誰のために生きるのか
こんにちは、hana です。
本日は、「人間は誰のために、何のために生きているのか」について考えていこうと思います。
きっかけは昨日の母との電話。会話の中でこう言われました。
あんたは21歳にもなって本当に・・・。悲しいというか、がっかりというか、呆れたというか・・・。育て方が悪かったんだなって反省したわ・・・。
物心ついた頃から、外面だけはよかった私。どこへ行っても大人から褒めてもらえてそれに慢心していました。おまけにそこそこ器用で、やろうと思えば何とかなってしまう21年間でした。
ただし決定的に欠けてしまったのが、自己管理能力です。
料理・洗濯・掃除・片付けなどの基本的な家事は一人暮らしを始めるまでほぼノータッチ。スケジュールやタスクの量や進捗の管理、体型管理に体調管理も苦手。
極め付けは、お金に対する管理。お金の使い方が荒過ぎて、昔から事あるごとに母から注意を受けてきた部分でした。
今回、母に「育て方を間違えた」とまで言わせたのもこの自己管理能力の無さが原因でした。
大学とかインターンとか色々頑張ってやっているのは知ってるけれど、基本的な人間として大事な部分が欠け落ちているから心配だ、と言われたこともありました。
普段だったら、こんなことを言われた瞬間落ち込む私ですが、今回は違いました。
こう言われた直後は、自分が悪いから直さなければ、と思い
その後に、でもどうすれば直るんだ、21年変えられていないのに、と思い
そもそも母は若い時から私を頑張って育ててくれたんだから、こんなに心配や迷惑をかけてはいけない、と思い
あれでも、そうなると今後一生かけて返していかなきゃいけない恩があるのでは?、と思い
え、じゃあこれからの人生、常に、育ててもらった感謝のために、つまりは母や父のために、生きるのか?と思ったのです。
そして、それはなんかおかしい、とも・・・。
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基本的に他人の評価を気にしまくって生きているので、「他人の評価=自分の喜び」という確固たる方程式が自分の中に存在しています。評価のためにモチベーションを上げられているし、今の自分の生き方として、何も問題ないのです。むしろプラスとさえ思っています。
しかし、他者の目を気にし過ぎたり、他人からの評価で自分を評価するのはよくない、とよく聞きます。
母にもこれを全否定されました。「そんな生き方、くだらない」だそうです。書いていてまた涙が出そうです。自分の21年間を否定されているのとほぼ同等のことですから。
何度も、この価値観を変えたい、と思ったことがあります。実際SNS断捨離をしたり、自分のための趣味を見つけようとしたり。でもうまくいきませんでした。というより、何が正解なのか分からず、途中で断念しました。
それも、「他人の軸で生きる自分を肯定する」という言い訳付きで。
そうこうしているうちに、別に他人の評価が大事だっていいじゃないか、という思考にどっぷり浸かり、自分で自分を見つめ直すことができなくなっていたことに気がつきました。
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これまでのエピソードを踏まえ、いくつかの問いが沸き上がってきました。
・他人から評価されるために生きることは、間違っているのか?
・どうしたら自分のために生きられるのか?
・そもそもどうなれば「自分のために生きる」になるのか?
・私は今何のために、誰のために生きているのか?
・そして私は今後、誰の、何のために、どのように生きていくべきなのか?
最後の2つの問いは、普遍的、といえばそうなのかもしれません。
人間は自分の生きる意味を見つけるために生きるんだ、的な言葉を聞いたことがありますが、今の私には納得ができません。
上記の問いに正解なんてないのは百も承知ですが、そうは言っても「自分なりの解を出すのが人生の目的」なんて、そんな曖昧な・・・・と思ってしまうわけです。
思考の整理をし、あわよくば何か答えが見つかれば、と思い、書き綴ってみたわけですが、やはりそんなに簡単に答えは出ませんでした。
現在「人間断食」が無性にしたい気持ちです。
人との関わりを一切絶って、課題も仕事も放棄して、自分のことだけ考えていいという時間をしばらく設けたいです。今の私にはそんな勇気これっぽっちもないのですが、情動に駆られて本当に始めてしまいそうな気もしています。
以前西田さんに教えていただいた「ヴィパッサナー瞑想」に無性にチャレンジしたい気持ち。どうしたら10日も何もない時間を取れるのだろう・・・と悩むところです。
もやもやがしばらく残りそうですが、少しずつ自分の中で消化できればいいなと思います。
最後までお付き合いいただきありがとうございました。
では、また。
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