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外から見た日本 ── Singapore 12

 私は、2011年1月から3月までシンガポールに滞在して、アジア、とくに東南アジアの社会と行政について観察し情報収集を行った。その作業はまだ途上であったが、3月11日の東日本大震災のために、その後の観察は断念せざるを得なかった。今、当時書き綴ったコラムを読み返して、今でも、多くの方に伝える価値があると思い、このNOTEに掲載することにした。その第12弾。

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シンガポールへは、頭と心の洗濯にきたつもりなので、日本のニュースや新聞はできるだけみないようにしているが、それでも気になるし、仕事の関係でフォローしておかなければならない情報もあり、ある程度はみざるをえない。

シンガポールのテレビ放送には、地元の英語放送やCNN、BBCはもちろん、中国、マレーシア、インド、アラビア、韓国等々、多様な国と言語のチャンネルがあり、もちろんNHKもみることができる。また、日経新聞もいろいろなところで読むことができる。それらを時折みていると、日本のことはかなり報道されている。

しかし、その報道の仕方は、日本で見聞きするのとはやや異なる。何がどう違うのか的確にはいえないが、一言でいえば、こちらの報道が海外の国を標準としてものごとを見ているのに対し、日本の報道は内向きというか、外では通用しない基準、視点から我が国のできごとを捉えようとしているといえるかもしれない。

TPPをはじめとして世界経済への対応策などはその典型であろうが、この国際化の時代にあっては、ある国がいかなる政策を採用するかは、多くの場合、国際的な文脈で考え決断せざるをえないはずである。しかし、日本での議論は、自分の都合ばかりを主張し、それを外国にも認めさせるべきという発想が強い。

選挙区の利益を重視せざるを得ない国会議員の行動も理解できないではないが、そうした発想でものごとを考え主張していると、次第に日本自体がガラパゴス化してしまいかねない。

こちらの人たちの日本に対する関心は、あえていえばプラスとマイナスの両方の面があると思う。プラスの方は、GDPで中国に抜かれて2位から3位に落ちたといっても、まだ技術力もあれば経済力もあり、日本との交流・関係の維持はこの国にとっても必要であり、日本から学ぶところも多々あるというものである。

他方、マイナスの見方は、人口減少、少子高齢化が進行し、巨大な財政赤字を抱えながらも、抜本的な対策を打てない日本は一体どうなるのか、どうするつもりなのか。これまでのような経済活動のパートナーとしてではなく、高齢化のフロントランナーとして日本がどうなるか、場合によっては反面教師とすべく、みていこうというものである。

私自身は、こちらに来た当初は、かつて奇跡ともいわれた高度成長を達成したわが国の、その成長を支えた優れたシステムが、内外の環境変化に適応できずガタガタになってきているのを歯がゆく思い、こちらの人々は、日本への関心を失い、中国はもとより、今や日本を多方面で凌駕しつつある韓国に関心が移っていってしまっているのではないかと思っていた。

街を走るタクシーは、トヨタ車からヒュンダイ製に変わったものの、それでもまだこの国の日本に対する評価は低くはない。「まだ」低くはないのである。そのような評価が、いつまで続くかわからないが、将来を占う一つのエピソードは、こちらの大学生の日本企業に対する評価であろう。彼らは、日本独特の雇用制度等によって自分の能力を的確に評価してくれない日本企業へ就職するつもりはない。しかし、日本という国には行きたいし、できれば住みたい。理由は、東京をはじめとして日本の都市が魅力的であって、楽しいからである。

まだ優秀な若者を引きつける魅力をもつ日本の都市が、その魅力をいつまで保ち続けることができるかわからないが、やや悲観的な目で少し離れたところからみると、実に悔しい思いがする。

政治の体たらくについてはいわないが、これまで正義の体現者として振る舞ってきた検察も腐敗を露呈した。年金制度の運用でも信じられないようなことが起こっていた。また大相撲も回復不可能な堕落状態にある。地方分権を進めてきたはずだが、地方の疲弊はとどまるところを知らず、公共事業費を無駄といって削ってきた結果、地方の建設企業が減少し、今年のような大雪の時に除雪作業の担い手がいなくなっているという。

社会保障改革が話題となっており、その焦点は、メディアによると、消費税の増税だそうだが、今年度の国債の収支バランスだけでも20兆円の赤字、医療費についても10兆円の公費を投入しても医療崩壊、年金は同様、地方交付税は...きりがないが、消費税1%がだいたい2.5兆円だとすると、5%くらい税率を引き上げてもとうてい問題は解決しない。

日本をよく知る外国人の目には、問題がこれほど明確に示され、解決策の選択肢もある程度明らかであるにもかかわらず、どうしてそれを迅速に採用するという合理的な決定ができないのか、不思議に映るようである。

すでに書いたように、国民ID制度にしても、そのメリットは明らかであり、多くの国がリスクを最小化しつつ、その導入に踏み切っている。日本はそれを実現する技術と、仮に制度化されたならば、それを的確に運用する能力はあるはずだ。少なくともこれまではもっていたのだが、にもかかわらず導入に踏み切れていない。なぜなのか。

シンガポールに来ている日本人の優秀な若者と話していて感じるのは、かつての成功神話やいわゆる制度や意識のレガシーが、こうした改革を妨げているということである。すでに環境も前提もすっかり変わってしまったのに、かつてはこれでうまくいったのだから、今回もその方法を踏襲していけばうまくいくはずだ、という一種の思い込みであり、こうした意識の保有者はかつての成功者に多い。

こうした制度への執着と意識構造を支えているのが、どうやら日本の終身雇用の慣習らしい。もちろんそれだけに限られないが、雇用のあり方、働き方についての考え方を根本から変えていかないと、日本は変わらないのではないか。

若者よ! 暑いさなかリクルートスーツを着て企業や官庁を回り就職活動を行うのをやめて、改革のために戦え! 日本から飛び出して、外の世界をみよ! といいたい気分である。(2011年02月23日)
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10年前に述べた状況は、現在の日本でもそれほど変わっていないと思う。IT先進国と自認していたわが国の携帯電話は、ある面ではすばらしい性能を持っていたが、それは世界の人々がほしいと思っていたものではなかった。それについては次回に述べるが、結果として、デジタル化において世界の潮流に乗りきれず、先進諸国から周回遅れになってしまった。それでも、ガラパゴスにこだわっていたが、コロナ禍で、世界標準からの遅れを痛感した。問題は今後である。この遅れを認識して、それを取り戻すべくがんばるか。それともこれまでに築いてきたレガシーを守り、ますます世界から取り残されるか。コロナ禍を機に、思い切った意識改革に挑戦してみるべきだ。それには、まず役所も企業も働き方改革から取り組んではどうか。https://jbpress.ismedia.jp/articles/-/66328        (2021年8月11日)