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OTG#01_20190327

大塚ギチへのインタビューは2019年の3月27日、4月4日、4月12日の3回に分けて、西新宿の大塚の自宅で行われた。録音時間は計8時間に渡り、ここでは約1時間分ずつテキスト起こしという形で紹介していく。

生前の大塚の言葉をできる限り残したいという目的から、カットや修正は最小限にとどめ、ほぼノーカットでお届けする。そのぶん話題の繰り返しなど冗長な部分も残っているが、療養中の大塚の話にゆっくり付き合う雰囲気を感じていただけたらと思う。

なお、生前の大塚は転倒事故とそれによるクモ膜下出血の後遺症で、記憶に障害を負っており、転倒前後からの記憶には喪失部分や誤認、思い込みなども多く混じっている。そのため本人の証言が実際の事実関係と食い違っている可能性もあることを、あらかじめご了承の上お読みいただきたい。

聞き手・構成・写真 野口智弘(※写真は往時のアンダーセルの応接間で、収録が行われた大塚宅とは異なります)
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「大塚さん、最近どうですか?」

大塚 ……それに関してのお礼はちゃんとしなきゃいけない。だから口頭でお話しできることにいまのタイミングでは限りもあるんだけど、とりあえずやっぱり応援してくださっている人たちがいるという事実は俺のなかではいますごく大きいので、まずはとにかく義援金をくださった方に関しては「本当にありがとうございました」ということしかないよね。

――きっかけは事故ではあるんですけど、それをきっかけとして思い出してくださった方がいろんなところにいらっしゃるんだな、ということは傍から見てても思いましたね。

大塚 うん。俺もいまそんなにさ、SNSとかをアクティブにしていい時期では本来的にはないんだよ。お医者様にも「あんまり脳に情報を与えないで、とにかく休み休みでゆっくりじっくりやってください」とは言われているので、あんまりそんなエゴサーチとかもしてなかったんだけど、さすがにさ、いろんな方々にご支援いただいている身ではあるので、ちょっと自分なりに直接発言をしなきゃいけないなあ、と思ってちょっと発言させていただいたんだけど、予想以上の反響があって。

――お医者さんからSNSとか情報に接するにあたって「だいたいこれくらいまではOKですよ」というのはどのくらい言われてるんですか?

大塚 要は脳のキャパシティが狭まっているわけだ。だからテレビの音を消すとか、音楽も控えるとか、SNSを見ないとか、そういうことでしかない。で、それは当初は最近ぐらいまではずっとセーブしてたし、ずっとテレビとか音出して聞いていると聞いていると、どうしても情報量が多いものだから、脳が疲れちゃうんで、すぐまた横になってしまうという状態があったんで。(※収録時もテレビでは無音で選抜高校野球中継が流れていた)

――だって事故前というか、それまでの大塚さんって『攻殻機動隊』のイシカワがつけてるような機械を頭につけて……。

大塚 (笑)。

――電脳戦をやる人だったじゃないですか(笑)。

大塚 うーん(笑)。

――ありとあらゆるインターネットツールを駆使して。僕もそんな横で張り付いて大塚さんのモニターを見てた経験はないんで「そうなんだろうな」という想像でしかないですけども。

大塚 まあ、さっき野口が仕事場を見てくれたように、本の量もそうだけど、ライターとか編集者とかデザイナーという肩書きで――会社の経営もそうだけど――情報量にまみれるというのがある種の喜びであったし、そうしないと先に進めないというか、そういうところがずっと自分のなかにはあったんだけど、それをいったんシャットアウトしなきゃいけないという感覚は結構大きかった。主治医の先生に言われたからというだけじゃなくて、自分でもやっぱりね、昔みたいに本を読めなくなっちゃったというのはあって。昔は馬鹿みたいに読んでたんだけど。だから(本棚の)あんな本の量になってるんだけど。そういうのを一回セーブして、とにかくいまは横になってる時間が長いかな。

――それは例えば、情報に対して喉の渇き的な感じなのか、それとも「集中して読むと疲れるし、まあいっかな」ぐらいの感じなのか。

大塚 ああ、後者だね。すごいやっぱり集中力が必要なんだなというのは実感したね。マンガ一冊でも小説でもいいけど、やっぱりそれを読むということ自体がすごく集中力が、みんな自覚してないだろうけども結構大変なことで。いまそのカロリーが目減りしてるというか、もともとあったカロリーが90とか100とかあったりしたら、いまはそのカロリーが60とか40に下がってしまっているので、それを使ってしまうと何もできなくなっちゃうんだよね。だから「休み休みでやっているんですよ」という話はリハビリセンターの主治医の先生にお話ししたら「2時間ぐらいやったらまた休んで、また2時間やってみたいな繰り返しで大丈夫ですよ」とは言われたんで。だから脳梗塞とか若い子たちはそんなに経験することはないと思うけど、ひとつだけ言えるのはみんな焦るんだよね。「早くなんとかして退院したい」とかさ、「リハビリして早く回復したい」と思うんだろうけども、やっぱり気持ちと体ってイコールかという問題があってさ、俺も入院して意識が戻ったときに、面会に来てくれてた人たちが「早く治せ」「早く治せ」「リハビリしろ」みたいなことを言ってたんだけど、やっぱりそのときね、結構イラッとしてたのは事実。

――うーん。

大塚 俺が早くしようと思っても、俺の体が追いつかないんだよすでに。

――いや、なんかその話を聞いてて安心したのは、情報の禁断症状的なことにはなってなくて、体というハードに合わせて脳みそとか思考というソフトがあるべきサイズに、ちゃんと体ってそういうふうに変わっていくものなんだなあ、というか。まあ、脳の詳しい仕組みはわからないですけども。

大塚 うん。それはね、そのとおり。俺も入院中に、長い入院生活をしてるわけだ。病院ふたつもまたいでるし。で、テレビは置いてあるわけ。で、見れるんだけど一回も点けなかったね。携帯も見なかったね。携帯は見なかったというか、転落したときに携帯落としちゃったらしくて、その携帯を持ってないからさ。だから日々やることっつったら、寝るかご飯を食べるかリハビリをするかという感じなんだけどさ。脳梗塞とかもそうだけど、脳の障害とかは治療というか回復する間にすごいカロリーが必要になるから、むちゃくちゃ眠いんだ。とにかく眠い!

――やっぱり糖分とかエネルギー使いますよ、頭は。

大塚 そう。というのがずっと続いてたから、ずっと寝てた。で、寝てたら起こされて、ご飯食べさせられるんだけど。そんな状況だったかなあ。

――ちょっとずつ寝る時間って健常者に近くはなっていってるんですか?

大塚 うーん……そうだねえ。でもまだ疲れやすいね、脳が。だからさっきも野口に話したけど病院とかさ、区役所に行って手続きをしたりとかって結構時間かかるんだけど、そういうのがあると終わってぐったりして横になって休んでカロリー取って、という。

――パニック症候群がある方、僕らの知り合いだとOさんなんかも人混みとかはやっぱり結構な決心がないとわざわざ行かないと言うし。

大塚 まあ、おんなじだよ俺も。それはお医者様にも言われてるし。今日は(出迎えに)新宿まで一回出たけども「人混みとかは避けるように」とは言われてるんだけどさ。人間って面白いもんでさ、さっきの本の話とかとイコールなんだけど、無意識ですごいカロリー使ってるんだよね。本を一冊読むとか人混みにいるとかさ、そういうこともふくめて。で、それを自覚したのは事故というか入院生活後なんだけどさ、やっぱりぐったりするよね。一回なんかこの辺でお祭りがあって、行ってみようかなと思ってフラフラがんばって行こうとしたんだけど、途中でぐったり疲れちゃってね(笑)、そのまま帰ってきたというのもあるんだけど。

――うちの奥さんが駅とか街とか歩いてても瞬間的に情報を拾える人なんですよ。

大塚 うん。

――だから「さっきの人、この間スーパーのレジにいた人ね」とか僕に言うんですけど、僕は鈍感力が激しいというか(笑)、目の前のものかスマホぐらいしか意識に入ってないんで「そうだった?」みたいな感じでレーダーで拾わないんですよね。でも意識的にか無意識的にか、拾っちゃう人はとくに人混みでは拾いすぎちゃうんで、もうそれの処理だけで脳がかなり疲れちゃうというか。

大塚 まあねえ。キャプテン(※O氏のニックネーム)とかはそういう意味では情報量を拾いやすいアンテナを持ってる人だし、あの人も酒飲まないからさ、シラフのときでもそれを受け止めてしまいすぎるというのが放送作家としてのプラスでもあるけれども、生きていく上ではかなり険しい部分もあったりするんだな、とはずっと思ってたんだけど。

――だから奇しくも「電波」というスラング、そういう電波は宇宙から発せられてないかもしれないけども(笑)、ニュアンス的には非常に近いというか。

大塚 うん。俺の場合は理由がはっきりしてるからさ、頭を怪我してしまったということで情報をシャットアウトしなきゃいけないという根本的な理由がわかるんであれだけど、やっぱり生まれてからずっとそういう人は大変だなとか思うよね。だからリハビリセンターとかもずっと行ってると、当然いろんな人を見るわけじゃん。で、年配の人がすごい多いんだ。

――そうでしょうね。

大塚 しかもその年配の人たちは頭だけの問題じゃなくて、体もそうだけど、歩けてなかったりするから杖とか車椅子とかだったりするのよ。で、それでとにかくリハビリをしている状態でさ、そういう人たちを山ほど見るから俺なんかじつはリハビリセンターのなかではかなり若いほうなんだよね。

――まあ、そうでしょう。というか歳行った方のリハビリってたぶんもう回復じゃなくて、悪化をなんとか食い止めるためじゃないですか。

大塚 そうそうそう、そのとおり。だから俺の場合はとにかく回復させるというシフトになっていたんだなあとは思うけど、6ヶ月最低同じ病院に通わないといけないというので、ちょっと遠かったんだけど、毎週通って。そのリハビリセンターのミッションが終わった理由というのが、若くてすごいいい先生だったんだけど、ある日「大塚さんごめんなさい。僕この病院辞めることになったんで」って言われて(笑)。

――あらまあ。

大塚 で、「いつ辞めるんですか?」と聞いたら「3月の半ばで辞めることになったんで」と言われて。要は6ヶ月通って、診断書を出していただいて、それを持って障害者手帳の発行の手続きをしなきゃいけないから。で、ほかのリハビリセンターに行っちゃうとイチからやり直しになっちゃう。

――ああ。

大塚 で、また6ヶ月かかっちゃうから、そういうわけにもいかないんで慌ててふたりで。

――「なんとかいるうちに全部終わらせましょう」と。

大塚 んでバタバタしてリハビリという感じで。で、いまはリハビリセンターは終えたんで。ここから歩いて5分のところに初台リハビリセンターというのがあってさ、こっちに通ったほうが絶対楽なんだけど。

――あ、そこじゃないんですね。

大塚 うん。転院できないんだよね。転院したらゼロからになっちゃうんで。だから今後転院してもべつにいいんだけど(転院先では)カルテを持ってないからどうしようかな、みたいな感じではあるよね。


「再発率も、再発時の死亡率も非常に高いと」

――アホな質問ですけど、リハビリって何をやってたんですか?

大塚 えーっとね、リハビリって簡単に言うと頭のリハビリか、体のリハビリ。で、俺入院生活のときにやってたのは体のリハビリだったんだよ。

――まず歩けるようにというか。

大塚 そうそうそう。歩けるように。当時は起きられなかったからね。下半身がもう完全にやせ細ってガリガリだったからね、足とか。

――もともとやせてるわけじゃないですか。

大塚 でもね、桁が違ったね。やっぱ当時ベッドに全身拘束されてるからさ。

――何キロまで落ちたとか数字は覚えてます?

大塚 いや、覚えてないんだよ。

――たぶん(やせ型の)僕よりやせちゃってたって感じでしょうね。

大塚 いや、足はやばかったよ、自分で見ても。で、両手も暴れないようにというのでボクシングのグローブみたいなのをはめられて、ベルトで両腕縛られてるから、もうまったく動けないんだよ。で、尿道に管入れられてるしさ、トイレとかも行くことができる状態ではないので。しかも食事はさ、血液検査の結果で塩分をとらない食事ということになっちゃってたらしくて、おかゆがずーっと1日3回出るんだけど(笑)、そのおかゆというのがお米と水だけというさ。

――いわゆる塩とか梅干し的なのナシで。

大塚 ないないないない(笑)。それを1日3回食べてるとさ、もうやせ細るに決まってるという話だよね。そんなことをずっとやってたの。自分で見舞いのときに見てびっくりしたもんね。足も本当に骨と皮みたいな状況になってたから。で、その頃は起き上がれないとかさ。そういう状況がきつかったんで、ずっと点滴と薬を入れられてたんだけど、その状況が耐えられなくて、両方噛み切って脱走しようとしてナースたちに捕まったんだけどさ(笑)。

――それミカドに脱走したのとはまた別のときですか?

大塚 えーっと、ミカドに脱走する前だね(笑)。で、1回失敗して、噛み切った瞬間に大量出血しちゃって。

――はあ。

大塚 で、それでバレちゃってね。

――それはまあ……。でも(当時は)そのぐらい意識がぐちゃぐちゃ。

大塚 ぐちゃぐちゃだよ。ただそれでね、いまに至るけども、そういう状況を俺の口からストレートに話していいのかどうかというのは自分のなかでも整理がついてなかったんだけども。

――それが7月、8月? 入院はどのくらいまで?

大塚 7月13日の夜に転落事故を起こして、(入院は)8月の末ぐらいまでかな。さっき野口が言ったように回復は早いほうだよね。

――僕が(8月末に)電話もらったのは、あれは病院からだったんですか? それとも退院してから?

大塚 ああ、こっち(自宅)だよ。退院してからだね。

――じゃあその日には退院してたってことか。

大塚 うん。ただあの頃の記憶が100%あるかと言ったらそうでもなくて、かなり混濁した状態ではあったな、というのはいまでも覚えてるけどね。なんかいろんなところにそういう話をしてた記憶があるな。世話になった人たちとかね、連絡取れなくなってる人たちとかいるんだなと思ってたし、実質会社の経営ができてなかったという時期だから、いちおう連絡しなきゃと思って連絡したけど、それで縁を切られてる人間はすっげえ多いからね。

――うーん。

大塚 退院したあとにさ、連絡もらったというか俺の携帯に電話が入ってて――まあ、長い付き合いだし俺にとっては先輩でもあり、同時に師匠というか先生であった人間のパートナーの人からなんか俺に投げやりな電話が来て「うちの彼氏が縁切るって言ってるけど」ってすげえ逆ギレみたいな状態で電話かかってきて。さすがに俺も意識戻って、意識は混濁してたけど、そういう(入院等の)状況になると長い付き合いだし連絡しなきゃ、と思って連絡してお話させてもらったら、そういう状況であるとわかって。で、いまだに国交は回復してないんじゃない? そんなの山ほどあるよ。すごい量の人たちに縁切られちゃったからね。8割9割ぐらい切られたかな。

――もともと何かがない限り大塚さんとの距離を縮めよう、というモチベーションがその人の中でなかったのか、何なのかわかんないですけど。

大塚 うーん、何なんだろうね、あれ。

――もしくはネガティブな想像ですけど、ある種大塚さんの職能の部分に付き合いの意義を見出していて、その職能がもう果たせないと思ったから離れていっちゃった人たちなのか、何なのかわかんないですけど。僕は逆に大塚さんの職能が頭を打ったことで――やっぱり「書いてください」という人たちは多いし、その気持ちはもちろん(わかる)。だからその人たちに何か言いたいわけじゃないんですけど、僕はぶっちゃけ「まあ、生きてるだけでいいっすよ」という気持ちであるし、「書いてほしい」というのも、こうやっておしゃべりできてるだけでも十分よかったなと思うほうなんで。

大塚 まあ、それはね、俺もおんなじ。当初はやっぱりハイペースでいろんなことをしていかなきゃいけないなと思ってたんだけど、じっくりゆっくりやっていかなきゃいけないというのはいろんなリハビリセンターだったりとか通院生活のなかで経験していることだし、クモ膜下(出血)も脳梗塞のひとつなんだけど、半年後からの再発率が非常に高いと。で、(完全な回復まで)10年は見なきゃいけない。で、再発した場合の死亡率は50%。非常に高いと。

――うーん。


「5、6年前からこっちの舌、ないんだよ」

大塚 ただ俺の場合はさっきも言ったけど、二郎系ラーメンを山ほど食うのが大好きだったというか、そういうのはないから(笑)。

――タバコは何年か前にやめてますけど、お酒ですよ。体を害する習慣があるとすれば。

大塚 というか酒に関して病院の先生と話をしてもさ、「飲んでいいですよ」という先生はいないからさ(笑)。「控えてください」としか言われないから、そういう意味で言うとほら、5、6年前か。最近(堀ちえみさんの)ニュースで話題になるけれども舌ガンの疑いで舌を3分の1切り取っちゃってる状態だからさ。あれの痛みとか入院生活からいまの自分が始まってるんだなあ、というのは実感するんだけどさ。それでもこうやって言葉に関してはしゃべれるし。でも、こっち(舌)ないんだよ、左側(笑)。

――それ、僕から見てわかります?

大塚 わかんない。首のほうにあるから表向きわからないんだよね。ただこれで面白いのは、いま堀ちえみさんが舌ガンで舌を相当切ってしゃべれてないというんだけど、俺も首、扁桃腺、肺ふくめて全部ガンだったらやばいというんで、ガンの検査でMRIとかもずーっと調べてやって。ただ完全に左側の部位自体は壊死してたんで。白く完全に腐ってるんだよ。

――おおおお……。

大塚 で、それを切ってみないことには検査ができないというので切り取って。そしたら幸いなことにガンではないということになったからよかったけど。いやー、あれもあれでヘビーだったよね。

――むしろよくそういう結構な大事(おおごと)があった、数年後の事故なわりには回復力がまだあったんだなというか。

大塚 まあー、野口と一緒に働いてた(2000年代)頃のことを思い出してもらえればわかるけど、バカみたいに異常な体力というか、ずっと事務所で寝泊まりしたりとかさ、そういうことに関しては体力なのか精神力なのかわかんないけど、あるほうだったんじゃないかな。ただ舌切り取ってからね、1年間すっごいきつかった。

――いや、きつそうでしたよ。

大塚 何がきついって、いまでこそわかるけど、当時はわからないことが山ほどあって。それは舌という物自体が頭を支える筋力のひとつなんだよ。

――ああ。

大塚 ゆえに舌を切り取ってしまうことによって、(支える)力がないから脳が一段階ガンッて下がるんだよ。

――ほおー。

大塚 そうすると首の後ろって自律神経に影響してきちゃうんで、自律神経失調症になっちゃって。

――普通の状態だったら負担がかからないところが、舌を取ってパズルじゃないですけど脳がずれたことによって負担がかかってたと。

大塚 そうそうそう。『ぷよぷよ』みたいな状態で一段階ガンと下がって(笑)。で、その頃ね、はじめはわからなかったんだけど、ずっと常に頭の後ろが引っ張られてるような状態になって、意味がわかんなくて「これどこに行けば治るのかな?」と思って。で、当時事務所の近くに心療内科とか鍼治療のお医者さんがいたんで、そこに行って相談したら、薬ももらってたんだけど、鍼治療の先生がすごいいい女性の先生で「大塚さん首、ダメですこれ」と言われて(笑)。

――あらまあ。

大塚 それからね、毎週ずっと首にガッチガチに鍼打たれてたなあ。

――鍼がじゃあ、結果的には一番よかった感じです?

大塚 よかった。あれがなかったらいまみたいになってない。でも1年間ずーっと打ち続けてたね。で、鍼って保険利かないから結構な金額になっちゃうんだけど、鍼がなかったらかなりまずかったね。

――事故後に鍼に行かれたりされました?

大塚 いや、それはないね。いまはそこは平気なんだ。まずその舌ガンの疑いで舌を切って手術を受けて退院して、それからというのは1年間で首に筋力がついたんだよね。

――ほおー。

大塚 だから全然鍼治療もしなくて大丈夫な状況にはなったし、自律神経失調症という問題も解決されたので、ひとつ卒業だなと思って仕事はして、生活もしていたんだけど。

――いやー、(自分は)体力ないわりにデカい病気もしてないんで、ちょうど市の無料の健康診断が来てたんで、それを受けないとなと思ってたところですけど。

大塚 ああ。俺もそういう意味で言えば同じようなことはずっとしてたつもりではあるんだけど。


「なんで俺倒れてるんだろう? と思って」

――もともと舌を切る前って病院にかかるとか、それこそ子供の頃でもいいんですけど、病院慣れしてる人ですか? それとも全然病院に行かなくてなんでも済ませてきた感じなのか。

大塚 うーんと、病院慣れはしてるんじゃないかな、俺。耳と鼻がよくなかったんで。

――あ、蓄膿(ちくのう)とかそういう。

大塚 そういうことだね。で、小学生の頃から病院に通うのはよくしてたね。そういう病院に行くという行為自体がさ、非日常的な空間に行くわけじゃん、小学生からすれば。

――そうですね。

大塚 それが楽しかったし。

――じゃあそれはそれで面白がってたというか。

大塚 面白がってたね、全然。で、北海道の田舎町に住んでたんで都会(の病院)まで行って。

――まあ、あとは毎日どこかが痛いとかでなければいいのか……。いや、結構いるじゃないですか。小さい頃に死に直面したがゆえに後の人生がすべて「ダメで元々なんだから」みたいな、攻めの姿勢に転じられるようになった元病弱な人とか。

大塚 まあ、(俺は)もともと病弱ではないので。ただいま野口が言ったようなことで言えば、人生観が変わるというのは大げさだけれども、ひとつの大きな転換期には今回の一件でなってるのは事実だね。

――そりゃ今回のはなってると思いますよ。

大塚 死にかけてるからね? ICU(集中治療室)に入ってるときに(死にかけたと)3回言われてるだけであって、それ以後も自宅療養になってから俺、2回意識不明で倒れてるんだわ。

――え?

大塚 で、気がついたらさ、ここの床になんか倒れてて。バッと起きたら「あれ? なんで俺倒れてるんだろう?」と思って。

――それ、いつぐらいに?

大塚 今年今年。で、そのあとももう1回倒れてるんだよな……。2回とも救急車で搬送されてるんだよ。

――……。

大塚 で、両方ともかなり危なかったというね。

――じゃあわりと最近。

大塚 いや、年明けぐらいじゃないかなあ。まあ、最近っちゃ最近か。

――最近っちゃ最近ですよ。それってナルコレプシー(発作的に眠気が起こる睡眠障害)じゃないですけど、突発的に寝ちゃったやつのひどいやつみたいな感じなんですか? それともどこかが痛いとか。

大塚 いや、痛いとかはないよ。もともとね、俺中学生の頃からナルコレプシーの気(け)はずっとあって、それが大人になってからは回復して普通に仕事できるようになってたんだけど、そういう感覚とも違ったなあ。要は意識不明だからねえ。で、意識が奇跡的に戻ったという状態ではあったから。なんかね、自宅でご飯を食べてたらしいんだよ。それは意識が戻ったときに「あれ? 俺ご飯食べてる途中だったんだ」と思ったけど(笑)。

――それ、誰かが見つけてくれたんですか?

大塚 いや、さすがに自分でやばいと思ったんで救急車を呼んで。そしたらいろいろと俺の状況を把握してる大家さんもこのマンションにお住まいなんで、大家さんも心配して。さすがに救急車が来たりとかするとさ、大家さんが「大丈夫? 大丈夫?」って言ってくれたりしたんだよ。あれは何だったのかと言うと、やっぱり脳が傷ついてしまうということで、いろいろと回復するまでに時間がかかっちゃうんだよね。

――(この自宅に)いろいろ物がありますけど、もうちょっと赤ちゃんがいる家ぐらいに、角は取ったほうがいいんじゃないですか? どこでどういきなり転倒するかわかんないし。

大塚 いや、そういうことはもうないけどね(笑)。さすがに退院した当時はそういうトラブルはあったんだね。だからそういう状況で自分のなかでもさ、全部がまあ――ライターらしくない話なんだけど――整理がついてなくて言葉にすること自体がなかなか難しかったというのもひとつあって。後ろめたさもあったしさ。ただちょっとやっぱりここまでね、いま普通に話してる状態を聞いてくださってる方は「あ、大塚ギチ元気じゃん」と思ってくださるような状況にはなってると思うんで。

――うん。

大塚 それをきっちりお話しした上で義援金をくださってる方に関して感謝とお礼を述べなきゃいけないなと思ったんで。本当にありがとうございます。というのがいまのまず多くの人に伝えたいことだし、これから先どうするのかということに関しては……。

――マイペースで取り組まれるしかないんじゃないかなとは思うんですけどね。

大塚 うーん。なんかこの間の俺のブログでの書き込みとかツイッターの反響とかがすごいので、それを見る度にいまも思ってるんだけど、俺はいま何をしていろんな方にお礼ができるのかと言ったら、やっぱりみなさん俺に対して「書いてくれ」ということを言ってくださってるんで。で、実際それは俺にしかできないことだなあとは思うから、まずはそこからだよね。

――なのでステップとしては活字じゃなくてもいいと思うんですね、伝える手段として言葉であれば。だからこの音声でもいいと思いますし、先日ミカドのイベント(「ミカド事件簿 2019年1月号」)にちょっと出たりとかもありましたけど。

大塚 うん、そうね。

――言語野はさいわい――まあ、中がどうなってるかわからないですけど――いちおう異常はないということみたいなんで。

大塚 だから感情的な部分で言えばさ、縁が切れたとか、そういうことに対しての恨みつらみはないわけじゃないよ。そういうものも抱えているのは事実だし。ただそういうことでわざわざ人と喧嘩をしたりとかしている暇はもうないよね。わざわざそういうことで傷ついて死んだりするような時間もないから、とにかく俺はいまは最終的に支援してくださる方が、応援してくださる方がこれだけいる状況ということに関して、まずは前向きにとらえていかないといかんなあ、とは思っているから。それができるのって書くことだったり。

――はい。

大塚 で、今回こうやって野口とね、「話をしようか」ということになったのはなんかその辺がひとつあったのかな。


「俺そんなに喧嘩ばっかりしてるわけじゃないからさあ」

――やっぱり怒ったりなんだりも相当脳は疲れますからね。

大塚 うん、そうなんだよ。それはね、自分でも。

――体が怒れないような体なんだから、ネガティブなことに集中力を使う余分なパワーはたぶんないと思うので。

大塚 確かに。あのね、あまりこういう公の場でこういうことを言っていいのかわかんないんだけど(笑)、というかよくないんだけど、退院後とかはさすがに死亡宣告からの奇跡的な回復だからさ、結構精神的には荒れてたんだろうね、めちゃくちゃ喧嘩とかしてたからね。わけのわからん奴と。

――体がまず自由にならないのが相当なストレスだったと思いますから。

大塚 でもね、べつに俺喧嘩強いわけじゃないけど、昔に比べればはるかになんかわけのわからん奴に対して感情的になって、よく殴り合いとかしてたもんなあー。

――ん? それはいつの話ですか? 退院後?

大塚 退院後。道歩いててさ、なんか柄の悪い奴とかいるじゃん。

――……え? この辺? 新宿で?

大塚 うん……(苦笑)。ようやっとったわ(笑)。

――普通はその……十代のヤンチャしてた話でそういうの出てくるじゃないですか。

大塚 うん。十代の頃も(喧嘩)やってたけどね(笑)。

――ある種戻ってるというか2周目が来ちゃったというか(笑)。

大塚 2周目だったね。ようやっとったわ。

――いやでもそれ、喧嘩のしようがない体の状態なわけじゃないですか。

大塚 体的にはね。ただ脳がやっぱり狂ってたんだよね。だからフラストレーション溜まってたんじゃない?

――うーん。だと思いますよ。

大塚 だから目つき悪い奴にいきなり殴りかかったりとかしてて。

――いやいやいやいや!

大塚 よくないんだよ(笑)。

――それはまあ、狂人と言われてもしょうがない感じですけれども……。

大塚 んふふふふ(笑)。まあ、大塚ギチらしいと言えば大塚ギチらしいのかもしれないけど、俺そんなに喧嘩ばっかりしてるわけじゃないからさあ。

――相手からすればたまったもんじゃないですけど、本人的にラッキーなのはそれをほぼ覚えてないという……覚えてないでしょ?

大塚 いや、覚えてるよ!(笑)

――覚えてますか?

大塚 さすがにそれはさあ、肉体的に与えられる何か、殴るでも蹴るでもいいけど、そういう刺激って相手もダメージを受けるけど、こっち側もそれなりにダメージを受けるわけだよ。

――はいはい。

大塚 で、そういうのは脳に記憶されるわけだね。短期的な記憶になるのか長期的な記憶になるのかは別としてもやっぱり。

――え? じゃあいまのいまでも時々こう……。

大塚 しないよ!(笑)

――(笑)。いや、それがわかんないんですよ。

大塚 するか!(笑)

――いやいやいや、回復の度合いがわかんないんで「もういまはしないよ」という感じがわかんないんですよ。街行く人に殴りかかっちゃったのって去年の秋ぐらいの話ですか?

大塚 ははは(笑)。街行く人に殴りかかるというか、要するに「てめえ何やってんだこの野郎」っつって「うるせえなこの野郎」って言われるから「てめえがうるせえんだよ」っつってぶん殴るというのを……。

――いやいやいや! いまどき逆に珍しい、地方のヤンキーでもそういうの減ってきてる気がしますけど。

大塚 全然ないよね。あの頃は何だったんだろう。これあんまり公の場で言う話でもないな(笑)。ただまあ、そういう時期が退院後はあったな。

――退院してすぐぐらいの話ということですね?

大塚 退院して、自宅療養して、ちょっと外出たときにあった気がするなあ……。

――この音声も、途中でなんか大塚さんが叫び出して、そこから途絶えちゃうとか(笑)。

大塚 ないないないない! もうない。なんでかと言うと当時は感情のセルフコントロールができてなかったんだけど、いまはそれができるようになったのと、やっぱり負の感情を使うというのはすごい疲れることだから。

――そうですよ。結構前に(共通の知人の)鶴岡さんとダベってたときに。

大塚 鶴岡法斎(ライター/漫画原作者)ね。

――ええ。「人間の発電、熱量の発生のさせ方は大きく3種類ある」と。

大塚 ほお。

――「水力、火力、原子力だ」と。

大塚 ふふふ(笑)。

――で、普通の人はだいたい喜怒哀楽というか火力で、嫌なことがあったらそれをバネにするとか、ほめられたら嬉しいし。で、水力というのはもっとこう、流れるままに。(鶴岡氏に)「野口、お前は水力だからな」と言われたからよく覚えてるんですけど。

大塚 ははははは(笑)。

――で、そのとき鶴岡さんは「俺はたぶん原子力なんだ」と。

大塚 ふふふ(笑)。

――プルトニウムという、ルサンチマンなのかトラウマなのか、何かわからないですけど、ほかの人よりかなり強力である分、核廃棄物的な何かが……。

大塚 まあ、そうだよな。

――大量の熱と同時に、何か処理が大変なものも発生しちゃうという。で、原子力か火力だった大塚さんが、いまは水力なのか風力なのかわかんないですけど、循環型の地球に優しい発電の仕方にじょじょに変わっていってるのかなあ、という気がしますけども。

大塚 うーん、どうだろうね。ただかつての俺は鶴と同じように原子力だったんじゃないかな。それがいまリセットかかってるから、水力とか風力とか自然に身を任せていくという状況にはなったね、この半年で。それは実感してる。

――まあ、そうでなくても怒りだったり「俺が思ってる世の中はこうじゃない!」的なパワーってやっぱり体力に相当依存してると思うんで。

大塚 うん。

――怪我とか病気がなくても年齢とともに、平たく言えば丸くなるというか。

大塚 それはあるね。それはしょうがないよね。丸くならざるを得なかったわけだからさ(笑)。ただ鶴岡の場合は同い年だからよくわかるし、一時はよく遊んでた人物だからあれだけど、あいつはなんだかんだ精神的な部分でパワフルだよね。クレイジーだなといつも思うし。

――最近ちょっと前に会って、鶴岡さんが時々バーのマスターやってるんで、そこに1回行ったぐらいなんですけど。

大塚 どこでやってるんだっけ? ゴールデン街だっけ?

――中野です。中野なので河崎実(映画監督)さんのところで。で、隣が中野貴雄監督の大怪獣サロン。

大塚 聞いた聞いた。鶴なんかはよくやってるよねあいつ。いまだに現役で仕事もしながら、そういうこともして。

――でも書きの仕事はさすがに減ったと思いますよ。

大塚 それはしょうがないよ。40過ぎてライターの仕事が増える人間なんてほとんどいないから。

――あとは90年代サブカルの時代性というのもあるわけじゃないですか。

大塚 だから鶴もそうだし、俺もそうだけど、もともと90年代の人間だからね。

――大塚さんの古い仕事とかを古本なりで振り返って、(90年代は)いろんなものが渾然一体となっている感じはありますよね。オタクはオタクという切り分け方じゃなかったし。

大塚 うん。その辺の話はちょっとしたいなと思ってフラフラ考えてたんだけど、野口が言うとおりだよ。で、いまはそれは望まれないから。要はオタクという文化がサブカルチャーですらなかった時期というのが俺らにはあるので。アニメであったりとかマンガであったりというのが、いまはサブカルチャーのひとつになってるけれども。それの大きな転換期は『(新世紀)エヴァンゲリオン』だったりするわけだけど、それ以前というのはね、サブカルチャーになってなかったんだよ。

――子供向けの枠には入ってるけれども奇形というか、子供向けの枠に収まらない何かだったわけですよね。

大塚 (アニメが)「テレビまんが」というところからスタートしてる身としてはね。いまは違うけれども、俺がライターを始めたときはゲームもそうだし、サブカルチャーにはなってなかったからなあ。それがサブカルチャーになったのは、俺が仕事をし始めて数年後ぐらいだよね。『エヴァンゲリオン』が本当にデカいんだけどさ。それは大きいかなあ。だから幸いなことにオタク的なものから音楽だったりとか映画だったりとか、いろんなことをサブカルチャー的なものという認識で吸収して、自分のなかではミックスしてたんだけど、世の中に出す行為としてそれを受け入れてくれる雑誌やお客さんというのは当時少なかったんで。だからそこが大きな転換期だよね。俺のなかでは当時の『WIRED』とか『STUDIO VOICE』とか、そういう雑誌の編集者が若い編集者として同じような価値観を共有してくれたのでやれたということかな。あの辺は本当に自分のなかでも大きな転換期じゃない? いまの俺を形成した、大きな理由ではあるんだなとは思ってるけど。

――なんかでも振り返ると、ちょうど平成の終わりみたいな節目も近づいてますけど、90年代ってやっぱりまだ紙(媒体)だなというか、Windows95って響きもありますけど、言うても2000年の前半まで全然紙でしたよね。

大塚 全然紙だったよ。紙がアクティブな時代があってさ、やっぱり売れてたしね。

――で、同人誌は当然あったとしても、2ちゃんねるだって90年代末からで、実際は2000年代以降なわけですし。でもいまだとそのままネットに出ちゃうものが紙として出版されるにあたって、何かしらのハードルをくぐり抜けて世に出るわけだから、そこは若い人たちの腕の見せどころでもあったんでしょうし。

大塚 それはそのとおりだよ。

――ある種のフィルターでもあったでしょうし。

大塚 だってさ、当時俺、一番最初この業界に入ったのは宝島社という出版社だけど、そのときは(セガサターンとプレイステーションの)次世代機ブーム真っ盛りだったからさ、本も売れるしゲームも売れるわけだ。で、攻略本を出す話になって――要はゲームの発売本数より攻略本が上回ることはないわけじゃん。で、(編集部で)そのゲームの販売本数を聞かれて「3万本なんですけど」っつったら「3万本だったらマックス3万部じゃねえか」と。つまり3万部は絶対下回るから、それで却下されたことがあるんだけど。でもいまで考えればさ、そもそも3万冊初回で出せる攻略本なんかほとんどないからね?

(#02につづく)

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