「はーーーーー行きたくねーーーーー。」 3週間前、大学のゼミ同期とセブ島に行くことが弾丸で決まった。単に海外に遊びに行くという趣旨の下。 自分は拗らせ坊主なので、学びのない海外旅行など行く価値がないと考えていた。そういうわけで本当にこの計画に乗り気になれなかった。しかし、このセブ島旅行の提案をした大元は自分だったことを思い出し、渋々航空券6万円をネットで購入した。買ってしまえば気持ちも変わるかと思いきや、この感情が揺らぐことはなかった。 そうセブに行くまでは、、、 自分
如何にも夏らしいことはできている ただ連続的ではない 非現実的な夏イベントとただ日々を消費するだけの現実的な日々 8月はそのポリリズムでしかない 花火大会や祭りに触れても翌日には自室に籠る 人々の営みや賑わいはいつ見ても美しいと思う しかし夏を提供する供給源にはなれていない 結局どこに行っても消費しかしていない 思ったよりも学生生活最後の夏は時間・カネの消費を強制されている これは果たして豊かさなのだろうか
第一志望の会社に最終面接で落選してしまった。 行列のできるパスタ屋さんに並んでいる時に、携帯電話が鳴り落選を告げられた。 文字通り頭が真っ白になり、30分店外で待った時間やパスタへの期待などどうでも良くなる。しかし、そのタイミングで店に案内されたので渋々入店することにした。 目に入ったメニューを震える声で指差し、ただ天井を見上げる。鏡張りの天井の自分と目が合い、絶望している自分を鳥瞰している気分になった。涙が落ちないようにした工夫はかえって虚しさを生んでしまった。 な
9/21 2日目 6時 起きるつもりが寝過ごす。 7時 起床。朝ご飯を食べに行こうと張り切っていたが、そんな時間も無いので成田で買ったおにぎりとランチパックを仕方なく食べる。 7時45分 KKdayで予約したハロン湾行きのバスを待つ。8時前にホテルのロビーに待ってくれと言われ、8時には到着すると書いてあったので気長に待つ。しかし、本当に来なかったらヤバいなと思う。その後25分待ち、8時10分にバス乗車。ガイドのジョンに右腕を掴まれ、車道を横断。元々英語のツアーなので韓国人し
グリーンスプリングス(立川のオシャレな街区)で勉強をしていたら、急にシンガポール人とマレーシア人男性2人に英語で声を掛けられた。 「キリスト教興味ある?」の決まり文句で事態のヤバさを悟った俺は腹を決め話を聞くことにした。 彼らはどうやら日本人にキリスト教の良さを布教している職業らしく、俺はなるべく相手を傷つけないように「キリスト教は知ってるけど無宗教だからあんまり興味ないよ」って柔和に伝えた。しかし彼らは無理矢理に勧誘することなく、神のお告げだけ聞いてくれと言ってきた。手
ふとカメラロールを見ていたら、懐かしい写真を見つけた。この写真は、「自分がバカである」ということを物語る一枚だ。何故そんな事が言えるのか、それを下に書いていこうじゃないか。 まず、エフェクターの鉄則に、「導線は右から左へと流れる」という前提条件が存在すると考えて理解して頂きたい。 この写真では、その鉄則を破り、右から右へとエフェクターの役目を使用せずに音を出している状況なのだ。 それにも関わらず、高校生の自分は音を変えた気で音色を変えるツマミを弄っていた。何たるバカさ加減。
男女の友情は成立するかしないかという議論があるが、私は成立すると思う。 経験論的な話にはなるが、私には信頼のおける女友達が2〜3人いる。そして、その女友達を性的な目で見たり、恋愛感情を持ったりしたことは一度も無い。私は彼女らを新たな価値観の源泉だと認識している。換言すると、互いの恋愛観を衝突させて、より良い恋愛を考えたり、男女の思考の違いについて考えたり、性の哲学についてよく思索するような仲である。 そんな女友達の中の1人が風俗嬢になった。 彼女は、自分に鮮烈な価値観を