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キャンディッドフォトとスナップ写真

Candidとは『率直』という意味ですが『率直な写真』とはどんな写真なのでしょうか

元々は1920年代以降に国際会議や議会に裁判などをスナップ撮影するフォトジャーナリズムの用語だったそうですが

少なくとも人がポーズをとってカメラを意識した写真ではない訳でしょうけれどスナップ写真との境界は何処にあるのでしょうか

今キャンディッドフォトとして日本で発表されている写真には通りすがりの人を事前許可なく大写しで突然撮るというブルース・ギルデン的な写真が多く感じます

それらの写真に写っている人々は突然目の前に出されたカメラに対して多くの場合何らかのリアクションをしています

ただただ驚きの表情を浮かべたり不愉快に睨みつけていたり

これは『率直な写真』なのでしょうか?私にはそうは思えません

何故なら記録されているのは撮影されることに対するリアクションでありカメラは意識されているので自然な表情は失われていると思うんですね

それは通行や業務を邪魔する単なる迷惑行為の記録になってはいないでしょうか

私も人が写っているスナップ写真をよく撮りますが個人が容易に画像検索で特定出来る写真の場合は掲載を避けるか撮影後に御本人へ許可を頂きます

あるいはコントラストを強くかけて顔を判別しづらくしたり

カメラを持ってスナップを撮っている事が迷惑行為や不審者と見なされる世の中にはなって欲しくないからです

私が撮っているのはスナップであり人は街の一要素ですが別に『個人』が撮りたい訳ではないのです

『個人』が撮りたいならそもそもポートレイト撮影します

スナップしていてたまたま通りかかった際に庭の手入れ中の老婦人にお声掛けして撮らせて貰ったりするのは本当に貴重な経験ですし楽しいものです(昔の様子を聴かせて頂いたり)

皆がマスクをしている今だからこそ大写しで写真を撮っても何も言われないし誰か特定されない部分は有りますが流行病終息後はまた誰もマスク着用せずに街に出るでしょう

その時に今キャンディッドフォトとして写真を撮っている方々は変わらず他人の顔の前にカメラを遠慮なく突き出して写真を撮るのでしょうか

米国では公道上から何を撮影しても表現の自由がプライバシーに優越するとの判例が出ていますからブルース・ギルデンは撮り続けていられます(彼は撮られたことに腹を立てた男性にカメラを破壊され大怪我した事が有りますが)

我が国では何度となくこの論争は巻き起こり『盗撮』には当たらない(カメラを見せてる)からという事でここまで撮ってこれた訳ですがスマホで容易に画像検索で個人が特定出来るようになった今それが裁判になった場合どうなるのか私には暗い将来しか思いつかない訳なんです

私なりの線引きの話になってしまいましたが『生きている街』を私はこれからも記録していきたいと思っていますし皆様の何か考えるヒントにでもなればと思いつつ今日はここ迄にしたいと思います

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