SDGs後の世界は持続可能なのか?ー「SDGsを学ぶこと」の死角と課題を考える
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SDGs後の世界は持続可能なのか?ー「SDGsを学ぶこと」の死角と課題を考える

DEAR

湯本浩之(宇都宮大学教員・開発教育協会代表理事)

今年2月に開発教育協会(DEAR)では『SDGs学習のつくりかた 開発教育実践ハンドブックⅡ』を発行しました。理論編第5章「SDGsを批判的に検討する」を編集して公開しました。一部には割愛した内容もあるので、ご関心あれば同書を入手の上、ご参照ください。

※本稿で表明した立場や見解は筆者個人のものであり、開発教育協会のそれらを代表したり代弁したりするものではないことをご了解ください。

1.SDGsの素朴な疑問

2015年に持続可能な開発目標(以下、SDGs)が国連で採択されて早くも5年が経過した。この間、SDGsを授業に取り入れたり、地域でのSDGs活動に関わってきたりしている本誌読者も少なくないだろう。実際のところ、日本でのSDGsの取り組みは、政府や自治体をはじめ、企業や産業界、教育機関や市民組織など多方面に広がっている*1。

*1 たとえば、内閣総理大臣を本部長とするSDGs推進本部が主催する「ジャパンSDGsアワード」の受賞団体を参照。https://www.mofa.go.jp/mofaj/gaiko/oda/SDGs/award/index.html

また、民間のある調査*2によれば、SDGsの認知率が上昇し、とくに小中高生を含む「学生」の認知率は45.1%となり、その情報源は「学校の授業」が最も多かったという。さらに、現行の新学習指導要領では、学校に「持続可能な社会の創り手」の育成が要請されることとなった。これによって、学校現場は戸惑いつつも、子どもたちがSDGsに触れたり学んだりする機会は今後さらに増加していくだろう。

*2 電通広報局「第3回『SDGsに関する生活者調査』を実施」電通ニュースリリース(2020年4月27日)
https://www.dentsu.co.jp/news/release/pdf-cms/2020029-0427+.pdf

しかし、こうしたSDGsの広がりや取り組みに対して、何か疑問や違和感を持つことはないだろうか。

「誰一人取り残さない」ために「わたしたちの世界を変革する」という「持続可能な開発のための2030アジェンダ」(以下、アジェンダ)の高邁な理想に“喧嘩を売る”つもりはない。しかし、開発教育がクリティカルシンキング(批判的思考)を重視するのであればなおさらのこと、SDGsを無批判に称揚し、これに無条件に追従することには躊躇や留保がないだろうか。

周囲の皆がひとつの方向に走り始めている時に、自分ひとり立ち止まり、何か意見するには勇気や覚悟がいる。しかし、そういう時にこそ孤立や無援を恐れずに、「SDGsは本当に達成できるのか」、「SDGs後の世界は持続可能なのか」、そして「SDGsを学ぶとは何をどう学ぶことなのか」と素朴な疑問を抱くことも大切なのではないか。

2.SDGsの限界と矛盾

国連はSDGsの成果や進捗状況を評価するための会合を定期的に開催しているが、2019年9月に開催された「SDGsサミット2019」の冒頭の挨拶で、事務総長のアントニオ・グテーレスは「2030アジェンダの達成に向けてわたしたちは前進している。しかし、わたしたちの今いる地点が目標から程遠いことは明らかであり、軌道からも外れている」との危機感を表明した。

前述のとおり、日本では官民を挙げての取り組みが進んでいる。若者たちのSDGsに対する認知率も上昇している。にもかかわらずその達成にはすでに黄色信号が激しく点滅していることを知る人は少ないのではないか。

では、なぜSDGsの達成が危ぶまれているのか。「SDGsは重要だ!」「SDGsを達成しよう!」という掛け声をよそに、何か見えなくなっていることや掻き消されていることがあるのではないか。そうしたSDGsが持つ限界や矛盾について、誌面の都合上、以下の4つを例示してみたい。

1)不透明な政治的コミットメント

SDGsの目標17では、国連・政府・企業・市民社会組織などのステイクホルダー(利害関係者)間でのグローバル・パートナーシップを推進することが明記されている。前述の「SDGsサミット2019」で採択された「政治宣言」の中でも、世界の指導者らは「2030年までにわたしたちの共通ビジョンに到達するために、野心的で加速的な対応を開始するとともに、次の10年を行動と実現の10年とすることを誓約」している。しかし、このような宣言や誓約をわたしたちは今までに何回聞かされてきたことだろう。

こうした外交上の思惑や駆け引き、大人たちの事情や見せかけを喝破し、これらを痛打したのが、スウェーデンの環境活動家のグレタ・トゥーンベリである。トゥーンベリはSDGsサミットの直前に開催された国連気候行動サミットに出席し、世界の指導者たちを前に、「How dare you!(よくもそんなことが言えますね!)」とかれらの言動に対して怒りを露わにした。

はたして、世界の指導者らのSDGsに対する政治的コミットメントとは、いかなるものなのだろうか。はなはだ不透明ではないだろうか*3。

*3 最近、欧州各国をはじめ、中国や米国(カリフォルニア州)、そして日本でも、ガソリン車などの新車販売を禁止する政策が打ち出されているが、その他の分野や課題においてもこうした政治的決断やリーダシップが強く求められる。

2)トレードオフな関係性

SDGsの17目標について、アジェンダには「これらの目標およびターゲットは、統合され不可分のものであり、持続可能な開発の三側面、すなわち経済、社会および環境の三側面を調和させるものである」*4とある。

たしかに、17目標は互いに関連しており、ひとつの問題を解決するには他の複数の問題と同時に解決していく必要があり、結果的に相乗効果が生まれる側面が強調されている。その反面、17目標をよく観れば、トレードオフの関係に陥りやすいものもあることが分かる。トレードオフ(trade off)とは、「あちらを立てればこちらが立たず」という二律背反な状況のことをいう。

*4 本章のアジェンダやSDGsの日本語訳は、外務省「我々の世界を変革する:持続可能な開発のための2030 アジェンダ(仮訳)」に一部筆者加筆。https://www.mofa.go.jp/mofaj/files/000101402.pdf

たとえば「はたらきがいも経済成長も」を謳う目標8は、素直に読めば、トレードオフである。従来の経済論や経営論で言えば、経済を成長させる、あるいは、企業利益をあげるためには、経費削減、つまり余剰の人員や無駄な業務の合理化が必須である。しかし、目標8は「若者や障害者を含むすべての男性及び女性の、完全かつ生産的な雇用…を達成する」とも謳っている。そうなると企業は人員削減や雇用調整ができなくなるのではないか。

こう言っては身も蓋もないが、持続可能な開発という考え方自体が矛盾や葛藤、すなわちトレードオフをはらんでいることを常に肝に銘じておく必要がある。有限な地球資源(目標14・15)の中で持続的な経済成長が可能なのかという根本的な問いにSDGsはどう答えるのか。そこでこの二律背反を克服するために、SDGsも期待を寄せるのがイノベーション(目標9)である。

今後、AI(人工知能)をはじめ、ロボットやICT(情報通信技術)はさらに発達し、無駄な業務だけでなく専門的な業務ですら合理化されていくだろう。わたしたちの仕事の多くをAIなどが代替すれば、統計上はたしかに労働生産性があがるだろう。しかし、ロボットが働いてくれた分だけ自分の給与があがるのだろうか。科学技術万能主義に過信は禁物ではないか。

3)不均衡なジェンダー意識

アジェンダの前文には「これら(17の目標と169のターゲット)は、すべての人々の人権を実現し、ジェンダー平等とすべての女性と少女の能力強化を達成することを目指す」とある。これは人権尊重がアジェンダの理念的基盤となっていると理解でき、特に「ジェンダー平等」と「女性・少女の能力強化」の必要性が、アジェンダの中で繰り返し述べられている。しかし、17目標の標語には「人権」という言葉はなく、目標5で「ジェンダー平等」と「女性・少女の能力強化」が謳われているのみである。

このことを私たちはどのように受け止めればよいだろう。人権尊重は普遍的な価値観なので、17目標の中のひとつとしてではなく、17目標に通底する高位の理念として位置づけられているとも考えられる。しかし、ここで留意したいことは、SDGsが女性や少女を対象としていること自体である。

たしかに、SDGsが質の高い教育や経済的資源や政治的機会などへのアクセスを、男性と同等に女性や少女に保障しようとしていることは理解できる。しかし、ジェンダー間に不平等や不均衡をもたらしている男性中心の社会自体を問題視する視点や姿勢をSDGsに見て取ることはできない。

女性や少女の置かれた過酷な状況のみに焦点を当て、男性優位の社会の構造や制度を是正しようとしないのであれば、SDGsの中にも女性軽視の発想や意識、父権的な温情主義(パターナリズム)が根ざしているとはいえないだろうか。

4)国際的合意の陰に隠れた国際的不合意

これについては簡潔に指摘しよう。たとえば「エネルギーをみんなにそしてクリーンに」を標語とする目標7について不思議に思うのは、「再生可能エネルギーの割合を大幅に拡大させる」とまで言いながら、火力発電や原子力発電の割合を減少させると明記されていないのはなぜなのか。

目標16の標語は「平和と公正をすべての人に」であり、「あらゆる場所において、すべての形態の暴力および暴力に関連する死亡率を大幅に減少させる」とある。しかし、ここでも不思議に思うのは「あらゆる形態の暴力を大幅に減少させる」と言うのであれば、なぜ核兵器の削減が明記されていないのだろう。

たしかに、原発や核兵器の問題は専門家や研究者の間でも議論の分かれる問題である。国連の舞台でも議論が分かれているとすれば、そこには巨大な利害や頑強な国益の対立があるのだろう。言い換えれば、ここにもトレードオフが存在しており、それを解消して合意を取り付けるためには、目標は“玉虫色”となり、ターゲットは“八方美人”とならざるをえないのではないか。

SDGsに限らず、国際的合意には国際政治や外交交渉による妥協の産物や取引の結果という側面が付きまとう。その陰にはわたしたちには気づきにくい国際的不合意が温存されている。はたして原発や核兵器などの問題を先送りしたSDGsに「わたしたちの世界を変革する」ことができるのだろうか。

3.SDGs学習の死角を乗り越えるために

以上、SDGsに対する批判的な論点をいくつか例示したが、ほかにもSDGsの実現に向けた予算措置が十分ではないこと、文化や精神(こころ)の課題がSDGsの中では周縁化していること、そして、新型ウイルスの感染拡大によるSDGsの後退なども指摘できる。

いずれにせよ、アジェンダが謳う理念や各目標との間には乖離や齟齬、矛盾や葛藤が見え隠れする。だからと言って、アジェンダを軽視したり揶揄したりするのではなく、その実現に向けて教育には何ができるか、そして「SDGsを学ぶ」とは何をどうに学ぶことなのかについても批判的に検討しながらの試行錯誤が必要だろう。そこで最後にSDGs学習の死角を乗り越えていくための課題をいくつか例示してみたい。

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認定NPO法人開発教育協会(DEAR)のnoteです。DEARは公正な地球社会の実現を目指して開発教育をすすめるNGO。ESD、SDGs、南北問題、環境、平和、人権、参加型学習、ワークショップ、ファシリテーションなどがキーワードです。 http://www.dear.or.jp/