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【『薔薇のない花屋』】 ステイホームがつづくから。 【第3話】

こんにちは! 札幌市にもマンボウが戻ってまいりましたよ(おはやいお帰りで…)、
はい、ステイホームも尾藤といっしょ(♡)、いやむしろステイせざるを得ないぶん、いつも以上に尾藤といっしょ!です、ながおかです。

や、いろいろたいへんな時期に、のんきなことゆってすみません。
(叱られる前にすばやくあやまるスタイルです。)

■(もう本題。)
おおアイツこれまでの反省を活かす術を身につけたな、と、思いましたか?
前置き長いよ、って思ってたけどようやく気づいたな、と、思いましたか?

ちがうの。

ていうか、前置きが長いことには、じつはとっくの昔に気づいていたんですよ、ふふ。
(罪が重くなるからやめなさい。)

今回はね、もう、すばやく本題に入りたくてたまらないんです。
というのも、ええと、マガジン的には前々回?の、『薔薇のない花屋』第2話の記事で、わたくし、
尾藤イサオ演じるところの平川辰巳氏=通称・辰巳パパ(※私しか呼んでいない。)について、

 〈とにかく、すごい、ダメなおとうさん〉
   (でも、そこがかわいい。)

…的な記述をしたんですけども、
第3話「終電までに探して」を見ましたらね、ひゃくはちじゅうど、見方が変わってしまいました!ことを!とりいそぎご報告したいんです! いや、もうね、あのひとね、

※ め っ ち ゃ 、 い い お と う さ ん !

だったわ!!

■(…だいぶん先走りましたね。)

ええと、3話の辰巳パパの出番も、大きく分けて2回。ですが、前回よりは、だいぶん尺が長めの2回です。

一度めは、検査のためになんかあの、MRI?みたいな?機械に入れられ → その検査について、娘(竹内結子さん)と話すシーン。
これがね、いや、しょっぱなからマニアックなかんじになってたいへんきょうしゅくなんですが、あのね、
検査の機械に入るときって、目をつぶりますよね…あおむけで、目をつぶって入りますよね…だからね…
前のシーンから、パッと切り替わったときに、あおむけに横たわって、かつ、

※ 目 を 閉 じ た 状 態 の 尾藤イサオ(inパジャマ)

が、画面いっぱいに映し出されるわけですね。
(これ…は…。)(つまり…。)
(このドラマにおける、尾藤イサオの立ち位置って…。)

※ 萌 え 要 員 。

という解釈でよろしいのでしょうか。
ていうか、わあ、横顔きれいだなあ。
わたくしね、尾藤イサオの目の輪郭がたいへんにたいへんに好きで、それでつい、尾藤が目を開けた状態のとき(ほとんどそうですな。)には、どうしてもおめめまわりに視線が行ってしまうんですよね。
でもこうして、目を閉じてる状態のお顔を、わりと長い尺で見ていると、なんでしょう、けっきょくのところ、〈その他のパーツもみんなすき!〉であるということに気づかされます。

いやもう、ほんともう、黙って横たわってるだけでイイ男なんだもん。
いったいどうしたものかしら。
(どうしたらいいかわからなかったので、とりあえず三回リプレイしました。)

■(さておき。)
その、検査を受けてる辰巳パパの映像にちょっとかぶさって、次の画(病室で、娘と話している)の会話が流れてくるんですね。

あ、これ、あれだ。
『ノーサイド・ゲーム』でおなじみの。
 (制作年でいうと『薔薇のない花屋』のほうが先ですが)

〈まずは声から〉パターンだ。

…いいなあ。
この、先に声だけ聞こえてきて、そのあとで尾藤を見せてくれるシステム、ほんとうにいいなあ。
(わ、いい声だなぁ)って、毎回おもうし、おもった瞬間にパッと尾藤イサオ(きゃわ!)本体が映って、(ああ、やっぱぜんぶいいなぁ)ってなる、あの、ものの数秒のあいだに、
 尾 藤 イ サ オ に 出 会 い な お す か ん じ 、
ほんとうに好き。

■(で。)
声からインして、お姿も映った辰巳パパは、
 俺、やっぱり悪い病気なのかなあ。
みたいなことを気にしているわけです。気にしている、わけなんですが、

おっと、あの、すみません、いままで〈あらすじ〉的なことにいっさい触れずに来ましたゆえ、ドラマ未視聴の方には「いやいや、まったく初耳なんですけど!?」って情報でもうしわけないんですけど、
辰巳パパはね、ちょいと難しい手術がひつようなわけですよ。
で、そのための技術やらお金やらあれこれと引き換えに、美桜(みお=竹内結子さんの役名)は、〈汐見(香取慎吾さんの役名)に近づいて誘惑せよ!〉ていう指令を院長先生から受けている、というのが、このドラマのそもそもの発端なんですよね。

なので、もう、ここでの辰巳パパの懸念には、われわれは、〈…うん。〉みたいな感慨しか抱けないわけです。
さらに、今度は入院費用の心配をしだす辰巳パパに、美桜ったら〈院長が厚意でアレしてくれるから〉みたいに言うのでパパは、
《その代わりに、お前が院長にアレしてやってたり…?》
てゆう、要らん上にまとはずれな心配を重ねる結果になるのですが、

この〈アレしてやってたり…?〉発言の際の尾藤のしぐさが、絶っ妙に曖昧で、何をしてるのかはわからないんですが、なんとなく、〈それはいかん、それは!〉って気持ちになる動きで、だいぶ笑ったんで、結果としてはオーライです。

■(でね、)
ここらへんで、(おや?)って、なったわけです。
前回(第2話)では、美桜にとって、〈とにかく女好きでだらしないおとうさんで、だいきらいなんだけど、娘としては見殺しにもできない…〉存在である、という印象を受けた辰巳パパなんですが、
(そしてたぶんそれって、主人公二人の関係の変化に沿って、見えてくる状況も変わるように、脚本家が意図的に仕組んだ誤解だとおもうのですが、)
実際に美桜との会話を聞いていると、じつは〈父親としてひどい〉ひとではないようだ、ということがわかってくる。

もちろん、いろいろあって離婚しちゃったし、娘にはちょっと嫌われちゃってるし、ダメなおとうさんであることは間違いないんだろうけど、〈ぜんぶダメなわけではない〉、というか、つまり、

※ ダ メ だ け ど 、 い い ほ う の 、

ダメ。

そしてこの! 〈ダメだけど、いいほう〉という、あやうく自己撞着しかかってるカテゴライズに、

尾藤イサオのビジュアルの、なんとぴったりハマること!

よ!
そうなんですよ。ほんとそうなんですよ。
あのひとね、おようふくなどを、ちょっと着崩すだけで、ちょっとした〈ダメ〉感が出るんですよ。なにしろ元不良キャラですからね、ロックは不良の音楽って言われてた時代のロックンローラーですからね、若いころの出演作品とか、とにかくほんとに悪い役(ガチめの不良で敵役)多いですからね、〈ダメ〉成分はもう、ばっち来い!なんですよ。

加えて!
や、もう、そんなの見りゃわかるだろ、って話になっちゃうんですけど、そもそも論みたくなっちゃうんですけど(←使い方間違えてる)、
尾藤イサオはね、
《 か わ い い 》
んですよ!

いやもう、だからね、これは、おそろしいほど完璧なハマり役です。
《ダメだけど、いいほう》の何か、を演じさせるのに、尾藤イサオ以上の人材っていないのではないでしょうか。
だってあれ、奇跡のバランスなんだもの。
悪そう、だけど、優しそう、とか。カッコイイ、けど、カワイイ、とか。あの配合って、〈尾藤イサオ〉オンリーのオリジナルブレンドなんだもの!!


いやもうほら、すごく長くなっちゃってる。
前置き短くしたぶん、本題長くなっちゃってる。

でもあの(※おそるおそる)、聞いてください、『薔薇のない花屋』第3話における、
尾藤イサオの〈めっちゃいいところ〉は、じつはその次の登場シーン、

《屋上で、娘と語る》のターン、なんです!!!

…病院の屋上、って、ほんと絵になりますよねえ。
しかもね、夕方なんです。二人で話しているうちに、日が沈んで来て、夕焼けになって、屋上が、もとい、尾藤イサオが! オレンジ色に、染まる。

※ めっちゃいい。夕陽と尾藤、めっちゃいい。

(という、個人的な感慨はともかく、)
ここで交わされる父娘の会話を、仕事とか、人間関係で息苦しいおもいをしている世界中のにんげんたちにお届けしたい。
いやほんと、

※ 辰 巳 パ パ 、 て ん さ い

だから。
しかもそれがねえ、〈まちがわず、まっすぐ生きてきた〉お父さんには、言えないタイプのてんさい発言なんですよねえ。〈ダメだけど、いいほう〉のダメさを抱えたお父さんだから言えること、っていうか。

わたしたぶん、この先の人生で何かの壁にぶちあたるたび、このシーンの辰巳パパを思い出すとおもう。
(ほんのりやさぐれてて、ほんのすこしダメそうで、だけどものっすごく優しくてやわらかい、尾藤イサオの笑顔といっしょに、)
ぜったいに思い出すとおもう。


そもそも、隠れてタバコを吸うため(このへんが、ダメぶぶん。)に屋上に来ていた辰巳パパ、美桜ちゃんに見つかってタバコを没収され、〈いつからそんなつまんない女になったよ〉ってブツブツ言う。
で、〈きまじめなのは昔からでしょ〉って答える娘にダメ親父が語る、〈いや、お前は、子供のころはワガママだったよ…〉ていうエピソードが、この第3話「終電までに探して」の章タイトルにも関連して、後半の香取慎吾さんと竹内結子さんのすてき展開につながってゆくわけなのですが、そこらへんは

※ 尾 藤 に 関 係 な い の で 割 愛

するとして(オイ。)、この、あとですよ!
子供のころは自由だったと聞かされてびっくりしつつも、〈でも、大人になったら仕方ないでしょ、まわりの空気だって読まなきゃいけないし〉って言う美桜に、
お前はそういう我慢とか向いてないんだよ、とかなんだとか、実の娘に言うのはどうでしょう発言をひとしきりしたのちに、辰巳パパは、

ひとつ、大きく深呼吸をして、言うわけです。

【 空 気 な ん て 、 ほ ら 、 吸 う も ん だ 。 】

空気感ってさ、そもそも、〈読まないといけない〉場面になったら、
もう積んでる、と、おもう。
だって、そうじゃないとき、うまくまわってるときって、実は空気なんて読んでないでしょ、みんな。
〈あ、ここは空気読むとこ〉って、おもうってことが、まず、その場が〈うまくまわってない〉ことの証明みたいなもので。

そんな場面になっちゃってからの、空気って、
 読めない、ひとがいたら、それはそれでしんどいし、
 読めちゃう、ひとだって、それなりにしんどいし、
 さらに言えば、読めるけど、そんなもんに従いたくない、ひとは、しんどい通りこしてトラブルメーカーって言われちゃったりするし。

…みたいなことをね、つねづね思っていたのだけれど、
そんなことを、つねづね思っていた自分を、
ああ、小さいにんげんだなあ、と、思った。

読む、とか、読まない、とかの、選択をしなければ、とおもうことがそもそも、
不自由な考え方に慣らされてきた結果なんだとおもう。
空気を読んだからでも、読まなかったからでもない、その〈空気〉を察知してしまう前の自分とおんなじ自分のままでいられたら、それがほんとに、自由ってことなんじゃないか。

空気なんて、読むもんじゃない。

吸うもんだ。

そんなことを、あの、
 〈そこそこいろいろ見てきましたけど〉
 〈まだ愉快では、いられます〉
みたいな、
カッコイイとカワイイが同時に存在して、しかも相殺されない、
奇跡的かつ絶妙な配合の、

《 尾 藤 イ サ オ と い う 器 》

を通して言われてしまったら、もう。
ああ、ほんとにそうだなあ、
とおもうことしか、私にはできない。

スクリーンショット (30)

■(そんなこんなで、)
すんごく感銘を受けまして、極私的なインパクトとしては、

こ こ で 最 終 回 で も 良 い 。

くらい感動したわけですが、
いや、そうでした、まだ3話め。
(※全11話です。)

だから、まあ、ええと、
(ステイホーム期間もなし崩しで延長になったことですし)
こんな感じの、わたくしの、〈尾藤愛だけがひたすらにダダ漏れる〉記事、
〈うん、君が尾藤イサオをだいすきだということだけは伝わったよ〉な記事、
も、まだまだ続くと思われるわけですが、

…お暇な方だけ、ときどき読んで。







(  ↓ 花束の写真の。 )
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