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【読書日記】他人がいるから自分がいるわけで

久々に外出した。昨日、本当は予定があったけど、どうしても外に出られなかった。ずっとゴッドタン見てケタケタ笑ってた。

先週の日曜日に書いた記事がたくさんの人に届き、心が嬉しさを受け止めきれなかった 笑
自分が表現したものに対して、なんらかの表現を受ける時、結構体力を使うよなぁとしみじみ。(それが肯定的なものであれ、否定的なものであれ。)

受け取りすぎたアウトプットを咀嚼するため、家にこもる。2日ほど家にこもっていると、果たして私は人間なのか?という思考になってくる。
だからしばしばチェーンのカフェや、ファミレスに行って、人間世界に降り立ち、自分が人間であることを確認する。


⬇️こんな感じ。

"他者がいて初めて自己を確認できる"現象、面白いな~と。

京大名誉教授の森毅さんは、エッセイの中でこう書いている。

他人に見られているようでも、じつはその他人の目というのは君自身の目で、きみが他人のとこからきみ自身をみている、そんなところがある。きみが別の他人でない以上、きみが気にしている他人の目というのも、結局はきみが彼に投影した、きみ自身の目だ。
多くの他人の目にかこまれて、そのなかで自分であること、それはきみが、自分の目で自分を見、自分の心で自分を作っていくことだ。
自分は自分だ、というのはけっしてひとりぼっちということではない。逆に他人の目のなかにあって、自分は自分なのだ。

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自分の心で自分を作っていく
他人の目の中にあって、自分は自分なのだ。

上手くいかないとき、逆にどうしようもなく嬉しいとき、
主語か"私"でなくなる。
上司が、お客さんが、あの子が、と。

感情が一杯なときも、どうか"私"を忘れたくない。

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