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美容室の恥はかき捨て

髪が伸びたので、東京に引っ越してきて初めて美容室に行くことにした。

早速ホットペッパービューティーで美容室を探すわけだが、東京には美容室がありすぎるほどある。途方もない。私はただでさえ根が検討体質にできており、平気で何時間でも検討してしまうので、東京の美容室を隅から隅まで検討していたのでは検討しているうちに寿命を迎えかねない。髪を切る前に事切れてしまっては本末転倒である。

検討死を防ぐためにも、とりあえずエリアを決めなければと思い、電車で行きやすい池袋に照準を絞った。価格は高すぎず安すぎずを選びたいところ。高すぎては財布が泣くし、安すぎるのも危険だ。

というのも学生時代、お金がなくて出来るだけ安い美容室を探して行ったことがある。ホットペッパー(まだ冊子の頃)には若い女性が接客している写真が掲載されており、店に入るとその女性が席に案内してくれたので、てっきりそのまま切ってもらえるのかと思ったら、裏からおじん(これは本当におじんとしか言いようのない、ベテランのイケおじ美容師とかそういうのではない真のおじん)が現れて、ケラケラとしょうもない冗談を飛ばしながら若かりし私の髪を大変にダサく仕上げた。あれ以来、安すぎる美容室は裏からおじんが出てくるものと警戒している。

とはいえ、今は美容師のプロフィールが写真付きで掲載されているので、上からマリコならぬ裏からおじんの罠に引っかかることはまずないだろう。写真を見て、なるべく自分と年齢や雰囲気が近そうな美容師が在籍している店を選ぶ。

札幌では美容室の紹介文に「東京の某有名サロンで腕を磨いたスタイリスト!」などと謳われているのをよく見かけたが、驚くべきことに、池袋の美容室の紹介文には「表参道・原宿・青山で修行した美容師が多数在籍!」と書かれていた。上には上がいるということを思い知らされる。

良さそうな店をいくつかピックアップし、検討を重ね、無事美容室を予約することができた。


予約当日。地図を頼りに目的地へと向かう。こちとら酸いも甘いも嚙み分けた34歳、初めての美容室に行くくらいのことで緊張するほどヤワではない。が、正直ちょっとそわそわしている。初めての美容室に行った経験は何度もあるが、東京の美容室に行くのは初めてなのである。

しかし考えてみると、そわそわする必要なんてあるのだろうか。東京だろうと札幌だろうと美容室は美容室である。いくら北海道生まれ北海道育ちとは言え、私は別に放課後マックでキタキツネと駄弁ったりエゾシカとつるんだりヒグマとコンパして暮らしてきたわけではないし、脇からラーメンが生えているようなこともない。今や地方であっても服や化粧品などネットで何でも手に入る上に、世は大ユニクロ時代である。地方から出てきたからと言って周りから浮くほど田舎臭いということは滅多にないはずで、つまり、私も東京の美容師から見て極端に田舎臭いということはないであろう。というか、万が一にも田舎臭かったとして、それを田舎臭くなくするのが美容師の責務であり、本懐ではなかろうか。となればむしろダサければダサいほど歓迎されていいはずで、こっちがそわそわする必要などない。堂々として然るべき。悔しかったら私を水原希子にしてみろってなもんである。

などと御託を並べているうちに美容室に到着し、入店して名前を伝えると、「あちらのロッカーに貴重品をどうぞ」と言われたので示された方に向かったが、スタイリッシュな木目調のロッカーが他のインテリアと馴染みすぎて目に入らず、目標を見失った私は袋小路に追い詰められたジャッキー・チェンのような動きで焦りを露わにし、早速軽めに恥をかいたのだった。

席に案内され待っていると、担当してくれる美容師が鏡の中に現れた。同年代くらいの女性で、穏やかそうな感じだったので安心した。カットとカラーの希望を聞かれ、滞りなく施術がはじまった。

雑誌を読みながら、私は待っていた。何をかというと、美容師からの何かしらのプライベートに関する問いかけ、すなわち雑談である。美容師との雑談が特別好きというわけではないが、上京してきたばかりのこのタイミング、「北海道から引っ越してきたんですよ」と言えば、それなりに盛り上がるであろうことは必至である。勝ち確の話題を所持していることで、今の私はいつも以上に雑談に対して前のめり、雑談ウェルカムいつでも来いやという心境であった。

しかし、待てど暮らせど美容師は雑談を仕掛けてこない。黙々と髪を切っている。私との対話そっちのけで髪と対話。いや、それが本来の職務であるので責めることはできない。

絶対に雑談があるものと思っていた私は次第にうずうずしてきた。こちらから「いや〜実は最近引っ越してきたんですよ北海道から」などと口走りそうになるが、待て待て。絶対に盛り上がるなどと自負していたが、果たして自分から言うほどのことだろうか。北海道から引っ越してきた人間など東京にはごまんといるわけで、珍しがられるだろうというのは私の思い上がり、とは言えあちらも客商売であるから素っ気なくもできず、「え〜〜!そうなんですか〜!やっぱ冬は鼻毛凍るんですか?」などと、噛みすぎて味のしなくなった鮭とばみたいな北海道あるあるを確認するという一種のロールプレイを強要させてしまうのではなかろうか。

というか、私はこれから東京で生きるにあたり、誰かに北海道出身だと話すたびに、相手にこういうロールプレイを強要してしまうのではないか。北海道、北海道って、これまで道民であることを誇ったことも地元LOVEとか言ったこともないくせに、東京に引っ越した途端アイデンティティとして前面に押し出し、「うまい・でかい・寒い」を振りかざしてそれに頼ったコミュニケーションを満足気に繰り返す、そんな自分の姿が容易に想像できてしまい寒気がした。嫌だ嫌だ。私はそんな薄っぺらい人間にはなりたくない。冬にアイス食う話と結婚式が会費制の話とゴミステーションと大泉洋はもう禁止にしよう。

私がそんな決意をしていると、ちょうどカラー剤を塗り終わったところで、「お待ちの間、お飲み物いかがですか?」とメニュー表が出てきた。見てみると、コーヒー、紅茶、オレンジジュース、ウーロン茶、ゆず茶というラインナップだった。居酒屋などでもそうなのだが、私はメニューの中で一番珍しいものを選びたくなる質である。今回も例に漏れず、ゆず茶に注目した。まったく見たことがないというほどではないが、コーヒーや紅茶と比べたら物珍しい。私はメニュー表から顔を上げ、にこやかに注文した。

「ゆず酒をください!」

美容師が困惑の表情を浮かべ、「えっと、ゆず……」と言いかけたところで気づいた。驚くべきことに、口が勝手に酒を注文していた。

「あっ、いや! ゆず茶です、ゆず茶!」

確かにゆず茶よりもゆず酒の方が言い慣れている生粋の飲み助であることは紛れもない事実だが、美容室で酒を要求するようになったらもうお終いである。

美容師はちょっとだけ愛想笑いして、ゆず茶を取りに行った。恥ずかしすぎる。田舎者だとか北海道だとかそういうことでなく、酒飲み方向から恥をかくとは思わなかった。

今ここで裏からおじんが出てきてくれたら、どんなに有難いだろう。あのひょうきん者のおじんなら、きっと私の失敗を笑い飛ばしてくれるに違いない。十数年の時を超え、裏からおじんを求める日が来ようとは、人生はわからないものである。

ゆず茶は美味しかったが、頭の中でずっと自分の発した「ゆず酒ください」がこだまして気が気でなく、私は施術が終わるとそそくさと店を後にした。水原希子にはなっていなかったが、いい感じの髪型に仕上がったのが唯一の救いである。旅の恥はかき捨てというが、新規クーポンで行く美容室の恥もかき捨てだ。次に活かそう。


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