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オーストラリアで歩いた話

ふと思った。
「この道を行ったらどこへ辿り着くのだろう」
その道はいつも見慣れた家の前の道。けれど、どこへ行く道なのかは知らなかった。

私はその時、オーストラリアにいた。
住み込みのハウスキーピングをしていて、家の前の歩道にゴミ出しに出た時、急に歩きたくなった。
その日の仕事はゴミ出しで終了だった。そしてそのまま私は歩き始めた。

私は小さな頃から夢見がちな子だった。空想が大好きで、恥ずかしいけれど私にだけ見える友達も何人かいた。
洋画が好きで、英語も好きになり、いつしか海外で暮らす事を夢見るようになった。
勉強嫌いで中学も高校も赤点ばかりとっていたにも関わらず、良い先生に恵まれ、短大の英語科に進学できた。けれどやっぱり、夢見るばかりで勉強は全くせず、映画ばかり観ていた。
就職活動の時期になっても私はなかなか決められなかった。私がやりたいことは、就職ではなく海外で暮らす事だったから。
同級生の中には海外の大学に留学する子もいた。けれど勉強をしてこなかった私には留学など到底無理だった。
そんな時にワーキングホリデーを知った。英語ができなくても海外へ一年間行けて、現地でアルバイトも出来るというもの。私はワーキングホリデーでオーストラリアへ行こうと決めた。
親に話すと、父親は反対した。「英語を勉強して将来何の役にたつんだ」と言われた。
けれど私は短大卒業後就職せず、ワーキングホリデーに行くためにアルバイトをしていた。
そんな私に母が「行きたいと思った時がタイミング。お金出すから行っておいで」と送り出してくれた。

オーストラリアではホームステイをしながら一ヶ月間語学学校に通い、その後部屋を借りて、日本料理のお弁当屋さんで一ヶ月間働き、色々あって家を追い出され、そのままオーストラリア国内を一ヶ月ほど旅行し、手持ちのお金が尽きそうになり慌てて住み込みの仕事をみつけた。
仕事とは言っても「フリーアコモデーション、フリーミール」。家の掃除をする代わりに宿泊代と食事が無料になるというものだった。
家にはインド人、ネパール人、バングラディシュ人、チェコ人、中国人、ブラジル人など様々な国の留学生が住んでいた。みんなと色々な話をした。自分の国についてや、なぜ留学したのか、自分の家族、恋愛観や結婚観に至るまで。
バイトを掛け持ちしながら大学に通うインド人の留学生は「大学で勉強して、インドに帰って、国の為に働くんだ」と言った。自分の国で働いて留学費を貯めてやってきたネパール人留学生は「日本人はお金持ちだからね」と話していた。
ただただ夢みるばかりで、海外で暮らして、英語は話せるようになりたいけれど勉強は嫌いで、大学へは行かず、「海外暮らし」のためだけに親がお金を出してくれた私には、耳が痛かった。
留学生はみな英語で自分を語り、主張し、学んでいた。私はいつまでもカタコト英語で、伝えたい事の半分も伝わらないままで、それにジレンマを感じつつも努力しないでいた。
色々な国の留学生と話しているうちに「私はアジア人なんだ」と気付かされ、そして「私は日本人」と実感し、「私は私」と痛感させられた。

1ヶ月程すると大抵の留学生はもっと安い家賃の部屋を見つけて、出ていった。見送る度にとても寂しかった。彼らは去っていくのに‥私は何も学ばず、立ち止まったままだった。
いつしか「なぜ私はここにいるのか」「私はここにいるべきなのか」と悩むようになった。

そして私は家の前の道を歩き始めた。
私はひたすら歩いた。どこへたどり着くのか、たどり着くまでにどれくらい時間がかかるのか、ちゃんとたどり着けるのか、そんな事は一切考えず、ただひたすら歩いていった。
歩いて、歩いて、歩いた道の終わりはビーチだった。電車に乗って一駅の、みんなと来ていたビーチだった。
「ああ、ここへたどり着くのか」
見ているだけじゃ分からなかったけれど、歩いてみたらビーチにたどり着ける。ただそれが分かっただけだった。ただそれだけ。地図をみれば分かることだけど、私は自分で歩いて確かめた。ただそれだけ。
この道はビーチに行ける道。ただそれだけ。
ただそれだけで、心が少し軽くなった。


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