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EdTech と教育改革(4) 〜 “高信頼性組織”としての学校 〜

高信頼性組織(High Reliability Organization=HRO)という概念があります。

原子力発電所やサイバーシステム、航空管制、交通機関のような高度に複雑で、しかも現代社会にとって重要な機能を果たしている組織は、事故やミスでその機能が停止すると社会がマヒしかねないので、そのような機能の低下や停止が起こらないように管理されています。そのような組織を高信頼性組織と呼びます。

いいかえれば、失敗が許されないという過酷な条件下で常に活動しながらも、事故発生件数を抑制して、高い成果をあげている組織のことです。たとえば原子力発電所の場合、数百万かそれ以上の部品や要素から構成されており、それらの仕組みは極めて複雑です。

仮に99%の信頼性を確保できたとしても、数千の要素についてはリスクが存在しています。それゆえ、絶対に事故はない、完全な「ゼロリスク」という状態はありえないとしても、極限までそれに近づけるための仕組みが組み込まれた組織ということができるでしょう。最近では、病院等の医療システムや企業組織にも、適用するところがあるそうです。

〇高信頼性組織とは改善をめざす組織
最近何かと問題が指摘されることの多い学校にも、この考え方を当てはめて、組織としての信頼性を高めるべきだというのが、ここで主張したいことです。

とはいっても、上記のような組織と比べると学校はまだシンプルな組織であり、したがって、ここで、私が学校を高信頼性組織にすべきだというのは、組織そのものの構造や性質ではなく、むしろその運営の仕方、組織の管理の仕方を改革すべきだということです。

今述べたように、複雑なシステムは、多数の要素から構成されています。それを設計図に従って結び付け、組み立てて動かします。しかし、あまりに複雑な仕組みは、そもそも設計図にミスがある可能性もありますし、それを構成する部品の品質が基準に達していない場合もあるでしょう。また、システムを動かすソフトウェアにバグがある可能性も否定できません。

さらにいえば、そうしたシステムを動かすオペレーターの人為的なミス、いわゆるヒューマン・エラーが発生する可能性も考えられます。それは、コミュニケーション・ミスであったり、あるいはオペレーターに過度の心理的負担を強いる作業である場合もあるでしょう。もちろん、オペレーターの不注意や確認不足という要因もあるでしょう。

こうした要因が、大事故を招くことになるのですが、それに対して、通常は、品質管理の強化や規則の整備、規則遵守の強化、違反行為の取締の拡大という対応がとられます。

しかし、こうした方法によって、エラーが減って事故がなくなるかというと、必ずしもそうではないのです。管理を強化しようとして、さらに詳細に規則を定めると、複雑で詳細な規則を覚え的確に適用することは、ときに人間の能力に過度の負荷をかけ、むしろヒューマン・エラーを誘発する可能性もあるのです。

そこで、さらに規則を増やすと悪循環が発生し、最後は担当者が定められた手順をスキップしたり、ミスによってエラーが発生した場合に、それを隠蔽するといった行動をとることになりかねません。

昨今の日本の有名企業における製品の検査データの改竄であるとか、規則違反の隠蔽などは、こうしたメカニズムによって発生していると思われます。

こうした事態を避けるためには、組織全体として、システムの単純化、体系化に加えて、そこで働く人間行動の特性に合わせた役割の設定や規則の作成が必要です。

いかにデジタル化の時代であって、システムは自動で動く部分が多いとしても、その設計は人間が行うことですので、100%完全なシステムは存在しないと考えるべきです。

むしろ、そうした完璧な状態をめざすよりは、例え100万回に1回でもシステムにはエラーが生じるということを前提にして、そうしたエラーや人間行動のリスクを可能なかぎり早い段階で発見して、早期の予防措置を講じる仕組みをシステムそのものに組み込むことが大切だと思います。

〇完全な組織はありえない
ハインリッヒの法則をご存じでしょうか。これは、一つの重大事故の背後には、29の軽微な事故があり、その背後にはさらに300ものリスク、換言すればヒヤリ・ハットの事例が存在しているという考え方です。

科学的に実証された法則というよりは、経験知でしょうが、現実の複雑組織の運営を考えるときには、とても重要な指摘です。要するに、日常的に多数発生するヒヤリ・ハット事例を早期に捕捉して、それへの対処をしっかりと行うことで軽微な事故を減らし、重大事故を防ぐことができるという発想です。

これからえられる重要な教訓は、複雑で詳細な規則の遵守を担当者に強要するのではなく、担当者に与えられた使命を達成するために、遵守を求められている規則が妥当なものか、まずそれを検証して、発見されたリスク要因を取り除き、より安全で確実な方法を見出していくように、規則や作業方法の改善を図っていくべきである、というものです。

ミス・ゼロ、リスク・ゼロを求めるのではなく、一定の確率でエラーが発生することを前提として、軽微なミスやその可能性(ヒヤリ・ハット事例)に遭遇したときに、それを積極的に報告し、その情報を共有することによって、システムの信頼性を向上させていこうという考え方です。

担当者に重大な過失がある場合は別ですが、そうでない場合は、遭遇したリスクや犯したミスについては責任は問わず、むしろ正直にそれを申告して、改善に資するようにするという仕組みです。

こうしたエラーの存在を前提として、信頼性を高めるために、改善のメカニズムを組み込んでいることが「高信頼性組織」の本質であると、私は理解しています。

このように考えてきたとき、わが国でしばしばみられる「完璧主義」、「無謬性」、そして「ゼロ・リスク要求」は、むしろ組織の信頼性を失わせるものといわざるをえません。

〇学校を“高信頼性組織に!
私は、学校組織を、今述べてきたような高信頼性組織に変えていくことこそ、教育改革の重要な一環と思っています。

学校は、現在、さまざまな問題を抱えており、外部からも批判を受けています。それに対して、内部から課題を指摘し、それの改善を梃子として、システム全体の改善向上を図っていくという姿勢は乏しいように感じます。

それは外部、とくにメディア等から完璧であることを要求されていることによることもあるでしょうが、一般人である私も、学校自体の閉鎖性、秘密主義的な姿勢を感じるのです。

たとえば、イジメによる自殺のケースがときどき報道されますが、そのときの学校側の対応は、当初は問題はなかったという回答であり、保護者や社会の追究があって、初めてそれを認めるというパターンが多いように思います。

ハインリッヒの法則について述べたところで触れたように、多くの場合、1件の重大事故の背後には、その300倍もの潜在的なリスクが存在している可能性があります。300倍という数字の信頼性はともかく、外部に対して、「リスク・ゼロ」、「イジメ・ゼロ」を示そうとすると、どうしても潜在的なリスクを直視して、それの拡大、重大化を防止するという行動が執りにくくなるのです。

これは、学校に限らず、日本の組織に特徴的なことですが、「無謬性」や「リスク・ゼロ」を社会が求めるため、外部に対してリスク・ゼロを主張する傾向にあります。

海外の専門家の考え方では、リスク・ゼロはありえない、100%の完璧な状態もありえない。むしろわずかであっても、軽微なものであっても、リスクを顕在化して認識し、それを取り除く努力を示すことによって信頼を得るべきだ。したがって、リスク・ゼロと報告してくる組織は、むしろ信頼がおけないというものです。

わが国の組織の場合、多くの問題は、外部からの追及によって、あるいは内部告発によって取り上げられ、対策が講じられることになるようです。それでは、自発的、内在的な改革は実現できません。

組織の構成員が、自分たちがめざす目標を共有し、現状が完全でないことを自覚して、現状の問題点を洗い出し、それを改善に結び付けていく組織文化を醸成することが大切でしょう。

教育改革の重要な要素が、学校の改革です。学校を高信頼性組織に変えていくという、こうした視点からの大胆な改革を期待したいと思います。