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視る

畑のお手伝いで里芋を掘った。初めての経験。掘り方も知らない。スコップは斜めに入れるのではなく、縦に入れる。斜めに入れると芋を傷つけてしまうからだ。私は知らないので斜めに入れ、実際に失敗して気がついた。

スコップに皮膚感覚を持たせて掘るそうだ。「土の中を想像しながら手で掘っているような感覚で掘ったらいいよ。スコップに手の意識を持たせる」と言うふうに解釈した。

外側に見える部分、葉っぱ、茎は大きいもの。小さいもの。かなり個体差があった。

実際に掘ってみる。
外側の葉っぱ、茎の大きい、小さいと内側の芋の大きい、小さい、芋の多い、少ないは違っていた。

見た目の大きさと中身の大きさは違った。

大きい=良い、小さい=悪い
多い=良い、少ない=悪い
と言いたいわけではない。

実際に土を掘ってみないと分からないのだ。私には分からなかった(プロの農家はわかるのかも)

里芋掘りで気づいた事がある。

私は人においてもモノにおいても、今までキレイなものやキラキラしたものに目を向け、表面的なモノだけを見ていた。外面に囚われていたのだ。

大切なものほど目に見えないところにある。

本質的なものを見る時には心の目でしっかりと「視る」必要がある。

「自分の思い通りに受け取る思い込みのクセ」と「一方からしか見ないクセ」に気がついた。

ありのままを見ないで私が見たかった部分だけをただ私が都合の良いように見て、解釈、受け取っていた。

何度も繰り返してきた思い込みのクセはもう手放す。

見えない部分を想像してみる事から始めてみる。内面に深く、深く。

新しい経験、体験に通して新しい「私」を発見し、アップグレードしていく。


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