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泣けるほどに音楽

 仕事に着いて間もなくの頃、ひょんなきっかけで私は尺八奏者の藤原道山さんの事を知った。
 朝の報道番組の中で街の中で何でも音にしてしまうおもしろい青年がいます、というような紹介のされ方だったと思う。何気なく飛び込んできた記憶の隅でくすぶっていた音、思い出すというよりは探り当てられたというか、忘れ物を目の前に差し出されたという衝撃を感じた。

 私の父は尺八を趣味にしていた。生活の中にはいつもその音があった。練習熱心で傍らに尺八を離さない。古典の曲が多く、子供の私にはその良さは分からなかったがとうとう父は師範になりお弟子さんをとって教えるまでになった。あの頃の父は間違いなく一番輝いていたと今はっきりとわかる。夢を形にしたのではない。夢中で好きなことに取り組む先に夢のような一歩が待ってたのだ。理想的な生き方を見せてもらったと思っている。ただ私にはそのメロディーは難しくて馴染めず退屈なものだった。

 とても不思議な感覚だった。同じ都山流だが道山さんの音は何とも軽やかで自由で心が躍る。尺八のイメージが180度ひっくり返り、硬いボールを胸に投げられたようにズシンと心臓が波打った。その時から私は道山さんの虜になった。

 初めて会いに行ったのは2002年4月10日、ライブハウスWAONでのLIVE。その頃はイーストカレントというバンドで活動していて、お琴のみやざきみえこさんと尺八の道山さんの2人組。バッチーニやピアソラ、バルトークなどが和風に彩られポップに演奏されていく。続いてみやざきみえこさんのオリジナル曲がつづいた。今でもこのステージの高揚感は忘れられない。
 姉御肌のみやざきみえこさんと場慣れしない道山さんの掛け合いは微笑ましかった。

 敬遠していた古典の曲も聴くようになり、行けるコンサートにはどこでも行った。ホームページを作り、ライブレポも100を超えた。それを読んでコメントをもらったり、友達になって一緒にコンサートに出かけたりするようになり、知識も情報もどんどん増えていった。

 そういう生活が楽しくて楽しくて、あの頃は何にだって積極的だったし、辛いことも乗り越えられた。派生して、いろんなアーティストの音楽を聴くようになったし、オーケストラでも朗読劇でも幅広く取り込んでいった。何となく現実離れした世界。そこに身を委ねることの心地よさ。そんなものを感じていた。

 そんな生活が15,6年続いたのか。2015年8月30日、確かサントリーホールでの15周年アニバーサリーコンサートを最後に段々とその生活も終わっていった。

 鶯谷の小さなライブハウスからはじまりサントリーホールでの堂々たるコンサートに躍進していくまでの姿を追いかけていくことは自分にとっても希望だったし、夢だったし、人生を語るうえで大きな出来事のひとつと確信している。

 パソコンから新しいアルバムの曲が流れてきた。相変わらず本当にきれいな音楽だ。懐かしくあの年月がよみがえりもう一度あの硬いボールが胸を叩き涙が流れた。会いに行かなくては。


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