アドレスホッピングをはじめて6ヶ月経ったいま感じること。
2月からアドレスホッピング生活をはじめて昨日でちょうど半年。
といっても平日は基本同じゲストハウスに泊まり、週末だけ移動するか、疲れてたら実家に戻る、といった生活。
世間が「アドレスホッパー」と聞いて、どのようなイメージを想起するのかはわからないが、毎日せわしなく移動しては現地の人との一期一会を繰り返す、といったものでは全くない。
移動すること自体に幸福度を感じるのではなく、
自分にとって理屈抜きに "居心地がいい" と感じられる場所に身を置いているだけのこと。
そして、この生活をしていると自分の幸福度を満たす何かの解像度がとても明確になってくる。
"人に期待しない"
よくTwitterで見かける言葉。
理屈はわかるが、これを既存の人間関係に置き換えて実践することには、とても難しさを感じる。
今の生活で出会う人たちは、スタッフと常連の宿泊者以外は、一期一会。
自己紹介から始まり、ラウンジで仲良くしゃべって、数時間で親友のように意気投合したかと思えば、次の日の朝には何事もなく自分の旅路へ帰っていく。
寝る時に
"じゃあ世界のどこかで"
なんて言葉を笑いながら掛け合う時も。
それは出会う前の期待値と何も変わらない。
爽やかでもあり、ある種ドライな一期一会がとても心地いい。
付き合わなくていい。
出たくなったら出ればいい。
利害関係があって一緒にいるわけではなく、あくまで自分が好きだからそこにいるだけ、という空間。
気に入らないことがあったら勇気を振り絞って言わなければならない空間でもなく、単にいたいから、今ここを選択しているだけで。
自分の身の回りの全ての環境に対して当事者意識と責任を持っている
なんて言うとだいぶ意識高く聞こえるが、一定のコミュニティにい続けると、わかっていても軽減してくる。
無意識にたまる不満を、無意識に未処理のままにし、無意識に環境や人のせいにしてしまったり。
自分は特にそうだった。
移動すればいいのだ、コミュニティを。
不満がたまるということは、この瞬間自分の求めるものを満たす場所じゃないというだけで。
それか自分が変わったか。
そんな、ご丁寧に不満を処理なんてしなくていいのだ。
ない場所に行けばいいだけで。
既存のコミュニティを出ることに、一片の執着もなく、ネガティブな感情もなく、感謝にまみれて "爽やかに断つ" ことができるのも、この生活のいい部分だなと思う。
さて、移動しよう。