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【野矢茂樹】ぼくはいつ大人になるの?『子どもの難問』

同書からの抜粋となります。

ぼくはいつ大人になるの?

一人前の子どもになるという生き方もある

野矢茂樹


「一人前」という言い方がある。
きちんと仕事ができる人のことだ。
まだまだの人は「半人前」と言われたりもする。
ふつうは、
一人前というのは大人のことで、
子どもは半人前だと思われている。
でも、「一人前イコール大人」というのは、
そんなにぴったり重なるわけじゃない。
じっさい、半人前の大人というのも、
それほど珍しくはない。
じゃあ、「一人前の子ども」ってどうかな。
いると思う?
 だいたい、子どもって、どういうことだろう。
年齢が低いこと?
たしかに、そういう意味でも「子ども」と言われる。
だけど、「年寄りは子どもにかえる」
なんて言われたりすることもある。
その場合は、
子どもというのは
たんに年齢が低いということじゃなくて、
年齢が低い人が典型的にもっているけれど、
年寄りでももっているような、
なんらかの特徴のことだ。
からだが成長しきっていないことかな。
でも、これも、
「からだは大人だけど中身は子どもだ」
なんて言い方をすることがある。
たらだの成長が終わったかどうかとは別に、
「子ども」と言われる特徴が何かある。
 じゃあ、その特徴って何だろう。
年齢が低い人が典型的にもっている。
だけど、年齢が高い人にもある。
そんな、「子ども」に特徴的な何か。
 それは「遊び」だと、ぼくは思う。
もちろん大人も遊ぶけれど、
子どもはもっと遊ぶ。
遊びは、
子どもの生活の中でもっともだいじなものだ。
遊びの中では失敗も笑ってすますことができる。
現実の厳しさから守られたところで、
いろんなことを試して失敗して、
でもそんな失敗も笑い飛ばして、
何回でも挑戦できる。
それが、遊びだ。
 そしてそれが、
いわば社会に出る予行演習になる。
子どものうちに遊んで、
いろいろ失敗を経験して、
やがて社会に出ていく。
社会に出ると、仕事に責任をもたされるようになって、
もう遊びではすまされなくなるだろう。
そのとき、君は大人になる。
 だけどね、実はそんなに単純なものではないんだ。
失敗も笑い飛ばせるのが遊びだとするならば、
どうして人生全体が遊びであってはならないのだろう。
社会といったって、
けっきょくは人が作ったものじゃないか。
そんな距離をとった目で社会を見るようになると、
社会全体が大きな遊びにも見えてくる。
失敗したら、そりゃあたいへんだけど、
それはつまり、それだけのことだ。
この世の中を、人生を、遊んでやろう。
そんな生き方もある。
 最初に「一人前の子ども」
という変な言い方をしたけれど、
ぼくが言いたかったのは、
人生全体を遊びと見切る態度を身につけた人のことだ。
その人たちはどこかさめた目で社会を見ている。
でも、君たちが真剣に遊ぶように、真剣に生きている。
 子どもは、
遊びから社会へと出ていき、大人になる。
だけど、生き方として、
また大人から子どもになるということもある。
その意味では、子どもでもいいんだ。
でも、そうだな、
一人前の子どもになるには、
一度は大人にならなくちゃいけないだろうね。



こちらの内容は、

『子どもの難問』

哲学者の先生、教えてください!

発行所 中央公論新社
編者 野矢茂樹
2013年11月10日 初版発行

を引用させて頂いています。




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