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過去に囚われている人たち

週末に友人と英語ディスカッション会を開催していて、そこではそれぞれが気になる話題を持ち寄って英語で話しているのだけど、今日メンバーのひとりがシェアしてくれたテーマがすごく興味深かった。


それは「パラリンピックと24時間テレビ、どちらも障害を持った方にフォーカスしているところは同じなのに、なぜ24時間テレビでは障害を持った人たちを"かわいそうだ”と思うのに、パラリンピックではまったく思わないのか」という内容だった。


わたしが24時間テレビが嫌いなのは、まさに障害のある人たちを「かわいそう」と思わせるように作られているからなのだけど、それはそうとして、パラリンピックでも同じく障害を持った人たちががんばっている姿が映し出されているのに、悲壮感なくただただ感動できるのはなぜだろう?


それは24時間テレビは彼らの「過去」にフォーカスしていて、パラリンピックは彼らの「今」を伝えているからだ


24時間テレビでは、「見てください、この人はこんなに悲惨な目にあって、こんな辛い思いをして、"なんで俺だけこんな目に遭わなきゃいけないんだ...!もう死んだ方がマシだ..."と死を決意したにもかかわらず、それらを乗り越え今こんな立派に...!」みたいに、いかにその人の過去が悲惨だったかにフォーカスする。

一方でパラリンピックは、競技をしている「今」に誰もが注目している。「今」彼らが必死で闘っている姿を全員が固唾を飲んで見守る。彼らの過去なんて誰も気にしていない。だからかわいそうなんて思いはどこにも生まれない。

だから「あんなに辛い経験をしたこの人もがんばっているんだからわたしも...!」じゃなくて、むしろ「うおおお、この人たちむちゃくちゃすごい!わたしも負けてられない!!!!」と心に火をつけてくれる。


ちなみにわたしは両腕がない男性が口にラケットを加えて卓球をしている姿を見て、人間本気になれば不可能なことなんて何にもないぜ...!とやる気に火がついた。



これはわたしたちの人生にも言える。過去ばかり見ていると、悲壮感漂よう「かわいそうな人」になってしまう。もしくは過去の栄光にしがみついていると「痛い人」になる。

けれど過去がなんであろうが、「今」がんばっている人はむちゃくちゃかっこいい。


過去に何があったかなんて関係ない。

自分はいま、ゴールに向かって日々やるべきことをやっているのか。

自分はいま、言い訳をせずやりたいことをやっているのか。

自分はいま、先延ばしにせず行動しているのか。


それがすべて。今がすべて。

今を大切にしてやりたいことを精一杯やっている人は、むちゃくちゃかっこいい。


かわいそうな人より、かっこいい人になろう。



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