短編小説 また会う日まで


俺は目覚めた。いや、正確にはもう5分ほど前から半覚醒状態で、ようやく頭がはっきりしてきたのだった。

まだ眠気は少しあるが、起きてみることにする。


廊下を歩いていると、ウインナーの焼ける匂いが鼻をくすぐった。

リビングに入ると、妻のエリがキッチンに立っていた。

「あ、起きたんだ。まだ寝ててもいいのに」
エリがわざと意地悪げにそういった。

「そうはいかないだろ。こうやって家族が揃う日なんて珍しんだからさ。セナは?」
「トイレ」
「お、そうか1人でか。」

セナはもう4歳になる。この頃は口も達者で驚かされる。

「おはよう」
見れば、リビングの入り口に父がいた。エリも気付いたようだ。

「おう、おはよう。お袋は?まだ寝てるのか」
「あら、お義父さん。おはようございます」
「おはよう。いや、マリはまだ寝てるよ。あの様子だと起きるのはまだまだ先かもな」

父とテーブルで雑談をしていると、廊下をバタバタと走る足音がした。

「パパ!おはよう!」
「おはよう!セナ!」
「うん!」

愛娘はそのままかけてくると、俺の両腕に収まる。
そうだ。思い出した。この温もりだ。

この存在を抱きしめるために、日々生きている。そんなふうに思う。
この瞬間が、一生続けばいいのに。


「…パパ。もういい?」
少し長すぎたようだ。
ごめんごめん、と言ってから娘を離す。

「あれ?ねえ。じいじ、ばあばはまだなの?」
「うん。そうなんだよ。ばあば、まだおねむなんだ」
「親父、なんか上手くなったよなセナへの喋り方」
「やかましいわい」

そのまま朝食となった。
ウインナーと卵焼き、味噌汁、白米。お馴染みの味に感動しながら俺たちはしばらく食事に没頭した。

「あんまり、急いで食べないでね。まだ皆、本調子じゃないんだから」
エリが心配そうにいった。

昼になると、俺たちは外へ散歩に出かけることにした。玄関を開けた途端、強い日差しが入り込んでくる。
そこから、一歩踏み出した時だ。

「うわぁ!すごい!」
即座に駆け出しそうになる娘を、俺は慌てて引き留めた。
「待ちなさい。外を歩く時のルールがあったよね?」
セナは一瞬、ポカンとしてそれでも
「…パパと手をつなぐ?」と言った。
俺は微笑んで手を差し出した。

だが、セナが興奮したのも無理はない。そこには森が広がっていたのだ。
青々とした草が地面を覆っていた。そこからは力強い木々が、空へ向かって突き出している。
繁った葉を風が揺らす音。清新な空気な充満していた。

「ねぇ、パパ!遊んでいいでしょ?」
「そうだな。ちゃんとパパの目の届くところでなら」
「やった!」

結局、俺たちはそこから夕方まで過ごした。
昼にはエリのつくったサンドウィッチを食べ、水筒の紅茶を飲んだ。
世界から歓迎されているような、そんな昼下がりだと思った。 

家に入ると、まだ母は起きていなかった。
流石にどうなのかと思ったのだろう。父は部屋に様子を見に行った。

「大丈夫かしらね」
「えーばあばともあそびたかったなあ」
「心配ないって。寝てるだけさ」

3人でリビングで待っていると、父が戻ってきた。
「うん。まだ寝てた」
「機械の調子は?」
「問題ない。でも、少しだけ疲れてるんだろう」

そのまま、夕食となった。
メニューはセナの大好きなカレーだ。

「カレーだいすき!」
「また作ってあげるからね」
食べ終えたお皿を前に満足げなセナに、エリは微笑んで言う。
「つぎっていつ?なんかい、ねたら?」
「うーん。そうね」
エリが珍しく、言い淀んでいた。

「次はパパと一緒にカレーを作るってはどう?」
「ええっ!パパもカレーつくれるの?」
セナが驚いて言う。
俺は胸をわざとらしく反らせ、顎を高く上げた。
「えっへん!パパにまかせんしゃい!」
「すごい…。パパすごーい!」
「もう、調子いいんだから」
エリは笑って、俺の肩を軽く叩いた。

すっかり、窓の外には夜の帷が降りていた。

もう寝る時間である。

「まだねたくなーい」
「はいはい、もうごねないでお嬢さん」
「わしはもう寝る。おやすみ、皆」
パジャマ姿の父がリビング出ようとしていた。
「おやすみ。親父」
僕は手を差し出す。

「どうか、無事で」
父は一瞬でも、キョトンとした後に小さく笑った。
「お前はな、いつも心配しすぎなんだ。ただ寝るだけなんだから」
それでも父は俺の手を握り返してくれた。
「おやすみ」
「おやすみ。また会う日まで」

セナをベッドに寝かせる。
「おやすみー」
すでに眠たいのだろう。声も虚ろだ。
「おやすみ。セナ」
俺はセナの額にキスをした。
「また会う日まで」
「うん」

部屋から出る。
「いつも、この時は不安になるわ」
エリが言う。
「俺だって、不安だよ。でも生きていくには仕方ない」
「実はね」

エリが立ち止まった。そして、自分のお腹を優しく撫でた。

「…ほんとに?」
「うん。多分だけどね」

俺たちは抱き合った。

「名前、また考えような」
「うん」
「おやすみ。また会う日まで」
「また会う日まで」

どうか、無事で。

エリと廊下で別れ、俺は自分の寝室へ向かう。

ベッドに横になると、今日の出来事が、幸せのハイライトが頭に浮かんだ。

いい日だった。とても。

俺は装置を起動させた。
コールドスリープマシンである。

俺の住む星はすでに人間にとって住むには厳しいものとなっていた。

時間単位でジェットコースターのように変わる気温、唐突な容赦のない熱波や、有害な光線。それは、生身の人間では耐えられない。


だから俺たちは、
人間が生きられる日にしか目覚めない。

それ以外の日は、超低温で仮死状態でいるしかないのである。

今回、家の周囲は森になっていたが、次は砂漠になっているかもしれないし、海中である可能性もある。
母は、おそらくバイタルの関係でAIが起きるべきではないと判断したのだろう。


装置が、準備を完了させたというアナウンスを発した。

エリ、セナ、家族たち。
そして、エリのお腹にいる新しい子。

彼らに次に会うのは、AIが計算したところでは、500年以上先になる。


なんのために生きているのか、自問する時もある。
装置の不具合で死んでしまうこともあるだろう。


それでも、俺は生き続けようと思う。
かけがえのない家族と過ごすこの1日が俺の生きる理由なんだ。


スイッチを押す。もうすぐに俺は意識をなくすだろう。

ありがとう。ほんとうにいい1日だったよ。

それでは、また会う日まで。


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