カリフォルニア・ディズニーなら行ったことあるよ (パーク編)
【ロサンゼルス紀行#9】
ディズニーランドに行ったことがない。
そう告げると、「おまえはシーに行くべきだ」と言われる。まるで朗報とばかりに、「シーは酒が飲める」と言われる。私が酒に釣られてディズニーシーに行く未来しか見えない、という顔で言われる。確かに酒が飲めなくて何が夢の国だ、と思わなくもないが、そういう話ではない。
いつだったか、友人からディズニーランドのシンデレラ城の前で恋人にプロポーズした、という実にめでたい報告を受けた時、私は思った。
「他の女の城でプロポーズされて嬉しいか?」
ディズニーに興味がない、の一言で終わらせてしまえばそれまでなのかもしれないが、何というか、私の興味の行き着く先は、結局いつも自分自身なのだ。誰かが作った一瞬の非日常より、昨日の自分と地続きの日常の方が価値があると頑なに信じている。故に、自分が主人公として入り込む隙のない圧倒的な世界観の中に放り込まれたとき、真正面から楽しむ度量がない。ディズニーランドはその際たるものである。なので、興味がない一方で、猛烈に意識していたとも言える。
そして、ディズニーランドに行ったことがない自分を貫くことで凡人なりに尖ろうとするダサい魂胆があったことも否定できない。「知らない」「行ってない」「やってない」を主張する消極的アイデンティティは大抵みっともない。わかっちゃいるけど、なかなかやめられない。
そんな中で持ち上がったのが、今回のロサンゼルス旅行である。
私の主たる目的はエンゼルスタジアムでの野球観戦だが、夫は世界で最初のディズニーランドであるカリフォルニア・ディズニーに興味を示した。夫が行きたいというだけで行く理由としては十分だったが、加えて、ある閃きが私を前のめりにさせた。今後、誰かとディズニーランドの話になったら、すっとぼけた顔でこう言うのだ。
「ディズニー? ああ、カリフォルニアなら行ったことあるよ」
これだ。私はカリフォルニア・ディズニーしか行ったことがない人になる。そういうキャラでいく。ちびまる子ちゃんの花輪くんみたいのを想像してもらえるとわかりやすいだろう。このネタを披露する自分を想像しただけで、笑いが込み上げてくる。「ディズニーランド」というものが自分の中で初めて、納得できる形で、確立される気がした。
というわけで、旅行4日目。ひとネタに固執する私と、普通に海外のディズニーランドを楽しみたい夫は、アナハイムにあるカリフォルニア・ディズニーを目指した。
開園前に到着するため、早朝にホテルを出発した。作業着を着た人たちが機械で水を噴射しながら歩道を掃除しているのが見えた。随分と大掛かりに掃除するんだな、とぼんやり眺めていたが、ここ数日の記憶が蘇ってハッとした。これは、うんこを掃除しているのだ。
何度か書いたが、ロサンゼルスはとにかく路上にうんこが落ちている。清掃はどうしているのだろうと思っていたが、こうして朝早くから強力な水噴射で洗い流していたというわけだ。街をうんこから守る清掃員たちに敬意を示しつつ、アプリで呼んだUberに乗り込む。
行き先もアプリで入力済みなので、英語で何かを説明する必要はないのだが、乗車すると、陽気な運転手が話しかけてきた。
「レスリーレーン?」
一瞬、空気が止まる。レーン? 道路のことだろうか。道順とか、その辺りのことを聞かれているのだろうか。私も夫もまったくわからず、申し訳ないほど何度も聞き返した。結果、運転手は「ディズニーランド?」と言っていたと判明した。これからディズニーランドへ行くのに、ディズニーランドが聞き取れないリスニング力に呆れを超えて悲しみすら覚えた。
9月上旬のカリフォルニア・ディズニーは穴場。そう教えてくれたのは、チケットの手配をしてくれた旅行代理店のギャルである。アメリカでは学校を休んで家族旅行するのが当たり前、土日や夏休みを避けたところでディズニーランドの混み具合はさほど変わらないが、学校が9月スタートなので、始まってすぐのこの時期に子どもを休ませる親はさすがに少なく、9月上旬のカリフォルニア・ディズニーは比較的空いている、ということらしい。
カリフォルニア・ディズニーは、「ディズニーランド・パーク」と「ディズニー・カリフォルニア・アドベンチャー」の2つが隣同士になっている。日本でいうランドとシーみたいなものらしい。我々が買ったのは、一日で両方行き来できるチケットである。
まずは、ディズニーランド・パークへ。到着するとすでに人が大勢集まっていたが、大混雑というほどではない。これが9月上旬のアドバンテージなのだろうか。開園と同時に、前の人に続いてぞろぞろと中に入る。
入り口近くに、極端に太った警備員と、極端にガリガリの警備員が並んで立っていた。早々に、意外な形で、「ディズニー映画の世界にいるみたい」という定番の感想を抱いた。
はじめて訪れたディズニーランドという空間でどう立ち振るまえばよいのか分からず、「おい、夢中にさせてみろよ」と反社会的な態度で横揺れしていたところ、夫に「きびきび歩くこと!」と注意された。本日の行動はすべて、東京ディズニーランド経験者である夫に一任している。夫としては、最も混雑が予想される『スターウォーズ:ライズ・オブ・ザ・レジスタンス』に開園と同時に並びたいという計画があり、それが入場口から最も遠い場所に位置していたため、きびきび歩いて欲しかったらしい。周囲を見渡すと、確かにみんなきびきび歩いている。ロサンゼルスとは違い、怒っている人もラリっている人もいない、ついでにうんこも落ちていないが、みんな笑顔で急いでいる。
『スターウォーズ:ライズ・オブ・ザ・レジスタンス』は、旅行代理店のギャルが「これに乗らなきゃカリフォルニア・ディズニーに行く意味ない」とまで力説していた最新アトラクションである。きびきび歩いた甲斐あって、20分も待たずに入れた。
私はディズニーランドどころか、普通の遊園地ですら中学の修学旅行で行ったルスツリゾート以来。すなわち、「乗り物」の類への認識が20年以上更新されていない。そんな状態で一発目に乗ったのが最新アトラクションということで、初めて火を見るが如く、アトラクション原人はすっかり度肝を抜かれてしまった。
うまく説明できる自信はないが一応説明すると、基地みたいなところで未来っぽい低い乗り物に数人ずつ乗せられ、その乗り物はレールもなにもない地面を360°滑るように動き、敵にレーザー銃を乱射されながら、縦横無尽、トリッキーな軌道で逃げながら基地の中を駆け抜ける。私にそんな能力があるとは思えないが、恐らくギリギリで避けたのであろうレーザーが後ろの壁に当たると、その部分がちゃんと赤く焼けこげたりして、当たったら死ぬというスリルの演出も凄かった。乗り込む前段階でキャラクターからストーリーの説明はされていたのだが、如何せん「ディズニーランド」すら聞き取れないリスニング力なので状況がよくわかっておらず、「一体私が何をしたというのだ!?」という困惑を含んだ「ギャー!」が終始発せられることとなった。
そのあと宇宙船と思わしき物に乗り換え、今度は宇宙空間で追われる。こちらはアトラクション原人としても何となく理解の範疇にあった、目の前に映し出される映像に合わせて乗り物が動くタイプのアトラクションなのだが、もはや私の知っているそれではなかった。映像のクオリティが凄い、動きも予測不能で凄い。完全に宇宙を飛んでいた。
また、これはディズニーランド全般に言えることではあるが、待ち時間を前提につくられていることに驚いた。このスターウォーズなら、乗るまでの間に洞窟みたいなところから基地の中に入って、キャラクターが出てきていろんな説明をしてくれて、という具合に、列に並びながらすでにストーリーの中にいる。そして宇宙船や、ちょっと置いてある小道具など、あらゆるすべてがぐうの音も出ないほど精巧に作られており、列に並んでいる間もその世界観の中にいると思わせてくれる。ただ待っている時間ではなく、没入のための時間でもあるのだ。これはディズニーランドに行き慣れている人にとっては当たり前なのかもしれないが、ラーメン屋の行列と同じようなものを想像していた私としては驚きだった。待たせることに対する意気込みが違う。
ちなみに、ジーニープラスという予約枠を使える有料オプションがあり、今回はそれを(夫が)駆使したことによって、ほとんどのアトラクションを長時間並ばずに乗ることができた。一部のアトラクションは対象外だが、プラス料金を払ってでも、この魔法のランプは擦る価値があった。
さて、先ほども書いたが、私が最後に行った遊園地は中学の修学旅行のルスツリゾートである。あの日、到着早々友人たちからフリーフォールに乗ろうと誘われた。フリーフォールとは、タワーのてっぺんからシンプルに落下する、当時ルスツで最も怖いとされていた絶叫マシンである。それまで絶叫マシンに乗ったことがなかった私は若干不安を覚えながらも、見栄を張って意気揚々とフリーフォールに乗り込んだ。そして、泡を吹いた。もうダメだった。その後は友人たちが楽しく絶叫する中、一人廃れたゲームコーナーに引きこもり、UFOキャッチャーで欲しくもない丸っこい動物のキーホルダーを取るなどして時間を潰した。人間は進化の過程で大切なものを失った。自らの身体を危険に晒すことで快感を得ようとは、あまりに野蛮である。高度な文明が生み出した狂った欲望、その際たるものが絶叫マシンだ。生命の摂理に反している。つまり、怖いからもう乗らない。
はずだったのだが、目の前に『ビッグサンダー・マウンテン』が現れた。エンゼルスタジアムの外野にそびえる岩山は『ビッグサンダー・マウンテン』をモチーフにつくられている。ホームランを打つと、岩山から花火が打ち上がる。大谷も幾度となくそこにホームランをぶち込んできた。となれば、私もぶち込まなければならぬ気がしてくる。
「これはジェットコースターってほどでもない」と夫が言うので、思い切って乗ってみた。確かにアップダウンがそこまで激しいわけではないが、座席に括り付けられて猛スピードで運ばれるのだから紛うことなきジェットコースターであった。体に力が入るが、足に力入れると落ちるときに体が浮く感じがして余計怖いということがわかり、終始足をぶらっとさせることに集中した。そのような検証をする余裕があったということは、私もこの20年間で酸いも甘いも噛み分けて、多少なりとも度胸がついたのかもしれないと思った。しかし、ここで絶叫系を解禁したことが後に響いてくると、このときの私はまだ知らない……。
その後はとにかく夫が指をさすままに、空いているアトラクションを次々こなしていった。
『カリブの海賊』で、船に乗って流されながら、海賊たちの日常(?)を見学した。帽子に小鳥がとまっている微笑ましい海賊もいれば、井戸で割とキツめの拷問している海賊もいた。座席に水がかかっていたようで、降りたら尻が濡れていた。
『ジャングル・クルーズ』は、もう少し何かしらの興奮材料があってもいいのではと思うくらいまったりしていた。人間が動物たちに追われ、刺さっている棒に登って逃げて、囲まれて降りられなくなっていた。「ああなる前にできることがあったはずだ」と思った。
ディズニーランド名物のチュロスを食べながら『ホーンテッドマンション』に並び、ずっとこっちを見てるように見える肖像画にじろじろ見られたあと、『ファインディング・ニモ・サブマリン・ヴォヤッジ』へ。本物の潜水艦に乗り込むという初体験に最初は興奮したのだが、例によって魚、カメ各位のセリフが英語のためストーリーがあまり理解できず、さらに薄暗い艦内、演出で吹き出す泡の景色とブクブク音があまりに心地よく、後半ちょっと寝た。せっかくカリフォルニア・ディズニー限定のアトラクションだというのに居眠りしてしまうとは、舞浜へ向かう京葉線なんかでそんな話を口にしようものならタコ殴りに遭うかもしれない。
『バズ・ライトイヤー・アストロブラスター』でシューティングの点数を競う。夫は東京で何度もやったことがあるらしく、宇宙を賭けた戦いは私の惨敗に終わった。
その後、夫の導きで『スペース・マウンテン』に乗った。「これも大したことないよ」と言われてまんまと乗せられたが、罠だった。完全にジェットコースター。しかも、真っ暗な宇宙空間で、360°すべて星しか見えない。そんな中を猛スピードで吹っ飛ばされる。私はまるで宇宙ごみ。ブラックホールってこういうことなんだと確信した。その次に『マッターホーン・ボブスレー』という雪山を走り抜けるコースターに乗ったが、宇宙の恐ろしさには到底及ばなかった。これを慣れとは呼びたくない。
パーク内を歩いていると、意外とミッキーがいないことに気づく。例の丸3つのシルエットはあっても、本体のイラストやオブジェはほぼ見かけない。友達の実家の方がミッキーいるぞと思った。「おまえのランドに来てるんだから、挨拶くらいしろよな」と苦言を呈したところ、夫が「そのためのパレードなんじゃない?」と言って、なるほどあれはそういうことだったのか、と合点がいった。今日は時間の都合上パレードは見ないと決めていたので、我々がミッキーからエレクトリカルご挨拶を受けることはなかった。
昼過ぎ、「ディズニーランド・パーク」はおおよそ満喫したので、隣の「ディズニー・カリフォルニア・アドベンチャー」へ移動することにした。出る前に、メインの城の前で写真を撮っていると、近くにいたカップルに写真を撮ってくれないかと言われたので撮った。「君たちのも撮るよ」と言うのでスマホを渡し、城を背景にして立つと、「Junp!」的なことを言われた。人生ではじめて写真でジャンプしたかもしれない。あとから見てみると、夫は少し浮いていたが、私はつま先立ちでただ上に伸びているだけだった。
ちなみに、カリフォルニア・ディズニーの城はシンデレラ城ではなく、眠れる森の美女の城らしい。どちらにせよ他の女の城であることに変わりはないが、他の女の城の前で上に伸びている私は、割と楽しそうな顔をしていた。
本当の絶叫はここから……アドベンチャー編へ、続く。