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No one will be left behind  ー 高齢者が容易に使えるスマホを作ろう! ー

 ようやくスマートフォン(スマホ)を使ったコロナ・ワクチンの予約や接種記録(ワクチン・パスポート)のシステムが導入されることになりそうだ。紙の証明書は、不便であるし、記載されている情報は最新のものとは限らない。紛失する可能性もあるし、今どき、時代後れであることは明らかだ。現代はデジタルの時代、どんどんスマホを活用すべきだ。

 このようにいうと、必ずスマホをもっていない人や使えない人もいる。とくに、高齢者は、新しい機器類を使うのは苦手だ。だから、スマホを使え、普及させよ、といっても、限界がある。今、必要なのは、そのような弱者への配慮なのだ、といわれる。

 そのようなデジタルに着いていけない人たちを救うことこそ、SDGsもいう「誰一人取り残さない(No one will be left behind)」という考え方なのだ。そのため、スマホに詳しい若者が、高齢者を助けサポートする仕組みを作るべきである、という声も聞かれる。

 その通りだが、当然、それにも限界はある。そこで、現在、各地で、高齢者にスマホを提供ないし貸与し、使ってもらおうという企画が進められている。たとえば、東京都渋谷区では、「高齢者のデジタルデバイド解消に向けた実証事業」が実施されている。

 今や、スマホは通信手段としての機能だけではなく、情報を入手したり、商品を注文したり、ゲームをしたり、さらには財布やそれ以外の機能ももっており、活用すれば、生活の利便性は著しく増す。

 たしかに、高齢者といえども、まだ70代の人たちの中には、身体は元気であるし、現役の勤労者として働いている人も多い。そうした人たちには、スマホを使ってもらい、日常的な行政サービスの申請とか、市役所や役場からの連絡に活用してもらえば、生活の利便性を高めることができ、何かと手続が面倒な行政とのやりとりの効率化も進む。

高齢者が使いにくいスマホ

 これまで、高齢者がスマホや他のデジタル機器を使わないのは、従来の紙や電話で事が済むのに、かなりのコストがかかるし、あえて面倒なことを覚える必要を感じないからであろう。歳をとると、どうしても新しいことを覚えるのが苦痛になり、覚えてもすぐに忘れてしまう。

 とくに、デジタルの世界は、訳のわからないカタカナの用語で満ちあふれている。アプリにしても、ログインにしても、Wifi、プラットフォームにしても、若い世代の人たちには、すぐに理解し覚えられても、高齢者はそうはいかない。日本語でも、「公的個人認証」や「仮名加工情報」の意味するところを理解している人はどれくらいいるだろうか。便利だといわれても、こうした用語を正しく理解して、高価な機械を使いこなすインセンティブは生まれにくい。

 そこで、先に触れた東京都渋谷区の事業でもそうだが、スマホの使い方についての講習会が開かれている。高齢者は、その講習会に参加し、使用方法を習得する。頭の体操になるし、ボケ防止に役立つかもしれない。

 しかし、講習の効果はどうか。これにも限界があると思う。初めに丁寧に教えてもらい、使えるようになって、便利さを理解できたとしても、皆がその後もそのまま使い続けるかというと、それは疑問である。デジタルに詳しい一部の人を除いては、アプリやスマホのトラブルに自分で対処し回復できないと、「こんな面倒なものは要らない」という気分になって、使われなくなってしまう可能性が高い。

 また、現在の多くのウェブサイトでサービスを利用しようとすると、サイトごとにIDとパスワードを入力しなければならない。とくに、パスワードは、他人に知られないように、10桁以上のランダムな文字と数字の組合せとして、悪用されないようにときどき変更するように、などと書かれている。料金の支払には便利だが、クレジットカードの登録や住所、生年月日その他の情報の入力も、利用するサイトごとに求められるのは結構面倒である。

 近くに助けてくれる人がいればよいが、いない場合には、そのまま使われなくなってしまう可能性は高い。自治体の無償貸与のスマホについても、しばらくしてアンケートを採ると、1回だけ使ってあとはそのまま放置してある、という回答がかなりの比率になる可能性がある。

 そのような状態が予想されるから、普及事業では、使い方を指導するチューターを付けて、しつこく何度も教えて覚えてもらおうという試みもあるようだ。だが、これは、私にいわせると、伝統的な日本流の「根性と鍛錬」による非科学的な指導方式であり、効果はあまり期待できないのではないか。少なくとも、従来の紙ベースのやり方でそれほど不便を感じていない人に、積極的に利用させることは難しいであろう。

 それゆえに、このような高齢者に利用を促すには、発想を転換して、スマホやシステムそのものを変える工夫をすべきではないだろうか。

使い易いアプリの工夫を

 第1に、アプリの使い勝手をよくすることである。現状は、セキュリティを確保するためか、小さな画面に高齢者にとっては読みづらい小さな文字でわかりにくい説明が書かれており、それに応じて多数の文字の入力や画面のタッチを求められる。それも、何度も同じようなことの入力やタッチを求められると、それだけで使い続けようというインセンティヴが失われる。改善の努力はなされていると思うが、本人確認や個人情報の入力には、顔認証の仕組みを活用して、できるだけ少ないタッチで、安全に使えるようにすべきだ。

 したがって、たとえば、画面を触って起動し、顔認証で本人確認したあと、1つか2つタッチすれば、使いたい目的のサイトが開いて、そこからクリニックの予約や日用品の注文ができるようにしておく。そして、物忘れをしがちな高齢者のために、一定の時刻や曜日に、音声で「お薬を飲みましたか」「血圧を測って入力して下さい」といったメッセージをプッシュ型で知らせる。そのとき、予め登録しておいた孫の声だと効果はより大きいだろう。私が思いつくのは、この程度であるが、さらなる便利な利用形態については、頭の柔らかい若者に期待したい。

サービスの統合を

 第2は、関連しているが、こうした多様なサービスを一元的に信頼できる形で管理するために、スマホの保有者の個人情報を最初に登録しておけば、多数のサービスにそれを提供することができる仕組みの構築である。そして、入力した情報を変更したときには、自動的に、登録してあるすべてのサービスに適用される仕組みである。

 こうした個人情報の管理サービスは、もちろん信頼できる主体が行うことが前提だが、成長が期待できる情報サービスのビジネスモデルの一つではないだろうか。

 たとえば、お薬を処方されてから1か月経ち高齢者の手許のお薬が残り少なくなったことを処方記録から感知すると、ご本人とかかり付け医に連絡をする。そして、かかり付け医が、オンラインで診察し、状態を確認してお薬を処方すると、その情報が調剤薬局に送られ、お薬が手許に届けられるような仕組みである。

 さらに、これは、単に使い勝手のよいアプリを開発するだけではなく、その後の情報とスマホ本体のメインテナンスも行うサービスをも含む。スマホを使っていて、高齢者がとくに困るのが、電池切れやアプリのフリーズである。定期的なモニタリングにより、しばらく使用されていないことを感知した場合には、充電の必要性を知らせたり、遠隔でリセットを行うサービスもありうるのではないだろうか。

マイナンバーを利用できるように制度改革を

 第3に、このように複数のサービスを一つにまとめて提供できるようにするためには、さまざまなIDを結合するための本人に固有の鍵となるIDが必要である。多くの国では、国民ID、すなわちマイナンバーをIDとして使っているので、このような問題はほとんど生じない。最初に登録しておけば、あとはマイナンバーを使って本人確認すれば、容易にさまざまなサービスを利用することができる。

 たとえば、自分のマイナンバーと銀行口座を結び付けておけば、複数のサイトで何かものを買って支払う場合にも、自動的にそこから引き落とすことができるし、政府から何らかの給付がある場合には、自動的にその口座に振り込まれる。昨年、問題となった特別定額給付金10万円のケースにみられたような煩雑な事務も遅延も発生しない。

 また、外国では当然のこととして、銀行口座の開設には国民IDの登録を義務付けているが、わが国でもそのようにし、多額の現金の引き出しを制限する制度を設けておき、マイナンバーに紐付けられた口座にしか振り込めないようにしておけば、お年寄りを対象とした特殊詐欺もかなり抑制できるといえよう。

 残念ながら、わが国の場合は、現状では、鍵となるIDとしてマイナンバーを使えないので、その管理が非常に複雑である。とくに課金、支払を行う場合の確認にはとても手間がかかる。

 また、このような高齢者に使い易いスマホのシステムの場合、最も役に立つのが災害の場合である。着の身着のままで避難所に避難したときに、安否確認はもとより、欠くことのできないお薬の情報や、アレルギーなどの健康状態、さらに日常生活で必要な物資のリストなどを、避難所でケアをしてくれる担当者が、スマホの情報を手掛かりに容易に知ることができるならば、現状と比べて格段に質の高いケアを実施することができる。

 したがって、わが国でも、マイナンバーをIDとして利用できるようにすべきだ。これには、国レベルでの制度改革が必要であるが、せっかくわれわれがもつことができるようになったスマホを、すべての国民が活用して生活の利便性を向上させるためにも、国レベルでの制度を変えてほしいと思う。

 そうしてこそ、高齢化が進むわが国において、デジタル社会を実現する有力な方法であろう。