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“なんもなか”と言われた佐賀で、戦争を伝えたい

記録がほぼない!それでも、戦争を伝えたい
「戦時中の佐賀について番組を作ろうと思っているんですけど、何か資料はありますか…?」

ことし5月。私は太平洋戦争についての番組制作に向け、佐賀の全市町村の文化課や教育委員会に電話をしていました。ほとんどの市町村で言われることばは、決まって「なんもなか…」。戦争の記録はもちろん残っておらず「ここではそんな大きい被害とかなかったから」ということばもありました。

「何もない」。そういわれる場所で、77年前のあのとき、何があったのか。世の中が不安定な今だからこそ、自分が住むこの土地について、知りたい。記録がほぼ残っていない地域・佐賀で、戦争について考える番組を立ち上げることにしました。


世の中が知らない“事柄”はなにもなかったことになる

はじめまして。佐賀放送局で番組制作をしている栗山愛由と言います。ふだんは佐賀に関するニュース番組やドキュメンタリーをつくっています。

私はNHKのディレクターの就職面接のとき「NHKの戦争関連の番組に興味があります」と言って入局しました。「あなたが働く場としてNHKを志望した理由とやってみたい仕事は?」という問いに対して、NHKスペシャル「731部隊の真実~エリート医学者と人体実験~」(2017年8月13日放送)を例に、戦争を見つめ直し、新しい事実を掘り下げ、振り返るような番組を作りたいです、と答えていました。

そもそもなぜ私が戦争に興味があったのか。理由はシンプル。「戦争、本当に嫌だよね」という思いからでした。小学2年生のころ、テレビでみたドキュメンタリー。イラクの同世代の子どもが涙をこぼす場面を見て、「なぜ生まれた場所が違うだけで、こんな思いをしないといけない人たちがいるのだろう」と思っていました。

そんな私の当時の夢は国連で働き、戦争がない平和な世の中に貢献すること。その意識が変わったのは、中高生の時に参加した模擬国連でした。模擬国連とは、生徒が各国の大使になりきり、実際の国連の会議を模擬する活動です。「環境問題」や「食料不足」など、さまざまなテーマが与えられるなかで、自分が与えられた国の立場から政策を提言します。

そのなかで訪れたのが、「ニューヨーク国連本部」でした。会議場を見せてもらい、広報の方から国連の活動について話を伺うとき、あることばに出会います。

「世の中が知らない“事柄”はなにもなかったことになる」。

戦争にせよ、環境問題にせよ。誰かが訴え、世の中が知らなければ、「問題」として認識されない。そのとき初めて、わたしはメディアが持つ影響力を意識しました。

画像 模擬国連に参加

学生時代にはルワンダやカンボジアなど虐殺があった地域に行き話を聞きました。なぜ戦争は起きてしまうのか、なぜ人が人を殺してしまうのか、という疑問を解決できると思ったからでした。しかし、答えは見つかりませんでした。それでも、「戦争は二度と繰り返しちゃいけない」「忘れてはいけない」というふたつの言葉は、深く胸に刻まれました。

戦争の記録「なんもなか」…?

NHKに入局して、配属された場所は佐賀放送局でした。戦争についての番組を作りたい!という思いから、太平洋戦争のとき佐賀で何があったのか調べてみるも、当時の写真や資料はほとんどなく、町史や市史なども、戦争についてほとんど書かれていない地域もありました。また、佐賀であった大規模な空襲、「佐賀空襲」や「鳥栖空襲」。それにまつわる本も、経験されたみなさんがみずから調べ上げてきたものを、みずから出版した本のみ。図書館や役所、公文書館にも資料はほとんどなく、佐賀空襲にいたっては、そのときの写真も残っていませんでした。

なぜ残っていないのか。番組制作の上でご相談したのが、日本現代史を研究する専修大学教授・鬼嶋きじまあつしさんでした。「戦時中の軍事資料は焼却命令が出ており、焼却していることが多く、さらに町史レベルで記録がないという地域は、日本中にある」と教えてもらい、佐賀だけではなく、あらゆる場所で同じような現象があることを知りました。

「世の中が知らない“事柄”はなにもなかったことになる」…。戦争経験者が減るなか、いったいどうやって残していけるのか…。私ができることは何か。そんなときにヒントをくれたのが、長崎局・沖縄局で番組制作の経験がある江﨑プロデューサーでした。「記録がないのであれば、みんなから集めてみればいいのでは?」。そうか。みんなで集めればいいのか!ここで立ち上がったのが「佐賀 戦争の絵」キャンペーンでした。

「絵」で戦争を記録する

そして、佐賀放送局では、「未来へ 佐賀・戦争の絵」と題して、戦争の記憶を次世代に継承していくために、戦争経験者のみなさまに「絵」を描いていただくというキャンペーンを始めました。実は、戦争の記憶を「絵」で伝えるという取り組み自体、広島局や長崎局などを中心に頻繁に行われてきたキャンペーン。しかし、佐賀局ではいままで実施されたことはありませんでした。

それでも、なぜインタビューや手記ではなく「絵」にしたのか。

きっかけは、キャンペーンについて企画を練っていたころにたまたま参加した局内の勉強会でした。放送に関するさまざまな研究や世論調査などを行う「NHK放送文化研究所」によるもので、タイトルは「市民が描いた『戦争体験画』の可能性」。戦争体験画は主観的ではあるが、「体験者が誰でも記録が可能」で、「決定的瞬間なども記録することができる」などということを知り、佐賀でも何か出てくるのではないか、と思ったのです。

戦争体験者の高齢化、そしてコロナ禍…。

キャンペーンを始めたのは、ことし4月。絵を集めるためにまず行ったのが、遺族会のみなさんにご理解・ご協力をいただくことでした。しかし、そこにも課題がありました。県内すべての遺族会に電話するも、一部地域からは「高齢化により、もう遺族会が機能していない」などの声が…。ここにも、戦争の記憶の継承の難しさがあったのです。

そんな日々に追い打ちをかけるように、それまで下火だったコロナ感染者数も増加する事態に。佐賀も、人口割合で見ると、感染者数割合が都道府県上位になるほどになりました。
介護施設の訪問、取材もできず、高齢者サロンも次々と中止になるなか、取材も厳しくなりました。

戦争を伝え、残すのは今が最後のチャンスと思っていましたが、もうタイミングが遅すぎたのか…。

不安を抱えながら迎えたキャンペーン最終日。それでも諦めずに取材を続けた結果、83枚の絵が集まりました!毒ガスを防ぐための訓練があったという絵や佐賀であった大規模な空襲「佐賀空襲」が20キロ離れた場所からでも見えたという絵など…。それまで知られていなかった貴重な証言がたくさん集まり、当時の実情が明らかになってきました。

画像 集まった絵

「記憶」を「記録」に

寄せられた絵のなかには、町誌などに「残されていない」ことも記されていました。その1枚がこちら。県の中央部、たまねぎの生産地として知られる白石町であった出来事。当時、子どもたちが米軍機の攻撃を受けている絵が届いたのです。

画像 白武さんの絵

絵を描いたのは、白石町の白武留康しらたけとめやすさん。85歳です。干拓地であったという「機銃掃射」から逃げ惑っているのは、勤労奉仕にあたっていた子どもたちだと言います。このとき、1000人ほどの子どもたちが集められ、サツマイモを植え終わったときに、突如頭上に米軍機が来たというのです。留康さんは、その現場に居合わせたという親族から話を聞き、描き上げました。同じく当時居合わせたという義理の姉・チヨさんに聞くと、「たしかにそのとき、パイロットの顔が認識できるほどの低さで米軍機が飛んできた」ことを教えてくれました。

子どもたちもが危険な目に遭っていたというこの出来事。戦争があれば、どこでも被害が起こりうることは理解していましたが、改めて現実を突きつけられ、驚きました。

そして、より多くのみなさんへ

番組の放送に加え、佐賀放送局では今回、絵の展示会を実施しました。佐賀放送局は、ことし5月にお引っ越ししたばかり。地域の新しい“ハブ”として、みなさんが気軽に訪れていただけるような居場所をつくることを目標にしています。「未来へ 佐賀・戦争の絵」展が来場するひとつのきっかけになればと願い、展示を企画しました。

画像 展示会の様子

訪れてくれた方は557名。戦争を経験されたみなさんはもちろん、戦争を知らない世代の方も多く来ていただきました。

「忘れかけていたことを思い出した」
「同じ地域に住む方々の生きた声を聞けるのは、とても貴重」
「戦いの怖さが迫ってきた。この企画を広げてほしい」

なかには2時間近く見てくださった方もいて、みなさんの絵の力の強さを感じました。

そして、展示会には来ることが出来なかったという方に向けて、いま佐賀放送局のホームページでは、オンライン展示会も実施しています。ぜひ、佐賀で何があったのか。ご覧いただけますと幸いです。

83枚の戦争の絵と向き合って

今回83枚の絵と、描いてくれた皆さんの戦争体験を取材させていただき印象に残っているのは、白武さんのことばです。

「平和な田舎の村で戦場になるような空襲なんてなかったと思っている人が多いと思うけど、実際は大変なことになる、ということを知らせたいと思って描いた」

戦争が始まれば、全員が巻き込まれ、多くの人が悲しい思いをします。戦争を経験された皆さんの体験はそれぞれ異なっていても、「絶対に私たち若い世代に同じ経験をしてほしくない」という共通の思いがあり、それを取材中何度も私に伝えてくれました。緊迫する世の中で、その思いをどう背負っていくのか大きな課題を渡されたと感じています。

戦争の経験者が少なくなる現実が目の前にあります。同時に、世の中は緊迫し、戦争が、まさにいま行われています。戦争は人間が作り出す、最大の不幸だと私は思います。生きやすい社会のために、私に何ができるのか。みんなが生きやすい社会をめざせるように、これからも取材を続け、伝え続けていきます。

佐賀放送局 ディレクター 栗山愛由

画像 絵の前で
左が筆者
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