”人がどんな態度を取ろうがそれはその人の自由である” どこまでも対等な国アメリカで感じたこと。
アメリカでは、従業員と客、サービスを提供する側と受ける側が対等な立場にある。100%とは言わないが、かなりの確率でそうだと言える。
例えばメトロ。彼らは平気で運航を変更し、待てど暮らせど電車が来ないなんてことは日常茶飯事だ。ホームに駅員がいることは少なく、いつ着くかなど誰にもわからない。
駅員がいたところで、「わからない。いつかは来るさ」とでも言われてしまうのが関の山だ。
もちろん腹を立てる人もいる。急いでいるのか、イラ立ちを駅員にぶつける人もいる。けれど大抵の人は「またか。やれやれ」という感じで待っている。まあ文句を言ったところでどうにもならないので待つしかないのだけど。
これが日本なら、「いつ電車が来るかわからない」なんていう事態はあまり起こらないだろう。起こったとしても、駅員が原因解明と即時復旧に努めるだろう。怒り出す乗客には「申し訳ございません」と頭を下げることだろう。
それがこちらでは「仕方ないじゃん」の一言で終わり。彼らは悪びれるそぶりなど一切見せない。超然としている。
そんなあっけらかんとした彼らの態度をはじめて見たときは、すごいな、とただただ感心した。彼らは決して下手に出ない。自分の手に負えないことで謝ったりなどしない。
電車が遅れているのは問題が発生したからで、仕方のないことなのだ。決して自分が悪いわけではない。「電車が遅れて申し訳なく思う」なんていう考えは、彼らのどこにもないのだ。
飲食店でも、店員と客は限りなく対等だ。ぶすっとした人はどこまでもぶすっとしているし、気さくな人は友達のように話しかけてくれる。
お客とどのように接するのは自分の自由であり、間違っても”お客様”と呼んだりしないし、お客に迷惑をかけないように、お客を怒らせないように、なんて考えちゃいない。
日本の「おもてなし精神」。
素晴らしいと思うし、もちろん否定はしない。けれどどこかに「お客が上。従業員が下」「サービスを受ける方が偉い」という認識がないだろうか。
ぶすっとした店員には腹が立ったり、質のいいサービスじゃないと怒り出したり。
お金を払っているんだから、いいサービスを受けて当たり前、店員がお客に笑顔で愛想よく接するのは当たり前、と思っていないだろうか。
本来は、サービスを提供する側も受ける側も対等なのだ。お金を払う人がいなければサービスが成り立たないのと同時に、サービスを提供してくれる人がいなければ、サービスを受けることができないのだから。
双方がいて成り立つのだから、その関係性は対等にしかなりえない。
どこまでも対等な国アメリカでは、そんな当たり前のことに気付くことができる。
はじめは彼らの高圧的(に感じる)接客態度にビビりまくっていたわたしだったが、最近では完全に慣れ、彼らがどんな態度を取ろうが気にならなくなった。
アメリカ人はみな、「人がどんな態度を取ろうがそれはその人の自由だ」と思っている。だから誰もいちいち店員の態度に腹を立てたりしない。
人がどんな態度を取ろうと気にしないのだから、こっちだってどんな態度だって取れるってもんだ。
ここはいい意味で自分勝手になれる、最高の場所なのだ。
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