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ライジングサンぬかるみフェスティバル

ライジングサンロックフェスティバルに行ってきた。開催は3年ぶり、私は4年ぶり7回目。今年は様子見という気持ちで、二日間のうち初日だけ行くことにした。

4年前までは他に足がなかったのでシャトルバスを使っていた。シャトルバスはかなり混み合う上に、帰りがひどく疲れるのが難点。しかし、もう昔の私ではない。今の私には、2年前に母親が新車に乗り換えるタイミングでクレクレねだって譲ってもらったミライースがある。というわけで、今年は駐車券を購入し、初めて車でライジングサンに行ってみることにしたのである。

当日、どうにか早起きミッションをクリアして朝7時に家を出発し、単身、石狩へと向かう。天気もよく、完璧なフェス日和だ。早めに出発したおかげなのか、道路もかなり空いていて、スムーズに会場付近に到着することができた。曲がり角に立っているスタッフの指示に従いながら駐車場へと入る。

駐車場内の地面は舗装などされておらず、前日まで雨が降っていたこともあり、通路がところどころ大きなぬかるみになっていた。駐車場がこのような状況だと少し考えれば予測できそうなものだが、全く頭になかった。果たして2WDのミライースで大丈夫だろうか。急に不安になってきた。でも行くしかない。意を決して勢いよく進んでみると、ミライ―スはグオングオンと唸りながら、なんとかぬかるみを乗り越えてくれた。ほっと胸を撫で下ろし、空いているところに駐車。車から降りてみると、タイヤの周りが泥だらけなのは勿論のこと、サイドミラーからフロントガラスに至るまで、泥のしぶきを豪快に浴びていた。なんてワイルドな汚れ方。長年、母親の通勤と買い物の足として走ってきたミライ―スにとって、ぬかるみを乗り越え、泥しぶきを浴びるなど未知の体験であろう。刺激的な体験に薄ピンク色の車体が「こんなの初めて!」と頬を赤らめているように見えなくもない。

そんなウブで可愛いミライ―スを駐車場に残し、私は入場ゲートを通って会場内へと入った。ガンガンに晴れていて、日差しが肌に突き刺さる。途中、日焼け止めを塗り直そうとして腕にスーッと出したら、リュックの外側のポケットに入れていたせいで中身がアツアツになっており、新手の拷問のような目に遭った。

フェスはもちろんライブ自体が本当に久しぶりだったので、生の音楽が聴けることに新鮮な感動があった。フェス飯も思う存分食らい、大学の先輩と数年ぶりに再会してビールをごちそうになったりと、楽しい時間を過ごした。

夜になって最後のステージが終わり、これにて私のライジングサンは終了。あとは朝まで車中泊して、家に帰るだけである。満たされた気持ちで荷物をまとめ、駐車場へと向かっている途中、私は大変なことに気付いてしまった。車を駐車した場所を全く覚えていなかったのである。朝、浮かれて何も考えずに駐車場を離れた自分の馬鹿さ加減に頭を抱える。

駐車場は番号など一切振られていないし、何より広大である。しかも、夜中で灯りはほとんどない。前述したように、地面はところどころぬかるみ。私はこれからこの疲れ切った体で、真っ暗な中、足元に気を付けつつ、広大な駐車場を歩き回って、たった一台の自分の車を見つけ出さなければならないのである。途方もない事態に眩暈がしたが、やらねば寝れぬのだ。やるしかない。

やみくもに歩き回っては効率が悪いので、ここはローラー作戦で行くことにした。恐らくこっちだろうという方角の、さすがにここまで奥ではないだろうと思われる列からスタートして、一列ずつ、しらみ潰しに、スマートキーのボタンを押しながら歩き回る。スマートキーに反応するとライトが一度光るので、それを頼りに探し出す。しかし、数メートルの距離に近づかないと反応しないので、やはりかなり歩くことにはなるだろう。

私は覚悟を決め、まずは1列目、と歩き出した。予想通り周囲は暗く、足元も悪い。すっ転んで泥まみれになどなろうものなら、更に過酷さが増す。慎重に、でもなるべく急ぎ足で、スマートキーを押しながら進む。とは言えさすがにこの列にはないだろう、そう思いながらずんずん進んで行った、そのときだった。視界の前方にパッと光が見えた。いや、まさかな、と思いながら、もう一度スマートキーを押すと、光る。信じられない気持ちで近づいていくと、そこには朝の泥しぶきそのままの私のミライ―スがあった。なんということだろう。数十もの駐車の列がある中から、一発で引き当てるなんて、ラッキーにもほどがある。私は己の強運を誇った。そして運転席をリクライニングさせ、持ち前のどこでも眠れる能力を遺憾なく発揮し、とても良い気分ですぐさま眠りについたのであった。まさか、ここで運を使い切っていようとは、夢にも思わずに……。


目が覚めると、朝の4時過ぎであった。普段なら絶対に起きない時間だが、朝日が差し込んでいたからなのか、二度寝しようと思わないほどすっきりとした目覚めだった。

朝は誰しも大抵そうだろうが、かなりの尿意があった。しかし、トイレは入場ゲートの近くにあり、ここからまた結構な距離を歩いて戻らねばならない。それならば、さっさと出発して近くのコンビニにでも寄った方が早いし楽だ。トイレを借りるついでに朝ごはんなど購入しよう。そう決めて車を発進させ通路に出た、そのときであった。どぷん、と車体が沈む感覚。そう、ぬかるみである。ヤベッと思ったが、昨日は泥しぶきを浴びながらもどうにかぬかるみを乗り越えた私とミライースだ。大丈夫、大丈夫。一旦バックして、再度トライ。しかし車は一向に前に進まない。バックして、思い切り踏む。バックして、ゆっくり踏む。そんなことを何度も繰り返すうち、次第にバックすらできなくなった。唸るミライース。焦る私。どうやら昨日はまだシャバシャバしていたぬかるみが、炎天下に晒され水分が蒸発し、より粘度の高いぬかるみに変化していたようである。これは、まずい。

音で起こしてしまったのか、近くに駐車していた車の中の女性2人が降りてきて、「大丈夫ですか?」「押しましょうか?」と声をかけてくれた。「いいんですか?すみません」と情けなく答える私。それを見て他の車からもワラワラ人が降りてきて、そのうちの1人の男性が車体の様子から「バックの方が良さそうですね」と診断を下し、5人で車の前側を押してくれることになった。「せーの!」の掛け声と共に、5人が車体を押し、私はバックに入れてアクセルを踏む。

この「スタックした車を押してもらって脱出」という状況、現場を見かけたことはあっても、当事者となるのは初体験だったわけだが、おかしい。何がおかしいって、見ず知らずの心優しい人たちが、善意で、無償で、泥だらけになりながら車を押している一方、スタックさせてしまった張本人は安全な車内にいて、阿呆面でアクセルを踏んでるだけなことである。なんだ、この労力のねじれは。いくらなんでも申し訳なさすぎる。せめて私もアクセルを踏みつつ後ろから誰かにヘッドロックかけられるくらいの状況でないと、釣り合いが取れない。しかも更に申し訳ないことを言うと、私は正直おしっこがしたい。めちゃくちゃしたい。ぬかるみから脱出したい気持ちと、おしっこをしたい気持ちのせめぎ合い。とは言え「おしっこしたいのでちょっと待っててもらえます?」とは、いくら面の皮がチーズナンばりに分厚い私でも流石に言えそうにない。私のために車を押してくれている人たちを目の前にしながら、私の意識の大半は今、膀胱にある。こんな尿意に満ちた気持ちでアクセルを踏んでいることが、マジで申し訳ない。こんなことになるなら、面倒臭がらず先にトイレに行っておくべきだった。何事も後回しはよくない。

しばらく押してもらったが、どうやら前輪が完全に埋まっているようで脱出できそうにない。「これはもうプロに任せた方がいいですね」と諦める方向になり、「駄目か……」という無念の気持ちもあったが、正直、「よしこれでトイレに行ける」と思ってしまった。集まった人たちがスラムダンクを人生のバイブルにしていなくてよかった。「諦めたらそこで試合終了ですよ!」とか言っているうちに、私は車内でお漏らししていたに違いない。正直、もうあわてるような時間だった。とても親切で、適度に諦めの早い人たちで本当によかったと思う。私はウェットティッシュを渡しながら、「本当にありがとうごさいました」と深々頭を下げた。

心優しき人たちが解散したあと、私は大急ぎでトイレへと向かい、尿に関しては事なきを得た。車に戻り、保険会社の24時間ロードサービスに電話をかける。

「お電話ありがとうございます。〇〇保険サービスセンター、△△がお受けいたします。」

落ち着いた口調の男性が電話に出た。車がぬかるみでスタックしてしまった旨を伝えると、車体の状況を確認するためにいくつか質問をされたので、それに答えていった。

「かしこまりました。それでは提携業者のスタッフを向かわせますので、現在地のご住所をお願いいたします。」

私はGoogleマップで調べた現在地の住所を伝えると共に、「あの、ライジングサンロックフェスティバルというフェスの駐車場なのですが……」と付け加えた。

「ライジングサンロックフェスティバル、ですか……。」

ただいま、明朝5時。おそらくサービスセンターの夜勤として夜通し勤務してくださっているのであろう電話口の男性に、ライジングサンロックフェスティバルなどという浮かれた正式名称を伝えるのは忍びないことこの上ない。また自分で改めて口にすることで、私はフェスティバルでぬかるみにハマったのだなという実感が猛烈に込み上げてきて、ひどく情けない気持ちになった。しかし、こうなってはもうフェスティバルでぬかるみにハマった事実を受け入れ、助けを求めるほか選択肢はない。

「えっとですね、駐車場が二か所ありまして、ヘブンズ駐車場とフォレスト駐車場というのがあって、ヘブンズ駐車場の方にいます。」

ぬかるみにハマりながら、自分の現在地をヘブンズと説明する。どこが天国なのか。

業者の人が到着するまで一時間程かかるとのことであった。その間、昨日ビールをごちそうになった大学の先輩が駐車場まで来てくれて、肉まんを差し入れてくれた上に、暇潰しでマリオカートやろうぜと言ってくれたので、Switchでマリオカートをやった。スタックして動けない自分の車を目の前にしながら、マシンを軽快に走らせる。私の車も雲に乗ったカメが釣り上げてコースに戻してくれたらいいのだが、現実は業者を待つほかない。

先輩が会場に戻ったあと、すぐに業者が到着した。大きな車でやってきた業者のおじさんは、あちこちぬかるみだらけになっている駐車場の状況に「こりゃあ酷いね!」と度肝を抜かれていた。そう、このぬかるみを脱出しても、駐車場の出口に辿りつくまでにいくつものぬかるみを越えねばならないのである。おじさんは周囲を見て回り、できるだけぬかるみがマシそうな順路を考えてくれた。このスタックから脱出させてくれるだけでなく、私が駐車場を出るまでサポートしてくれようとは、もはやロードサービスというより、ぬかるみコンシェルジュである。この人について行けば間違いない。

「じゃあ、とりあえずバックで出して、こっち側に切り替えそう。」

コンシェルジュの指示で、運転席に乗り込む。

「ニュートラル入れて~」

「ハイ!」

「サイドブレーキ下がってるねー?」

「下がってます!」

「少し、ハンドル右に切って」

「ハイ!」

「逆、逆!」

「すみません!」

コンシェルジュの声かけに、女子バレー部員ばりの声量できびきび答える私。ミライ―スはワイヤーで後ろに引っ張られ、ついにぬかるみを脱出した。何もしていないのに車が動く感覚は新鮮で、されるがままなのが妙に面白く、少しはしゃいだ。

その後も私はコンシェルジュの指示に従い、時には先導してもらいながら、駐車場の出口を目指した。途中「ここならいけそうだから、ぬかるみ越えちゃおう」と言われて進んだら、見事にまたスタックして、再度牽引して出してもらった。まったく、手のかかる客である。

そんなぬかるみコンシェルジュの手取り足取りの献身的な仕事により、どうにかこうにか駐車場の出口までたどり着くことができた。早朝から助けに来てくれたコンシェルジュに心から感謝である。

帰り際、「車にとってよくないから、すぐに泥を落とした方がいいよ」とコンシェルジュからアドバイスを貰ったので、私は検索して近くの洗車場に寄った。日頃から車に手間暇かけている人に言ったら殴られそうだが、私は二年前にこの車を所有しはじめてから一度も洗車というものをしたことがなかった。初めてのコイン洗車機は、水が出た途端あまりの水圧に思わず後ずさりした。消防士になった気分でホースを操り、みるみる泥が落ちて綺麗になっていく様を見るのは妙な楽しさがあった。初スタック、初牽引に続き、初洗車。大変だったが、何事も経験だ。

33歳、真夏の大冒険は、綺麗になった車で帰宅して無事終了。共に困難を乗り越えたミライ―スも、ピカピカしてどこか誇らしげだ。そんなミライースには悪いが、もし来年またライジングサンに行くなら絶対に夫のジムニーを借りる。







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