【10月22日】 金木犀という異変
某日
廊下で小便を漏らす夢を見た。夫が掃除してくれた。嫌な顔ひとつせず。
そういえば結婚してすぐの頃、夫に失望する夢をよく見ていた。夢の中の夫はやたら横暴で、軽薄で、私を無碍に扱うのだ。「こんな人だと思わなかった!」と、私は泣きながら夫に訴えるが、夫は薄ら笑いを浮かべるだけである。腹が立って腹が立って、怒りと悲しみが頂点に達した頃、目が覚める。夢だったことに安堵する。そして、隣にいる現実の夫に、「こんなこと言われた!」と夢の中の夫の悪行を報告する。現実の夫はいつも、「夢の中の俺がごめんね〜」と、夢の中の夫の代わりに謝ってくれた。私はそれでさらに深く安堵したものである。
結婚して一年くらいで、性悪夫の夢は見なくなった。今では性悪どころか、漏らした小便を掃除してくれるまでになった。このような夢を見るのは、私が夫を心底信頼している証に違いない。信頼しすぎて本当に小便を漏らさないよう、気をつけなくてはならない。いくらなんでもまだ早すぎる。
某日
郵便局に行ったら、ご立腹の爺がいた。どうしてご立腹だとわかったのかというと、局員が誰かと電話しながら、「お客様がご立腹でして……」と言っていたからである。しかも、その爺の目の前で言っていた。「お客様がご立腹」って、ご立腹のお客様の前で言っていいやつだっけか? と疑問に思いつつ、自分の用事を済ませつつ、横目で様子を伺う。どうやら一日に現金をいくらまでしか下ろせないとか、そういう話のようだ。しばらくすると押し黙っていたご立腹爺が、「おい、100万なら下ろせるのか? どうなんだ? なあ?」と局員に詰め寄り、局員が電話の相手(そもそもこれは誰なのか)と相談しながら爺に説明するも、爺はついに痺れを切らし、「もういい!」と吐き捨てて外に出て行ってしまった。自分のお金が自由におろせない憤りはわからなくもない。しかし、いわゆる振り込み詐欺に該当しそうな事案だった可能性もなきにしもあらずなわけで、もしそうなら、ご立腹爺はご立派局員によって命拾い爺となっているかもしれず、それも踏まえて、どうかご寛大爺であってもらいたいものである。
某日
先月買ったソファが家に届いた。新しいソファを買うにあたり、「バージョンアップしたい」と夫は言った。つまり、同じような形の新しいもの、ではなく、何かしらの進化を求めたということである。例えば、L字型のものにするだとか、リクライニングできるだとか、そういうことである。我々は今回、バージョンアップとして「でかい」を選んだ。今まで2人掛けだったところを、3人掛けの、しかも座面の奥行きが広いタイプのものを選んだ。結果、リビングに対してかなり「でかい」ことが予想された。一応測ってから買ったが、置いてみないと実際の感じはわからないものである。
配送業者によって古いソファが撤去されたのち、半分に分けて梱包されたソファが部屋の中に運ばれてきた。追加料金を払って組み立てまで頼んであったので、業者のおっちゃんが一人部屋に残り、梱包を解いて組み立てはじめた。ワクワクしながら見守っていると、
「でっけえな。倍くらいあるんじゃねえか?」
おっちゃんが半笑いで言った。客に対する口調ではなかったので独り言かと思い、返事をしなかった。しかし、返事をすべきだったような感じの空気が流れた。そのあとは「傷や破損がないか確認してください」と、普通の口調だった。あれはやっぱり独り言だったのだろうか。よくわからない。小さな謎と、でかいソファを置いておっちゃんは帰って行った。
新しいソファは我々が心配していたほどにはリビングを圧迫せず、それでいて前のものよりは格段にでかく、ちょっとしたステージくらいあった。ソロアーティストはもちろん、デュオでも十分パフォーマンス可能である。これから我々はこのステージの上で圧巻の寛ぎを見せることであろう。
某日
去年は東京にきた最初の年で、わざわざ決心して探しに行かなければならないほど金木犀の香りにピンときていなかった私であるが、今年はさすがにわかるようになって、夫が「あ、金木犀の匂い!」と言うと、「ほんとだ、するね」と返せるくらいには嗅覚が成長した。しかし、「秋って感じだ〜」という夫のうっとりした感想にはまだ共感できない。金木犀のない北海道で生まれ育った私には金木犀の香りから連想する記憶や思い出がないので、あの強い匂いを嗅いだとしても脳内で何かが呼び覚まされることはなく、ただの異変として、シンプルに察知されるだけなのである。金木犀の香りから季節を感じられるまでに、あと何年分の秋が必要なのだろう。