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近寄り撮ることに価値はあるのか

これは以前noteで『キャンディッドフォトとスナップ写真』として綴った続きというか蛇足となります

人の表情がハッキリ写っている写真を街頭で突然撮り許諾なく発表することは生々しく確かに人の目を引くことになります

しかし肖像権の問題だけでなくそもそも迷惑行為に近い撮り方をしている事により将来的にストリートスナップが撮れなくなるのを憂いています

そもそもドキュメンタリー写真としても顔を広角で大写しするのであれば被写体となった人から何らかのリアクションをカメラが引き起こしてますからそもそも今言われるキャンディットフォトはドキュメンタリー写真たり得ない訳なんです

しかし多くの方々がそういう写真をドキュメンタリー的な魅力的な写真と考えている事実があります

写真のアガりだけなら確かに生々しく魅力的な写真もありますがこれが広がっていくと一般人と写真愛好家の溝は広く深くなっていくと私は思います

最初そういう写真を撮ったブルース・ギルデンが評価されるのは分かります
しかし日本でそれを猿真似することに何らかの進化や発展を私は見ることが出来ません
バンク的な表現だと主張しても猿真似はパンクではありません
ロンドンパンクスのレジェンド達に謝って来て下さい
彼等は既成のハードロックやプログレッシブロックに反旗を翻してロックを身近なものにするために格闘し決して他のバンドの真似はしませんでした
だからそのDNAは後のニューウェーブに引き継がれたのです

なので『盗撮』でないと警察で開き直ればよいという発想を捨て『街を撮らせてもらっている』との観点から『礼』をもって『姿をお借りする』という発想でなければマトモな人間と一般から見なされないと考えなければならないと思うのです
『礼』を失して恥じ入らない人は少なくとも私は文化を云々出来ないと思うからです

いつまでも『生きている街』を記録していけるそういう未来を私は願っています

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