ハノイ旅行記2日目

9/21 2日目
6時 起きるつもりが寝過ごす。
7時 起床。朝ご飯を食べに行こうと張り切っていたが、そんな時間も無いので成田で買ったおにぎりとランチパックを仕方なく食べる。

7時45分 KKdayで予約したハロン湾行きのバスを待つ。8時前にホテルのロビーに待ってくれと言われ、8時には到着すると書いてあったので気長に待つ。しかし、本当に来なかったらヤバいなと思う。その後25分待ち、8時10分にバス乗車。ガイドのジョンに右腕を掴まれ、車道を横断。元々英語のツアーなので韓国人しか居らず、日本人など居ないだろうと思っていると、隣の席に日本人が居た。

8時半 バスはハノイを出発。隣の日本人と話を始める。3日前に仕事の影響でホーチミンに居たが、ハノイに観光に来たと言っていた。どうやらその人は電子部品の商社マンらしく、月の1/3を海外で過ごしているらしい。2日後には台湾にも行くそうだ。見た目は50代後半で関西弁の混じるおっさんだった。彼の名はカツラギさんと言い、とても気さくな人物だった。

9時半 サービスエリアに泊まる。1時間ぐらいの会話でカツラギさんと仲を深めた私は、行きたくもないトイレに行き、カツラギさんと話を続けた。彼はアジアを中心に活躍しているので、韓国語が堪能だった。しかし、ベトナムは3回目らしく、こっちの言語は一切ダメだと笑いながら首を振っていた。サービスエリアは、よく分からないフォーチュンクッキーが売っているだけであり、2分と居なかった。

10時 移動中の景色に飽き始める。水牛が草を食べていたり、ゴミが大量に放置してあったり、富裕層向けのコンドミニアムが建ってあったりと飽きないはずの景色だったが、さすがに1時間もすると、飽きてきた。

ちなみに、カツラギさんは高速道路についてこんなことを聞いてきた。

「こんなに高速道路が綺麗で真っ直ぐな理由分かる?」

「ハノイとハロン湾を結ぶ国営事業で大々的に費用を投入したからですかね?」

「ちゃう、有事の際に、滑走路にすんねん。台湾もせやった。」

なるほど、戦争という言葉が近い国は、インフラを建設する段階から、軍事を念頭に置くのかと思い知った。

11時 ハイフォンという国際的な港町を通過。デルタ地帯に佇む工場と巨大な橋は、それまで2時間程続いた退屈な景色を忘れさせる程、文明的だった。そこには造船所もあり、海運やメーカーの拠点も観察することができた。

12時 ハロン湾周辺の真珠屋に連れて行かれる。ミキモト氏と言う真珠の第一人者である日本人がここで真珠の養殖を伝えたという要旨の説明を聞かされた。周りに日本人は自分とカツラギさんとあと2人しか居なかった。あとは、白人と韓国人のみ。インバウンドの国籍比率どうなってんだ。ビックリするぐらい中国人が居なかった。真珠は30万円するものもあり、停車時間が25分であった為、バスの乗客は誰も何も買っていなかった。

13時 ハロン湾(世界遺産)に到着。ここから船に乗り、ハロン湾周辺を海でクルーズ。船内で日本人4人と昼食を囲い、優雅なひと時を過ごした。日本人Aは、34歳で看護師。ニュージーランド留学に行っていたとのこと。ハノイには8日間居るらしい。日本人Bは、40代で先日カンボジアからベトナムに入国し、タクシー代をボラれたと言っていた。彼曰く、東南アジアは騙す人が多いらしい。話は進んだが、料理が多すぎるのと辛すぎるので全員食べ終わることが出来なかった。

そこからは、デッキに上がり写真を撮りビールを飲み、世界遺産と共に最高の時間を過ごした。石灰岩で出来た岩々を見ながらくつろいでいると、一緒にいた韓国人が突然大声で歌い始めた。どうやら、この旅が70歳古希の記念旅行らしく同級生達と盛り上がっていたようだ。その後カヤック体験をすることになる。カヤック体験ではスマホを落とす人が多いので、首下げプラスチックバックを買った方が良いと言われた。しかし、要らないだろうとカツラギさんと結論づけ、買うことはなかった。

14時 カヤック体験は1隻2人で、カツラギさんを前に、自分は後ろに乗った。中々、ハードな漕ぎが必要であり、3回ほど座礁した。しかし、写真を撮りながらボートを漕ぎ、合計1kmの道のりを30分で回った。一緒に乗っていた韓国人達は、バンブーボートという、現地の女性が漕いでくれる1隻4人乗りのボートに乗り、自分達は2回ほどそこに激突した。転覆はしなかったが、少し怒られた。幅1m高さ2mの空間を抜け、空に吹き抜けるような景色に圧巻されていた。

船を漕ぎながら写真を撮っていたため、2つのことを同時にしなければいけなかった。スマホを納める位置が適当になり、膝にスマホを置いていた。良い景色の影響で完全に注意散漫になっていた。そして、あっという間に着岸。先にカツラギさんが降り、転覆もせずに帰って来れたという安心感からそのまま降りようとした。しかし次の瞬間、何と膝に置いていたスマホが、岸とカヤックの隙間に落ち、iPhone13は海底へと消えていったしまった。意味がわからなかった。事態が飲み込めず焦っていると、カヤックの従業員は、潜って取ってくるのに2万円かかるとぼったくってきた。焦っていたため、承諾してしまったが、手持ちが無かったため、カシワギさんに立て替えてもらい、スマホを何とか救出。その後、ガイドのジョンが「俺に交渉しろ!ボラれるの分かんだろ!」と割と高圧的にキレてきた。それもそうだ。あれだけスマホ防護バックを勧めておいて、使わずにボラれているのだ。私はそこで完全に旅のやる気を失い、帰りの船でスイッチが切れたように落ち込んでいた。しかし、幸運にもカツラギさんは、電子部品の商社マンなので、iPhone水没時の緊急対応を教えてくれた。そのお陰で、電源が付き、無事にスマホを使うことが出来た。本当に本当にカツラギさんに感謝。お金も建て替えてくれたし。

Suicaと学生証は濡れていたがしっかり戻って来た為救われた。しかし、その代わりに御守り代わりにしていた自分のバンドのステージバックパスはベトナムの海に消えていった。これが結構ショックだった。パスが犠牲になってくれたと考えるしかなかった。


16時 鍾乳洞へと向かう。まだテンションの低い状態で鍾乳洞へと向かったため、そこまで感動が無かった。普通に行っていたらめちゃくちゃ綺麗だしここが私のアナザースカイとか言っちゃうレベルの場所だと思うけど、気分は落ち込んだままだった。どうやら言い伝えでは龍が居るらしい。知らんがな。あと、自然の湧水を20倍の力にして観光客に見せていると知り、少し嫌な気持ちになった。

17時 ハロン湾帰着。また3時間かけてハノイへと戻る。

その間、カツラギさんは自分のことをずっと慰め続けてくれた。終いには、潜水費用払わんでええよと言い、持っていた2万円を財布にしまうように言われてしまった。どれだけ聖人なんだ、この人は。本当に恩に着ます。ありがとう、カツラギさん。

そこから更にカツラギさんの話を聞くと、台湾と香港に現地法人を作り、その後2拠点の社長を兼任し営業を行なっているとのことだった。そりゃ金あるわ。しかも、63歳。経歴を聞くと、教師2年、ハワイ留学3年、カリフォルニア留学1年、パイロット4年、ゴルフ場の管理人6年、現職25年とのことだった。もう意味が分からなかった。それから帰り道は、カシワギさんの話を聞き続け、タックスヘイブンの話や、ギャンブル好きな韓国人の話で盛り上がった。3時間話した結果、人を裏切らないで生きれば自然と人は付いてくるという金言を頂き、ハノイに到着した。

随分割愛してしまったが、彼は本当に話が上手で、自然と話を聞きたくなる話し方をしていた。一歩間違えれば教祖みたいなタイプだった。就活していることを伝えると、仕事の価値観の話を2時間ぐらいしてくれるし、とにかくお節介でもあった。だからこそ、商社で海外拠点の責任者になれるのだなと実感した。勿論他にも要素はあるだろうが、金儲けが上手い人の性格みたいなものが分かったような気がした。

19時 宿に帰る。2人ともベトナムでこんなに日本語を話すとは思っていなかった為、最後の別れは少し切なかった。またどこかで会いたいと思いながら、ハノイの街並みに溶け込み、夕飯を探した。

19時半 適当な中華料理屋に入り、チャーシュー麺とエビ春巻き、ベリージュースを頼んだ。1200円ぐらいしたが、もう面倒だったので適当に食べて帰った。ベリージュースは死ぬほど美味かった。

21時 再び宿に帰る。とにかく疲れた。明日の予定は事細かに決めていないが、とりあえず風呂入って寝ようと思う。お疲れ様でした。

追記 カツラギ語録

「日本って豊かでしょ、台湾も豊かやねん。だからイマイチ街に活気が無いんですよね。でも、ベトナムとか東南アジア来ると、若者が本気で金稼ぎたいと思ってるから一生懸命働いてる姿が見えるんですわ。そういう姿見てると、還暦迎えても頑張らなきゃなと思う訳ですよ。望めば手に入る日本社会では分からないものが、この地には沢山あるんですよ。だから、仕事をする時にもこの景色を思い出せば頑張れるし。旅の良さってそこなんですよね。日本も東南アジアを見習えとまでは言わないけど、こういうハングリー精神が無ければ衰退は止まらんのちゃいます?ちょっと老人の説教が過ぎましたか。ハハハ」

「私面白いでしょ?全部思いのままに生きとったら勝手に色々付いてきたんです。25で堺市の中学の理科教師辞めて、ハワイに留学した時も、別に迷いなんて無かったんです。環境のせいかな。母親は好きなように生きなさい、後悔するな人生一回やから、浮気は2回までやでと言われて育って来たんでね。バブル弾けて大分でやっていたゴルフ場が潰れた時も、ごっついしんどかったですけど、まあ行きたいように生きてたら結果は着いてきましたわ。その中で絶対守ってたことは、人を裏切らずに信用を獲得するっちゅうことですわ。これはホンマに自分の行動指針だったんでね。海外営業してる時も、これさえ守れば何とかなりますから。人に信用してもらう、まあ人望を付ける為に、自分がやれることは120%の力を出す。これが出来れば大体のこと上手く行きますわ。側溝君、20歳やな?若さはアドバンテージやから、頑張ってな。こんな変なオッサンからアドバイス貰っても、老害でしかないか!」

「1人旅の良い所ってこうして属性の違う人達と巡り合わせで会えることですわ。ベトナムでこんなに日本語話せると思ってなかったし、ましてや20の子と1日楽しめるだなんて昨日までは1ミリも思ってませんでしたよ。でも、知らない世界を側溝君が教えてくれたり、そういう刺激を得られるものが1人旅の醍醐味ですな。」

「本体の社長がホンマに自分の利得しか考えへん奴でね。会社の利益を女遊びにしか使わない人間であかん奴でしたわ。だから、海外拠点作ってそこで幅利かし始めたんですわ。それが私にとっちゃ、海外で過ごす契機になりましたから良かったですけどね。ビジネスでは、他人とWINWINの関係を作ることが当たり前ですから、自分だけ気持ち良くなってもアカンのですよ。」

「側溝君、海にスマホ落としたでしょ。2万円無くなったって思ったらアカンで。確かにボラれたけど、ビジネスとしてはあっちが正解や。安い仕入れ(潜水という人件費)で、高値(回収費用)で売る。その利鞘で彼等は生活しとるんや。だから、現地の人々に2万円寄付したと思わなアカンで、君の2万で現地の人達の生活がどれだけ潤ったか、取り方は気持ちの良いものじゃないけど、それを考えれば幾分か心が楽になるんとちゃうか。携帯も電源入ったんやし。因みに、建て替え費用は要らんで。20の2万と63歳の2万は重みがちゃうからなハハハハ 私は側溝君に寄付したと思ってるから、今後の日本社会良くしてくれな!」

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