀にたてられた城塞だし、ただでも老朽した建物なのに、違法な継ぎ足し建て増しなんか、平気で繰り返すものだから、ある日突然、居住区の一角が、ゴッソリ、崩れ落ちてもおかしくない状態なんスよね、いつも。

 でも、みんな、瓦礫のそばで、壊れた壁をのりこえて、平気で住んでいる。平気、というより、仕方なく、なんですけど。とにかく、ほかに住むトコがないから、どうしようもない。そんな景観だから、路に迷ったときなんか、アルジェの戦いでフランス軍が爆破した一角があるんスけど、その廃墟を探せばいいんですよ。暗い路地の天井がグサリと裂けて、いきなり瓦礫の山が、白日のもとに晒される。すると、爆破される直前まで、密やかで気の置けない、水入らずの生活にかこまれた家族たちが、窓際やバルコニーで親しげに談笑している光景が、まざまざと蘇ってくるんスよね。あの映画、ご覧になりました? イタリアとアルジェリア合作の、アルジェの戦い、ていう映画なんですけど。そうですか。ま、いいや。フランスなんかでは、しょっちゅう、観る機会はあるんですけど、ここは遠いスからね。いくら名作でも、興行成績がモノをいいますから、残念だけど。とにかく、あの日も、白日の廃墟にもどって、やっと土地勘を取りもどしたんスけど、そこから左手、つまり西側にあるカスバの天辺んを見上げたとき、意外なことに、気がついたんです。天辺から見えた、あの白い男の住処は、いまいる廃墟と同じくらい、天辺から離れていたんスけど、左手、つまり北の方角にあったんです。ということは、いまいる廃墟から、北の方角に行けば、そう遠くないところに、ヤツの住処があるんじゃないか。オレ、すごく興奮しました。ものすごく焦りました。急がないと、逃げられちゃうんじゃないか、とおもったんスよ。  
 
 すぐに北にむかって、薄暗い石畳の隘路を、駆けのぼりました。遠くの方から、いつものライが、小さく、聞こえてきます。右に折れ、左に曲がり、クネクネする路地筋を、北へ北へと、辿っていったんスけど、汗だくで、息がきれて、大腿筋がパンパンになって、もうだめだ、あと一段で小休止、とひと蹴りしたとおもったら、ポーンと、体ごと、幅広の通路に飛び出していました。

 とたんに、さっきまで犬の遠吠えみたいに聞こえていたライが、強烈な響きで、鼓膜の奥に、突き刺さってきたんです。笛と太鼓と弦楽器が、耳の中でビンビン鳴って、オレ、もう苦しくなって、両手で耳をふさいだんスけど、逆に、キーンと、我慢できない耳鳴りがして、万力でコメカミを挟まれたみたいに、痛くて痛くて、もがいていたら、通路の奥の方から、大勢の人たちの、大声でわめいたり、叫んだり、激しく議論しあう荒々しい声や、バン、バンと、テーブルをたたく音、ガチャガチャ食器を洗う音、いろんな雑音が、一度に聞こえてきたんです。午後の、ラマダン明けの、最後のアザーンが鳴り響くまでの一時、となり近所のひとたちが、行きつけのカフェに集まって、ダベったり、遊んだり、思い切り、楽しんでるところだったんスよ。そのときでした。

「ジ・ャ・ポ・ネ!」

 どっからオレをみてるのか、あちこちから、ガキの叫び声が、聞こえてきたんです。

「ジ・ャ・ポ・ネ! ジ・ャ・ポ・ネ!」

 けっこうな人数みたいでした。オレ、やばい! と一瞬、逃げ腰になったんスけど、逃げたら、それだけいい気になって、ますます追っかけてくるにきまってる、そんなワルガキの習性に、普段、辟易してたので、オレ、すかさず、ライとパーカッションで破裂しそうなカフェに、一目散で飛び込んだんスよ。でも、それは、結果的に、とてもいい判断だったんです。なぜかっていえば、ちょうどそこに、事務所付き運ちゃんの、アブダッラが、いたんですから。

「やっ、アブダッラじゃないか!」

 思いもしないことだったので、オレ、そのとき、けっこう嬉しそうな態度、しちゃったみたいなんスよね。だからなのか、よく分かんないスけど、当のアブダッラは、白のトーブに白のキャップをかむってたせいか、なんか白けた風、ていうか、見られたくないとこ見られたんで白けたふりした、て感じで、オレのこと、ネグレクトしかけたんスよ。オレ、ちょっと、ムッとしたんスよね。なぜって、アブダッラとは、ラマンダン最終日のきのうだって、冗談いいながら、一緒に仕事、してたんスよ。意外なところで出くわしたのに、知らんぷりなんて、おかしいじゃないスか。だから、オレ、皮肉の一つでも、いってやりたくなって、こういったんスよ。

「ほんと、見ちがえちゃったよ、アブダッラ! 白のトーブに白のキャップか。白ずくめのアブダッラ、ラマダン開けたら、いきなりハッジになったみたいだよ!」

 この皮肉、どうも大うけしたらしくて、ドッ、とまわりで大笑いスよ。なかには、ハッジ、ハッジ、と冷やかすものもいたりして、さすがバツのわるさを感じたのか、アブダッラ、頬を赤くして、オレに近づくと、小声でこういったんです。

「ラマダン明けに、わざわざ、こんなトコまで、散歩、ですか。さすがですね。でも…」
「でも?」
「でも、ここは、アナタみたいなひとが、来るとこじゃ、ないっスよ」
「オレみたいなのが来るとこじゃない? どうして?」
「どうしてって、ほら、見てくださいよ。みな、隣の、近所の、知り合いや家族や、親戚や、親しい仲間連中が、ラマダン明けのひと時を、ごくごく内輪の、親密な、水入らずの集いを、思い切り楽しみたくて、子供も入れて、集まってるんスよ。ね、だから」
「だから?」
「おれたちにとって、やっぱり、ラマダンて、特別なこと、なんスよね」
「つまり、オレみたいな、ラマダンしないよそ者は、ジャマってことか?」
「いいえ!そんなこと、いってないっスよ!」
「なあ、アブダッラ、なんとなく、いつもの、おまえらしくないな。ラマダンって、そんなに特別、ていうか、特殊なモノなのか?」
「そりゃ、特別、スよ。なぜって、ジャポネは、やらないでしょう?」
「そりゃ、やらないけど、食を絶つ修行って、どこでもやってるじゃないか。仏教にも、神道にもあるし、それこそユダヤ教徒やキリスト教徒も、やるじゃないか。特段、別世界の出来事だとも、おもえないがね」
「でも、修行って、ジャポネみんなが、やるわけじゃない、でしょ?」
「そりゃそうさ。とりわけ仏門に帰依する修行僧以外はね」
「そこですよ。もともとラマダンて、みんなでやる聖なる行い、なんスよ。食を絶つ、だけの行為じゃなくて、ひとの悪口をいわない、ケンカをしない、争いを避ける工夫をする、タバコも吸わないし、夜の生活だって我慢する、そうすることで、自分の信仰心を見つめなおし、自分を清め…」

 こうなると、もうお手上げ、お決まりの説法が始まっちゃうんですよね。寺小屋教育って、ほんと、すごいスよ。みながみな、おんなじことをいうんですから。話し方、語り口、言い回しからジェスチャーまで、まるで同じなんスよ。なのでオレ、うんざりするまえに、ミント茶を一つ注文して、つっ立ったまま、ガンガン響いてるライに、聞き入りました。ドミノに夢中の、髭ずらのオヤジたちや、白髪の長老たちに、見入りました。みんな、まるでガキみたいに、はしゃいでるんスよ。生まれたときから、ずっと同じ、カスバの界隈で、育ってきた仲間なんでしょうね。それに、アブダッラだけじゃなくて、みんな、白いトーブを着てるんスよ。オレ、客は何人ぐらいいるんだ、とおもって、白いキャップを数えたんスけど、数えおわるまえに、奥の方で、さかんに手をあげて、こっちへ来い、こっちへ来い、と手招きしてるオッサンがいることに、気が付いたんです。オレ、急ぎました。そうしないと、また、ジ・ャ・ポ・ネ、て、叫ばれちゃう羽目に陥っちゃいますからね。

「ドミノは、やらんのかね」

 近づいたオレに、オッサン、聞いてくれました。

「よかったら、のハナシだが、席、ゆずってあげるよ」
「いえ、どうぞおかまいなく」

オレ、丁重にことわりました。なんとなく、むしり取られるみたいな予感がしたので。

「続けて楽しんでください」
「ドミノ、きらいかね」
「きらいというか、よく知らないんです。でも、マージャンなら、やりますけど」
「マジャン?」
「いえ、マージャンです。シナで生まれて、アメリカで洗練されて、日本にきたゲームですよ。おなじようにパイを並べて勝負します」
「なんだ、やっぱり、アメリカかね」
「は?」
「ジャポネは、なんでもかんでも、アメリカだね。ヤマトダマシイは、どこへ行ったのかね」
「ヤマトダマシイ?…」

 これ、意外っスよね、質問としては。

「よくご存じですね、ジャポネのことを」

 そのとき、パイをバンバンたたきつけてたオッサンが、いきなり割って入ってきました。

「ひとつ、教えてくれんか。ジャポネは、今度の選挙を、どう思っとるのかね?」

 これにはオレ、なぜか、まじに答えなくちゃ、ておもいました。

「個人的には、自由化プロセスの一環として、よい、というか、正しい選択だと、おもいます」
「なるほど。民意がイスラム勢力による世直しを望んでいる、ということかね」
「世直しかどうか、よく分かりませんが、少なくとも民意は、イスラム勢力に傾いている、とおもいます」
「ワシは許さんぞ!」

 バッターンと、ドミノのパイが跳ね上がりました。

「ハア?」
「許さん!」
「でも、イスラム系が七割以上、獲得したんですから、どう少なめにみても、選挙民の気持ちは、リベラルからかなり遠ざかってる、っていえますよね」
「民主主義が多数決、くらいのことは、ワシだって、分かっとる。ただ、ワシらには経験がない。フランス植民地時代、アルジェは共和国の行政県だった。しかし、デモクラシーはなかったね。ごく一部の、植民者に通じた利権屋を除いて、大半のアルジェリア人には、選挙権もなかった。独立して、やっと一人前になれたと思ったら、今度は民族解放戦線の一党支配だよ。選挙もクソもあったもんじゃない。文字通りの圧政だった。そのおかげ、といっちゃなんだが、三年まえに大暴動がおきて、大勢の犠牲者と引き換えに、やっと自由選挙ができるようになった。分かるだろ。ワシらが知る自由選挙は、まだ、この、最初の、地方選挙だけなんだよ。たった一回の経験しかしかないんだ。これは、ものすごく危険なことだ、と、ワシなんかは、おもうがね」
「なにが、そんなに、危険なんスか?」

 いつの間にかそばに、アブダッラがいました。

「正当な自由選挙で、イスラム勢力が多数をとった。これで、やっと、民意が、政治に反映される準備が、できたんじゃないんですか」
「ワシはそうは思わん。そんなウマいハナシ、いままで、あったタメシがない」
「ウマいもウマくないも、やってみないと、分からないじゃないスか」
「なあ、アブダッラ」

 白髪の長老が割って入って、たしなめるようにいいました。

「このごろのオマエ、ちと、おかしいぞ。イスラムのハナシになると、急に目の色が変わる。とくに救国戦線が大勝利してから、まるで原理主義の信奉者みたいな口ぶりだ。気をつけなくちゃいかん、いかん。あの方もいっておられたぞ。地方選挙の大分まえから、アブダッラがプッツリ会いに来なくなった、とね。なぜかね? あれだけ尊敬していたハッジのところへ、なぜ、行かなくなったのかね? え、アブダッラ、いったい、なにを悩んでいるのかね?」
「なにも悩んではいないスよ。ハッジは、伝道師でおられるけど、所詮は外国の方スよ、失礼スけど。おれたちアルジェリアの現状を、よく理解してらっしゃらない。みなが一党独裁にどれだけ苦しめられてきたか、ほんとに分かってらっしゃるとは、おもえないっスよ」
「ワシはそうは思わんな。ハッジは、世界の目をとおして、アルジェリアを見てらっしゃるんだ。オマエたち若いもんは、二言目には独裁、独裁、と批判したがる。だが、どうだろう、ワシらには、一党独裁、といよりは、むしろ、一党による利権の独占支配、といったほうが、より納得いく説明になると思うんだがね、どう思う、アブダッラ」
「いや、独裁は独裁スよ!」
「かもしれん。しかし、いいかね、世に独裁と秘密警察は一心同体、といわれているんだが、オマエたち、言論の自由を、はく奪されていたのかね? 政府の批判をしたがために、捉えられ、投獄され、拷問され、知らぬ間に処刑されたひとが、何人いたっていうのかね? ワシらには、そのような仲間は、ひとりもいなかった、と記憶してるんだがね。それどころか、オマエたち、毎日毎晩、言いたいこと、言って、やりたいこと、やってるじゃないか。言いたい放題、叫んでるじゃないか、え、そうじゃないかね?」
「冗談じゃない! おれたち、三年まえの大暴動で、何百人も、虐殺されたんスよ! この天辺に住んでた大学生、おぼえてるっスか? あのアブデルカデルも、殺されちゃったんスよ、催涙弾の直撃を食らって! これが独裁でなくて、なんだというんスか」  
「たしかにあのとき、大勢なくなった。これからという若者たちが、尊い命を絶たれたことは認めざるをえない。だがね、アブダッラ、問題のキモを、みきわめなくちゃ、いかんよ。あれは、治安維持のための暴徒鎮圧、だったのだよ。おまえたちは、市民の安全を脅かす暴徒だったんだ。治安をみだす危険分子だったのだよ。あれは、決して、独裁政権による市民人民の弾圧、などではなかった、ということだと、ワシは思うが…」

 長老がはなしてる間、オレ、自問してました。アブデルカデルの大学生って、ひょっとしてオレの隣人の、いつかサイゴンであった、官憲から逃げ回っていたあの大学生のことじゃないのか、って。

「ちょっと、すまんが、アブダッラ、そのアブデルカデルの大学生って、あのオレの…」

 いいかけたオレのことなど、完全無視で、アブダッラは、そのとき、大声で長老に、反論しはじめたんスよ。

「ち、ち、治安維持の暴徒鎮圧だって!独裁政権の弾圧ではなかった、だって! おれたちが市民の安全をおかす暴徒だって!冗談じゃないっスよ!  みな、うんざりしてたんだ、独立戦争に勝ったのをいいことに、政権にあぐらをかいて、国の富をひとりじめする、その一方で、いまだに、まともなニンジン一本つくれやしない、パン一個も満足に食えやしない、それほど生産力も消費力も貧弱な、貧乏人どもが、住む家もなく、うじゃうじゃ、ゴロゴロ、生きていかざるをえない、みじめな現状を、ちっとも変えようともしないのが、現政権だったんじゃないですか!そんな政権を維持するための暴徒鎮圧こそ、独裁権力の人民弾圧、そのものじゃ、ないっスか! いったい、あなたがたは、フランス独裁権力と戦って、この国を、取り戻して、創りかえてくれたひとたち、なんでしょ! どうしたんスか? 自分たちが取り戻した国が、権力の、あのあさましいヤツらに、好きなように、切り盛りされ、食い散らかされてきたんスよ! くやしくないっスか? アルジェリア人としてのホコリは、どこへいったんですか!」
「やめないか、アブダッラ! いっていいことと、わるいことが、あるぞ!」

 べつの長老が、顔を真っ赤にして、口を挟んできました。

「落ち着け、アブダッラ! ひとは弱いものなんじゃよ。いいかね、イクサは強いものが勝つ。あたりまえじゃ。しかし、イクサに勝った強いものでも、イクサがおわれば、弱いものなんじゃよ。なぜかといえば、ひとは、ひとを殺めるようにはできていないからじゃ。コーランに耳を傾けるまでもなく、ひとは、ひとに優しく、同情を覚え、憐れみを分かち合い、公正に、敬意をもって、お互いに力を合わせて生きる様々な術を、いにしえの記憶の中に刻み続けてきたからこそ、いままで生きのびてこれることが、できたたんじゃないのかね。だから、ひとは、なを哺乳類の頂点にいて、いまだに滅びないで、生き延びているんじゃないのかね。そう、じゃろう?」
「そんなこと、あたりまえっスよ!」
「それが、あたりまえじゃないのだよ。そこが、ひとの弱さ、なんじゃ。ひとは、富を求める。これも、あたりまえのことじゃ。生き延びるのに、富のたくわえは欠かせない。体にも、十分な栄養と体力のたくわえがいるじゃろう。それと同じことじゃよ。家族ができれば、食い扶持がふえる。みなを、食べさせなくちゃならん。それだけの富は、貯めておかねばならん、じゃろう。これらは、みな、あたりまえのことなんじゃ。だが、そこに落とし穴がある。たくわえた富は、大きくなればなるほど、なくなることが怖くなってくるんじゃ。世によくいう、負の連鎖、というモノじゃよ。なくすことを恐れ、必要以上に貯え、自分の安心安全のために、ひとのモノまで欲しくなる、奪いたくなる」
「なぜだか、わかるかね?」

 また別の長老が、割って入ってきました。

「ものごとには両極があるんじゃ。カネがないから、カネがほしくなり、カネもちになる。両極の巾が広ければ広いほど、結果は重大になる。極貧に生まれたものは、単なる金持ちではなく、超富豪になりたくなるもんじゃ。その分、欲も深くなるし、頭も使う。戦略も練る、ひともだます。そして獲得した富と地位は、絶対に手放したくなくなる。そのために、また頭を絞り、戦略もねり…」
「そして、負の連鎖が続く、というわけっスか?」

 アブダッラが、お説教はもうたくさん、て顔でいいました。

「長老! まさに、その通りですよ。民族解放戦線が、負の連鎖に振り回されて、挙句の果てに、権力の座から蹴落とされた、そうですよね。それが事実ですよね。つまり、その負の連鎖に理があるとすれば、今度は、貧乏人のおれたちが富をたくわえる番だ、ということになるんじゃ、ないスか?」
「そのとおりじゃよ」

 最初の長老がいいました。

「しかしな、アブダッラ、世の中はそうはうまく行かんのじゃよ。イランのことを考えれば、すぐに分かるじゃろうが」
「イランのこと?」
「そうじゃ。今から、丁度、十数年まえに起きた出来事じゃよ。おまえがまだ子供のころのことじゃよ。そのころのイラン王朝は、欧米の石油利権に深く深く嵌めこまれておって、国の富を欲しいままに私物化していたんじゃ。その王朝が、イスラム教の法学者を支柱とした、世直しの革命勢力に駆逐され、イスラム主義を軸とした神権政治が始まった。どうかね、まさに、今のアルジェリア、そのものじゃないかね。いいかね、アブダッラ、ここでアタマを使わなくちゃ、いかん。いま、おまえの国がイランそのものだとしたら、十数年後のおまえの国は、いまのイランそのものだろう、と想像するのが、理にかなっていると思わんかね?」
「そりゃ、そうかも…」
「じゃろ、アブダッラ、今のイランは、どうなっとるかね。民主主義の精神を取り入れとるかね? え、アブダッラ、真逆の政治体制を敷いとるんじゃないのかね、神権政治という体制じゃよ。憲法の上にイスラム法が君臨しておる。これこそ独裁ではないか。神の名のもとに民を支配する、生殺与奪の力を得るために、かれらは何をした? 世直しで民主主義を叫んで立ち上がった人民を、テンプラにして殺したんじゃよ。テンプラ、知っとるじゃろが、ジャポネのすきな料理の名前じゃ。この国ではベニェというんじゃ。毎朝おまえも食っとるじゃろが、あのアゲパンじゃよ」
「それって、わるい冗談っスよ」
「いいか、アブダッラ、ここを使え。アタマを使え。ハッジが、いつもいっておられただろうが。弱者の正当な怒りを、うまーくからめとるニンジャがいるのだよ、ジャポネの好きなニンジャが。地方選挙でイスラム勢力が勝利したとき、ハッジがいっておられた。民の大半は変革を望んでいる、変革の種は播かれた、これからが力の尽くしどころだ、変革の種が、独裁の発芽へと、すりかえられないようにしなければ、とな」
「どういう意味ですか?」

 アブダッラは、いつしか、借りてきた猫みたいに、シュンとなってましたよ。

「イランをみれば、分かるじゃろ。革命と称して、結局は、宗教エリートの独裁体制じゃよ。気をつけなくちゃ、いかん、いかん」

 オレ、そのとき、自分につぶやきました。自分は、いま、なんのめに、カスバに、いるんだっけ? あの白い男をさがしに来たから、このカフェに、いるんじゃ、なかったのか…。

「アブダッラ、実はオレ…」

 すぐさまオレ、長老たちにすっかり丸め込まれたアブダッラに、聞きました。

「さっきから、ハッジ、ハッジ、て聞こえてきて、気になるんだけど、そのハッジって、いつもオマエがはなしてる、あのカスバの寺小屋のハッジ、のことなのか?」
「ええ、そうスよ」
「なんで、みんな、そうハッジ、ハッジって、いうんだ?」
「みんな、尊敬してるからっスよ、ハッジのことを」
「そんなに偉い人、なのか?」
「偉い人、ていうか、とても親切で、柔和で、優しくて、それに、いろいろなことに、とても明るいヒト、なんスよ」
「明るいヒト? イスラムのことか?」
「それはあたりまえスよ、伝道師ですから」
「じゃあ、他に?」
「いろんな世の中のこと、ていうか」
「道徳とか、倫理とか、政治とか…?」
「ていうより…」
「徳の高いひと、なんじゃよ」

 最初の長老の声でした。いつのまにか、オレもアブダッラも、長老たちに囲まれてました。

「ハッジは、徳という徳と、親しくしておられるんじゃよ」
「親しくする、て、どういうこと?」
「徳は、教えるものでもなければ、教わるものでもない。ましてや、積んで蓄えていくものでもないのじゃよ。すべての徳は、すでに、みなの周りにあり、かつ、みなの中にあるもの、ということじゃ。それに気づくのは、ひとじゃ。ひとは、今そこにある徳と親しくすることで、自らを高めていくことができる、と、ハッジはおっしゃるのじゃよ」
「徳に気づくって、どういうことかな?」
「勇気とか、知恵とか、正義とか、節度とか、自分とひとのつながりをたもつために、古来から大切とされている徳にはいろいろあるんじゃが、そんなものは、生まれる前から自分の中に備わっとる、とおっしゃるんじゃ」 
「自分の中に?」
「そうじゃ。たとえば、自分が愛しくおもっとるヒトが危ない目にあっていたら、ひとはどうするかね」
「助ける」
「それには勇気がいる。その勇気は、どこからくる? どこからでもない、自分のなかにあるんじゃ、ないのかね? その勇気に、素直に、従えばよいことじゃよ」

 オレ、なんとなく、いらいらしてきたんスよ。だって、ハッジがみんなに、これほど評価されてるのは、宣教師の好きな、この種の能書きばかり、はなしてるからじゃないはずでしょう? もっと生臭いハナシが、その裏にあるんじゃないか、ってオレ、おもったんスよ。だから、オレ、単刀直入に、長老の一人に聞いてみたいと、おもったんスよね。

「すみません、ひとつ聞きいていいでしょうか」
「なんじゃね、ジャポネ」
「そのハッジって、尊い方だと、オレもおもいますけど、具体的に、みなさんのためになる、なにをして下さるんでしょうか?」
「生きるための知恵じゃよ」

 長老は、予想通り、人差し指でアタマをコンコンつつきながら、答えてくれましたよ。

「ココの使い方じゃ」
「どんな風に?」
「いいかね。ここはマグレブじゃ。マグレブとは、太陽が没するところ、という意味じゃよ。日はどこから昇るかね。マシュレクじゃよ。マシュレク、日が昇るところからじゃよ。よいことは、すべて、マシュレクから、日が昇る、東の方から、やってくるんじゃ」
「東方から?」
「ハッジは、東方から来られた。ワシらに生きる知恵を授けるためにね。そのかわきりが、ハリじゃよ。ハリ治療じゃ。ハッジはまず、鍼灸医師であられる。おかげでワシらのだれひとり、体を壊したものはおらんよ」
「ハッジは中医学専門のシナ人ですか?」
「国籍は知らんな。人種も興味ない。中医学が専門かどうかも、知らんな。要は、ワシらのためになるか、ならんか、ということじゃ」
「では、ハリ以外に、あなた方のためになることって?」
「あえていうならば、心と体の病を取り除くこと、じゃな」
「心の病には、なにを?」
「徳へのいざないじゃ」
「では、体の病には?」
「薬じゃよ」
「漢方ですか?」
「それもあるが、最新の特効薬も、もってきて下さる」
「最新の特効薬?」
「いいかね。この国の医療はタダじゃよ。それはたいへん結構。じゃが、中身は貧しいに尽きる。フランスであたりまえに薬屋で買えるものも、ここでは手にはいらん。みな、なんとか、家族の出稼ぎや移住者をたよりに、パリやマルセイユから取り寄せたりしているが、結局は処方箋どまり。これぞ効き目のある薬、といったものは、まったく手に入らんのじゃよ」
「それを、ハッジが?」
「そうじゃ。どのようなルートか知らんが、ワシらが頼めば、なんとかして手に入れて下さる」
「特別なルートでも?」
「よくは分からん。とにかく、ハッジの人脈には、目を見張るものがある、という、もっぱらの噂じゃからのう」
「薬だけじゃないぞ」  

 別の長老が口をはさんできました。

「何年かまえのことじゃった。パリダカで、青年がひとり、サハラのど真ん中で遭難したんじゃ。それがだれだったか、わすれたが、たしか、フランス政府要人の家族のひとりムスコ、だったそうじゃ。そのころ、エアフラのハイジャックで犠牲者が出たばかりじゃったから、フランスとアルジェリアの関係は最悪じゃった。フランス政府の要人は、軍を使ってでもムスコを助けたいと考えたが、さすがに閣僚の猛反対にあって、できなかった。そこで、なにがどう動いたか、ワシは知らんが、最終的にハッジが、フランスの私設医療施機関に掛け合って、遭難保険でカバーできる救急救助のヘリを飛ばす手立てを考えだしたんじゃよ」
「で?」
「ムスコは助かった、といワケじゃ」
「なるほど…」

 もう、みなさん、お気づきかとおもうんスけど、オレ、長老のハナシを聞きながら、しっかりと、自分のオヤジのことを、思い描いてたんスよ。そして、ハッジとは、ひょっとしたら、オレのオヤジのことじゃないのか、て考えたんスよね。もちろん、これって、単なる想像にすぎないんスけど、でも、実は、なるほど、そうだったんだ、ておもってしまうほど、オヤジのイキザマらしきものを、アブダッラや長老たちの談義を耳にしながら、しっかりと、辿っていくことができたんスよね。

 おもうに、やっぱ、オヤジには、ユメがあったんスよ。でも本人には、ユメどころか、野望とまではいかないけれど、革命キューバ建設に主体的に加担する、という、青春の熱い想いをぶっつけるに値するだけの、とっておきの、革命的で具体的な計画と展望が、ちゃんとあったんスよね、きっと。だから、巨大国アメリカにたて突く、吹けば飛ぶよな革命軍の、ほとんど絶望的な企てに、自分の計画と展望を、スッポリ、嵌めこむことができたんスよね。その原動力になったのは、ほかでもないスよ。ほとんど、強きをくじき弱気を救う、みたいな、ヤクザの見栄すれすれの義侠心とか、遊女の嘆きにほだされて、身代賭けるドラ息子、みたいな、切なくもマッチョな正義感とか、べつに、自分のオヤジをバカにするつもりはないんスけど、ほとんど、そんなレベルじゃなかったのかな、なんて、おもうんスよね。

 オヤジもオフクロも、あたりまえの教養人ではあったけれど、活動家ではなかったスよ。あえていえば、当時のほとんどの団塊世代がそうであったように、行動的心情左派の一翼を、担っていたんでしょうね。ちょいかじりのイデオロギーで、にわか組織のデモに出て、日比谷あたりを一周して大汗かいたら、それでもう立派な活動家、になれたんでしょうね、心情的には。ましてや、不死身の四機ともみ合って、殴ったり、殴られたり、メチャメチャ蹴られたり踏まれたり、挙句に留置所に放り込まれたりしようもんなら、もう一人前の闘士に、なった気してたんスよ。

 そんなシンプルでホットなトレンドのなかで、チェ・ゲバラみたいな、医師であり思想家でもある、稀代の革命戦士が、歴史の舞台に登場してくるんですよね。それだけでも衝撃的なのに、数年後、ボリビア山中でのゲリラ戦の真っ只中で、勇ましく戦死してしまうんです。そのニュースが流れるや、ゲリラ指導者ゲバラは、一躍、世界の革命運動のヒーローになってしまうんスよね。オレ、いまでも、思い出しますよ。ゲバラの悲劇的な死を悼んで、英雄を称える詩をよみ、コマンダンテ、永遠に、をギター片手に歌っては泣き、なんどもLP盤できいては笑い、また泣き、そして議論し、そんな風にして、夜っぴいて抱き合って、踊りあかしていた、あのオヤジとオフクロの、二人のことを。

 そうなんスよ、あの日の明け方、オヤジは、ひとり、オフクロを置いてキューバに、発ったんです。キューバ革命政権下、新政府への医療支援活動に、体ごと飛び込んでいったんです。支援諸国諸団体から医薬品支援物資を調達し、それを届ける革命的戦略を断行するために。

 そうなんスよ。それがあのとき、あの二人の生き方、将来の進路を分けてしまう、マジ、運命的な選択、だったんスよね。オヤジは、あっさりと家族をすて、キューバや海外のどこかで、自分は生まれ変わるんだ、脱皮するんだ、ていう、自分探しの旅に活路を求めて、日本を出てったわけなんスけど、オフクロはといえば、それまでの活動とプッツリ縁を切ったらしくて、脇目も振らず、大学病院の研究活動に、没頭していったんスよね。その変わりようは、まだ小さかったオレみたいなものにでも、すぐに分かっちゃうくらい、はっきりしたものでした。そんなオフクロと二人っきりで残されたこのオレ、一人息子なんスけど、親にとってどんな存在だったんだ、てきかれても、よくは分かんないスよ。ただ、なんとなく自分は余計もので、邪魔者扱いされている、みたいな、ひがみっぽい気持ちになっていて、しばらくはウツウツしてたんスけど、そのうち、パリに移住するってハナシが持ちあがって、好奇心というか期待というか、すごく明るい気持ちになっちゃって、どんどんユメふくれあがって、いつのまにか、忘れちゃたんスよね、そんなこと。

 ところが、パリにいく直前になって、初めの方で話しましたけど、不意にオヤジから、小包が届いたんスよ。中身はアリコとなづけた手製の竪琴で、発送地はダッカでした。ほとんど記憶から消えかかっていたオヤジそのヒトから届いた突然の報せと贈り物、それだけでもびっくりなのに、これも話しましたけど、パリの小学校に編入してまもなく、日本赤軍の、あのダッカ・ハイジャック事件が、起きたんスよね。オレ、直感しましたね。オヤジとこの事件、絶対、どっかで関わってる、ってね。正直、あの事件をきっかけに、オレのなかで、オレのオヤジが、たくましく自分探しの旅をする人間像として、着実に育ちはじめた、といってもいいすぎじゃないな、ておもうんスよ。え、どんな人間像かって? そうスね。心情左翼のまんま、オヤジは海外の革命運動に飛び込んでいったわけなんスけど、生身で現場に立ったとたん、自分の脆さを痛感したはず、なんスよ。つまり、活動家として、なんの理論武装もしていなかったはず、なんです。戦地に丸腰で放り出された一兵卒、みたいなもんスよ。

 こうしてオヤジは、心情論では歯が立たず、抹殺されざるをえない過酷な闘争現場で、どうやって生き延びていけばいいのか、て悩んだとおもうんスよね。そして結局、イデオロギーで理論武装するっきゃない、て結論したとおもうんスよ。いってみれば、日本を出た瞬間から、思想という観念の世界に、飛び込んでいかざるを得なかった。そのためには、まず、いままでの、つまり、心情的な自分におさらばして、アタマを空っぽにすること、そこへ、新しい思想の息吹を吹き込むこと、そこから、未熟な自分を鍛えなおし、確立した思考の枠組みを広げ、世界の現状を再分析し、その枠組みで人類の遺産と記憶を共有しつつ、自己確立の方法論を編みだし、身に着け、肉体化し、変革の現場で即戦力として対応できる、自在で強靭な自分自身を鍛えあげて、実践の場で自己解放を展開していく、とかいうことなんじゃないか、ておもうんスけど、オレ、まだガキだったんで、だからこうなんだ、ていう理屈は分かんなかったスけど、正直、この日本脱出、きっと失敗するな、なんて予感、してたんスよね。

 オヤジって、理知とか理性とか、とはあまり関係ないヒトみたいで、けっこう直情的なとこもあるし、すぐかっとなって怒るし、弱気になると、やたらメソメソするとこがあって、オフクロとちがって、かなり不安定な性格だったと、記憶してるんでスけど、実際、いま大人になって考えてみても、たとえば、世界人類の遺産と記憶、ひとつとってみても、アタマを空にして自分とおさらばした時点で、もし、それが可能ならのハナシですよ、その時点で、もう矛盾しちゃってるじゃないスか。だって、アタマを空にする、っていったって、心情を消去できるはずもないし、ということは、人類の遺産といったって、ヒトの記憶は、胎内、胎外にそっくりそのまま、傲然といすわってるもんじゃないんスか。空のアタマが引き起こす事態として、唯一、考えられるのは、一つ間違えば、イデオロギーとかという観念的な知識で飽和状態にされてしまう疾患で、いったん発症すると、胎内外の記憶とはとても折り合いのつかない、連還しようもない、好き勝手な記憶を無限に増殖させていく、捏造症候群に捉われてしまうことくらいでしょうかね。

 でも、これって、大変やっかいな病気なんスけど。その点、オフクロのとった選択は、オレを含めたふたりの先行きに、まるで正反対の活路を、見出してくれたんです。

 活路なんていっちゃうと、なんか、おいつめられてたみたいで、よくないスけど、ぜんぜん違うんスよね。オフクロは医者です。科学者です。何事につけ、現実の、具体的な事実に基づいて行動する、この基本原理にそむかず生きてくことを、自ら選択した人なんです。

 夕食後、ガキのオレを前に置いて、ワインをちびちびやりながら、よくいってましたよ。ヒトは、六十兆もの細胞からできていて、その信じられない数の細胞一つ一つが、お互いに見事な連絡をとりあい連携しあって、あなたのような一個の生命体を、生かしているのよ、しかも、母親の胎内に宿った、たった一個の細胞から増えに増えて、そうなるのよ、いったい、こんなミステリー、だれが描いたんでしょうね、だれが設計したんでしょうね、すべては神が創りたもうた、ていう人たちは別として、科学者である以上、この神秘で不思議な創造のプロセスが、現実の具体的な事実に基づいたものとしたら、それって、どう理解したらいいんでしょうね、てね。そして、最後には、キリッとした、マジ、真剣な目つきになって、いつもこう、結論づけるんですよ。お腹の中で、一つ一つの細胞が、それぞれの事実、個々の記憶に従って、互いに連絡しあい、連携しあい、そして連還し続けることを学習してから、ヒトは生まれてくるのよ、だから、あなたのような神秘で、不思議な、限りのない能力を備えた、すばらしい生命体が、育っていくことができるのよ、ってね。そんなとき、オレ、決まってこう尋ねるんです。

「パパは、どうだったの?」

 聞かれたオフクロは、決まって、こう答えてましたよ。

「パパも同じよ。ただ…」
「ただ?」
「ただ、日本を出てからあとの記憶って、パパの中でどうなってるんでしょうね。もう、わたしの手のとどくとろに、いないわね、パパは」

 オレがさっきから、胎内記憶、胎外記憶、ていってるのには、オフクロとの、こんなやりとりがあったからなんスよ。

 日本を出てからあとのパパの記憶? そんなの、分かるわけないじゃないスか。パリの小学校で、まいにちいじめられていたオレ、いまに強くなって、いじめるヤツらを見返してやるんだ、て、いつもおもってたオレ、そんなオレだったから、キューバに向かったオヤジもまた、オレみたいに、いじめられる小っちゃな国の気持ちになって、見方になって、世直しをしてやるんだ、ひとを助ける清い生き方をするんだ、みたいな、まだ心情の枠組みで生きていたオヤジができることを、すこしは想像もし、辿ってもいけたんスけど、いったんいじめる側の張本人や、世の中の悪をやっつけてやろうと決めたとたんに、やっつける相手をみきわめ、それを敵として破壊しなければならない、という行動の枠組みが、実は、理論化されてしまうんですよね。

 そんな恐ろしく変貌したオヤジのことなんか、いまでこそ、容易に理解もできるんスけど、まだガキだったオレには、とても想像できないことだったし、いくらオフクロだって、それこそ手のとどくところにいる相手ではなかったんじゃないかな、ておもうんスよね。

 え? 肝心のハッジの家、みつかったのか、って? そ、そうでした、ね。すっかり、脱線しちゃったみたいスね。つまんないコトばかり喋って、もうしわけありません。そう、カスバのカフェで、偶然、アブダッラと長老たちにあって、いろんなハナシになった、というとこまで、いったんスよね。そこで、イラン革命なんかのハナシで、思い切り脱線しちゃったんで、これはまずい、とおもって、アブダッラに直接、ハッジの家まで案内してもらおうと、一緒にいってもらったんスけど、暗い路地に面した薄汚い壁に、小さな赤い木戸がひとつ、はめ込んであるだけで、他にはなにもないし、見えないし、そこらじゅう手探りしても、郵便受けの用の隙間すら、見つからないありさまでした。そうか、さっき、みながいってたな、ハッジは、一年半後の国民議会選挙までには帰ってくるんだって。それなら、そのころ、またくりゃいいじゃないか。そうおもって、オレ、そのまま帰えったんスよね。

 正直、偶然とはいえ、長老たちにあって、とにかく、FISの大勝利が、この国をどう変えようとしているのか、その一端を垣間見ることができたみたいで、すごく参考になりましたね。イスラム政党が、すこしずつ、馬足を露わにしだした、原理主義の底意が、ちらちらと見え始めた、ていうんスかね。方々で、街角や、カフェや、公園や、いたるところで、市民間の衝突や暴力沙汰が、日常化してましたよ。シャリア法を振りかざして、神権政治への屈伏をせまるものがいれば、民主主義を標榜して個人の権利を主張するひとたちもいて、双方間で、あくなき相克が始まっていた、というわけです。

 でも、現状は、まだまだ殺し合いの段階までは、いってませんでしたね。ただ、街路を行きかう人々の表情ひとつみても、この対立軸の強度が、ある日突然、一挙に多方向に働いて、なにもかもが、死と恐怖と闇のカオスに、ばらばらに投げ込まれてしまう破局がくるのではないか、と、みな、恐れていたであろうことは、だれの目にも明らかでした。

 そして、もしその破局のきっかけがあるとすれば、ハッジも注視していた、民主化プロセスの最終段階である国民議会選挙になるだろう、と、これもみな、予感していたんスよね。当然スけど、オレも、そう感じていましたよ。そして内心、選挙が行われるこの次には、直接、あの白い男ハッジにあって、ヤツが実のオヤジなのか、それとも赤の他人なのか、絶対、突きとめてやるんだ、このオヤジ探しのヒストリーに、しっかりと決着をつけてやるんだ、って一年半、日めくりをめくっては、楽しみにして、その日が来るのを待ってたんスよ。

 それが、ほら、さっきも話しましたけど、国民議会選挙でも、結果はFISの圧勝だったんスよね。ちょっと見だけで、急激なイスラム化を危惧する層があれだけ増えたってのに、一党独裁への根強い反感や、怒りやストレスが、よっぽど鬱積してたんでしょうね。民はドラスティックな変化を望んでる。なのに、それをうまく吸い上げ、次世代につなげる器がない。度量が大きくて、先見の明があって、それだけでなく、聡明な指導力にも恵まれた個人、というか集団というか、そんな受け皿が、ホント残念なことに、どこにもなくって、あるのは、宗教エリートの強い野心と、エサに群がる利権屋集団だけ、ていう、なんとも哀しい状況だったんスよ。 
 
 はたしてハッジは、そうなることを、ずっとまえから、見抜いていたんでしょうか。FISが大勝した国民議会選挙の翌日、オレ、さっそくカスバに降りて、ハッジの家を訪ねたんですよ。レバノンから帰国してるかどうか、知りたかったんスけど、ずい分まえにアブダッラが事務所をやめてから、すっかりモスクの寺小屋情報から遠ざかっていたので、ムリでした。なので、多分、帰ってるだろう、なんて勝手に決めこんでいったんスけど、案の定、あの赤い木戸は閉ざされたままで、その後、何度たずねてっても、やっぱり閉まったまま、いく日たっても、開こうとしてくれませんでした。

 カフェの長老たちや、近所のガキどもにも確かめてみたんスけど、みな異口同音に、帰ってるよ、いつでも会えるよ、きのうもモスクで説教していたよ、などと、ヒトを煙に巻くようなことばかりいうんですよ。みんな、つるんでるな、ってオレ、直感しましたね。なんでそんなにオレのこと、避けるんだ? そんなにオレがイヤなのか? なんなんだ、その理由は? 本性を知られたくないからなのか? ひょっとして、オマエ、やっぱ、オレのオヤジ、なのか?…こんな調子で、もっぱら自分のことにかまけてる間に、世間では、正当な民主化プロセスのもと、地方と中央の行政権をちゃっかり獲得し、名実ともに国の支配権を手中に収めたFISが、神政国家樹立への準備を、着々と推し進めていたんスよね。気がつくと、世の中、びっくりするような展開になってました。というのは、新政府が憲法改正を準備してる、ってことが、明々白々になってきたんスよ。いくら多数を占めたからって、現下の民主憲法で国体をイスラム化するなんて、容易なことじゃない。民主政治の立法府で、シャリア法の一つ一つを、可決成立させてゆく、なんて、想像しただけででも、気の遠くなるようなファンタジーに、なっちゃうスもんね。それなら、いっそ現行憲法の方から、イスラム聖法の額縁に入ってくれるよう、工夫すればいいじゃないか、そうすれば、たった一回の国会決議で、国全体のイスラム化がスイとできちゃう。得てして、こんな単純で楽観的な改憲論が、意外と、一国の運命をコロリと変えてしまうことが、できるもんなんスよね。

 はやいハナシ、苦労して、多くの血をながして、やっと手に入れた民主憲法を、ですよ、三年たつかたたないかで捨ててしまって、しかも、改正どころか、シャリア法にバッチリ呪縛された、ただただ神聖政治の正当性を補完するだけの、アリバイ憲法に改悪してしまえ、と、画策してたんスよね。

 一党独裁を倒した新生国家が、オカルト神権政府にのっとられる。これって、民の側からしたら、独裁支配が専制支配にすり替わる、単なる統治サギじゃないスか。お笑い番組じゃあるまいし、冗談じゃないっスよね。当然、あちこちで、ますます衝突が激しく、頻繁になっていったんスよ。一般市民の家庭だって、例外じゃなかったみたいスよ。顔を合わせれば、政権支持か反対か、の話題ばかり。意見の食い違いは、当然、家族の分断を生む。親密だった親子、兄弟、姉妹関係はガタガタ。一家団欒は、いつの間にか、過去の出来事のひとつにファイルされ、疑心暗鬼は隣近所にも蔓延して、地域共同体の空気全体が、生きるか死ぬか、まではいかなくても、神聖国家か民主国家か、宗教支配か人権主導か、信仰か背信か、みたいな、なにかにつけ二者択一の、切羽詰まった惹句に、からめとられていったんスよ。

 事務所でも、街路でも、カフェでも、役所でも、この種の惹句がとびかい、押し問答の末、ケンカ沙汰になって、パトカーがお出ましになる、どこでもそんな筋書きでした。ある日、サイゴンはどうだろう、ミンナはどうしてるかな、とおもって、久々に大学の下の、カスバの入り口まで、足を運んでみたんスけど、無残にくぎ付けされた扉に、朱色のペンキで、背教者は去れ!と殴り書きしてありました。オレ、げんなりして、おもわずため息、しましたね。旨いメシを出し、美味しい酒を提供する、そんな尊い仕事をする人々を、なぜ異端者扱いする、なんて狭量で浅はかな因習なんだ、いいかげんにしろよ、ってね。はっきりいって、神のプロジェクトにヒトが参画するのは許されるよ。だって、参画しようがしまいが、そのヒトの自由だからね。でも、その逆、ヒトのプロジェクトに神を参画させること、そんなことが、許されていいはず、ないじゃないスか。

 これって、信仰でも宗教でも、ましてやモラルの問題でも、ないっスよね。だって、そうでしょう。善行を積んだヒトだけが天国に迎え入れられる、これこそ、神の威光の成せるわざじゃないですか。信じる、信じないはヒトの勝手、信じるものは、せっせと精進して、天国に行けばいいんですよ。これが信仰というものです。でもその逆は、ありえないんじゃないでしょうか。ヒトの集まりや絆の律を狡猾に利用して、集団保全の支配権を手中に収めたあげく、ヒトやモノや人の心までも私物化し、自在に操ろうと意図するものがいたとして、その張本人が、自分の意図を実現するために、神の御業と威光を、言葉巧みに利用しようと計画したとしたら、みなさん、どう思われますか? ありえないっスよね。ぶっ飛ばしもんですよね。そんなことが許されていいはずもないし、そもそも、七百万年の生存を誇るホモサビエンスには、そのような邪悪な記憶は、ないんですよ。神でもない無能なものに、そんな記憶が備わっているわけがない。もし備わっていたとしたら、胎外宇宙に刷り込まれた、邪悪な観念の写し絵の記憶、なんスよね、間違いなく。

 なぜって、写し絵の記憶は、実データのないエイリアスみたいなもんです。実データしかない胎内宇宙と、連還できるわけがない。写し絵は影、実体のない幻は、所在のない宇宙をさまよい、いずれ体外宇宙のどこかから排出され、消滅します。多分、ですよ、新政権の頭脳には、イランの写し絵の記憶が、ひそかに挿入されていたんですよ。でも、いくらイスラム革命のエイリアスを呼び出しても、実データにたどり着けない。なぜか。アルジェリアの歴史に、民族自決、主権の奪還、安全保障、自由と人権の確保、などなど、さまざまな独立と自立の記憶はあったけれど、エイリアスの探す宗教革命の記憶は、どこにもなかったんですよね。
 
 帰国してるはずの、あの白い男、ハッジには、まだ会えなかったけれど、事態の緊迫度から、寺小屋とかモスクとか、いずれどっかにカオを出してくるだろう、そう踏んでたので、とにかくFIS指導者たちの動向を探ろうと、テレビとかラジオとか、事務所内のヒソヒソ話とか、街やカフェでの流言とか、いろんなところから聞こえてくる市井の情報に、聞き耳を立てていたんスよ。

 そんなある日、アルジェ駅のキオスクで買ったエル・ムージャヒド紙、ジハードを遂行する聖戦士、ていうメジャーの新聞なんスけど、その一面を見て、びっくりしたんスよね。FISの首領、突然の逮捕、と、デカデカと出てるじゃないですか。実は、このひと、アルジェ大学で教鞭をとるイスラム学の第一人者で、FIS結党に深く係わった精神的指導者、といわれてたんスけど、実際には、政治軍事にたけたゴリゴリの戦略家で、シーア派とかスンニ派とか、宗派対立をあおることで分断を先鋭化させる選択肢はとらず、ひたすら革命輸出を国家戦略としていたイランの、豊富な資金の供給を巧みに取り込んで、なし崩し的にアルジェリアをイスラム化しようと、画策していた張本人だったんスよ。

 逮捕の理由って、国家当局に対する陰謀、とか、経済破壊、とか、国益を削ぐ反国家的宣伝活動、などなど、どっから見ても、民主国家転覆とイスラム革命の実行未遂犯だったんスよね。実際、民主国家を転覆したあかつきには、現大統領にかわり、神権国家の首班として次期大統領への就任が確定していた、まさに時の人だったんスよ。この重大ニュースが、国中を駆け巡って、市井の民のほとんどが肝を冷やす一方で、馬足を晒した原理主義者の中には、バレバレの底意を隠蔽したいのか、やたらと集団志向が蔓延して、ベールで髪を隠さない婦人を大勢でおそって折檻するとか、やみくもに酒類販売店を略奪するとか、乞食や物貰いをボコボコにして追っ払うとか、街の方々で、ヒステリックな反社暴力沙汰に走る連中が、日増しに増えていったんです。こんな事態を、独立戦争勝利の記憶も新しい軍が、放置しておくわけがない。国の主権を、反社的原理主義集団に明け渡すことなど、許容できるはずがない、じゃないですか。そして最後は、やっぱ、クーデタでした。

 といっても、よく目にし耳にする血みどろの、殺戮の政権交代劇、じゃなかったんスよね。まず現大統領に辞任を要請し、穏便に受諾させた後、FISが統括する市町村議会をただちに解散、従来通りの行政執行機関にもどし、そして、イスラム主義活動家を一斉検挙、投獄し、同時にFISを非合法化したんです。これって、政権奪取のクーデタでもなんでもなくて、単に、反社組織を完全に無力化する、ていう、治安維持のための国軍の作戦行動だった、といえなくもないし、この軍事行動が、一年半まえの地方議会選挙でのFISの大勝を期に、すでに国防頭脳レベルで精密に計算された、極めてクールで大胆な作戦だった、と思えなくもないんです。

 でも、実際はどうだったのか、だれも知らないし、真実がなんだったのか、なんて、だれにも分からないスよ。だって、そうでしょう、一党独裁の悪、なんてみんな騒いで、血を流して解放戦線政権は倒したけれど、民主化プロセスの渦中で別の独裁、宗教政権を生む状況になっちゃった。そして、それが生まれそうになったら、今度は、国軍が出てきてクーデタ。こうやって、結局、最後には、軍事独裁政権をつくりだす羽目になっちゃって、オマエら、いったい、なにやってんだ、ていいたくもなるでしょう。

 思い返してみると、細かい出来事それぞれには、事実もあれば真実もあるでしょう。でも、真実の細部をまとめたからといって、事実の詳細を積み重ねたからといって、その結果、真実の真相が浮かび上がってくるわけでもないし、事実の集大成が露わになってくるわけでもないんじゃないか、てことを、この五年間、この国がみっちりと開示してみせてくれた、って感じが、しないでもないんスよね。

 だって、ことの始まりを、民衆の一党独裁政権打倒の欲求としても、打倒された解放戦線一派が、温存した軍と巧みに連携して、イスラム原理主義の台頭をうまく誘導し、イラン型の宗教革命の恐怖を煽ることで、国防という大義名分のもとに、国の統治権を奪還した、これが、事実で真実だ、てなことも、いえなくもないわけでしょう? 解放戦線一派はこれでおおもうけ、民衆は尊い血を流しただけで大損、これが弱肉強食の世の常なんだ、なんてこと、したり顔でいったって、不思議でもなんでもないじゃなスか。

 しかし、ですよ、非合法化で撃沈されて、完全に無力化されたはずなのに、そのFISが、地下に潜行したイスラム原理主義の、不死身の特攻軍団として、ムクムクと、息を吹き返してくるんスよ。そんな現実を、まざまざと見せつけられると、マジ、本当のことって、いったいなんだろう、って、つい、考えこんでしまうんスよね。ただ、この時点で、まだオレ、この復活劇にたちあっていないんで、ここで、ウソかホントか、事実はどうだったんだ、なんてこと、いえるわけないんスよ。なので、マジ、ハナシがこんがらがるまえに、肝心のハッジのハナシに、戻ることにしたい、ておもうんスよね。

 で、オレ、クーデタの夜、ハッジはいなくなるな、て直感したんスよ。国軍憂国の士の反乱か、解放戦線一派の謀略か、はたまた、どっかの国の、何者かの企てた策謀なのか、たしかにいろんな憶測、あったとおもうんスけど、オレとしては、当面、ハッジの任務はおわったな、ておもったんです。アブダッラや長老たちのハナシから、ハッジは民衆の見方、とおおまかに理解していたので、国軍統治で事態が鎮静化したいま、なんの不自由もない、とはいえないまでも、神だ民主だのと、無益な暴力沙汰はほぼおさまったし、これといった不都合の気配もなく、いつもの平凡な生活はもどったし、それなら、自分の存在がまた必要になるまで、しばらく国を離れてみるか、などと、ヒトの内面に探りを入れて、自分勝手に想像していたんスけどね。
 
 だから、いなくなるまえに、一刻も早く、ハッジを、オヤジを、見つけ出さなければならない。固い決意でいたんですよ。とにかく、オヤジには、直接、会って、問いたださなければならないことがある。山ほど、ある。まず、なんでオレとオフクロを、捨てたのか? オヤジは民衆の見方、なんて、さっき、勝手な憶測しましたけど、若気の至り、とはいえ、最初はキューバに、弱気を助け強きを挫く、世直しの情熱をささげようとした、わけでしょう。その心情に、いつわりはない、とオレ、おもうんスよ。でもね、だからといって、それが即、家族を捨てる、てことに、ならないんじゃないか。この二つの間には、普通なら超えようもない壁が、あるはずなんです。
 
 もし、自分の心情の発露が、妻子と縁を切ることにつながるとしたら、オヤジは、普通なら超えられない高い壁を、やすやすと越えたことになる。そんな力を、いったいどこで、手に入れたんスかね。オレ、会ったとき、まず、絶対、こう聞こうと、おもってたんスよ。

「なんでオレたち、捨てたんだ? よくそんなパワー、あったよな」

 するとオヤジ、多分、こう答えるはず、なんですよね。

「パワーじゃないんだ。必然だったんだ」
「必然?」
「そうなんだ。キューバは巨大な国につぶされようとしていた。どんな些細なことでも、助けが必要だったんだ。だから、行かざるを得なかった」
「オレとオフクロにだって、助けは必要だった。なのに、キューバを選んだ。身内を捨てて他人を助ける親、そんなオヤが、どこにいる?」
「それは違う。キミたちには、数千年の歴史を誇る、日本という国家がある。それにひきかえ、キューバは、ほんの数年まえに、できたばかりの国だった。この両者を、アナロジックには語れない」

 ほら、あの世代お気に入りの、常套手段スよ。ヒトを煙に巻くレトリック。ヒトは攻撃するくせに、自分への批判は絶対ゆるさない。そんな二重基準に、丸め込まれてたまるものか。

「歴史ある国家だって? そんなこと、まだ小学生だったオレに、分かるわけ、ないじゃないか」
「いや、オマエはわかっていたはずだ。その証拠に、オレが家を出たあの朝、夜明けのほの暗い明かりのなかで、オマエは、二階の自分の部屋の窓から、出ていくオレのことを、じっと見ていただろ。忘れてないぞ。さすがはオレのムスコだ、そう思ってあの朝、オレはむしろ、安心して、出ていくことができたんだ」

 こんな屁理屈、許せるわけ、ないっスよね。だから、こう反論するつもりなんスよ。

「勝手に、ヒトのこと、決めんなよ。大のオトナに、コドモのきもち、分かるわけ、ないだろ」
「そうか」
「分かってんのか? おいてきぼりにされたコドモの気持ち、なんだぞ」
「そうか」
「まるで他人事だな。オマエが、おいてったんだ、オマエが」
「そうか」
「それに、なんだ、数千年の歴史を誇る国家、だって?」
「そうだ、ありがたいハナシじゃないか」
「ありがたい? そんなハナシ、いつ、どこで、してくれた? いつもいつも、オフクロとふたりで、日本のこと、クソミソにクサして、悪口ばっか、いってたくせに。歴史を誇る? 初めて聞いたよ、そんなセリフ」
「そうだったかな。あのとき、オマエ、何歳だった?」
「ムスコの歳も覚えてないのか?」
「たしか小学四年、くらいだったな」
「二年だよ、小学二年」
「ということは、七歳か」
「そうだ、それが、どうした」
「キューバでは、もう立派なオトナだな。キビ農園では、一人前の労働力だ。ハバナや都市部でも、みなすごいぞ。学校にいって勉強はする。だが、それ以外は家事労働だ。家族と自分のために力を尽くす。実に、充実した毎日なんだよ」
「充実? 単にビンボウなだけ、じゃないか」
「ビンボウ? ん、そうか。いい命題だ。充実した毎日はビンボウに由来する、ということだ。で、オマエはビンボウなのか、それとも、カネモチなのか、どっちだ?」

 また屁理屈、はじめるつもりかよ。そうはさせないぞ。

「家庭環境はビンボウそのも、いや、極貧もいいとこだ、オマエのセイで、不本意にも、片親だった、からな」
「ん、そうか。ということは、極めて充実した毎日を送っていた、ということになるな」
「冗談じゃないよ」
「ひるがえって、経済の方は、どうだったんだ?」
「金銭的には、恵まれていたよ。オフクロがいたからね」
「そう、母親が、しっかりしていたからな。感謝しなくちゃ」
「感謝? だれが、だれに?」
「オレもオマエも、母親に、感謝だ」

 これは、ないっスよね。ヒトって、どこまで無責任になれるんスかね。自分が捨てた息子に、育てた母親に感謝しろ、とは、いくらなんでも、恥ずかしくて、いえないんじゃないっスかね、まともな神経なら。こんなやりとりになるんなら、オレ、妻子を捨てた理由を聞くの、あきらめますよ。どうせ、訳の分からない屁理屈しか返ってこないって、明々白々ですもんね。なので、いきなりオヤジの、革命家としての、赤軍兵士としての、中身のあるキャリアについて、質してみようとおもってるんスよ。まず、やんわりと、アリコのお礼から始めよう、とおもってるんスよね、こんな風に。

「アリコ、贈ってくれて、ありがとう。あれ、ダッカからだった、よね」
「そうだった、かな」
「バングラデシュの、ダッカでしょ?」
「そうだな」
「なんで、ダッカ、なの?」
「なんで?」
「だって、アリコが届いてから何か月もたたないうちに、ハイジャック事件が起きたんだよ、あのダッカで」
「ふむ。そういうことも、あったようだな」
「まるでヒトゴトみたいじゃないか」
「みたいじゃなくて、まさにヒトゴトだよ。なぜって、オレには、まるっきり、関係ないことだからな」
「そうかな。オレ、直感したんだ」
「なにを?」
「パリでハイジャック事件のこと知ったときだよ。場所がダッカと聞いて、直感したんだ」
「だから、なにを直感したんだ?」
「この事件、絶対、オヤジがからんでる、ってね」
「バカな」
「きっかけは、オマエのパパは赤軍の兵士なんだって、ていう同級生の一言だったよ」
「赤軍?」
「それと、もうひとつ、もっと肝心なことがあったよ。テレビでハイジャック報道がもちきりだったある晩、食卓で、オレ、つい気になったから、オフクロに聞いてみたんだよ。パパって、ひょっとしたら、この事件で、ダッカにいたんじゃないの、てね。そしたら、オフクロ、オレが想像してたのとはまるで違う、ていうか、反対に、口の辺なんかに、うっすらと、笑いすら浮かべて、こういったんだ、かもしれないわね、てね。で、オレ、おもったんだよ。ハイジャックは、アンタがた二人にとって、異常な事件でもなんでもなく、起こるべくして起こった、いや、あらかじめ起こることが分かっていた、ごくあたりまえの出来事、だったんじゃないか、てね。そうおもったとき、若干七歳の小さなアタマにも、クッキリと明白な疑問がわいてきて、背筋がゾクゾクしたくらいだったよ。つまり、オヤジとオフクロが、この事件のことで、オレの知らないときに、このパリの、オレの知らないどっかで、定期的に会って、密かに準備を整えていたんじゃないか、ていう疑問だったんだよ」 
 
 ここまでいったら、オヤジ、どんな反応するだろうか。否定もしないし、肯定もしないだろうな。多分、気のすむまで喋れ、て感じで、適当に相槌、うってくるかもしれない。だが、そうはいかないぞ。オレたちの間には、無関心でいられるはずのない、歴とした存在があるんだ。そうさ、オフクロさ。それを、避けて、トボけられるとで、おもっているのか。

「な、そうだろ」
「なんのことだ?」
「そんな風に、ヒトゴトを装ったって、むだだよ」
「だから、なんなんだ?」
「アンタにもオレにも、避けて通れない旗門があるんだ、重大な旗門がね」
「旗門?」
「そうさ、オフクロの存在だよ」
「意味不明だな」
「オレが生まれたのはオフクロからだ」
「そりゃ、そうだ」
「オレを生ませたのは、父親である、アンタだ」
「それも、そうだな」
「いってみれば、二つの河が合流して、オレはこの世に生を得た」
「ふむ」
「アンタの流れは、オフクロという旗門を経て、オレへとつながり、オフクロの流れは、直接、胎内で、オレへとつながって、三本目の河になった」
「なるほど」
「ものの道理からいけば、この三本目の河は、さきの二本の流れを、そっくりそのままうけついだ混合流、ということになるはずなのに、実は、そうじゃない」
「なぜだね」
「いいか、オヤジ、五体満足の健康体で生まれたオレは、アンタとオフクロの、六十兆の細胞が共有する、人類五百万年の胎内記憶を、そっくりそのまま、たしかに、うけつぐことができたんだ。けれど、胎外記憶はどうかといえば、まるで、みじめなもんだったのさ」
「みじめ?」
「そうさ。オフクロとは、生まれて三十年以上は、同じ記憶を分かち合うことができたけれど、アンタとは、わずか七年だよ、記憶を共有する時間は、たった七年しかなかったんだ。しかも、ある日突然、腕をもぎ取られるみたいに、オレの胎外宇宙から、アンタとの記憶の交換機能が、遮断されてしまったんだよ。肝心の相手が、いなくなってしまったからね」
「よくわからんな。その、胎外宇宙、とかいうのは、いったいなんなんだ?」
「ヒトが、オギャーと生まれた瞬間から記憶しはじめる宇宙、のことさ」
「この世に生まれ出たときのことを、ヒトは覚えている、とでも?」
「意識に上る記憶って、ほんのわずかなものさ。ほとんどの記憶は、六十兆の細胞一つ一つが連還しあうことで、体中の細部に、あちこち、いたるところにセーブされて、確保されているんだよ」
「だれの学説だね?」
「だれのでもないさ。オレの実感だよ、オレの」

 ここでオヤジ、きっと、あきれてものもいえない、ってカオするだろうね。だから、すかさず、こう追及してやるんだ。

「アンタ、オレにダッカからあの手琴、アリコ、を送ってくれたよね。そのとき、オレの、なにを思い出して、オレとのどんな記憶をもとに、そうしてくれたんだ?」

 すると多分、オヤジは、なにも答えないだろうね。だから、またすかさず、こう問いただしてやるんだ。

「あれは、それまでのアンタ自身との、訣別のしるしだったんだよな。星空をみて美しいと感じる宇宙に、うんざりしてたんだよ、きっと。だから、とにかく破壊をモットーとする観念の宇宙に、猛烈に惹かれていったんだ。あのあと、すぐに、中東、近東をぬけて、アルジェリアにたどりついたんだろ? ハイジャック機の投降先を交渉するためにね」

 実際、オレの想像はこうなんスよ。キューバ支援に熱中する間は、まだ普通の倫理感はあったとおもうんスよね。革命の戦士として、いくらイデオロギーにどっぷり浸かって、生え抜きの観念に脳みそを染め抜くといっても、そう易々と、人格を変えることはできないんじゃないでしょうか。

 人格というのは、時間と空間が育み続ける心の総体ですからね。空間は、いくらでも過去と絶縁できる。でも、時間はそうはいかないじゃないですか。生まれてから死ぬまで、ヒトの時間は、継ぎ目なく、ずっと続くんですよ。途切れるときって、それは、ヒトが死ぬときじゃないですか。だから、この世に生きてるかぎり、人格は変わらないし、変えようもないんです。もし変えようとすれば、それまでの記憶、つまり、胎外記憶をフェイドアウトさせて、そこに、自分好みのニセの記憶をフェイドインする。それができれば、記憶や時間の入れ替えだって、できちゃうかもしれません。

 でも、そんなこと、できっこないスよね。不可能ですよ。脳の記憶野に直接メスをいれるとか、麻痺させるとか、なんらかの病理的な処置をとらないかぎり、記憶なんて消えてしまうもんじゃない。なぜかといえば、胎外記憶は、胎内記憶と、いつも通底しているし、連還しているからなんですよ。さっきもはなしましたけど、紅茶の香りとか、花粉のニオイとか、まぶしい光とか、美しい花とか、嗅覚や視覚や触覚や、体中の感覚を通じて、日ごろおもいもしなかった記憶が、突然よみがえってくる、みたいな経験、したことあるでしょう? それこそ記憶が通底して、連還しあってる現象のあらわれですよ。まだありますよ。たとえば、こんな経験ありませんか? 生まれて初めて見るものなのに、あれ、これってどっかで見たことがある、って感じること、あるでしょう? 日本語で既視体験、フランス語でデジャ・ヴュ、とかいうらしいんスけど、これなんか、胎内記憶がもろ胎外記憶にオーバーラップした、典型的な例じゃないでしょうか。

 だから、オヤジは、浅はかだったんスよ。ヒトの重層的で複雑怪奇な記憶機能の全体を顧みることなく、自分で、自由自在に、記憶の入れ替えや時間の操作ができるんだ、とおもいこんでしまって、しかも、それを実行してしまったんですから、世界を変革する赤軍の一兵士として。
 
 そういえば、チェ・ゲバラって、小学校のときのサミールていう同級生から聞いたんスけど、自らゲリラ部隊を率いてコンゴ民主共和国に行き、ゲリラ戦を展開したこともあるし、独立直後のアルジェリアに対しては、軍事顧問団を派遣したりして、新生キューバが追及する海外での農村ゲリラ革命路線に、全精力を集中していたようです。

 でも、さすがのゲバラでも、コンゴでは、失敗したみたいスね。あの国のヒトにとって、ゲリラ戦といえば略奪行動でしかなく、イデオロギーに根差した革命なんて概念、アタマの片隅にもなかったようですよ。いざ闘い、となると、タムタムで踊りまくり、トランス状態になって初めて出陣、てなわけですから、指揮なんかとれるわけがないし、作戦もたてられなければ統率もとれない。結局、ゲバラは、革命に向かないヒトたちもいる、と結論して、失意のもとにコンゴを去り、ボリビアに向かうんスけど、そこで殺されちゃうんですよね。これ、悲劇です。すごい悲劇ですけど、これがきっかけで、キューバも革命の輸出から平和路線へと、方向転換していくんスよね。
 
 オヤジが日本を出たころは、キューバ人のアメリカ亡命政策も終盤に近づいていて、武力革命の舞台はもうキューバではなく、社会主義平和路線のアジェンデ政権が成立した南米のチリでもなく、いさましく戦える場所は、近くになかったんです。で、やむなく、中東を選んだ、ということだとおもうんスよ。

 なぜかといえば、その二年前にテルアビブ空港乱射事件、その翌年にはドバイで日航機ハイジャック事件が、立て続けに起こっていたんです。首謀者は、もろ、世界革命を標榜する日本赤軍でした。触発されるのも当然ですよね。即、アラブゲリラ軍事訓練所で軍事訓練を受けたオヤジ、思想的にも肉体的にも、革命戦士として、メキメキ成長していったとおもうんスよね。軍事訓練といえば、レバノンでしょう。日本赤軍との混成部隊でドバイ事件をおこしたパレスチナ解放人民戦線の拠点だったし、志願兵の募集という点から、世界中に散らばる麻薬組織、ゲリラ組織や商社のネットワーク、国連専門機関や学術機関、そのほか諸々、蛇の道は蛇で、アクセスルートには事欠かない、お誂え向きの基地だったんスよね、あそこは。
 
 あっ、みなさん、見てください、あの窓の格子! 隙間から、ほら、星がみえますよ、星ですよ、星空です! 雪がやんだんです! ね、オレたち助かった、ということですよ、よかったっスね! これで明日は下山、ですよ、みなさん。おめでとうございます。オレは、脚折ってるんで、もち、下山できませんけど、すぐに、救援、送ってくれますよね、救助隊なり、ヘリなり、なんでもいいスよ。とにかく、オレ、この脚じゃ、なんもできないんで。え、そうスか! 下り次第、山岳事務所にかけこんでくださるんスね。ありがとうございます! ああ、これでオレも、助かるんだ。うれしいな、信じられないっスよ! もう、寝不足の心配も、いらなくなりましたね。みなさんも、眠る心配、いらないスよ。このまま徹夜しても、あしたは降りるだけですもんね。もっとも、眠ろうたって、眠れるわけ、ないっスよね、うれしくて。とすると、あれ? オレのハナシ、もう、必要ないっスね。もう、終わっちゃって、いいんじゃないスかね、途中だけど。え? そうはいかない? おもしろい? だから、最後までハナセって? でないと、ストレスが、たまる? そうスか、そうでしょうね。いやね、ちょっと長くなっちゃったんで、みなさん、退屈してらっしゃるんじゃないか、って、ちょい、心配してたんスよ。分かりました。この際、最後まで、行っちゃいましょう。それにしても、この星空、見てください、星が輝く夜の空、なんてステキなんでしょうね。闇に輝く希望の光、とでもいうんですか。こんなときって、つい、センチになっちゃいますよね。とにかく、ヒトと星と光、このつきあいって、長いっスもんね。太古の昔から、ヒトは、星の輝きや日の光を軸に、時をはかったり、海をわたったり、砂漠とこえたり、収穫を予知したり、自由奔放な神々を描いたり、お腹にいるときから生まれて死ぬまで、だれしも、しなやかで豊かな記憶を積み重ね、それをずーっと、引き継いできたんですよね。星の輝き、日の光、月の明かり、潮の満ち干。そうか、オレ、分かったぞ! 闇も光も、単独では、存在できないんスよ。光が輝くためには、闇が必要なんですよね。お互い、連還しあってるんですよ。昼があれば夜がある。昼があるから夜がある。昼は夜を軸に、夜は昼を軸に、こう、回転しながら、互いに、連還しあっているんですよ。   
 
 これって、永遠の連還、とでもいうんスか、おわりのない相対関係、とでもいえばいいんスかね。そういえば、天体の動き自体が、そうじゃないですか。オレたち地球は、月を軸に、月は、オレたち地球を軸に、そして両方とも、ともに太陽を軸にして、永遠の回転をくりかえしているんですよね。これ、ひよっとして、ヒトの世も、そうじゃないんでしょうか。東、西、南、北、左、右、上、下、ヒトはいつも、空間の両端にはさまれて、生きているわけでしょう。

 時間は、どうなんでしょう。ヒトは生まれて死ぬ。生まれたとき、タイマーにスイッチが入る。そして死ぬとき、スイッチがきれる。生と死、存在と無、ヒトはいつも、時間の始まりと終わりの間で、生きているってことに、なりますよね。とすると、ヒトの人格、つまり、時間と空間が育む心の総体を考えるとき、時間と空間の相関関係って、どうなってるんでしょうか。ヒトの記憶には、創造と生成の営みは刻み込まれているはずでしょうけど、破壊の観念となると、これ、刻まれていないんじゃないでしょうか。なぜなら、破壊は、胎内外の記憶として、創造と生成の営みとは、連還しあえないからですよ。この二つには、なんの相関関係もない。破壊は架空の観念にすぎません。いってみれば、太陽系の引力から切り離された、実体のない彗星、孤立した幻影記憶でしかないんですよ。胎内記憶、ヒトの根っこにある記憶から遠のきこそすれ、引き合うことはないんです。オヤジも、きっと、ベイルートの、砂と火薬にまみれた軍事訓練所で、この星空を眺めながら、自問したんでしょうね。この美しい星空と、自分の遂行する破壊任務が、どう関連し、どう連還しあってるのか、ってね。そして、自分が、この世のヒトの記憶体系、つまり歴史の体系から、完璧に排除されている、ていうことを、痛感したはずなんスよ。

 瞬間、オヤジは、スゲー絶望的な、救いのない気持ちに、陥ったとおもうんスよね。ヒトを救いたい心情が、世直しの思想に晒されたあげく、いつのまにか、ヒトの時空とはかけはなれた、ただ乖離するだけの破壊行為に堕していく。そしてその無様な様を、任務遂行のはざまではざまで、いやというほど、見せつけられていくんですから。だから、記憶の一部である息子のオレに、アリコをおくったんスよね。二度と戻れない過去の記憶と決別するために。そうなんスよ。そこんとこを、カスバで、直接、確かめたかったんスよね、オレは。
 
 さて、クーデタから一週間ばかりたった日の木曜日、殉教者広場のモスクでハッジが説教する、ていう情報が入ったので、ここぞとばかり、オレ、アタマのなかを十分に整理して、ギュッと気を引き締めて、行きました。本当は、しっかり変装して、信徒になりすましたかったんスけど、バレると袋叩きにあうかもしれなかったので、やめにしたんです。

 クーデタといえば軍事政権、てことで、市街は戒厳令なみの緊張感、とおもいきや、実際は、みな結構ゆったりした雰囲気で、カフェや街路のベンチでミント茶をすすったり、タバコふかしたり、してましたけど、それは表通りだけのこと。裏通りに入っていくと、あちこち、隘路にたむろするヒトたちも、だんだん増えてきて、路地と路地が交差する小さな広場なんかには、鋭い目つきの、腕っぷしの強そうな、顎鬚ぼうぼうの連中が、我が物顔で、大手を振って歩きまわるのが目立ってきて、もう、どことなくキナくさい煮詰まった空気が、ゆっくりと、だけど着実に、密度をせり上げていく、みたいな、皮膚に直接、こう、威圧感がせまってくるって感じが、ひしひし伝わってきたんです。

 オレ、何年かまえに、モーリタニアの市場で買った、ベドウィンが身に着けるサファリのショールをアタマに巻いて、半分、顔を隠してあるいてたんスけど、やっぱ、目立ったんスかね。顎鬚モジャモジャのオトコが、いきなり体ごとぶつかってきて、オレを路地陰に引っ張りむやいなや、押し殺した声で、こういったんスよ。

「こんなとこで、なにしてんですか!」

 聞き覚えのある声でした。

「よう! アブダッラじゃないか! 久しぶりー!」
「なにいってんですか! こんなトコで、なに、やってんですか!」
「どうしたんだ、その、オカシなモジャモジャのアゴヒゲは? まるで別人、だぞ」
「オカシイのは、そっちですよ。そのカーキのショール、アタマに巻くもんじゃないっすよ。サファリでは首に巻くんすよ、クビに」
「そうか、そんなにおかしいか」
「はい、目立ってます」
「そうか。うかつだったな。ところで、おまえ、いま、どこで、なに、やってるんだ?」
「モスクで、茶汲み、してます」
「チャクミ?」
「そうすよ。お説教にくる偉い先生がたの、お世話です」
「先生がた?」
「はい、大学の宗教学の先生とか、モスクやマドラッサの導師とか」
「あのカスバのハッジも?」
「もち、っすよ」
「今日も?」
「もち、っすよ」
「なあ、アブダッラ。オレ、頼みたいことが一つあるんだけど」
「なんすか」
「あのハッジにあえるよう、取り計らってくれないかな」
「もち、っすよ」
「そうか! ありがたい!」
「ただ」
「ただ?」
「ただ、ハッジは、あした早朝、お発ちになるんで、時間があるかどうか。今晩のお説教次第っすね」
「あす出発?」
「そうす」
「どこへ?」
「もち、ベイルート、すよ」
「やっぱりそうだよな。レバノン人だもんな」
「長老たちはそういってますけど、それだけじゃ、ないっすよ」
「だけじゃない?」
「メインはレバノン旅券っすけど、ちらっと見たかぎりでは、ほかにも何冊か、持ってらっしゃいますね」
「ほかにも? たとえば」
「クーウェートとか、シリアとか、フランスもありましたよ。それにモロッコ、モーリタニアも…」
 やっぱりそうか、ハッジは工作員だった!って確信しましたね。日航機ハイジャッカーが、まず投降しようと試みたのはクーウェートですよ。受け入れを拒否されて、次にトライしたのがダマスカス、シリアですよね。そこでも断られて、三度目の正直で受け入れてくれたのがアルジェリアだったんスよ。これで明確です。ハッジ所有の複数の旅券が示すもの、それはまさに、赤軍兵士の投降経路にかかわった複数の国、そのものじゃないスか。

「なるほど、そうだったのか」
「なにがっすか?」
「なあ、アブダッラ、おまえ、十何年かまえ、どこでなにしてた? そのころ、ハイジャックされた日航機が、アルジェ空港に来なかったか?」
「あ、よく覚えてますよ。おれ、アルジェ警察で警官やり始めたばっかりでしたから。日本人が投降する、ってんで、道路封鎖して待機してましたよ。よく覚えてます」
「当然、ハッジは、まだ、現れていないよね」
「もち、っすよ。ハッジは、まだ、ハッジじゃなかったっすから」
「えっ!」
「事務所の所長さんにスカウトされて間もなく、お客さんが来るからって、所長から空港に迎えにいくように、いわれたんすよ。で、迎えにいったら、あのハッジが、背広姿で、イミグレから出てこられたんす」 
「カオはどうだった? アジア人のカオだったか?」
「アジア人かアラビア人かインド人か、おれには、よくわかんないっすよ。白くなかったことは、たしかっすけど」
 ムリもないか。オレはオフクロ似で、かなりアジアっぽいカオしてますけど、オヤジは、いわゆる縄文系っていうか、けっこうデコボコした顔相でしたから、アブダッラみたいなマグレブ人に、区別できるわけもないっすもんね。

「そうだよな。で、所長が、迎えにいけと?」
「ええ、そうだったすよ。大切な客人だ、ってことでした」
「大切な客人?」
「そうっす。大切な客人っす」
「まあ、客人はみな大切だが。で、どっから来たっていってた?」
「ベンガジっすよ」
「ベンガジ?」
「そうっす、リビアっす」
「ベンガジ、トリポリ、アルジェ…で、航空機は?」
「アルジェリア航空でしたね」
「乗り継ぎのこと、なにかいってなかったか?」
「なにも。ていうか、おれみたいな運転手が、ねほりはほり、聞けないっしょ」
「それもそうだ。で、まず、事務所へ?」
「もちろん、まず、事務所っすよ」
「それから」
「1時間ほどっすかね、所長と降りてきて、まず日本大使館にいきました」
「日本大使館?…それから?」
「大使館は10分程度でしたかね。それから、イラン大使館に行ったすよ」
「イラン大使館?」

 ほら、ね、でしょう! おかしいでしょ! どっかから来た背広の紳士が、リビアで乗り継いでアルジェにやってきて、商社の連絡事務所に立ちよったかとおもったら、まず日本大使館に行ったんですよ。そしてそのあと、イラン大使館に行った、というんです。乗り継ぎに選んだリビアなんて、いまでも変わんないっスけど、ちょっと南下したら、もう延々、月の砂漠なんスよね。チュニジアとかアルジェリアとか、一応、国境はあるらしいんスけど、パウダーで白線かくようなもんで、境界線なんて、なきに等しいとこなんスよ。しかも、そのころ、日本赤軍とドイツ赤軍が、共同で軍事訓練する、戦略的な拠点にもなってたんスよ。世界同時武力革命、とでもいうんスかね、革命は銃口より生まれる、なんてファンタジーを、地で行こうとしてた連中の溜まり場、だったんスよね。

 さて、この背広の紳士がなにものか、みなさんには、もう、おわかりでしょう。日本赤軍の工作員以外の、なにものでもないじゃないっスか。その工作員が、商社とか在外公館とか、あらゆる実益社会のネットワークに食いこんで、弱者救済、世直し改革、パレスチナを救え! みたいな、ヒトのためミナのため世のめによい活動、をビジネスモデルに、ユスリ、タカリの収益拠点を、あちここちに、築いてきたんですよ。クーデタという、国家主権の危機に瀕するここアルジェリアでも、いままでしっかかりとやってきたし、これからもやろうとしてるんだ、てオレ、また確信しましたね。

「イラン大使館では、どれくらい待ったんだ?」
「長かったすよ。一時間くらいっすかね」
「ほう…。で、それから」
「そのあと、アルジェを見学したい、てんで、まずは殉教者広場だろ、ておもって、カスバの真下の、あの広場につれていったんすけど」
「けど?」
「や、なつかしいなぁ、なんて、しばらく車の中で外、みてましたけど」
「けど?」
「タバコ買ってくるよ、って、いきなり降りていったんスけど」
「けど?」
「そのまま、消えちゃったんす」
「消えた?」
「そうっす。二度と、戻ってこなかったっす」
「どういうことだよ?」
「わかんないっすよ」
「所長には連絡したのか?」
「もちっすよ」
「所長はなんて?」
「一時間待って、かえってこなければ、もういいよ、てことでした」

 やっぱりそうか。パレスチナで培った商社とのつながり、あのティパザの若い憲兵隊長にいわせれば、ニンジャのネットワークそのものを、思いきり利用して、日航機人質の解放と、現地在留邦人の安全をたてに、尻についた火が、人の命は地球より重し、の臆病風にあおられて、右往左往するまぬけな日本政府、その出先機関の在外公館を、やすやすと手玉にとって、おどし、すかし、二国間協力に揺さぶりをかけ、日本との交易を優先するアルジェリア当局をも巻き込んで、赤軍ハイジャッカーの投降と日本人人質の解放を勝ち取った、まさにその場所に、新たなタカリと収益拠点を構築するという任務遂行のため、この背広の紳士、つまり、オレのオヤジは、アルジェリアに戻ってきたんスよね。

「それが、後のハッジ、なんだな?」
「そうっす」
「いつ、ハッジだと、分かったんだ?」
「三年ほどたったころだったすよ。殉教者広場のモスクに、これ、持ってってくれ、って、所長が、おおきな封筒、おれにわたしたんすよ」
「封筒?」
「ひとりで用足ししてこい、なんていわれるの、はじめてだったんで、おれ、おもわず、これ、なんすか? て、ききかえしたんすけど」
「けど?」
「喜捨だ、モスクへの喜捨なんだ、門前にハッジが一人、いらっしゃるから、そのヒトにわたしてくれ、受け取りはいらないから、ていわれて」
「で、いったのか?」
「もちっすよ、仕事っすからね」
「で?」
「いわれるように広場にいってみたら、なんのことはない、ハッジは、あのときの紳士、だったんす」
「なんで、分かった、そのハッジが、あの紳士だって?」
「目で分かったすよ、目で」
「目?」
「マグレブ人は、ヒトの目に、敏感なんすよ」
「目に敏感? なぜ?」
「ファトマの手、知ってるでしょ?」
「ああ」
「掌に目があるっすよね」
「ああ」
「あれ、ヒトの目にきをつけろ、ってことなんすよ」
「どうして?」
「フェニキアから出てマグレブに定着した習慣なんすけど、ヒトが見るのはヒトのものを盗むため、ということで、ヒトの目には用心、用心、てことす」
「日本では、ヒトを見れば泥棒とおもえ、という諺があるが、おなじことかね」
「そこは分かりませんけど、とにかく、マグレブ人は、いちど会ったヒトの目は、絶対、忘れないんすよ」
 
 マグレブのハナシになると、やたら饒舌になるヒトが多いなかで、アブダッラは、人一倍、ていうより、むきになってはなしたがる方でした。それだけに、自分でもヤバイ、とおもったんスかね、急におしゃべりやめて、そわそわしだしたんです。

「おれ、そろそろ、いかなくちゃ。説教はじまっちゃいますんで」
「ちょっとまってくれ。ハッジに会う件、どうすりゃ、いいんだ?」
「そうっすね。カスバのカフェ、あのカフェで、まっててください。おれ、連れてきますから」
「カフェでまつ? そうか。わかった」

 そして、オレの納得を待ちかねたみたいに、アブダッラ、最後に、こういったんスよ。

「とにかく、この国から、できるだけ早く、出た方がいいっすよ。すぐにでも、帰った方がいいっすよ。じゃあ」
「帰る!? どこへ?」
「母国ですよ、日本ですよ! それじゃあ」

 ずいぶんおかしなこと、いうじゃないか。でしょう? どこにいようが、いまいが、オレの勝手じゃないっスか。だから、なんでそんなこというんだ、って、問いただしたかったんスけど、路地陰からとびでたあと、アブダッラは、人の群にまぎれこんでしまって、どこを探しても、もう、みつかりませんでした。

 こうなると、腹を決めて、長老たちが、夕餉のひと時をたのしんでいた、あのカスバのカフェで、辛抱強く、まついがいにない。そう考えたオレは、殉教者広場をあとにして、カスバの路地を、上っていきました。日はとっぷり暮れ、あたりは真っ暗、星なのか、月なのか、折り重なる屋根屋根の隙間から入ってくる、ほんのりした明かりが、すり減った路地の石畳を、かろうじて、照らしだしていました。時間を稼ぐため、そこらあたりを、しばらく、うろうろしてから、いきました。夕餉のカフェは、あいかわらず、長老たちで、にぎわっていました。オレを見るなり、みな、手を差しだして、大歓迎してくれました。けれど、いったん、ハッジやアブダッラのことになると、一切、触れたくない、て感じで、かたくなな態度にかわってしまうんです。妙だな、ておもって、オレ、店主に聞いてみたんです。

「アブダッラと、ここでまちあわせ、したんですけど、まだ、来てませんか?」
「アブダッラ? どこのアブダッラだね?」
「いや、あの、ずいぶんまえになりますが、ここで、一度…」
「お客さん、いいかね、カスバのてっぺんから、砂利石を投げてみればいい。投げた石は、全部、アブダッラに当たるってもんだがね。ワッハッハ…」
「はぁ…」
「ずいぶん、まえになるが、たしかに、いたね、お客さんとここで、いっしょにいたアブダッラてヤツがね。うろ覚えで、正確じゃないが、たしか、大統領選挙のハナシとか、イラン革命のハナシとかで、夢中になってらしたがね、二人とも」
「そ、そうです、そのアブダッラです!」
「そいつなら、もう半年、いや、それ以上になるかな。ずっと、ここには来てないがね」
「え?」
「どうも、わるい友人ができたらしい。不信心ものになったらしい。そう聞いたがね。もう、ここへはこない、というか、これない、というか、来たら、みなに、追い出されるがね」
「追い出される? ど、どういうことですか?」
「お客さん、アゴヒゲ族、ってご存じかね?」
「アゴヒゲ族? ここに、顎鬚はやしてるヒト?」
「そうだがね」
「それが?」
「FISが、地方選挙で大勝したころから、ぽつぽつ、地方のそこここで、出はじめた、若い連中の流行ていうか、トレンドていうか、簡単にいえば、原理主義にかぶれた連中の、ライフスタイル、ていうのかな。ワシらには、ようわからんけど」
「でも、それって、若者の特権て、いいますけど」
「まあ、お客さんの国では、そうだろうがね。しかし、大統領選でFISが勝ったころから、アゴヒゲ族が増えに増えて、しかも、クーデタで、非合法化された、ときたもんだから、特権なんて、悠長なこと、いってられない事態に、なってしまったんだがね、ワシらのクニでは」
「ハッジは、どうおっしゃってるんですか?」
「ハッジ?」
「ええ、あの、みなさんが尊敬しておられた、伝道師のハッジですけど」
「ハッジを尊敬しとらんものは、おらんがね」
「もちろん、聖地メッカに巡礼されたヒトのことを、ハッジとして、みなさんが敬っておられることは、よく知ってます。いま、いってるのは、あの、レバノン国籍の、伝道師のハッジ、のことなんですが」
「レバノン国籍?」
「そうです」
「そんなハッジ、知らんがね」
「えっ!?」

 オレがびっくりするのをよそに、店主は大声で、みなに聞いたんですよ。

「みなさん、きいてくれんか。こちらのお客さんが、知りたいっておっしゃるんで、ちょっとお尋ねしたいんだが、みなさんのなかで、どなたか、レバノン国籍のハッジ、のこと、ご存じのかた、いらっしゃるかね?」
「…」

 だれーも、なにーも、反応しなかったんスよね。沈黙が、しらー、と店内を覆いました。そのとき、オレ、直感しましたね。だれも、なにもいわない、それって、みな、なにかを知ってる、てことでしょう? じゃあ、そのなにかって、なんだろうか? つまり、そのなにかって、知ってしまうと、超、まずいことになってしまうコト、なんスよね、きっと。それって、なんなんでしょうか? いうまでもなく、クーデタで実権を握った軍事政権が阻止したかったもの、そのもの、にきまってるじゃないっスか。

 アルジェリアが、イスラム原理主義によって専制的に統治されるような事態、つまり、神権政治への誘導を阻止すること、具体的には、この国のイラン化を食いとめること、ですよね。とうことは、ですよ、あのハッジ、地域住民に教えを広め、ひとびとの生活を支援し、緊急時の助けに腐心し、日々の病をいやし、おしみなく徳をほどこすことで、みなの尊敬を集めていいたあのハッジが、軍事政権が阻止しようと目論む、アルジェリア国家のイスラム原理主義統治を、実は、ひそかに画策していた危険人物だった、ていうことに、なっちゃうじゃないですか。 

 オレ、考えこんじゃったスよね。虐げられ、抗い、迫害されながら、なお強い者と戦おうとする弱い者たちに想いをよせ、健気で愛おしいキューバの民だからこそ、かれらを救えと、オヤジを世直しの旅にかりたてたあの初々しい精神、それを、遇直に生きることしかしらない民をだまし、見下し、蔑み、愚弄し、担ぎ、食い物にし、洗脳し、悪しき破壊の路へと扇動し、やがては神の名のもとに生殺与奪の実権を手中におさめて、世界を牛耳る支配者たらんとする、真逆の精神に豹変させてしまう、この精神的土壌は、どこで生まれ、いつから育まれてきたんスかね? 

 悪しき破壊への路、これって、ホモサピエンスの記憶には、ないっスよ。もし、あったら、ホモサピエンスは、とっくに、滅びていたにちがいありませんから。だって、六十兆の細胞は、生きるために生まれてきたのだから、生きる細胞と連還する感性や精神も、生きようとし、そして生きてきた記憶にしか、働きかけないはずじゃないですか。もし、万が一、その一つ一つが、互いを抑圧し、殺しあうために働くとしたら、それは、呪われた、ただただ邪悪な疫病かなにかが、瑞々しい感性や豊かな精神の土壌にとりついて、生まれてから死ぬまで、という一連の時の流れを、ありもしな仮想の時に映しかえて、流れを真逆に誘導してしまった、ということになりはしませんかね。

 つまり、生きようとするものを殺し、死をよみがえらせる。生から時間を奪いとり、無時間の観念にニセの息吹をふきこむ。瑞々しい生体系は、その記憶の枠外を巡る無記憶の疑似体系によって、支配される。こうして、艶やかなリンゴは、無記憶の忌まわしい引力に引っぱられて落下し、腐り、朽ちてしまう。怖いっスね、恐ろしいっスね! オレ、ほんとに恐ろしくなって、背筋に寒気が走って、ブルブルッ、てしたんスけど、そのとき、カフェの入り口にガキが二人、でかいのと小っちゃいのがいて、二人してオレに向かって親指を立て、コッチにこい、コッチにこいって、合図してるのに気がついたんスよ。

「なんだよ?」

 オレ、つい、反応してしまいました。

「なんの、用、だよ?」

 するとガキどもは、押し殺した声で、口そろえて、こういったんですよ。

「ハッジ、いるよ、ハッジ、帰ったよ。連れてってやるよ!」 
「ハッジって、あのハッジが、帰ってこられたのか?」
「そうだよ」

 オレ、ハッジの家がどこなのか、もう知ってたので、カフェから飛びだすや、一目散で走ってこうとしたんスけど、いきなりガキどもに、止められたんスよ。

「そっちじゃない、そっちじゃないって!」
「なに!」
「ハッジの家じゃないって! アブダッラの家だよ!」
「アブダッラの?…」

 残念ながら、オレ、知らなかったんスよ。あれだけ付きあっていながら、アブダッラの家について、話したことも、考えたことも、なかったんスよね。

「そうか。なら、連れてってくれ!」
「いくら、で?」
「なに!」
「ディナールだよ、行きたきゃ、ディナールだよ」

 くそガキめ、人の足元、みやがって! 外国人とみりゃ、タカるモンだとおもってやがる!

「いくらだ!」
「五十ディナールだよ」
「バカいえ! せいぜい十ディナールだ」
「じゃ、三十!」
「だめだ」
「なら、連れてって、やんない」
「くそっ!」

 タカるワザは、しっかり身に着けてやがる! オレ、上着のポケットを探えいました。すると、幸か不幸か、ちょうど十ディナー札が二枚、くちゃくちゃになって出てきたんスよ。

「ほら、ひとり十で、二十だ! これ以上も以下も、ないぞ!」
「チッ!」

 わるガキども、おそろしく不満そうなカオつきしてましたけど、しぶしぶ納得してくれたのか、こっち来い、こっち来い、といいながら、走っていきました。これで逃げられると、やらずぶったくりだ、冗談じゃない! オレ、脱兎のごとく、後を追って走りましたね。走りながら、たった二十ディナールで、よくもこれだけ真剣になれたもんだな、って、われながら、カオが赤くなってきましたよ。だって、二十ディナーって、日本円にすりゃ、五百円にもならないんスからね。でも、肝心なのは、オヤジにあうことなんだから、なにも恥じることはない、って自分にいいきかせて、スバシっこい野良犬みたいなガキ二人を、夢中でおっかけました。路地角をいくつ曲がったか、どこをどう走ったか、まるで見当つかなくなったころ、二人はやっと走るのをやめて、オレにふりかえりました。

「ここだよ」

 そこは、比較的広い路地で、せり上がった漆喰の壁は白く、わりと開けた星空から月明かりが差しこんで、アーチ形にはめ込んだ緑の扉を、ほんのり照らしていました。カスバの、古くて汚れた路地裏にはそぐわない、こじんまりした、ちょっとした雰囲気の、木の扉だったんスよね。オレ、どうしてか、アブダッラらしいな、ておもっちゃったんスよ、そのとき。だから、これもなぜか、なんスけど、ガキ二人がいなくなった後も、ちょっと安心した気になって、というより、放心したみたいになって、しばらく緑の木戸を、ながめていたんスよね。これからオヤジに会おうってのに、直接カオを見ようってのに、劇的で運命的な再会になるはずなのに、なぜか、ぜんぜん気持ちが高ぶってこなかったんスよね。どうしてかな、待ちすぎたからかな、なんて、それまでのことをふりかえりながら、一時、ぼんやりしてたんスけど、ふと、あれ、とおもったんスよ。

「ひょとして、だまされた、か…」

 オレ、緑の木戸にとびつきました。そしてドンドン叩き、アブダッラ、アブダッラ、って、叫んだんです。

「オレだ、オレだよ、事務所のオレだよ!」

  だれも、なにも、こたえませんでした。木戸の向こう側に、なんの気配もありませんでした。やっぱり、やられたか!
 オレ、悔しまぎれに木戸をたたき続けました。すると、そのうち、周り近所の住人が出てきて、さんざん叱られる羽目になっちゃたんスよ。

「うるさいぞ!」
「いったい何時だとおもっとるんだ!」
「人の迷惑、かんがえんか!」 
「すみません、うるさくして!」
「こんな時間に、なにをしとるのかね?」

 年配の、長老っぽいひとが、聞いてきました。

「すみません」

 オレ、姿勢を正して、こたえましたよ。

「実は、アブッダッラというひとに用があって、ここに住んでいるときいたもんですから、会いにきたんです」

 そしたら、老人、怪訝そうな顔つきで、こういったんスよ。

「そこは、軍の駐屯所の地下室だがね。ひとは住んどらんよ」
「えっ!」

 オレ、おもわず、のけぞりました。

「ここって、民家じゃないんですか?」
「ほれ、上をみなされ。国旗がたなびいとるじゃろが。カスバは、斜面になっとるから、こういう構造にできとるんじゃ。この路地をまっすぐ登れば、カスバの城門にたどり着く。その脇に、この国軍の施設があるんじゃよ。つまり、あんたは、建物の真下から、こうして見上げとるので、全体が見えんのじゃよ、全体が。お分かりかな?」
「全体ったって、こんな路地ばかりのところから、全体が見えるわけ、ないっしょ!」
「だから、上に行きなさい、といっておるんじゃ。城門まで行きなされ。そしたら、全体が分る、見えてくる」

  なるほど、理屈だな、て、おもいましたよ。全体をみるには登ればいい。そりゃ、そうだ。オレ、老人に礼をいって、すぐ路地を登りました。すると、なんと五十歩もいかないうちに、城門にたどりついたんですよ。そして、そのすぐ脇に、さっき老人がいったように、見るからに頑丈な、石造りの立派な施設が建っているのが、目に入ったんスよね。
 
 考えてみれば、オレ、この施設のことは、知ってたんスよ。国道や県道や農道が、カスバの城門を境に数本、ブリーダ方面に延びていていたんスよ。だから、建物のことは、仕事中に、上から、しょっちゅう、見てたんスよね。ただ、警察関係の建物だとばかりおもってたんで、この際、軍の施設かどうか、たしかめてみよう、とおもったんスよね。なので、門扉から奥にみえる正面玄関の看板を、目をこらして、しばらく眺めていたんスけど、ほんのりした月明かりだけでは、たしかめるのはムリでした。あきらめて帰ろうとおもったとき、いきなり門扉の鉄格子が、キン、キン、キーン、と、鋭い音をたてたかとおもうと、硬い塊が、左右、背後から、ピュン、ピュン、飛んできたんです。石コロでした。だれかがオレめがけて、石コロ投げたんスよね。ヤバイ! とおもって振り返ると、暗闇の中をバタ、バタ、バタッ、と逃げてく人影がみえました。あのワルガキどもです。あいつらが、仲間を集めて、襲撃にきたんスよ。といっても、悪意はないんスよね。ただただ、相手になってもらいたい、それだけ、なんスよ。ヒトの気を惹くためにワルサをする。された当人はハラを立てる。怒こる。怒鳴る。追いかける。ほら、しっかりと、相手になってくれるでしょう。だから、やめられないんスよ、あいつらには。

「コラーッ!」

 オレ、叫びながら、逃げる影を追って、ダッシュしました。でも、あっという間に、いなくなりました。カスバの路地裏から施設に通じる路が複数あって、そっから消えちゃったんスよね。施設前の路は、けっこう広くて、その上、直線道路なみに真っすぐだったから、見通しはきいたんです。だれかいれば、すぐに分かるはず、だったんスけど、だれもいないんですよ。なのに、どっかから、また石コロが飛んでくる。その数も半端じゃない。

「コラーッ!!」

 オレ、目に見えないワルガキども相手に大声だして、直線道路をダッシュしました。だれもいません。気配もありません。まるで忍者っスよ。何度かくり返したあと、オレ、あきらめて帰ろとしたんスけど、そのとき、また石コロの雨が、ふってきたんです。

「コラーッ!!」***

  怒鳴って追っかけて、怒鳴って追っかけて、そんなこと、何回か繰り返すうち、また近所の住人達が出てきて、なにごとだ、うるさい、このご時世に、人迷惑な、静かにしろ、と、さんざん非難を浴びせてきたんです。そうなると、もう、いいわけは通用しませんもんね。ただひたすら、すみません、すみません、アフォワン、アフォワン、と、あやまるばかりでした。そんなとき、後ろからオレの肩を、パン、とたたいて、ギュッ、と掴んだヤツがいたんです。すげー力で、もうれつ痛かったんで、カーーッとなって、オレ、振りかえりざま、肩を掴んだ手をもぎ取って、怒鳴りつけてやろうとしたんスけど、その前に、ヤツの方が、声をかけてきたんスよ。

「おや、ジャポネだね。ひょっとして、あのニンジャ、かね?」
「?!…」

 頑丈な体躯に、カーキのガンドゥーラをザックリはおった、いかにもガチ兵士、て感じでしたが、月明かりに照らしてよくみると、いかつい顔に似合わず、柔和な笑みさえ漂わせて、こう話しかけてきたんですよ。

「ほら、わたしですよ、ティパザの検問で、いろいろ、話したでしょ」
「おーっ、あのときの、コロネル!」
「そうです。コロネルですよ。しかし、どうしたんですか、いまごろ、こんなところで?」
「いやね、たったいま、石をぶつけられたもんですから、投げた連中を追っかけ、叱ってやろうとしてたんですよ」
「それはそれで、結構だが、いま、アルジェリアが、どういう状態か、ご存じかな?」
「もちろん、知ってますよ。国会議員選挙のあと、クーデタがあったんでしょ」
「そうです。いま、わが国は軍政下で非常時、つまり、当たり前のことが当たり前にできない状態で、外出もままならないんです」
「外出禁止令が出てますよね。よく知ってます。まだ少し、時間、残ってますけど」 
「時間を守れば安全、てもんじゃ、ないんですよ。不審者がいれば、いつでも銃撃できる、といことなんです」
「不審者?」
「はやいはなし、いまの、あなたのこと、なんだが」
「えっ?」
「夜陰に乗じて駆け回る、怪しい人物、しかも憲兵隊の駐屯所の真ん前で。おまけに大声だしたり、怒鳴り散らしたり」
「はぁ」
「ほら、みなさい、これを」

 コロネルは、ガンドゥーラの端をめくって、その中をみせてくれたんスけど、なんと、カーキの軍服姿に、肩から自動小銃を下げてたんスよ。ブルッと、背筋に戦慄が走りました。コロネルは、オレを撃つ気で、出てきたんスよね。

「ちょ、ちょっと、聞きたいことが、あるんですが…」

 手先のふるえがバレないように、オレ、平気をよそおって、コロネルに聞きました。

「あの日、ティパザの検問ではなしたハッジのこと、覚えてますか?」
「あのレバノン人のハッジのことかね。覚えてる、覚えてるよ」

 ずいぶん、軽い、反応でした。

「しかし、あれは、もういないよ」
「えっ?」

 軽いわりに、中身は重大でしたね。

「いないって、どういうことですか? レバノンに帰国した、ということですか?」
「いや、むしろ、テヘランが引き取った、ということかな」
「テヘランが引き取る?…」

 ずいぶんなコトを、ずいぶん荒っぽく、暴露しちゃうんですね。一国家が一伝道師を引き取る。国家間の機密事項もいいとこじゃないっスか。それを、オレみたいな一外国人に暴露する? オレって、そんな重要人物でもないんスけどね。

「なんでそんなハナシ、そんなに簡単に、暴露、しちゃうんですか?」
「このまえもいったがね、ジャポネは政治に絡まない、からね」
「なら、ハッジはどうなんです?」
「あれはジャポネじゃない」
「いや、ティパザでは、コロネル、こういいましたよ。どう疑っても、挙動からしても、明らかにジャポネそのもの、と分析できるが、国際法上、歴としたレバノンだ、てね」
「だから、ジャポネではない、ということじゃないのかね」
「なら、どうしてテヘランに、売り渡したんですか?」
「売り渡す? だれもそんなこと、しとらんよ。第一、ハッジに前科はない」
「でも、テヘランが引き取ってくれた、って、いってたでしょ?」
「意味がちがう」
「どういう意味なんですか?」
「つまり、革命防衛隊が、勝手にきて、勝手に連れてった、てことだね」
「そんな」
「よくあることだがね」
「ほんとは、拉致されたんじゃ、ないんですか?」
「そうじゃない。拉致は主権の侵害になる。それは許さない」
「じゃあ、なんでいなくなったんですか?」
「軍事政権になって、出入国がきびしくなったので、なかなか帰れない。そこへ、防衛隊のチャーター機がきたので、もぐりこませてもらった、ということだろうね。これで当局としても、顔が立つ」
「ということは、いずれ、ハッジが厄介者になる、って、うすうす気がついていた、ということですね?」
「アブダッラよりはランクは上だったね」

 そうか、コロネルはアブダッラも知ってたんだ。

「実は、いま、アブダッラの家を探して、ここまできたんですけど、コロネルは、アブダッラの家、知ってますか?」
「知ってるが、もういなくなったようだね」
「いなくなった? どうして?」
「知るわけないが、おもうに、FISの非合法化と、どうもリンクしてるようだがね」
 
 それ聞いて、オレ、すごく納得しましたね。これ以上、確かめるもの、なにもないな、ておもったスよ。アタマんなかで、もやもやしていたものが、サーッと消えて、事の背景が、俯瞰図みるみたいに、パッ、と、クリアに、理解できたんです。一瞬だったスね。

 要は、ハッジは、つまりオレのオヤジは、反社、つまり、反社会的勢力の一員、てうか、組織の一味、ていうか、和風にえば、今時ヤクザの組員だった、てことですよ。かって強きを挫き弱気を助く、の正義感で脱皮した初々しい義侠の精神が、いつのまにか空疎で邪悪な思想観念に浸透されて、生身の知恵や知識が言葉巧みに絡めとられ、結果、親からもらった才能の、正しい使い道を見失ったあげくに、いじめ、ゆすり、たかり、うそ、悪だくみ、人身売買、拉致、計略、陰謀、謀略、裏切り、ひいては破壊と殺戮が、あたかも社会正義実現の方程式であるかのように思い込まされ、最終的に、弱きを挫き強きを助く、なんていう、目くらましの、邪悪で倒錯した精神にすり替えられてしまってるんですよ。

 なのに、そのことに気が付かない。

 平然と正義を貫いていると思い込んでいる。このバカバカしさ、愚かさ! 恐ろしいっスよ! オレね、ひょんなことから、こんな風に、みなさんに話しかける機会をもっちゃったんスけど、いろいろ話してるうちに、ホント、いろいろ、分りかけてきたんスよ。なにが、って? そうスね、それについて、ちょっとハナしていいスか? どうも、ありがとうございます。すぐに、おわりますから。

 みなさん、メビウスの輪って、知ってるでしょ? アレって、専門的に扱うと、こんがらがって分かんなくなっちゃうんスけど、簡単にいうと、裏と表が連還した世界、なんスよね。どこで、どうやって、連還するのか? てきかれたら、これまた、うまく説明できないんスけど、しいていえば、たとえば、道路を歩いていたら、いつの間にか道路の裏側を歩いていて、そのまま歩いていくと、いつの間にか表側を歩いている、て感じのこと、なんスよね。これって、頭でですよ、イメージするの、とってもむつかしんスけど、そんなときは、思いきりややこしく考えた方が、ものごとを理解しやすくなる、てこと、どっかの天才がいってたんで、そのまねをしていえば、ですよ、たとえば、胎内宇宙と胎外宇宙って、みなさんに何回か、話しましたけど、覚えてますか? そうです。母親の胎内のことを胎内宇宙といい、そこで獲得した記憶のことを胎内記憶と呼びます。また、生まれたあとのことを胎外宇宙と呼び、そこで得た記憶のことを胎外記憶と呼びます。そういいましたよね。
 
 そこで、さっきのメビウスの輪にもどりますと、ヒトは、いつも、胎内宇宙と胎外宇宙を、つまり、宇宙という路の裏と表を、またぐことなく、ひたすら歩いている、ということなんですよ。ということは、ヒトは、胎内記憶と胎外記憶を、いつも連還させて生きている、ということになりはしませんか? 

 記憶には、胎内で獲得したホモサピエンスの生命の記憶と、胎外で得た、生きる知恵とか知識とか、美とか技術とか、人間にしかかかわりのない存在の記憶があって、ヒトは、この二つの記憶を、またぐことなく、ひたすら連還させて、生きているんですよ。縄文時代の土偶なんて、まさにそうですよね。母親の出産文で赤んぼの顔が出かかってる器があるでしょう。あれは、胎外宇宙に造形化された胎内記憶そのものの表出だと、おもうんスよね。実際、一万年前のヒトは、胎内の、そして生まれる瞬間の記憶を、心の内にかかえたまま、生きていくことができたのかもしれません。生命の記憶と存在の記憶が連還するんです。でも、それが、やがて、むつかしくなるんスよね。なぜか? 時間とともに、ヒトは言葉を発明し、実をともなわない観念というものを生みだし、それが、胎内記憶とシンクロできない胎外記憶を捏造しはじめるんスよ。でも、それは、すぐに消滅する運命にあるんです。なぜって、実体のない観念は、生の裏付けのない架空の記憶を量産するけど、やがてそれは、内外記憶のメビウスの輪を跨ぎ、踏み外し、逸脱して、どこかの宇宙の果てに、去っていってしまうからなんです。

 ここで、あのハッジの、オレのオヤジのことに、戻りたいんスけど、自分は、親からもらった生命の記憶を後生大事に、忠実に、傲然と生きてるくせに、いざヒトのこととなると、生命の記憶なんか、まるっきり無視し、ないがしろにし、あげくに、亡き者にしてしまうことで、倒錯した、実体のない存在の記憶しかもてない、いや、もたなくてすむ生き方しか、できなくなってしまってるんスよね。たしかに生命記憶は受け継いでいる。しかし、それと一体化し連還できる存在記憶を、意志的に切り離して生きることを選択してしまった。そこに、オヤジの、悲劇があるんスよね。ただ、本人は、そこに、なんの悲劇も、みてないでしょう。普通なら、生命と存在の両記憶を一体化することに、生の重みを感じるはずなのに、二つの記憶の明確な分断こそ生の核心的目標だと、思いこんでしまっているわけですから。

 ダッカから、オレにアリコを送りつけたとき、オヤジは、自分の存在の記憶から、オレというガキを生んだ自分の生命の記憶を切りはなすことで、存在者として自立しようとした、とおもうんですよね、きっと。でも、とんでもない勘違いだったんスよ。だって、生命と存在は表裏一体なのに、存在だけを切りはなしたら、どうなっちゃうんですか? 存在だけ、宇宙のかなたに、消えていかざるをえないじゃないですか。それを理解できなかったんです。どうしてか? 自分が消滅する直感は、生命の記憶の側にしか、ないからなんですよ。だから、存在記憶が、いったん生命記憶から引きはがされたら、終わるということが分らない、つまり、完璧な終わりなんですよ。
でも、終わりじゃなかった、いや、終わりたくなかった、オヤジは。それが分ったのは、その日から数日たった、木曜日の午後のことでした。

 カスバをおりてアルジェ大学前の大通りを下り、真っすぐ海側に向かったところに一本、同じように広い道路が通っていて、その海側に警察署の建物、カスバ側に外為銀行の建物が、向き合った格好で建っていました。両方ともフランス植民地時代に建てられた堅牢な石造りの建造物で、警察署は、威風堂々としたコロニアル様式をそのまま継承し、外為の方は、一階の外壁のみ、大理石にふき替えた、シックなモダン様式のビルになっていました。

 その日、新規販売予定のデモ車を一時輸入車として、特別措置あつかいしてもらう交渉で、外為銀行にいったんです。ちょうど9時半ごろでしたかね、輸出入担当主任に声かけしたあと、頭取室にいこうと、総大理石張りのロビーをエレベーターに向かって歩いているときのことでした。オレの前に、白装束の男が一人、たちはだかったんスよ。ギョッとしてみると、カーキのショールで頭部をまとったその顔は、いくら顎鬚に覆われていても、すぐに、アブダッラだ、て分かったんスよ。オレ、カスバですっぽかされて、がかりしてたもんで、見境もなく、いきなり、まくしたててしまったんスよね。

「よ! アブダッラじゃないか! この前は、さんざん探したんだぞ! なんで、黙って、いなくなっちまったんだよ!」

 アブダッラは、顔色一つかえず、オレの手に白い封筒をねじ込むや、主任もろとも両の腕にかかえこんで、ダダダーッと、ロビーの奥までタックルですよ。そのはずみで、三人とも、大理石の床に、踏みつぶされたカエルみたいに、たたきつけられてしまったんスよね。
 
「なんだ! 気でも狂ったのか!」

 まるっきり虚を突かれ、オレ、反射的に、アブダッラを突飛ばそうとしたんスけど、そのとき、ですよ、そのとき、白装束のトープの内側に、硬い長い、太い金属のようなものを、隠し持ってるのに、気がついたんスよ。それは、まぎれもなく、自動小銃らしきもの、でした。一瞬、恐ろしい予感がして、ゾゾーッ、としましたね。全身の力が抜けちゃって、起き上がることもできなくて、どうにもなんなくなっちゃったんスよ。でも、口だけは動かせたんでしょうね、気がついたら、こう呟いてました。

「おまえ、まさか、あのイスラミ…」

 いいおわるか終わらないうちに、いきなりドドドーッ、ズドズドズド、バリバリバ、ギューン、キューン…火薬の爆発音や破裂音の混じった、耳をつんざく轟音で体中がフリーズ、なにがどうなってるのか、なにがなんだか、わかんなくなっちゃったんスよ。手足がわなわな震えて、どうしようもなかったけれど、なんとか床に伏せたまま、おそるおそる、周りをみたんですけど、銀行の目の前の、警察署の石壁が、銃撃を受けて、ピョン、ピョン、ピシッ、ピシッ、と鋭い音をたて、壁面から煙を挙げていました。砕けた石のかけらが、そこら中に飛びちって、ブルーの警察官が何人か、血みどろで、倒れてました。武装集団におそわれたんスよね。急襲されて警察も、痛手を負いながら、ようやく、負けじと応戦し始めたらしくて、銀行の側にも、銃弾が、ピュン、ピュン、ピュン、と打ち込まれてくるんスよね。入口の扉、窓、いたるところのガラスが割れ、壁や石がえぐられ、細かい破片が宙を舞い、館内いっぱいに煙が漂ってました。主任とオレは、アブダッラが引き倒してくれたおかげで、流れ弾に当たらず、助かったんスけど、そこここに、血みどろになった行員が、おおぜい、倒れてました。呻いてました。助けを呼んで、這えずってるものもいました。まさに、地獄絵図でしたね。気がついたらオレも、下半身がべとべとになってたんスよ。あぁ、オレも撃たれたか、これで、最後なんだ…なんておもっちゃって、絶望しかけたんスけど、ホントは、もらしちゃってたんスよね、いまだから、笑っていえることですけど……。
 
 ふと気がついたら、銃撃戦が収まっていて、爆音も聞こえなくなってたので、急にアブダッラのことが、心配になってきたんです。ひょっとしたら、最悪、撃たれて、ヤバイことになってるんじゃないか、っておもって、床を這えずりまわって、そこら一帯、探したんスけど、瓦礫や、破損物や、ガラスの破片で、体中、ケガするばっかりで、痛くて、辛くて、どうしようもなかったんスけど、それでも、血でぬるぬるになった手で、血みどろになった死体を、一つまた一つと、たしかめていったんスけど、アブダッラはみつかりませんでした。

 うまく逃げられたんだ、とおもったんスけど、そんなワケないだろ、とも、おもいました。だって、イスラム原理主義者のジハードといえば、外国でもカミカゼていうくらい、死を覚悟の聖戦なんスよね。だから、間違っても、逃げるなんてことには、ならないに決まってる。そうおもいながら、やっとのことで、ひん曲がったステンレスの窓枠をくぐって、外に出たんスけど、そこにも一つ、死体が転がっていて、それも真っ赤に染まった白衣を着てて、それに足をとられて、グラッと前につんのめったんスよ。ドターッ、と頭から、その上に倒れこんじゃって、ヤバイッ、ておもったんスけど、とたんに目に入ったもの、何だったと、おもいます? 首のない胴体っスよ。それと、そのそばに、わざとやったんじゃないかとおもうくらい、無造作に、もぎ取ったばかりの頭部が、転がしてあったんスよ! 朱に染まった首の部分から、頸椎と頸動脈がはみ出してて、まだジュクジュクと、血と体液をたらしていました。そして、それが、たった数分前に、オレと担当員をタックルして助けてくれた、顎髭ぼうぼうの、あのアブダッラの首だった、てことも、すぐに分かたんです。しばらく、オレ、アブダッラの遺体の上で、息をのんで、身をガチガチに硬直させて、身動き一つ、できないでいましたね。あのときの、オレの感じたモノ、それは、恐怖とか、衝撃とか、宿命とか、悔悟とか、空前絶後のなんとかとか、なにをいっても、なにも当てはまらない、どんな言葉を使っても言い表せない、伝えきることのできないモノもの、でしたね。それでも、オレ、気をとりなおして、なんとか立ち上がろうとしたんスけど、そのとき、ふと、さっきアブラッダが、オレの手の中にねじこんだ、白い封筒のことを、思いだしたんスよ。
 
 いきなりタックルされたので、どこにしまったのか、どっかに捨てちゃったのか、覚えてなかったんスけど、ズボンや上着のポケットや、あちこち探してると、まるで、覚えがなかったんスけど、なぜか、左手首の、袖口の中に、差しこんであるのがみつかったんスよ。すぐさま、くちゃくちゃになった封筒を、べとつく指で開けてみました。なかに便箋が一枚、これも、しわしわになって、入ってました。取り出すと、シワの合間から、丁寧に書かれたアラビア語とフランス語が、スーッと、目に入ってきたんです。まるで、どっかの詩人が書いたみたいに、こう綴ってありました。
 
海に生きる魚にも 母川に帰るものがいる
いわんや、キミもヒトならば 母なる国に帰るがよい
息の途切れるそのまえに 記憶の衰えのあるまえに
 
 なんか、いやっスね、こういうの、って。どういえば、いいんスかね、上から目線で、クサイ、っていうんスかね。でもね、アラビア語とかフランス語で読むと、いちいち、グッとくるんスよね。やっぱ、言葉の、感性の、違いってやつスかね。それ読んで、オレ、もう、ポロポロっスよ。はなグシュグシュして、目から大粒の涙がボタボタおちて、便箋、濡れて、グシャグシャになるくらいでした。なんでそんなに泣いちゃったのか、いま考えても、よくわかんないスけど、どっか遠くで、ガラスが割れる音がしても、きな臭い煙の臭いが、ふと鼻先をなでていっても、あの地獄絵図ていうか、瓦礫や硝煙や血染めの白衣や転がった首や、いろんなものが一気に目の前によみがえってきて、ほんとに、身の毛がよだつおもいがして、全身に汗かいて、すくんでしまうんですよね、いまのいまでも、スよ。だから、そんな、ど緊張のさなかに、意味深な、オレのことおもってくれてんだ、みたいな、やさしい言葉かけてくれた気がして、ポロポロ、泣いちゃったんスよね、きっと。

  でも、泣いてるわりには、気は冴えてたんスよ。これ書いたの、オヤジだ、って、はっきり、おもったんです。確信したんです。オヤジは、自分の生命記憶から、自立しようと、長年、いろいろ、トライしてきたんスけど、オレやオフクロが、頑として居座ったまま、いつまでたっても、消えてくれないもんだから、いっそ自分の存在記憶から、まるごと抹消してしまおうと、オレに最後通牒、突きつけたんスよね。結局はムダなことなんスけど、イランの革命軍とよりを戻すまぎわに、オレにむけて、いや、自分自身にむけて、宣言したんスよ。ということは、スよ、生命と存在の記憶は、いくら切りはなそうとしたって、切りはなせないことを、よく理解してたっこと、なんスよね。そりゃ、そうですよ。二つは、表裏一体で、しかも、お互いに相手の周りを回ってるんだから。

 でもオヤジは、そうは考えなかった。俺には体の記憶はいらない、頭の記憶だけでいい、なぜなら、変革は、頭でしかできないからだ、余計なものは消してしまえ、なんて考えたかどうか、確かじゃないスけど、多分、弁証法的な思考だけが存在の必須条件だ、とでも勘違いして、クルマの片輪だけで、走ろうとしてたんじゃ、ないんスかね、はっきりいって。だから、片輪ドリフトに集中するためには、オレとオフクロがのっかってるもう一方の車輪が、ジャマだったんスよ。生命記憶に足を引っ張られて、存在記憶に突入していけないわけですからね。オレ、便箋の文字をみたとき、はっきり分かりました。ハッジは、字体からして、たしかにオレのオヤジだったことは、はっきりしたんスよ。でも、アジトの引っ越し先に、イランの革命防衛隊を選んじゃったわけだから、ぎりぎりまで、ひょっとして、と期待していた親子対面の幻想は、血と暴力事件のあと、あっさり、萎んでしまったんスよね。

 だからといって、悲しいわけでもなかったし、残念だな、なんて失望することもなかったスよ。あの、まやかしの、邪悪なハッジは、単なる反社集団の一兵卒にすぎず、食い扶持と上納金稼ぎのために、クンクン、鼻効かせて、世界中のあちこちを、ウロつきまわる、孤独な老いぼれ組員の成れの果て、みたいな存在なんだってことが、この胸の奥の、ここんとこに、まさに腑に落ちるっていうか、すーっと、飲み込むことが、できたんスよね。

 さて、ながいハナシになりましたけど、オレのオヤジ探しの一件は、これでお終い、ということで、ホント、つまらないハナシを聞いていただいて、ありがとうございました。せっかくの眠り薬が、眠気覚ましになったりして、もうしわけ、なかったスよね。すみません。でも、ほら、キンキン、キラキラ、っスよ、夜明けの星たちが。やっと、おもいっきりの晴天が、やってきましたね。あしたは、下山ですよ! オレたち、助かったんスよね! 助かったんスよ、本当に……。

 え? いつ、日本に、帰ってきたか、ですって? ええ、この十月ですから、ほんの一か月半まえ、てとこですかね。あの、外為銀行前の警察署襲撃事件が皮切りになって、いま、アルジェリアは、テロのさなかにありますよ。連日、イスラム過激派の襲撃が、国土のいたるとこに頻発して、毎日、何千人もの犠牲者が出てます。分からないのは、犠牲者のほとんどが、罪もない、毎日を、ただひたすら、愚直に、正直に、敬虔に、生きているひとたち、なんスよね。すごい矛盾です。いったい、過激派は、何が目的なんでしょうか? まったく理解できませんね。

 え、オフクロのことですか? いま、どうしてるかって? そうスね、オフクロのことも、まったく、理解に苦しむ存在というか、出来事というか、正直いって、わけがわからにっスよ。オレが商社に就職決めたとき、いきなりパリの同僚と、再婚したらしいんスよね。同僚って、つまり、同じ医者仲間で、同じ研究室で働いていた、病理学者らしいんスけど、オレは、会ったこと、ありません。去年でしたかね、写真が一枚とどいたんスけど、すごく可愛いい女の子が写っていて、裏書をみると、キミの妹でマヤていうのよ、よろしくね、なんて書いてあるんスよ。よく分かんないです、あの世代のひとは。

 そういえば、カスバの入り口にあったサイゴンの娘、ミンナ、のこと覚えてますか? 帰国の途中、パリのシャンゼリゼのぶーティックの前で、あの娘にあったんスよ。社の同僚に何か土産物を、と街路沿いのウィンドウを散策していたら、ばったり会っちゃったんスよね。お互い、びっくりしちゃったスよ。覚えてるでしょう? オレの住んでたアブデルカデル通りの家の、となりのとなり住んでた若者、カスバの入り口にあるベトナム料理店サイゴンで、所長の旧友が官憲からかくまってやった、あの反政府分子のことですよ。

 アルジェ大学の学生で、デモ中に殺されちゃったんスけど、その弔いの夜、アブデルカデルの家を訪ねたら、ミンナも来ていました。官憲の目からかくまってやるほど親しい友人だったんでしょうね。ミンナは、悲しみのどん底にいたみたいで、オレ、一言も声をかけられずに、帰ったんスけど、それ以来ですよ、ミンナと会ったのは。なので、いろんな想いもあって、カフェにでも誘って、いろいろ話そうかな、なんておもったんスけど、そこに、待ち合わせてたらしい人が現れたので、できなかったんスよ。

 でも、問題は、カフェに誘えなかった、話ができなかった、とかということじゃなくて、現れたヤツが、ですよ、それが、それが、なんと、あの死んだはずの、アブデルガデルの学生だったんスよ! オレ、自分の目を疑いました。死んだヤツが、なんでこんなとこにいるんだ、ってね。あとで分かったことなんスけど、政権崩壊の危機的な状況下で、反体制派の学生を助ける手立てとしては、死んだことにしてパリかどっかに移住した家族や親戚に、引き取ってもらうことが一番、だったらしいスよ。軍や官憲にも、親類関係のツテやコネや奥の手は、いろいろはありますからね。学生にかぎらず、この手で国外脱出した連中、けっこういたみたいですよ。逃げた後、どうなるのか、どうやって生き返るのか、それとも、死んだまままなのか、だれかとすり替わるのか、そのあたり、調べたこともないし、大した興味もないので、まったく知りませんけど、蛇の道は蛇で、その道の請負人は、山といるんでしょう、世の中には。

 ミンナとオバケに会ってから、オレ、自信なくなりましたよ。ヒトって、生きてくためには、なんでもやるんだ、てことなんでしょうけど、そのナンデモが、想像力のミナモトなんスよね。そういうオレだって、生きてくために、なんでもやってる内のひとり、なんスよね。

 実は、オレ、白状しちゃいますけど、オンナなんスよ。みなさんの中には、もう気づいておられるかた、いらっしゃるかもしれませんけど、オレ、オトコのからだで生まれたオンナなんですよ。さいわい、オフクロが医師で、幼少時からパリとかで暮らしてたので、障害者としては、けっこう理解ある環境だったし、専門医チームの処方で育てられたこともあって、違和感は、ある程度、克服できてるんです。でも、やっぱ、ジェンダーコンプレックスとでもいえば、いいんですかね、自分のオトコに近づこうとして、やたら、オトコっぽいしゃべり方したり、荒っぽく振舞ったりで、自分の中の分断に、いまだに慣れてないというか、クリアできてないというか、たまに、気が滅入っちゃうことも、ありますね。だから、山が好きなんでしょうね、登山、するんでしょうね。こうして、一生、登りつづけるんでしょうね、きっと……。

 さあ、今朝は、完璧な、ピーカンですよ! 楽しみましょうよ、きょうの下山を! 祝福しましょうよ、あしたの雪山を! 

白の連還 第4話 白い男 完 第5話 白い蛇 につづく






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