見出し画像

自然を象る ~坂本龍一の "out of noise" を聴きながら想うこと~

 積読という言葉には「買っても読まずに放置している本の束」のような後ろ向きのニュアンスが響く。しかし背伸びして買った本をそっと本棚に差し込み、数年後に何かのさしかかりで再び手に取ったら、長らく探していた答えがそこに書いてあったなどということだってあるものだ。積読とは、本が迎えてくれる偶然と、自分が掴みにいく偶然が重なって、ようやく知恵を与えてくれるという稀事なのである。

 積読があるのなら、積盤もあるのだろう。数年振りに手に取った坂本龍一のアルバム "out of noise" は、私にとって積盤であった。以下は本人が全曲を解説しているライナーノーツだ。

 数年前とてもお世話になっていた「音楽の兄ちゃん」に「北極圏で録音した自然の音を大胆に使ったサウンドなんだ」と勧められてこのアルバムと出会った。なんじゃそりゃと思って聞いてみたものの、当時は何がいいのかさっぱりわからなかった。

 先日、リズムやビートもなしに環境音だけで一本音源を作らなければならなくなり、参考音源を探していてふとこのアルバムを引っ張り出してきたみた。今では一連の曲が連想の束になっていることに驚かされる。ここ数年イメージと言葉をどうくっつけたり離したりすることができるかを稽古し続けてきたから、より多くの景色を音から感じ取れるようになったのかもしれない。

北極レコーディング/楽音たちのステージ

 最も注目すべきは、坂本自身が「北極圏三部作」と呼んでいる"08. disko", "09. ice", "10. glacier"の3曲だ。Cape Farewellという英国発の環境保全活動プロジェクトの一環で北極に行った坂本は、グリーンランドの島に住む犬の鳴き声や海の水が流れる音などをレコーディングして本作を作った。極寒の海中、水深5メートルにマイクを沈めて録ったシュワシュワ音は確かに緊張感のある冷たさがあるし、氷窟の中で鳴らしたベルの音は氷の反響を想起させる奥行きがある。

 ただ、この三部作は単なる環境音の羅列ではない。よく聞くと楽器の音やシンセの音がかなり鳴っているのだ。"08. disko"の楽音は小山田圭吾(コーネリアス)のギターがわかりやすく出ているが、それ以外にも背景でうっすらpadやstringsが鳴り続けている。"09. ice"はビートまで刻んでいる。弦の擦れる音やベルなども入っており、たくさんの登場人物が入れ替わり出てきて一言二言喋っていく戯曲や舞台を見ている気分になる。

 氷窟に囲まれたり極寒の海にいたりする気分になる三曲だけれど、実際に大部分を占めているのは楽器屋さんで見かける一般的な楽器の音色である。そこに北極圏まで行って録音してきた特別の音源が混ざることで、北極圏の情景を立ち上げる。ここに、空間というおよそ音では直接表現できないものをどう表現するかという工夫が埋め込まれている。例えば、"09. ice"の最後はシンセのキラキラなのか録音した海水の水流の音なのか区別がつかないようなフェードアウトになっている。"10. glacier"では氷窟の空間にいるようなシンセが鳴っている。

象る音/見立てる空間

 この音の使い方には、広義での「見立て」が躍如しているように思う。落語家がそばを啜る真似をするのに扇子を箸のように使ってジェスチャーしたりするあれだ。
 北極の冷たい空気を表現したくなったら、北極にある音を録音して使えばいいのだろうか。最初こそ乗り気ではなかった北極への旅で大きな霊感を得た坂本は、北極の録音だけで曲を作ることも可能だったはずだ。しかし落語家が本当に箸を持ってきてそばを啜る真似をしたら興醒めだ。あらゆることを手ぬぐいと扇子でやるから粋なのである。見立てとは、そのものを使わず、メタファーや類似や面影を使ってそのものを表現する技法である。この北極圏三部作は、現地で録音してきた現実の音を核にしながら、その周りを一般的な楽器の楽音が囲んで北極というワールドモデルを見立てる芸術になっていた。

 坂本はかつてインタビューで冨田勲の言を引きながらこんなことを話していた。

 デジタル・シンセから発生する音よりもアナログ・シンセの方が、より自然に近いように思います。
 冨田勲さんははっきり「電気の音とは、雷と同じように自然の音なんだ」と言ってました。僕もそう感じます。

Moog One - A Meditation On Listening

 楽音が自然を模していく妙技が "out of noise" には宿っている。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?