一般人もSNSを軽視できなくなる時代が来ました。

一昔前までは公人はともかく私人がネットにおいて持つとされていた発信力は大してないとされており、SNSは人々の可処分時間を浪費させるものでしかなかった。従って、SNSで発信する時間を勉強やら運動やら創作活動やらのために使う方が圧倒的に生産性が高く、人間的価値の向上ないし保持に役立つと考えられていた。少なくとも私はそうだと信じてやまなかったし、今でもそのように考えている。しかしながら、昨今の情勢において、SNSはソシャゲや動画サイトなどのように私人の可処分時間を奪う娯楽ではなく、私人の意見を発信したり自我を保持したりするという重要な手段に変わりつつあるのではないかと考える。現代においてSNSというツールは、公人だけでなく我々私人でさえも無視できない存在となりつつあるのではないだろうか。当記事では、なぜ私がそのような考えに至ったのかについての経緯と、その結果至った結論について述べていく。

上述のような考えに至ったのには様々な要因がある。まず、去年春に放送されたTVアニメ『推しの子』において、以下のような発言があった。

世は大エゴサ時代!!広告代理店じゃなくてもビックデータにアクセス出来て感想や客層のアナリティクスを調べられるようになった!ネットの広告費はリアルに追いつき、2兆円市場と言われてる!ネットの反応を見るなって時代は終わったのよ 今はもうネットマーケティングを怠った人間から脱落する世の中 コンテンツとファンは既に相互監視状態にある そして芸能は私達そのものがコンテンツ

アニメ『推しの子』第六話「エゴサーチ」

つまり、昨今のコンテンツ産業において、ネット上における感想や意見は重要視される対象となったのである。これまではコンテンツを存続させるためには、それに関連した商品やサービスを利用してお金を貢ぐことが大事であった。しかしながら最近では、どれだけ利益が出たかだけではなく、どれだけターゲット層に支持されるようになったのかまで重視されるようになっているのだ。これは即ち、ネット上で発信をせずに黙々と贔屓コンテンツの関連商品を購入する人々よりも、碌に利益に貢献していないくせにネット上でやたらと批評しまくる口達者な人々の方が企業側に重要視されるという事態が起こりうるようになったということだ。ここまで読んでいるこの記事の読者の中には、「これって論拠がアニメの1シーンだけだからあくまでも机上の空論では?」と思っている人もいるのではないだろうか。確かに空想作品の域を出ないアニメを論拠として意見を主張しても説得力は薄いであろう。しかしながら、アニメの公式サイドがネット上の感想を確認しているということを述べている者もおり、そればかりか企業側から感想や評価を催促する場面もちらほら散見されるのである。例えば、2023年末に公開された劇場版『乙女ゲームの破滅フラグしかない悪役令嬢に転生してしまった…』では、感想投稿キャンペーンを開催しており、正規の方法に則ってSNSにて感想文を発信すれば、抽選で豪華賞品と称したグッズが貰えるようになっていた。また、私の行きつけの美容院や以前お世話になったPCの修理店でも、Googleマップにおけるクチコミ機能で評価をするように促している。このような例で読者の方々にとって身近なものというと、アプリをやっている最中に定期的に☆を付けるよう催促してくるあの鬱陶しいメッセージが馴染み深いのではないだろうか。これらはどれをとっても高評価することではなく、あくまでも評価することを促すものばかりである。つまり、企業側が求めているのは高い評価ではなく、利用者の純粋な評価なのである。よって今は、SNSで発信する感想も意見も苦情も企業側が重要視する時代となったというのは紛れもない事実である。このことから、現代ではSNSで積極的に好きなものには好きと、嫌いなものには嫌いと発信するのが非常に重要となりつつある。もっと言えば、その好き嫌いに至った要因やそれに纏わる要素なども発信すると企業側にとって尚のこと良いであろう。

次に、SNSが重要だと考えるに至った要因として、昨今発生しつつある「絵師のアカウント乗っ取り問題」がある。絵師というのは、オリジナルイラストや版権イラストを描いてはネット上にアップロードする人を指す俗称である。では、この「絵師のアカウント乗っ取り問題」というのは何なのかというと、文字通り絵師が自身のアカウントを他人に乗っ取られるというものである。このとき、絵師の方々は新しくアカウントを立ち上げるか元々あった複アカの1つを利用して、その乗っ取られたアカウントに対して通報するようにSNSで呼びかけるが、ここからがこの項において重要な話になる。その重要な話とは、先述のような乗っ取り被害に遭ったときに備えて、日頃からSNSで自我を出す必要があるということである。普段から自我を出した内容のツイートないしポスト(以降ツイート)を積極的に発信することで、今後自分が乗っ取り被害に見舞われたとしても、第三者視点からそのアカウントが乗っ取られているというのが浮き彫りとなり、大事に至らずに済むようになるのである。このアカウント乗っ取り問題について、クリエイター以外の人々に関しても他人事ではない。この記事の読者の中には、SNSを使っているとスパム系のアカウントがフォローしてくるという事案に出くわすことがよくあるという人もいると思われるが、あのようなアカウントの中にはこちらのアカウントを乗っ取ろうとしているものがあるということを聞いたことあるだろうか。私は徹底してあの手のアカウントを通報してはブロックしているが、あのようなアカウントを野放しにしている人が割とおり、私はその行為に対して非常に危機感を抱いている。ああいったアカウントをどのように対処するかは各個人に任せるが、ここで言いたいのはいつ乗っ取られても良いように、SNSでは頻繁に自我を出した発言をした方が良いということである。そうすれば、他者に自作発言をされることも自分が濡れ衣を着せられることも避けられるのである。自分の発言こそが、自分を示す唯一の証なのである。

これらのことから、SNSで様々な事物に対して感想や意見を述べたり自我を残したりすることが現代社会における生存戦略の1つとなりつつあるという結論に行き着く。勿論、SNSが重要視されるようになった現代においても、勉学や仕事、家事や育児といった事柄がSNSより優先順位が下回ることはないため、そういった事柄を生活の主軸に置くのは当然であるが、その条件下でなるべくSNSを多く活用すべきではないのであろうか。

最後になるが、昨今では数年前と比べてSNSの重要性が著しく増大しており、公人のみならず私人までもがSNSの活用の仕方に真剣に向き合わねばならなくなっている。そこで以下の記事では、あくまでも私個人の話になるが、SNSの活用方針をこれからどのように変更していくかについて記述している。是非とも読んでいただきたく存じる。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?