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TOKIOの長瀬です。

「TOKIOの長瀬です。」

人生で何度この自己紹介をしてきただろう。勿論、私はTOKIOの長瀬ではない。北海道に住むしがない一般人の長瀬である。しかし苗字を説明するとき、「TOKIOの長瀬です。」と伝えると、相手は漢字を思い浮かべやすいし、すぐに名前を覚えてもらえる。私の人間関係の始まりはいつもTOKIOの長瀬と共にあったと言って差し支えないだろう。

TOKIOの長瀬が世に出るまで、長瀬という苗字はマイナーだったと母は言う。名乗っても「ナナセ?」「ヤナセ?」と聞き返されることが多かったらしい。それがTOKIOの長瀬が有名になって一変した。聞き返されることはなくなり、彼のイメージも加わって、格好いい苗字ですねと褒められるようになった。「だからTOKIOの長瀬には感謝しているのよ。」そう言われて育ってきた。私にとってTOKIOの長瀬は、アイドルでも農家でもなく、池袋のプータロ―でも、婿入りしたシンガーソングライターでもなく、落語家になったヤクザでも、高校生になった若頭でも、現実世界に飛び出した漫画の主人公でも、実家に帰ったプロレスラーでもない。彼は全国の長瀬の地位向上に貢献した大恩人、まさに長瀬界の宙船なのである。

しかし、この苗字もいい思い出ばかりではない。小学生の頃、自分の名前に使われている漢字の意味を調べて発表するという授業があった。下の名前がひらがなの私は苗字に面白い意味があることを期待したが、漢字辞典を引いたところ、「長」の成り立ちは「髪の長い老人」、「瀬」は「川の流れ」という意味だった。川のほとりに佇む髪の長い老人の姿が頭に浮かび、そのあまりに地味な情景にショックを受けた。恥ずかしくて半べそで発表した。

また、子ども時代の私はやたらと気が弱かった。特に授業で当てられることに並々ならぬ恐怖心を抱いており、当てられただけで泣いてしまうことさえあった。そんな怯えきった中で、先生が「この三角形の辺の“長さ”は」などと言うので無駄に何度もビクッとさせられた。

中学時代、長瀬から派生して「ながそうめん」というあだ名が付いたことがあった。この時点でだいぶ謎だが、そのうち縮めて「ながそ」と呼ばれるようになり、終いには「祖」と呼ばれた。意味がわからない。腹が立った。しかし、そうめん側から一周まわって「髪の長い老人」に近いイメージへと回帰していることについては、偶然とは言え感心せざるを得ない。

そんな訳でいいことばかりではなかったが、私は自分の苗字を気に入っている。そう思えているのは、やはりTOKIOの長瀬のおかげだ。彼がとても格好よくて、おおらかで、誰からも愛される、そんな人物だから、私も長瀬という苗字に誇りを持てたのである。

先日、TOKIOの長瀬がTOKIOを辞めた。芸能界も引退した。テレビで彼の姿を見ることができなくなるのは寂しいし、何だか心細い。それだけ私はTOKIOの長瀬という存在に支えられてきたのである。でも、彼は新しい世界へと旅立った。より彼らしく生きるために、旅立ったのだ。

今までありがとう、TOKIOの長瀬。あなたと同じ苗字でよかった。これからは私も自分の力で、長瀬という宙船を漕いでゆく。自分のオールで、誰にもまかせず、漕いでゆく。

でもやっぱり寂しいから、これからも時々言わせてほしい。

「TOKIOの長瀬です。」


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