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昭和の生き方、令和の生き方? 令和流ならハーマイオニーのように勉強が出来る?

こんにちは。NFI理事の加藤です。先日、森田代表理事が投稿された記事が非常に興味深かったので、私も今の時代の生き方について少し考えてみました。

私も昭和生まれなので若者から見たらおじさん、戦後の色が濃かった時代を生きた方から見たらペーペーなので非常に中途半端な立ち位置なのですが、その中途半端な立ち位置から見るとメディアなどで見聞きする若者の悩みというのは本当なのかな?と思うところもあります。

先日、とあるニュース番組で、大学に入学したけれどコロナで友達や恋人づくりが出来ない、授業の後に一杯飲みに行くことが出来ない、と現役の大学生が答えていました。これを聞いて非常に不思議な気分になりました。今から10年くらい前、私が大学生の頃は、余計な付き合いはしたくない、大学には行くけれど人と馴れ合いたくない、昼食も一人で取りたい、飲み会なんて出たくない、という声をよく聞きました。ゼミの指導教員がノリノリでコンパを開くぞという中で、ちょっとついて行けないという友達もいたわけです。そして、そういう人はそれなりの数がいた。そういう人から見れば今の余計な付き合いはしなくて良い環境は寧ろ過ごしやすい環境なのではないでしょうか。

飲み会をしろ、遊びに出歩け、恋人を作れ、というような価値観は、ある種、昭和的であるとさえ感じていました。お酒は飲まなくていい、家でゲームをしている方が楽しい、友人と楽しい時間が過ごせているから十分だ、そういう友人も沢山います。私は自他共に認める昭和的な価値観が嫌いでない人なので、社会人になって飲みに誘われれば喜んでついていきます。そうすると「君は若いのに珍しい」というようなことを言われるわけです。確かに周りを見回してみると同世代だけでなく少し上の世代の人も、何かの理由を付けて飲み会に出席しないということ人の方が多数派かも、というような勢力図でした。それが、現代っ子の20歳そこそこの大学生が、昭和なことをしたいと言っているのを聞いて、不思議に感じました。

大学の教室での講義が受けられないことを嘆く声にも驚きました。これは私の個人的な感想かもしれませんが、特に1限の大教室の授業などは教室に足を向けることが様々意味で困難でした。大教室の授業で遅刻などした時には、非常に恥ずかしい思いをしながら教室に入りました。オンラインであれば、極端な話、布団の中からでも授業に出席することは可能です。私が大学生のころにオンラインの授業があれば・・・。(とオンライン会議を掛け持ちしながらこの記事を書いております。)

大学のオンラインの講義にしかない良いこともあります。私が非常勤をしている大学の学生さんから、今まで物理的な移動時間から受講を避けていた講義を色々と積極的に履修している、という話も聞きました。例えるならばハリー・ポッターのハーマイオニーのように授業を取ることが出来るわけです。作中でハーマイオニーはダンブルドアから魔法のペンダントをもらって、このペンダントを駆使して普通では受けることの出来ない授業を受けていきます。そういうことが、今のオンラインでの講義では可能になります。空間だけでなく、時間も有効に使える状況があるわけです。大学側もこういった状況を鑑みて、CAP制や同じ時間帯の重複履修の制限を試みとして緩めてみても面白いかも知れません。他学部や場合によっては他大学の授業を広く受講して、視野を広げることは今しか出来ません。

学会などのイベントもそうです。昨年、今年と多くのイベントがオンラインで開催されています。オンラインで開催するにあたっては参加費を無料にしている学会も多数あります。全国大会規模のイベントですと、地方巡業もあって、学生の身からすればなかなか旅費を支出することも出来ず、自分の所属する大学で開催された際に偶然に参加出来るということに期待するくらいしかありませんでした。ところが、今ではこういった制限もなく、ちょっと目線をあげさえすれば学びの機会は沢山あります。学会に行って、懇親会に出て、本や論文を通じてしか知らなかった先生と話をして進路の相談をする、こういったチャンスも実はコロナ以前よりも増えてきています。

ところが、こういうイベントを主催する立場から申しますと、なかなかこういったチャンスを掴みに来る方は増えないという悩みもあります。もっと気軽に、空間的な制約がなくなったことを契機に、視野を広げてみてはどうでしょうか。発表出来る機会も確実に増えています。学会や研究会での発表経験は、部活やサークルの役職よりも就職活動に役に立つのではないかと個人的には考えています。また、こういった混乱の時代ですから、混乱を見極める、混乱を解決するための手立てを考えるために、進学を検討してみるのも良いかも知れません。社会人であっても、この機会に学び直しをしてみるのも一つの手です。NFIでは、学術系のイベントの開催や参加等について助言やお手伝いを行っています。

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日の入り後のマジックアワーは非常に美しく感じられます。
でも、日が沈んだ方向からは日は昇りません。


次世代を担う若者には、今できないことを嘆くよりも、今しか出来ないことを自分なりに考えて実行する方が後々の競争力の源泉になるのではないかと思います。その際に、我々年長者は、多少のことには目をつむりつつ、新しい可能性を尊重して、否定ではなく助言を行っていきたいものです。