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私とピアノ

 昨年母が亡くなり、遺品整理している中で見つけた1冊のノートに、幼児の私との会話が書き残されていました。
 二歳の時に、隣家から聞こえてくるピアノの音色に耳を傾けて、「あっちゃんもピア欲しい」と私はねだります。母はそれに対して「五つになったらね」と答えます。するとそれから時々、「いつかうんだっけ」「五つになったらね」という会話の繰り返し。ノートの後半に「ピアノが来ました。五歳にならないうちに」と母がうれしそうに書いています。この時、私四歳半。
 「ピアノ」を「ピア」としか発音できないような二歳児が、音を聞いただけでピアノを欲しいと感じられるのか、幼児に「五つになったら」という時の流れが理解できるものなのかは疑問ではありますが、その後、意欲を失い高校生でピアノをやめてしまった私はこの母のノートを読んで泣きました。
 私がピアノに触らなくなってからも母は毎年、調律をし続けて、実家が引っ越した時も新家の居間にピアノ置き場を作り大切に保ってくれていました。
 母が亡くなり実家の家終いをして、そのピアノを私が今の自分の家に運びました。「古いピアノなのに手入れが良かったからかとても良い音ですよ」と、調律師がびっくりしていました。母に感謝。もう死んじゃったけれど。思い起こせば、私は子供時代はずっとこのピアノの横に布団を敷いて寝ていました。そんなに仲良しのピアノだったのに、なぜ高校の時にやめてしまったのでしょう。残念でなりません。
 しかし、そもそも私はピアノが下手くそでした。熱心に練習していた中学生の時さえキレイに弾けませんでした。母が亡くなる二年前、かなり認知症が進んできた時に、Youtubeで一緒にピアノ曲をよく聴いたものです。「あの時やめてなかったら、私も今ごろこんなふうに上手に弾けていたかしら」と私が言ったら、母は即座に「そうは思わない」と返しました。いろいろな事が少しずつわからなくなってきて、全てがゆっくりなのに、その返答があまりに早かったのでびっくり。過去を美化せずしっかり私のピアノ能力を覚えているのかと、ちょっとガッカリしたものです。
 そして今私は、帰ってきた幼なじみのピアノで初心に戻って練習しています。

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