『LIVING PRAISE』長澤知之インタビュー:「音楽に救われた」人生への賛歌

2021年にデビュー15周年を迎えるシンガーソングライター、長澤知之。配信リリースに配信ライブ、3月には有観客ライブを開催するなど精力的に活動してきた彼が、8月4日に8年ぶりとなる3rdフルアルバム『LIVING PRAISE』をリリースする。

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『LIVING PRAISE』(全12曲)
2021年8月4日(水)Release
POCS-23014 定価 : ¥3,000(本体¥2,727 税率10%)
M1. 羊雲
M2. 朱夏色
M3. 青いギター
M4. ポンスケ
M5. ラブソング2
M6. 宙ぶらの歌
M7. 広い海の真ん中で
M8. シケ
M9. クライマックス
M10. とあるパーティーの終わり
M11. My Living Praise
M12. 三月の風

先行配信曲7曲を含む全12曲で構成された『LIVING PRAISE』は、実に多彩なカラーパレットのごとき一枚となった。全楽曲がリード曲と呼べる完成度で鳴り響き、それぞれにリスナーを違った世界に引き込む。 6月末、所属事務所のオフィスオーガスタの一室にて、マスタリング作業を終えたばかりの長澤にインタビューを実施。1時間半にわたって、アルバム全体や各楽曲について、じっくりと語ってもらった。

――『LIVING PRAISE』、素晴らしかったです。それこそ開始1秒、イントロ部分から各楽曲の個性が際立っていて。

ありがとうございます!その時々の自分の気分でガーッとやっていたので、感情の振れ幅が完全にそっちに行っているぶん、1曲1曲のパワーが強いのかもしれません。そういった曲がたくさん集まってできたアルバムですね。

――本作は2013年の『黄金の在処』以来、約8年ぶりの3rdフルアルバムになります。出来上がったばかりの今の心境を教えてください。

結構長い時間をかけて作っていたから、あんまり出来上がった実感はないんですよね。「あ、出来たんだ」という感じです(笑)。

――2020年から配信リリースされていた曲も多く入っていますもんね。アルバム制作期間を設けて作る、という形でなく、楽曲がたまってきたうえでアルバムをリリースするという形式は、いかがでしたか?

このスケジュールでこのときまでに作る、という緊張感はなくなってしまうのですが、とはいえ曲を作るときの緊張感は変わらずありますね。

僕はビートルズの『ホワイトアルバム』(『ザ・ビートルズ』の通称)が大好きなのですが、『オブ・ラ・ディ、オブ・ラ・ダ』から『ヘルター・スケルター』まで、全然違った色々な曲があって。僕自身がそういうアルバムが好きだから、『黄金の在処』も『JUNKLIFE』も歌っていることは全く違うんだけど、それが一つの人間像として結びついていればいいと思っていたし、『LIVING PRAISE』もそう。そういう意味では、これまでとあまり変わらないかな。

――『LIVING PRAISE』というタイトルには、「人生賛美、人生賛歌」の意味がある。讃美歌という観点だと、長澤さんのルーツといえるのではないですか?

おっしゃる通り、「LIVING PRAISE」は子どもの頃に歌っていた、現代風にアレンジされた讃美歌のことです。ずっと頭の中に残っていて好きなものだし、ルーツでもあるし、言葉そのものも良いなと思って、このタイトルにしました。

こういう状況の中で知り合いが亡くなってしまったり、僕らの業界でいうとライブハウスが潰れてしまったり、色々な経験をしました。自分は結構アップダウンのある人間だと思っているのですが、そういったきついときにどういう風に思考を持っていくかってすごく大事だと思うんです。

LIVING PRAISEというものは生きている実感、そして称賛を表す言葉でもある。僕の好きなジョニー・キャッシュの『Hurt(ハート)』という曲では「痛みこそが生きている証だ」と歌っているのですが、僕自身も「喜怒哀楽全部が、生きている証明だ」と思いながら曲を書いていました。生きていることは、LIVING PRAISEでもあるから、暗い曲もそうではない曲もこの言葉に集約されるのではないかと考えています。

――非常によく分かります。サウンド的には色々な挑戦や遊びがあると思いましたが、歌詞にはこの“いま”を生きる「生活の実感」が滲んでいる。これは長澤さんならではの個性でもありますが、『LIVING PRAISE』はこれまで以上に「いま」を歌い、「過去」を振り返り、そのうえで「未来」を見る曲が多いのが印象的でした。これもまた、人生賛歌ですね。

うん、そうですね。そういった風に聴いていただけて、嬉しいです。

――そしてそこにはやはり、コロナ禍も影響している。今回のアルバムには未収録ですが、長澤さん自身もコロナ禍とシンクロする『密なハコ』を制作されていました。先ほども軽くお話に上がりましたが、こういった状況になって、ミュージシャンとしてはどんな変化がありましたか?

嫌なことって、人間関係であれ、現象であれ色々な形で起こり得ると思うのですが、それぞれによって刺さるところや負担も違う。ただ今回は、ひょっとしたら人類史上初めて同じ問題を共有しましたよね。『密なハコ』でも書きましたが、「世界は1つの村のよう」といいますか、みんなが同じ悩みを抱えて問題を共有している。不幸なことではあるし、早く終わってほしい、みんな安心してほしいと思いつつ、全く同じものを見ていること自体は、すごいなと思います。
ただ、僕が恐れるのは、こうした大きな問題の中で疎外感を抱いてしまうこと。自分よりも不幸な人がいて、自分の抱えている小さな悩みを世の中に打ち明けられる状況じゃなくなって、ストレスが肥大化してしまう……。そういったときに「同じものを見てるよ」という一言が歌詞の中にあるだけで救われるんじゃないかと思うんです。

――その優しさは、今回のアルバム収録曲『宙ぶらの歌』にも通じますね。コロナ禍の期間中、精力的に配信ライブやリリースを行っていたのも印象的です。

時間もありましたし、僕ができることは限られているけど、その中でできることをやっていましたね。

――ここからは、『LIVING PRAISE』の収録曲全12曲について、順番に伺っていきたいと思います。まず1曲目の『羊雲』ですが、歌詞に福岡のライブハウス「照和」が出てきますね。そういった意味でも、長澤さんのルーツをたどるフルアルバムの意味合いが強い。『羊雲』は5月に配信リリースされた曲ですが、『LIVING PRAISE』の1曲目にすることは当初から決めていたのでしょうか。

始まりと終わりをどちらもドリーミーなものにしたいと思っていて、『羊雲』と『三月の風』が1曲目の候補でした。だから、『三月の風』パターンの曲順もあったんです。

――そうだったんですね! 「羊雲」というキーワードは、秋の季語でもあるし「これから天気が荒れる」予兆を示す言葉でもありますよね。少し不穏な意味合いというか……。

そうですね。さっきのお話にも通じますが、コロナ禍というタイミングで「良くなるよ」とか「きっと大丈夫」という言葉を使った応援歌はたくさんあるけれど、「悪いことも起こるよ」と言うことも大事だと、僕は思うんです。ひょっとしたら明日肝硬変になっちゃうかもしれないし……それは自己責任なんですけど(笑)。

ただ、「悪いことも起きるから今日何をするか考えたほうがいい」という想いはあります。だから「明日は雨かもしれない だけどいいのさ」という歌詞を書きました。

――あぁ、わかります。無理矢理引っ張っていくスタンスじゃないのが、とても心地良い。あと、「雲」に関して言うと『はぐれ雲 けもの道 ひとり旅』もありますよね。もう少し広げて「空」だと、『茜ヶ空』もある。長澤さんにとって、重要なキーワードなのでしょうか。

雲に限らず、みんなが見ている現象というのは歌詞にすることで共有しやすいものでもあるんですよね。僕自身も、良く空を見ているのもあります。

――以前、ライブのMCで「しんどいときには、空を見ると良い」とおっしゃっていましたね。

うんうん。「空さえあれば、なんとかなる」と思っています。

――そうした感覚は、割と昔からありましたか?

そうですね、言われてみると、両親の影響が大きいかもしれないです。

――そういった意味でも、ルーツと呼べるのかもしれませんね。続いては、2曲目の『朱夏色』です。秋(『羊雲』)から夏(『朱夏色』)に移るわけですが、このタイトルはこれまでの長澤さんの楽曲群からするとちょっと珍しいテイストかも?と思いました。

書きたいことを考えていくなかで「朱夏」という言葉を思いついて、イメージやビジョンを構築していくなかで「朱夏色」のほうがいいな、と思ったんですよね。「朱夏色」という言葉自体は、造語です。僕はあまり造語を恐れないので(笑)。

――ということは、元々「朱夏」という言葉はご自身の中にあったのですね。そこに「色」がつき、「僕の恋は朱夏色」と繰り返されることで、聴く側の頭の中で「どんな色なんだろう?」と空想が広がっていく気がします。

ああ、それはすごく嬉しい。いろいろ想像しながら聴いてくれたらなと思います。

――サウンド的には、跳ねるような遊び心が詰まっていますね。

キラキラしたマジカルなものが欲しくて、エキセントリックなものなら尚いい、と思っていたんです。そういった自分の中でのキラキラ感を音像化した結果、ああいう曲になりました。

――『羊雲』『朱夏色』と聴いていくと、「いまをどう生きるか」というテーマがより浮かび上がってきますね。

そうですね。基本的に僕は、後悔のないように生きていく方が絶対お得だと思っている人間なんですよ。この2曲では未来から見るいま、過去から見るいまの中で「自分が楽しめているか」に思いっきりシフトして、その中で『朱夏色』だと「恋をしていこうよ」という言葉につながる感じですね。

――3曲目の『青いギター』は、激情がありながらも、ぐっと内にこもった歌い方が印象的でした。たとえばシャウトする方向性の『零』『死神コール』といった楽曲も制作されてきた中で、今回はささやくように歌っている。ある種、「聴きやすさ」を重視されたのかなと。

いま、凄く「そうだな」と思いながらお話を聞いていたのですが、おっしゃる通り今回は「ワーッ!」とシャウトする表現を選ばなかったんですよね。

自分が曲づくりを始めてから東京に出るくらいまでの時期で作詞・作曲のスタンスや世界観がある程度決まっていたところがあるのですが、一言でいうと「一人部屋」なんですよ。

――おおっ。長澤さんのライブの形態のひとつである「IN MY ROOM」にも通じますね。

そうそう。ひとりの部屋の中で沸々と怒りがこみあげてきたり、疎外感を抱いたり……。そういった状況のときの声は、シャウトするというよりも、もっと低いトーンだと思うんです。

『青いギター』はまさにそんな感じで、どちらかといえば押し黙って、ギターをかき鳴らすことで気持ちを表現する――そんなイメージが頭の中に浮かんでいたんですよね。

――そういうことだったのか! 実に面白いお話です。「声」という観点でいうと、4曲目の『ポンスケ』は長澤さんの進化を感じさせる曲でした。というのも、かつてのライブなどでは演奏中に声を枯らすこともありましたよね。でもこの曲の中では、とても楽そうに自由に歌っている。裏声もすごく伸びていますし、色々な声の使い方が1曲の中に詰まっていました。

確かに、そうかもしれないですね。ちょっと前の自分だったら喉を潰しちゃうからこういう歌い方はできないかもしれないし、『ポンスケ』の歌い方はすごく好きで、かつ楽でした。

いやしかし、面白いですね。自分の変化にはなかなか気づきにくいものですから、「そうか、なるほどな」と思いながら聞いていました。

あと、「ポンスケ」って声に出してみると妙に可愛らしさがありますね(笑)。

――確かに(笑)。ただ、歌詞の中には「遺憾と要請で」「希望と我慢で」といったような、昨今耳タコ状態のワードが入っていますよね。タイトルの可愛らしさと歌詞のシニカルさのギャップが、非常に面白いです。

岡本太郎さんの作品って滅茶苦茶強烈な怒りやメッセージを感じるのですが、キャラクター自体は可愛いんですよね。可愛さとブチ切れがマッチしているやり方は僕も嫌いじゃなくて、そういったアプローチは結構影響を受けています。

「ポンスケ」という言葉自体、響きこそ可愛いけど、政治評論家の三宅久之さんなどが政治家に対して使っていた、人をけなす類の言葉なんですよね。テレビで見聞きしたその言葉を覚えていて、パンチも効いているし良いんじゃないかと思って付けました。

――タイトル時点で、毒っ気があふれているわけですね。そして、5曲目の『ラブソング2』ですが、これもタイトルを聞いた時点でファン的には「おっ」とテンションが上がります。ずばりお聞きしますが、これはミニアルバム『EXISTAR』の収録曲『ラヴソング』の続編ですか?

実は全然関係なくて(笑)、仮タイトルだったんですよ。あとで考え直そうと思っていたら、ディレクターが「『ラブソング2』でもよくない?」って言って、「そっか、じゃあこれでいこう」となったのが真相です。

――そうだったのか……! 色々と共通項を探しながら聴いていました(笑)。個人的にこの曲で面白いなと感じたのは「血と骨と肉と魂と」の部分。特に「骨」、もっと言うと「人骨」というキーワードは、これまでの長澤さんの作品では出てこなかったように思います。

それは意識してなかった。そうか、「骨」って今まで使っていなかったか……(考え込む)。

「大きな宇宙 小さな宇宙」という部分に関しては、「小さな宇宙」は僕ら自身、つまり全身全霊という意味を込めて並べたんですよね。ただ、基本的には割とスッと出てきた言葉たちで構成していたから、「骨」という言葉の珍しさについてもあまり考えていなかったです。

――そうか、それもまた面白いです。楽曲的には、5曲目の『ラブソング2』から6曲目の『宙ぶらの歌』への流れが素晴らしいですね。『宙ぶらの歌』は単体としても大好きな曲なのですが、通して聴いているとまた違った色が見えてきて面白い。

おお、ありがとうございます。

――冒頭のお話でも少し触れましたが、「なんでもないかなしみはどうしたらいいの」という歌詞の部分を初めて聴いたとき、涙がこぼれました。いま、一番言ってほしい言葉だなと思って。あえてのひらがな表記にしているのも記憶に残りました。

曲全体の雰囲気を、柔らかいものにしたかったんですよね。「静寂」という言葉から始まるので、漢字のままだと硬いと思ったんです。

――それで「せいじゃくは街のけんそうよりうるさくて」という表記になったんですね。「歌詞を読む」ところにも意識が広がっていて、音楽という表現の豊かさを一層感じさせました。家でじっくり歌詞カードを読みながら音楽を聴く、という楽しみもできる。

うんうん。

――もう少し『宙ぶらの歌』の歌詞についてお話しさせていただくと、「午後はなにもしてないよ 午前もそうで」の部分は『センチメンタルフリーク』にも通じますし、「テールライトの列を見ているようで」は『回送』とも重なる。これまでの楽曲とリンクする部分を感じました。

やっぱり、同じ人間が書いているから見ているものが重なってくる部分があるんでしょうね。自分の生活が昼夜逆転しているときなんかは、ぼうっと壁を見つめているのですが(笑)、だんだん朝が白んでくる風景もすごく覚えているし、どこか同じ感覚を持っている人たちと自分が見ているものを共有することで痛みを分散して、自分も救われた気持ちになるところがあります。

――僕も基本的に昼夜逆転なので、「新聞配達のバイクの音」がぐっと刺さりました。『24時のランドリー』じゃないですが、「いつの間に『今日』になったんだ」と思っています(笑)。

似たような生活をしているよね(笑)。

――本当に……。ここからはいよいよ後半戦ですが、7曲目の『広い海の真ん中で』はひょっとしたらこのアルバムの中で一番力強い歌い方なのでは、と感じました。プラス、「最後に感謝したかった」「最後にちゃんと謝りたかった」「最後にもいちど抱きたかった」と後悔しながらも、「今じゃなんでもなくても最高だって思うよ」とある種の“決意”を歌っている。

やっぱり、歌詞に合わせて歌い方は変えていますし、『広い海の真ん中で』だとおっしゃる通り「力強く届けよう」という意識はありましたね。

――この曲の中の「海」というものも色々と考察してしまうのですが、どういったプロセスで生まれてきたのでしょうか。

「海」を色々なメタファーとして使うこともありますが、この時は良い感じに自分の心の中にビジョンが浮かんでいたんですよね。どでかいまっ平らな海で、一人ぽつんといる状況の歌を書きたかったんです。だから、ジャスト海ですね。

――『宙ぶらの歌』が一人の部屋、その後に大海原の『広い海の真ん中で』が来て、8曲目の『シケ』に移っていく。この構成も面白いですね。対義語が続くというか。

そうそう。前の曲を次の曲が否定しつつ、関連していて、最初(『羊雲』)と最後(『三月の風』)が結びつけばいいなと思っていたんです。

――『シケ』は今回のアルバムの中で最も短い曲ですが、不思議な陶酔感がある。長澤さんらしさが凝縮された曲だと感じました。

この曲は家で一人で作っていたのですが、さっきもマネージャーと話していたのは「怒りが原動力」ということ。『シケ』もそうで、『広い海の真ん中で』では「海の真ん中でぽつんとしているけど、いまが最高なんだ。いま気づいたら、あのときは幸せだったんだ」という信仰心の中で生きているけど、それを『シケ』でガツンと否定する。

それも人生だと思うし、意図的に自分のそのときの怒りを入れて、かつ『広い海の真ん中で』の後に置いたんです。

――それこそ、デビュー当時の長澤さんのキャッチフレーズのひとつは「アシッドボイス」ですもんね。「怒り」が創作の源、というのは非常によく分かります。

アシッドボイス(笑)。そうでしたね(笑)。「怒り」は僕にとって、非常に大事なものです。

――『シケ』に顕著なディストーションも、長澤さんを表す言葉のひとつかと思います。

確かに。『ディストーション』っていうタイトルでもよかったかもしれない(笑)。

――(笑)。9曲目の『クライマックス』は、打って変わって「エモい」楽曲ですね。2020年9月の配信ライブ「Streaming Nagasa・Oneman 9 Acoustic Ver.」で披露されたときも、がらりと雰囲気が変わったのを覚えています。

僕はこういうタイプの曲が嫌いで、「嫌いな曲を茶化して作ってやろう」というところから始まったんです(笑)。でも気づいたら夢中になっていましたね。

僕はビートルズの『And Your Bird Can Sing』という曲が大好きなのですが、ジョン・レノンは後から「駄作だ」って言ってて。「そんなこと言うなよ!」って頭にくるんですが(笑)、なんだろうな……。茶化すにしても、そこにちゃんと喜びを感じたり、完成度を高めて自分の好きなポイントをたくさん入れていったり、ユーモアとして成り立つんだったらありだと思うんです。日本人ってブラックユーモアを煙たがりますが、僕は結構好きな人間なので、肯定的な意味で否定的なものを作ったんですよね。

――歌詞でいうと、「二人」や「君」に向けるまなざしの優しさを感じました。

どこまで話すべきだろうか……。ええと、僕は色々な人間を理解しようと思っていることが多くて、倫理的や道徳的にはみ出す人間っているじゃないですか。

――はい。

たとえばシリアルキラーはなんでそうなったのか? 育っていく境遇やその過程が問題であって、罪ってその一人のものなんだろうか?

『クライマックス』の話でこんなことを話すのはちょっと変なんだけど、実はこの曲は性善説じゃないけど、「人はだれしも善人で、社会や周りの環境が悪にしていくのかもしれない」と考えながら書いていた曲なんです(笑)。

――なんと……! 流石にそこまでは読み解けませんでした。でも、こうした作り手と聴き手のズレというのもまた、面白いですよね。

そうなんですよ。どんな受け取り方も解釈も正しくて、聴いてくれる人の耳に入った時点でその人の作品ですから。だから、ある種共同作業なんですよね。一緒に、一番良い曲を創り上げていく。その多様性が素晴らしいから、どこまで作った側のことを話していいかはよく考えます。

――意味が付きすぎてしまうと、「そういう風に聴かなきゃいけない」みたいにもなっちゃいますもんね。

自分も自由に聴きたい人間だから、あんまり押し付けたくはないんですよね。色々な聴き方があって良いと思います。

――確かに……。その辺りに気を付けつつ、あと3曲伺っていきたいと思います。10曲目の『とあるパーティーの終わり』は、これまた面白い。ここでいう「パーティー」は、RPGのチームとしての意味なんですね。あの名作ゲームのフレーズも入っていて、遊び心が満載です。長澤さんは普段、結構ゲームをされるんですか?

昔はしていたんですが、いまはあんまりやりませんね。パッと思いついたイメージの中で書いていきました。

これはわかりやすくダウナーなときに書いた曲なんですが(笑)、ダウナーなときにダウナーな曲を書くのはある種のストレス発散になるんです。とはいえ、本気でダウナーな気分と向き合うと遺書みたいになってしまうんですよ(笑)。それだと苦しくなってしまうから、ちょっと笑えるようなユーモアが必要で。

対外的にもユーモアを入れたほうがいいし、自分もそういった曲が好きですね。自分のためでもあるし、他者が聴いても悪くないのかな、と思ってそうしました。

――「海のそこからあおぐ陽」という、下から上を見る視点は、『蜘蛛の糸』の天井のジグモ君を眺めるものと一致しますね。

そうですね。自分自身、横よりも縦を見る人間なので、そういう感覚は昔からありますね。

――いまのお話を聞いていてすごいなと思ったのは、ダウナーな気持ちのときにも創作に向かうところです。長澤さんにとって、生活と結びついているんですね。

そうですね。こういう感じで(ギターを手に取りつま弾く)「ああ曲ができた」と思ったら録音して、そこから仕上げていきますね。

――すごく素敵だなと思います。どんな気持ちのときも曲を作って、それが人に届いて、誰かを救って……。自分のいまの心の状態が、自分だけのものじゃなくなってくる。

本当にそう思います。音楽にはマジで救われましたね。一人セラピーじゃないけど、すごくありがたい存在です。

――良いお話ですね……。そして、次の楽曲のお話も聞かせてください。11曲目 『My Living Praise』も素晴らしいですね。「ついつい言葉を選んでる」と正直に告白しながらも、それでも前に行こうとするというか、希望がちゃんとあって。『ソウルセラー』や『アーティスト』のような、表題曲であり、長澤さんの生き様を感じさせる名曲です。

そう言ってもらえて、マジで嬉しいです。

――「誰にも伝わらないけど あなたにさえ伝わればいい」という部分も、すごく好きでした。周囲に理解されない哀しみは『犬の瞳』、唯一の理解者への慈愛は『捨て猫とカラス』を彷彿とさせます。

うんうん。

『My Living Praise』、自分は大好きな曲なのですが、ちょっと内面的過ぎたかなというような気持ちもあって。今回のアルバム自体も、いままで作っていたものよりもインサイドな雰囲気が強くて、心象風景を歌い続けている感覚があるんですよ。ただそれが誰かの心象風景と結びつけば、結果として対外的なものになるとは思うし、『My Living Praise』もそうであればいいなと願うばかりです。

――いや、本当にそうなっていると思いますよ。

だといいなぁ。

――いちリスナーとしての意見ですが、ミュージシャンが自分から離れていってしまったなと思うことって往々にしてあると思うんです。それこそ、心象風景が重ならなくなってくるというか。でも長澤さんの場合は、ずっとそばにいてくれる。そうした喜びを『My Living Praise』に抱きました。作っているときは、表題曲になるなという感じはあったのですか?

そうですね。結果論なんですが、書き終わったときに「これは(表題曲になる)」という手ごたえを感じられるものにはなりました。

――そして、最後の曲であり、1曲目と円環上につながっていくという意味では最初の曲ともいえる『三月の風』について聞かせてください。この曲は「曇り空よ 曇り空よ」と繰り返すところから始まりますが、冒頭にお話しした「空」は『羊雲』にも通じつつ、繰り返すことで童話のようなニュアンスもあります。

これはかなり昔に書いた曲で、仕上げたのが最近なんですよね。『SEVEN』のときにサウンドプロデューサーを務めていただいた「ROVO」の益子樹さんに「長澤君の曲は祈っているみたいだね」と言ってもらえて、「確かにそうだな、そういうところがあるな」と思ったのですが、『三月の風』の復唱する部分については、そういった「祈り」が反映されているようにも思います。

――大いに納得です。『三月の風』含め、図らずも『LIVING PRAISE』には季節感のあるタイトルが並びましたね。

確かに。それは意図していなかったのですが、おっしゃる通りですね。「三月」って、別れの季節でもあるし、色々な意味で使われますよね。

――新年度に向かう意味もありますよね。この曲は、2021年3月に開催された久々の有観客ライブ「長澤知之 BAND LIVE 2021」でも披露されました。

あのときは頭が真っ白でした。楽しんでいた部分もあったけど、アドレナリンが出ているときってものすごく鮮明に覚えているときと、全く何も覚えていないときの二つに分かれる(笑)。あの日は後者でしたね。完全に真っ白モードでした。

――堂々とした素晴らしいパフォーマンスでしたが、そうでしたか! それこそ、次のライブは『LIVING PRAISE』を引っ提げた「『LIVING PRAISE』リリース記念LIVE」です。

楽しみではありますが、レコーディングでしかできないようなアレンジの曲もあるので、どのように表現しようかなと考えていますね。

――ただ、また新たなアレンジといいますか、その曲の一味違った“表情”を見られるのはライブの醍醐味でもあるかと思います。

うん、僕自身も再現性の高さをあんまり求めてはいないんですよね。いつもみんな偉いなって思うんです。ちゃんと覚えるから……(笑)。

俺もやらなきゃだめだなって思うんだけど、やらなくてもいいじゃんって思う自分もいる。譜面通りに弾くのは大事だなと思うんだけど、自分は「最低限ここは守りたい」という芯をちゃんとやれば、あとはどうでもいいと感じています。その場で歌詞を変えてもいいし、レコーディングしたものはあくまで「レコーディングした段階」のものとして、だんだん変わっていってもいいかなと。

――きっと、自宅で作ったあとレコーディングするときに大きく変わったものもありますもんね。『LIVING PRAISE』の中だと、完成形が「こうなるのか!」と思ったものはありますか?

『ポンスケ』はギタリストの宮崎遊くんとアレンジしながら作ったのですが、ギリギリで作り出したこともあって、できて間もないんですよね。色々ハプニングも起きた中で勢いで作ったから、出来上がったときに「おおっ! いい感じになっている」と面白かったですね。

――教えていただき、ありがとうございます。長澤さんは今年デビュー15周年ですが、意識はされましたか?

いや、それはないかな。山さん(山崎まさよし)もCOILもそうだと思うけど、デビューってレコード会社の都合だから(笑)。個人的には、初めてギターを触ったときがデビューだと思っています。

15周年というのは、きっと応援してくれた方々へのものなんですよね。だからみんなが喜んでくれたら、それが一番うれしいです。


==interviewer==

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SYO
1987年福井県生。東京学芸大学卒業後、映画雑誌の編集プロダクション、映画WEBメディアでの勤務を経て、2020年に独立。映画・アニメ・ドラマ・小説・漫画・音楽などカルチャー系全般のインタビュー、レビュー、コラム等を各メディアにて執筆。トーク番組等の出演も行う。





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