気づいたら私、プロレスラーの番記者になってました・・・
番記者、それは特定の取材対象者に密着して取材を行う記者のこと。
スポーツ取材の分野では、プロ野球の球団ごと、サッカーのチームごと、それぞれ“番記者”がいる。政治の世界にも総理番、大臣番・・・、経済や社会の分野にも。
でも、独自の路線を歩む記者もいる。それがこの私。「プロレスラー番」だ。
もちろん、NHKは専属の「プロレスラー番」を置いていないし、あくまで自称。これまでの取材の中で、何かとプロレスラー議員に縁があったことが、そう名乗るようになったゆえんだ。
こんな運命をたどっているNHK記者は、たぶん私だけなんじゃないか。
なんで私がプロレスを・・・
そもそも私は女子校出身で、毎日「ごきげんよう」と挨拶して育った。趣味は“推し”の韓国アイドルの動画鑑賞で、プロレスとは無縁の環境で生きてきた。「新日」と「全日」の違いもわからなかった。
最初の接点は、東京の政治部に配属された時、たまたまプロレスラー議員の取材を担当したこと。今は大阪で行政取材を担当しているが、やはりここでもプロレスラー議員に遭遇した。
プロレス出身の議員は、確かに多い。
衆参両議院の議会事務局などによると、これまでにアントニオ猪木、馳浩、大仁田厚、神取忍の4人のプロレスラーが国会議員になったという。
地方議会に目を向けると、全国各地で、数多くのプロレスラーが現職議員として活動していて、全体数を把握するのは難しい。
プロレスと政治。
一見、全く異なる2つの世界をつなぐものは何か。
なぜ彼らはリングから議場に戦いの場を移すのか。
自称「プロレスラー番」の血が騒ぐ。
「プロレスラー議員について調べてみようと思うのですが・・・」
幸い、大阪局の担当デスクは、ジャイアント馬場やアントニオ猪木らが活躍した“プロレス全盛期”に幼少期を過ごした、根っからのプロレスファンだった。
「それはおもしろいよ!!絶対やろう!!」
えっ、、そんなに簡単に提案を通しちゃっていいんですか・・・
上司の鼻息の荒さにも後押しされて、「プロレスラー番」としての本格的な取材が始まった。
「週プロ」もわからない
とは言え、何から始めればいいのかわからない。
真っ先に連絡を取ったのは、「週刊プロレス」編集部。
プロレスファンなら知らない人はいない、言わずと知れたプロレスの専門誌だ。
自称「プロレスラー番」としては恥ずかしい限りだが、やはりその道のプロの知恵を借りたい。
「プロレスラーから政治家になる人が多い理由を取材していまして」
NHKの記者からの突然の取材依頼は、さぞかし迷惑だったに違いないが、電話口の女性はとても丁寧に対応してくれた。
「申し訳ないんですが、うちの記者は今、20代30代が多くて、猪木さんや馳さんが現役だった時代は知らない人がほとんどなんですよ。だから、はっきりした理由はお伝えできないと思います」
なんということか。
「週刊プロレス」でもわからないテーマの取材に手をつけてしまったようだ。
ファイヤー!大仁田厚
それならプロレスラー議員本人に話を聞くしかない。
そんな私が向かった先は福岡。
元参議院議員でプロレスラーの大仁田厚が拠点を置く場所だ。
私が記者になった時には、すでに議員を引退していたため、これが初対面だ。
64歳になった今も、現役レスラーとして活動を続ける大仁田。
この取材の数日後には、興行のためアメリカに渡航する予定だという。
大仁田は2001年の参議院選挙で当選した、いわゆる「小泉チルドレン」のひとりだ。
早速、なぜ参議院議員になったのか聞いてみると・・・
「最初のきっかけは、亡くなった鳩山邦夫さんに誘われたからだけど、言われたら火がついちゃって。新しい世界を見てみたいと思った」
「それに、当時の小泉政権は非常にプロレス的だった。『僕は正義の味方で、あなたたちのために悪い者を退治するんだよ』と言う。国民の目線から見るとわかりやすい。プロレスそのものだったから親和性があった」
“電流爆破” 傷だらけで観客を魅了
プロレスラーとしての大仁田は、リングに張られた有刺鉄線に電流を流し、体をぶつけて爆発させる「電流爆破」の生みの親だ。
所属していた「全日本プロレス」を引退後、みずからプロレス団体を立ち上げた大仁田は「電流爆破」のような派手な仕掛けと、体をはった危険なデスマッチで、小規模な団体ながら注目を集めていった。
大仁田の体に刻まれた無数の傷跡は、プロレスラーとしての勲章だという。
さらに大仁田は、メジャーな団体を相手に孤軍奮闘する姿をメディアを通じて発信することで、人気をより確かなものにしていった。
「新日本プロレス」の練習会場に乗り込んで、長州力からリングを「またぐなよ」と繰り返し言われた、伝説の「またぐなよ事件」も、メディアを巻き込んで、その存在感を発信していく大仁田の手法そのものだ。
参議院議員になっても、そのやり方は変わらなかった。
国会に初登庁する日に学生服を着て、スーツに着替えるように指示されたり、杉村太蔵元衆議院議員の教育係になると申し出たり・・・
ワイドショーやスポーツ紙は、そんな大仁田を連日、面白おかしく取り上げた。いわば“お騒がせ議員”として注目を浴び、「プロレスラーなんかが」とか「何バカなことを」といった批判も多く受けたという。
それでも大仁田は「メディアに扱われないよりもよっぽど良かった」と振り返る。
「批判や反発もあったけど、味方になってくれる人もいたから、足し算引き算みたいなもんで、全く取り上げられないよりいいですよ」
「はっきり言ってそれまでは、毎日、朝日、読売とか一般紙しか政治の世界を取り上げなかったけど、スポーツ紙も扱うようになった。そっちの方がいいじゃないですか」
大衆を沸かせるパフォーマンスで、みずからの存在を発信していく。
それが傷だらけのファイター、大仁田の一貫したスタイルなのだ。
郵政民営化で“場外乱闘”
そんな大仁田、得意の“場外乱闘”を見せる場面もあった。
郵政民営化法案の採決に「国会で議論が尽くされていない」として採決を棄権したのだ。議場に上がる前、こんなことがあったという。
「小泉チルドレンが賛成しないなんていうのは、マズいことですよ。賛成してくれと説得されたし、総理と会ってくれとも頼まれたけど、会わなかった。会ったら賛成しなきゃいけなくなってしまうから」
大仁田はこう振り返る。
「プロレスラーたる者、自分の主義主張があるなら、何があっても最後まで貫くべきですよ」
“お騒がせ議員”の裏の顔
大仁田は信念にもとづいて、メディアには大きく取り上げられない、地道な活動も行っている。いじめ問題だ。
その理由は「人をいじめるという行為は絶対許せないから」といたってシンプルだが、議員時代、文部科学省の役人とともに子どもが自殺した現場を何カ所も訪ね、遺族や教育委員会と面会を重ねた。そこで感じた課題を、国会の場で質したという。
この時の経験から、政界を退いた今、各地で実施しているのが「いじめ撲滅プロレス」だ。
「強い人はいじめなんかしない」というメッセージを子どもたちに伝え続けている。
プロレスラーに“偏見はつきもの”
大仁田は2期目を目指す選挙には立候補しなかった。「外の世界にいた方が自由に羽ばたけると思ったから」だという。
その後、出身地の佐賀県の神埼市長選挙や長崎県知事選挙にも立候補したが、いずれも落選した。
奇しくも大仁田に取材を行ったのは、同じくプロレスラーで衆議院議員だった馳浩が、保守分裂の激しい戦いを制し、石川県知事選挙で当選した翌日だった。
選挙結果について話す中で、最後にこんな本音も口にした。
「国会とか政治の世界は、世襲やエリートが多くて世間とはちょっと違う。一部で支持してくれる人はもちろんいるけれど、プロレスラーに対する乱暴だとか危険だとかいう偏見もつきまとうものなんです。そういう意味で、馳さんがあれだけ政治の世界に根付いたのは、偏見に打ち勝ったからなんだと思う」
知事になったプロレスラー 馳浩
大仁田から“偏見に打ち勝ったレスラー議員”と評された馳。
本人はどう思っているのか聞きたくて、知事に就任したばかりの馳に連絡を取った。
東京の政治部で文部科学省の取材を担当していた際、大臣経験者で「文教族」議員である馳のもとに何度も足を運んでいた。
当時、馳の目に私はとにかくまめにやって来る記者に映ったそうで、取材を繰り返すうちに「まめこ」と呼ばれることもあった。
とはいえ、就任間もない知事は何かと忙しい。
公務の最中はインタビュー取材の時間が確保できず、馳に会えたのは、大型連休中の朝6時。石川県内で馳が通うジムでだった。
知事就任後も週に1~2回は、2時間ほどのトレーニングを行っているという。黙々と体を鍛え上げる姿は、名だたるレスラーと闘った現役時代を彷彿とさせた。
「偏見」気にしない
一段落したところで、大仁田の「馳さんは偏見に打ち勝った」という言葉を伝えると、馳は思いがけないことを口にした。
「今も偏見は感じますよ。今回の選挙戦でも『たかがプロレスラーが』ってみんなに言われたし、いまだに『頭空っぽ』『脳みそ筋肉』なんて言われることはざらです。プロレスラーという経歴を極力出さない方がいいと、周囲から言われたくらい」
実は馳は教員免許を持ち、プロレスラーになる前までは、母校の石川県の星稜高校で国語の先生として教壇に立った経験もある。
さすがに「頭空っぽ」はひどい言われようだと思って聞いていたが、当の馳本人は、全く気にしていないのだという。
「プロレスはチケットを買ってもらってなんぼ。視聴率を上げてなんぼ。良きにつけ悪しきにつけ、プロレスラーは知名度がすべてだから、何を言われても全然気にならないんです。むしろ話題にならない方が気になるタイプ」
「プロレスは“政策”」
それでは、プロレスラーから政治家になって得をしたことはないのか。
例えば、マイクパフォーマンスの上手さやタレント性は選挙活動では有利に働くのでは?
そう尋ねると「それは違う」とぴしゃりと否定されてしまった。
そしてこう続けた。
「プロレスは選挙より、政策に似ています。プロレスラーは、あらゆる情報を仕入れて、今どんな試合が求められているのか考える。そして毎日違う物語を描いて、みずからリングの上で表現していく。つまり時代を読むんです。それは政治に向いてますよね。政治家は今の空気を察知しながら政策を考えないといけないし、逆に洞察力のない政策はダメです」
プロレスの試合展開を考えることと、政策を立案することは、時代をよく読むという点では同じということか。
政治とプロレスをつなぐ本質に触れた感じがした。
“ジャイアントスイング”
国会議員時代の馳は、大仁田のような激しいパフォーマンスこそなかったが、駆け引きなしで前に突き進むような側面があった。
文部科学委員会の与党の筆頭理事を務めた際には、野党側の主張を通すこともあり、実際、与党内や文部科学省の中には、馳の委員会運営に批判もあった。
このことを馳にぶつけると、答えはあっけらかんとしていた。
「確かに役人は大変だったと思うし、先輩議員に怒られたこともあったけれど、結論を出す前に、野党にも『俺たちがやったんだ』と得点をあげないといけない。議員同士の信頼関係は、積み重ねでつながっていくものだから。それをするのが議員の楽しさですよ」
馳のプロレスラーとしての得意技は、ジャイアントスイング。
相手の足を持って、何度も回転した後、投げ飛ばす技だ。
体重が100キロを超える相手レスラーも、馳は何度も何度も振り回した。
「1、2、3、4・・・」
観客は回した回数を数えて盛り上がる。回せば回すほど馳も目が回る。でも、観客の視線はいつも回されている相手の方を向いていた。
「相当しんどいのに、目立つのは相手の方。プロレスは自虐的なものですよ」と振り返る馳。
与野党の駆け引きも、ジャイアントスイングのように、相手に見せ場を作っていたということか。
この手法で築いた野党との関係は、議員としての強みにもなったそうだ。馳が与野党の垣根を越えた超党派の議員連盟で成立させた法律は、児童虐待防止や発達障害者支援に関する法律など37本に及ぶという。
知事はリングに上がるのか
馳は国会議員時代、長州力や武藤敬司ら、往年のレスラーとともに、定期的にプロレスのリングに上り、ファンを沸かせていた。
試合が近づくと日焼けサロンに足繁く通い、日に日に肌が黒くなっていたのは、番記者の間では有名な話だ。
知事になっても試合に出るつもりか聞いてみると、
「出るか出ないかは俺が決めること」とはぐらかされてしまった。
それならば、はっきり書かせてもらおう。
忙しい公務の合間を縫って、早朝、2時間に及ぶトレーニングを重ねている馳のことだ。近い将来、また真っ黒に日焼けした姿で、ジャイアントスイングを見せてくれると私は確信している。
派手なマスクのその下は・・・
派手な外見とは裏腹に、控えめな性格のプロレスラー議員もいる。
大阪・和泉市議会議員のスペル・デルフィンだ。
2012年から議員を務め、覆面姿のまま議員活動を行う姿は地元ではよく知られている。その外見から、何かと目立つ存在だが、本人はいたって冷静だ。
「最初は選挙に通るために、それしかなかったんです。素顔のままでいったら、『誰やねん』って話でしょ。当選後は、議会が覆面で出ることを認めてくれたんで、ほな続けようかとなって、今に至ります」
デルフィンよりも先に、覆面で議員活動を行っていた、岩手県議会議員だったグレートサスケの存在も大きかったという。選挙管理委員会や議会での手続きも、先行するサスケが道筋を開いてくれていたことで、大きな問題とはならなかった。
デルフィンのプロレスの得意技の代表格は「大阪臨海アッパー」
手のひらで相手のあごを突き上げる技で、「電流爆破」や「ジャイアントスイング」に比べると、正直、ちょっと地味だ。
得意技がプロレスラーの性格を反映しているのかはわからないが、デルフィンは覆面議員として目立つことを極力避けている。市議会議員を3期、務めるデルフィンは、委員長や議長にならないかと何度も打診されたが、いずれも断ったという。
「“覆面議長”なんて取り上げられたら、批判する人も出てくる。
そうすると自分がやりたい政策を前に進めることができない」
マスクの下は熱い!
そんな謙虚なデルフィンが熱い思いを持って取り組んでいるのがある。
インターネット上のひぼう中傷対策だ。
実はデルフィン、民放の番組に出演し、SNSでひぼう中傷を受ける中、おととし亡くなったプロレスラーの木村花さんの深い親交があったという。
議員になる前の10年あまり前に沖縄で立ち上げたプロレス団体に、花さんの母、響子さんがプロレスラーとして参加し、当時中学生だった花さんも、団体のアイドルグループの一員として活動していたのだ。
花さんが亡くなったおととしには、自らが企画したプロレスの興行に、花さんに参加してもらう予定だったが、実現しなかった。
デルフィンは花さんの死をきっかけに、この問題に取り組むことが、議員としての使命と感じるようになったという。
この思いに、全国のプロレスラー議員たちが賛同した。
花さんが亡くなった後のおよそ1か月後に、デルフィンは、ネット上の誹謗中傷対策に取り組むよう国に求める要望書をまとめ、和泉市議会で全会一致で可決された。
この動きに同じくプロレスラー議員の、大分市議会のスカルリーパーエイジ、長野市議会のグレート無茶も賛同。それぞれの議会で要望書が可決された。
デルフィンの目標は、プロレスラー議員のネットワークを駆使して、全国でひぼう中傷対策を進めていくことだ。
「プロレスラーは勉強は得意じゃないかもしれないけど、実行力のある人が多いんです。だから僕は進めてきたいし、進めていけると思っている」
議会で際立つプロレスラーたち
ここまで読んできて、あのレジェンドは登場しないのかと思った人も多いと思う。
今回、アントニオ猪木にも取材を依頼したのだが、調整がつかず、叶わなかった。
「プロレスラー番」としての重大な任務を果たせなかったことはとても残念だが、いつか話を聞いてみたいし、あわよくば闘魂を注入されたいと、図々しくも思っている。
政治とプロレスの共通点は何か。
それが知りたくて、プロレスラー議員を追いかけて各地を飛び回った。
見えてきたのは、馳の言葉にもあったように、観客を楽しませるための仕掛けを考え、みずからの体で表現するプロレスは、世論の声に耳を傾け、必要な政策を立案し実行する政治と本質的にはよく似ているということ。
だからこそ、リングを沸かせたプロレスラーたちは、闘いの場を議会に移すのではないか。
だけどはっきり言って、生身の彼らは、政治の世界で浮いているようにも見える。派手な見た目の話ではない。
彼らの青臭さや熱さ、そして「プロレスラーなんかが」という偏見や陰口なんて全然気にせず、むしろそれらをエネルギーに変えて、自分の信じた道を突き進もうとする姿が、どうにも際立つのだ。
自称「プロレスラー番」の決意
この記事を書くことは、私にとってはある意味“デスマッチ”だ。
読んだ人から「他にやるべき取材があるのではないか」とお叱りの言葉を受けるかもしれない。
けれど、私は「周囲の目を気にしていても仕方がない」と腹をくくって、この記事を書いた。それは、プロレスラーたちの姿に感化されたからにほかならないし、彼らの生き様を伝えることが、何らかの窮屈さを感じる他の誰かの背中を押すかもしれないと思ったからだ。
一見、ハチャメチャに見える人たちが、しきたりや慣行が根強く残る政治の世界で、がむしゃらに闘っている。だから自分も、学校や家庭、会社、それぞれの社会で、自由に“プロレス”をやってみよう。
この記事を通じて、少しでもそんなふうに思ってもらえたなら、自称「プロレスラー番」冥利に尽きるし、その小さな一歩が、最近よく聞く“多様性のある社会”ってやつにつながるんだと信じている。
まあ、なんだかんだ言っても、最後はやっぱりプロレスラー番らしく「涙のカリスマ」あの男のことばで締めたい。
「政治はプロレス!ファイヤー!!!」
谷井 実穂子 大阪局記者
2008年入局 政治部などを経て、去年夏から大阪。
現在、大阪府政キャップ。強くなりたいので体幹を鍛えています。
谷井記者はこんな取材をしてきた