大谷はエンジェルで、ユニコーンで、オーロラだった
【ロサンゼルス紀行#0】
ロサンゼルスに行ってきた。6泊8日、私の人生でもっとも長く、大掛かりな旅行だった。
先延ばしになっていた新婚旅行という大義名分で、無難にハワイやグアムという選択肢もあった中、ロサンゼルスという旅行先を選んだのは明確な目的があったからだ。エンゼルスの大谷翔平が見たかった。
北海道に住んでいた私にとって、日本ハムファイターズにいたころの大谷は今よりも少し身近な存在だった。何度も札幌ドームに足を運んで、彼のプレーを見た。日ハムが優勝したときは、泣きながらビールを飲んだ。
エンゼルスに移籍することが決まったとき、栗山監督が「翔平はエンジェルだったんだな」という名言を残したが、大谷は今やその規格外の活躍からユニコーンと呼ばれている。そんな大谷を、エンジェルでユニコーンになった大谷を、もう一度見てみたかった。
ロサンゼルス旅行3日目、ホーム連戦初日。エンゼルスタジアムに到着し、大混雑のグッズ売り場でもみくちゃになりながら、Aの文字が入った赤い帽子と、かろうじて残っていたジュニアサイズのOHTANIの名前入りユニフォームをつかみ取り、高揚ついでに応援グッズの赤いサルのぬいぐるみまで手に入れて、あとは円安と物価高と球場価格により一杯16ドル(約2,400円)という破滅的価格設定がなされたビールをお供に青空が突き抜ける解放的なスタジアムでずっと夢見ていたその瞬間を迎えるだけ、という高まりに高まったタイミングで、ネットニュースが飛び込んできた。大谷が右脇腹を傷めて、急遽スタメンを外れるという。
テンションは、下がらなかった。下げるわけにはいかなかった。だって、こんな高さから落下したら生死にかかわる。脳が防御反応を示し、記憶の中からいいことばかりを取り出す。自分で言うのもなんだが、私の人生は割と幸運である。模試でE判定の大学に口八丁(面接)で受かったし、職場では酒飲みというだけで上司にやたら好かれたし、酔っ払って紛失したバッグはちゃんと交番に届いていたし、夫はいい奴だし両親は元気だし、大谷は代打で出る。きっと出る。出てくれ頼む。いや、あんまり欲を見せてはダメな気がする。出ないかも。出ないかもしれないけど、出たら嬉しいよね。できれば、できればね。いや、やっぱ出てお願い。
熱烈に祈ろうとも控えめに祈ろうとも、どうにもならない。大谷はそのまま欠場した。諦めきれず3日後の旅行最終日もチケットを購入し再度スタジアムに赴いたが、結局その日も大谷の出場はなく、翌朝、私たちは日本へと帰国した。
なにも取り繕わずに言うと、運が悪すぎる。今シーズンの大谷は投手と打者の両方でほとんど休まず出場していたのに、旅行の一週間前に肘の怪我で投手としての出場がなくなり(中5日で計算すれば観戦日に登板するはずだった)、それでも調子のいい私は「やっぱ大谷は打者だよね」なんつって。それではるばるロサンゼルスまで行って、ついに観戦という直前で打者としても欠場とは。一体私が何をしたというのか。確かに徳を積むような人生は歩んで来なかったが、神or仏に見放されたとしか思えない。
帰国してから数日後、あるネットニュースを目にした。私と同じタイミングで現地を訪れ、7試合連続で観戦し100万円以上かけたが大谷を見ることができなかったというファンの女性に現地でインタビューした記事だった。「残念だ」、「でも無理はしてほしくない」、「代走とかで出ないかな」という、現地に来たからこその複雑な心境に私は強く共感したわけだが、その記事への反応の中には攻撃的なものもあり、身勝手だとか、ミーハーだとか、そんなのあなたの都合でしかないとか、大谷はアイドルじゃないとか観光名所じゃないとか知るかボケとか、まるで自分が言われているようで、はっきり言って頭にきた。
その記事の女性は大谷が出ないことを怒っているわけでもないし、無理にでも出ろとか金返せとも言っていない。単に運が悪かっただけのことであり、鳥居で背中を掻いたり仏像で包丁を研いだりしていない限り自業自得の要素など何一つ無く、見れなくて残念だ、という感想を述べたところで、他人から責められる筋合いなど決してない。それなのに、身勝手だとか、ミーハーだとか、だいたい100万円も使うミーハーってなんだよ。それでもミーハーだっていうのなら、テレビの前で寝転んであーだこーだ言っているだけのおまえはミーハー以下だよ。平気でこういう書き込みをするなんて、きっとお金と時間をかけて何かをやってみたことのない人間なのだろう。他人を卑下することで自分を正当化して何となく生きながらえている、つまらない人間なのだろう。そして、それはもしかしたら、今回のロサンゼルス旅行を決行しなかった場合の私かもしれなかった。
大学生のころ、アラスカにオーロラを見に行きたいという友人がいた。友人は旅行資金を貯めるため、バイトのシフトを増やし、賄いで食費を節約しながら日々生活していた。そんな友人に対し、私は言った。
「それは、写真じゃダメなわけ?」
半分冗談、半分本気だった。
当時の私は、インドに行って人生観が変わった、みたいな話が大嫌いだった。その場所に「行く」だけで何かが変わるわけがない。移動距離の分だけ自分が大きくなったように錯覚しているだけだ、と思っていた。旅行に金と時間を使うより、私はこの日本で、この街で、もっとやるべきことがある、考えるべきことがあるはずだ、と思っていた。しかしこれらは結局、自分の行動力の乏しさを正当化したいだけの言説に過ぎない。その浅ましさ故の「写真じゃダメなわけ?」である。バイトして資金を貯めてでもやってみようとする友人の行動力とバイタリティ、そして、出現しないかもしれないオーロラにリスクをかける勇気とロマンへの嫉妬が多分に含まれていた。
大谷がメジャーに行った数年前から、ことあるごとに「行きたい」と口にしてきたが、その「行きたい」気持ちは限りなく夢に近いもので、自分で口にしながらも、きっと私のことだから本当に行くことはないのだろう、と思っていた。だから今回、本当にロサンゼルスに行ったことについては自分でもびっくりしている。
大谷を見ることは叶わなかったのに、なぜか達成感があるのは、そういうことなのかもしれない。つまり、行くことに意味があった。私は本当にロサンゼルスに行った。そのおかげで、現地まで足を運んだファンを蔑む人間にはならずに済んだし、これからもならないし、「写真じゃダメなわけ?」などというあの日の無神経で馬鹿げた発言を、ようやく、本当の意味で、反省することもできた。
件の友人がアラスカで実際にオーロラを見ることができたのか、実はよく覚えていない。しかし、彼女がアラスカにオーロラを見に行った、そのことは確かで、彼女がアラスカにオーロラを見に行った人間であることは、実際に見れたかどうかよりも、彼女という人間を語る上で重要な要素となっている。だとしたら、私もきっとそうだ。実際に大谷を見れたかどうかよりも、大谷を見にはるばるロサンゼルスまで行った、ということが、自分にとって重要な意味を持ったとしても、何ら不思議ではない。
大谷はあの日から今も11試合連続で欠場している。世界中にいるたくさんのファンが大谷を心配していて、私が大谷を見られなかったことなど、取るに足らないことである。しかし、大谷が自分の人生を生きているように、私も自分の人生を生きている。知るかボケと思う人もいるだろうが、あなたにとっての知るかボケも、私にとっては重要な人生の1ページである。
最後に、大谷翔平が無事に復帰して、また全力で投げて打って走れることを心から祈っている。そして、私が日頃の行いを正し、善行を積み、風水を学び、運気が上昇し、貯金が回復したとき、きっとリベンジは果たされるであろう。
過去に書いた妄想。
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