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「和くるみ」と岩手のこと ~宮古に「命の道」を切り開いた偉人を讃えた郷土菓子「鞭牛(べんぎゅう)の道」~

本州最東端の街にあるけど西野屋です

こんにちは、はじめての方は、はじめまして。

本州でいちばん東にある街・岩手県宮古市、三陸鉄道の宮古駅から徒歩5分ほどのところで、「洋菓子・和菓子・パン」を扱う、小さな菓子店を営んでいます。

お店の名前は「西野屋」(にしのや)

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当店の自己紹介記事はこちらです。よろしければ先に読んでいただけるとうれしいです。

和菓子「鞭牛の道」

今回は、和菓子から一つ、商品を紹介します。

当店の和菓子は、地元宮古ならではの素材を使ったり、宮古にちなんだ商品が多いのが特徴です。
その中でも、最近、ぜひ知ってほしいと思っている商品が、「鞭牛の道」(べんぎゅうのみち)です。

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「鞭牛の道」は、白あんと「くるみ」を使った和菓子です。
くるみ粒入りの白あんを生地で包んでいます。

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「鞭牛の道」の中に入っているくるみは、「和くるみ」を使用しています。

「和くるみ」は普通のくるみと違うの?

一般的にミックスナッツなどに入っているくるみは、「洋くるみ」です。

「和くるみ」は、名前の通り日本産のくるみのことで、洋くるみとは別物です。品種的なことでは「鬼ぐるみ」「姫ぐるみ」ともいいます。

岩手県では、あちこちにこういう和ぐるみが自生しています。
宮古も例外ではなく、ちょっと山のほうに行くだけで、落ちた実があちこちにあります。

もともと冷害が多く稲作が難しかったこの辺りでは、こういった木の実が、飢えないための貴重な食糧だったのだと言われます。
それどころか、昔から宮古周辺など岩手の沿岸では、甘くておいしいことを「くるみ味」と言います。この「くるみ味」が指す「くるみ」は、もちろん洋くるみではなく和くるみのことです。
この地方では、それぐらい、くるみは美味しいものの象徴だったんでしょうね。

ところで和くるみは、洋くるみよりも殻が硬く厚くて、中身は逆に少ないという、なかなかたいへんなものです。
洋くるみのようにパカっと割ったらすっきり身が出てくるようなことがなく、分厚い殻を割ってから、身を千枚通しのような道具などでかき出します。
和くるみを割って中身を取り出すための専用の道具も、ホームセンターやスーパーによく売っています。
逆に言えば、それだけ中身が殻に守られているから美味しい、ということかもしれませんね。

ちなみに、オニグルミの殻が開いたところは、こういう感じです。

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和くるみは、洋くるみより苦みが少ないです。宮古周辺では、割った中身だけを取り出した和くるみを、産直売り場で売っていることが多いですね。

ちなみに、宮古のお正月の雑煮にも「くるみダレ」を使います。雑煮の具と餅を、甘いくるみダレにつけて食べるんですよ。

それぐらい、「和くるみ」は、宮古の食として、とても大切な文化です。
「鞭牛の道」は、そんな、和くるみを使って、宮古や岩手のことを知ってもらいたくて作った郷土菓子です。
だいぶ以前になりますが、全国菓子大博覧会という品評会で金賞をいただいたこともあります。

牧庵鞭牛(ぼくあんべんぎゅう)とは?

続いては商品名にしている「鞭牛」(べんぎゅう)さんのことです。

こちらは人の名前で、「牧庵鞭牛」(ぼくあんべんぎゅう)という、江戸時代の和尚さんです。今は合併して同じ宮古市になっている「旧新里(にいさと)村」の「和井内(わいない)」というところの出身で、宮古の近く、釜石にあるお寺の住職でした。

鞭牛さんは、あるときからお寺を出て、宮古や周辺の「道づくり」に残りの半生を費やしました。
宮古では主に、盛岡と宮古を結ぶ、「宮古街道(みやこかいどう)」をみんなで切り開くための指導をした人です。

この宮古街道は、そのまま、現在の国道106号線、宮古と盛岡を結ぶ道路の元になっています。盛岡から宮古の間を、閉伊川(へいがわ)に沿って結ぶ道です。乗り物がない頃は、歩いて三日かかる難儀な道のりでした。
それから何度も何度も道路が改良されて、長年、宮古と盛岡は約2時間で結ばれていました。
そして、つい先日、3月末に開通した復興道路の宮古盛岡横断道路のおかげで、宮古と盛岡は今では1時間半ほどで結ばれています。

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この宮古と盛岡間を流れている閉伊川は(今もそうですが)、暴れ川で、しょっちゅう氾濫して、そのたびに道が失われて、宮古や沿道の集落が孤立しがちだったそうです。

道も細く、人が通るのがやっとというような、荷物を運びづらい道だったこともあって、そんな街道を、通りやすくするために、民衆と一緒に開削をはじめたのが鞭牛和尚さんなんですね。

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宮古街道は、「命の道」とも言われています。
沿岸の宮古と内陸の盛岡を結ぶ唯一の道でもあって、この道があるかないかは、宮古にとって大切な意味をもっていました。

東日本大震災のときには、三陸沿岸を南北に移動する国道45号線が、津波被害で通れなくなりました。
そのとき、自衛隊が救援に使った手段も「くしの歯作戦」といって、海沿いの縦のルートは復旧に長期間かかるため、内陸部から沿岸に出る横のルートを最優先で復旧させて物資や人を送り込む、という方法でした。
内陸の東北道や国道4号線の縦のルートから、沿岸に向けてくしの歯のように横向きのルートを複数確保する、ということで「くしの歯作戦」なのだそうです。

宮古周辺でいえば、まさに国道106号線が櫛の歯にあたりました。
鞭牛和尚が切り開いた「命の道」があったからこそ、震災復興も進むことが出来たのかもしれませんし、宮古盛岡横断道路も、元になっているのは宮古街道です。
鞭牛和尚が始めたことが、何百年間も引き継がれて、現在の宮古と盛岡をつなぐ道路開通にまで続いていると思うと、感慨深いですね。
そういう意味でも、宮古にとって大切な偉人の、鞭牛和尚のことをもっと知ってもらいたくて、宮古の山の「おいしい味」を象徴する和くるみを使ったお菓子が、鞭牛の道です。
ぜひ一度、岩手宮古ならではの「くるみ味」を知っていただければうれしいです。

当店のヤフーショッピングでも通販をしています。

宮古市のふるさと納税でもお申込みいただけます。

ぜひ、全国の皆様にも、和くるみの優しい美味しさを味わっていただければと思います。


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