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今日は憧れの人の誕生日だ。雨が降ってセンチメンタルな気持ちになっているので書くことにしよう。その人はボディメイクをストイックに励んでいて、おしゃれで、芯が強くて、その人独自の世界観があって、例えるなら夜の渋谷の強い女みたいな人だ(夜の渋谷なんてよう知らんけど)。

その人は強い。昔友達の関係だとしても時間が経って自分と関わりたくないと思ったらすっぱりと縁を切る。そう、関われなくなったのだ。私はすごく尊敬していたし、その人の呟きでその人の考えを見るのが好きだった。当分見なくなったなと思って探したらいた。よく凍結する人だったから単純に私のことを忘れているんだろうと思ってその垢もフォローした。急にその人に会って話したくなった。インスタも見つけてストーリーで質問箱があったので「久しぶり!元気にしてる?」と送った。数分後にはそのストーリーは消されていた。何となく察した。インスタも鍵垢になっていたので承諾はしてもらったが返してはくれなかった。その前にストーリーであげていた写真にレスポンスしたのは返ってきたけど、社交辞令らしかった。Twitterもブロ解された。友達だからまた関われると勘違いしていた。それ以上グイグイ行くことは出来なかった。悲しかった。想定外なことが起きてすごく、すごく傷ついた。

でも反対に『別にどんな関係であろうとも拒否してもいいんだ』と思うようになった。それから私は人に冷たく接した。そっちの方が気が楽だった。マッチングアプリで出会う人たちにも盛大に冷たく接しては傷ついた人もいたりした。それで自分が強いと錯覚していた。それを知ってなおさら傷ついたと思う。が、知らん顔で図太くここまで生きてきた。その出来事が起きて以降、その以前の自分とは真逆な生き方をしていた。コロナ禍もあって人と直接会う機会はぐんと減ったからまだ良かったのかもしれない。それ以降に出会った人たちには冷たく、今までそういう性格でしたっていう体で接した。違う自分を経験出来てある意味いい経験になった。そんな冷たい自分を約1年くらい一緒にいた。

そこには『本当の自分を見てくれる人はいない』という感情があった。その人に傷つけられてすごいショックで納得出来ずその人に自分の何が嫌がを訊きたかった。だからその人も親しい人たちが仲良くしているのをストーリーなどで拝見するとすごくすごく燃え上がるように怒りが湧いてきた。どうして自分ではいけないのか。その子は良くて私がダメな理由は?せめて理由を聞いてから別れを告げて欲しかった。いくらなんでも急すぎた。しかも追い討ちをかけるかのようにその人はストーリーに『人によっては距離を置くで!』っていうことを何回かに分けて言っていた。そしてそこで素直に傷ついた。この人は自分を傷つけたいからやっているようにも見えた。でもだったら鍵垢も公開しなきゃ良かったのにどうしてそこは承諾したんだろう?と疑問で満ち溢れた。それから1年後に自撮り用垢を作り出し、流石にフォロー出来ず、自分がフォローしている垢にはあまり浮上しなくなった。その時、もうこの人にしがみつくのはやめよう、自分を苦しめるだけだと思ってフォローするのをやめた。結局、外したところで何も変わることはなく、いつもその人を思い出しては傷ついている。

今日は誕生日なのでストーリーにバースディーストーリーをあげる人が複数にいて、それを見ては怒りが湧き上がる。怒りは二次感情と言われる。では一次感情は、といえばもちろん友達でいられる人たちが羨ましい、とか、自分も仲良くなりたい、とかその人に嫌われて悲しいとかそういった感情なのだろう。

ここで一つ疑問に思うのが、どうして怒りになってしまうのかということ。まぁ、私自身が短気で怒りやすいというのも一理あるかもしれないが、素直に一次感情に思えたら二次感情と言ったものは感じないはずだ。では、なぜ?見栄とか意地とかプライドの問題なのか。でも、人に見られているわけではないから素直に思えばいいのではなかろうか。自分でも分からない。怒ってもどう仕様もないのは分かってはいるが感情には抗えない。いつか時間がかかってもその人にお近づきになれないか。未練タラタラである。或いはもっと魅力的で夢中になれるような違う人を見つけるか。対人関係は相手の感情も入って複雑化するから嫌いだ。この人みたいに傷つける人がいて素直に傷つくようなことがあっても困る。メンタルを強化するか……。自分に出来ることをするのみ。以上。

その人と自分が一緒にいる姿を想像してみた。出来なかった。つまりはそういうこと。

誕生日おめでとうございます。どうかお幸せに。(最後くらい格好つけさせろ)

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