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ミステリ小説「大学生がバズり動画を撮りに都市伝説の現場に行ってみた。」第1話

あらすじ

有名になりたい大学生の小中こなか高大たかひろは、埼玉県父冨ととふ市の山奥にある廃集落・旧“久鼻ひさはな集落”でバズり動画を撮ろうとしていた。
廃墟探索でその集落を訪れた若者が、出来心である廃屋から“おたまさま”とよばれる人形を持ち出し、事故を起こしたという話が、現在、ネット上で「“おたまさま人形”の呪い」として話題となっているのだ。高大は父冨出身の同期生・香西こうさい礼一れいいちに同行を依頼し、盛夏の強い日差しが降り注ぐ中、ふたりは彩部さいぶ線父冨駅に降り立った。
果たして高大の撮影する動画の内容は。
そして「“おたまさま人形”の呪い」の真相とは?

プロローグ

『コレヨリ先一切ノ火器ノ持込ヲ禁ズ』
藪の中に見つけた古い板にそう書かれているのを見て、アツシは声をあげた。
「何だこれ、意味わかんねぇ」
「火器だから、ライターとか持って入るなって意味だろ」
冷静にトシオが指摘するが、アツシが言いたかったのはそういう意味ではないらしい。
「だって、この辺、燃えて困るようなもの何もねぇじゃん」
アツシは持っていた看板を藪に投げ捨て、両手で周囲を示した。
「ただっぴろい空き地でさぁ、そりゃ山ん中だから山火事起こしちゃヤバいし、火の扱いに気をつけろってのはわかるよ。でも、火器を一切持ち込むなって、わざわざ注意するほど、今までの山ん中とここと、どこが違うの」
時はゴールデンウィークの中頃、埼玉の山間部の奥の奥。
周囲を深い森で囲まれたその廃集落は太陽の熱気と新緑独特の濃い匂いに包まれて、いっそ息苦しいほどのムンとした空気が漂っていた。
ふたりは大学卒業後実家でフラフラしているニートだった。ともに二十三歳。持て余した時間を使っては寂れた建物や廃村を訪ね、“探検“と称して半壊した建物の中に入ったり、怪しいトンネルの中を覗いたり、荒らされた家の壁に描かれた下品な言葉や落書きを見て笑ったり、を繰り返していた。
今回も長期休暇で浮かれた世間の空気に触発され、ふたりはネット検索で適当に見つけた埼玉の父冨ととふにある廃集落にやってきていた。ふたりとも虫除けのために長ズボンは履いているものの、上は適当なTシャツ姿で、山奥に入るという意識はあまり感じられない。
久鼻ひさはな」という聞き覚えのないその集落を、ふたりはいつものように”探検”した。好き放題伸びた草木に埋もれた全壊の藁ぶき屋根の家や、半壊の瓦屋根の家に土足で侵入し、朽ちた土壁や雑草に内部を埋め尽くされたかまどを見て「すげぇな」と言い合い、残されていた昭和以前の生活調度品を「古臭ぇ」と笑った。
集落の中心を通っていたらしい幅広の道を辿って突き当りの広場の前にたどり着いた時に、道端の藪の中にアツシが見つけたのが、『一切ノ火器ノ持込ヲ禁ズ』る看板だった。
「火を持ち込むなって、何で?」
「天然のガスでも出てるんかな。いや、でもこの辺りにそんな採掘記録は……」
アツシの疑問にトシオも同調して首を傾げた。彼は大学で地理学を専攻していたので、一般人よりはその手の知識がある。
トシオは広場を覗きこむと、何かを見つけたらしく足早に広場の中に入っていった、アツシは慌てて追いかける。
「何だこれ、祠?」
ふたりの前には高さ二メートル、横幅と奥行きは一.五メートルほどの木製の小屋が建っていた。といっても前面を除く三方を板塀で囲み、装飾付きの瓦屋根を葺いた簡単な作りで、床はない。
アツシが祠といったのは、その小屋の中心部、土台の石の上に、いわゆる祠――切妻屋根の下の木製の社に観音開きの戸がついた、一般的なもの――が載っていたからだ。当然、藪で見つけた看板同様古びて、変色やささくれが目立ったが、切妻屋根の瓦の装飾や両開きの戸に刻まれた彫刻は、こんな山奥の廃集落にあるとは思えない豪華なものである。広場はこの祠に参るために作られたのだろう。
「あ、開くわ」
興味深げにじろじろ祠を眺めていたトシオは、そう言って観音開きの戸を開けた。廃集落に勝手に入り込むような不届きものだから、神仏への配慮など持ち合わせていない。
「……蛇、か?」
祠の中には白い蛇の石像が納められていた。目の部分は金色に塗られ、とぐろを巻いた胴体は太く丸く、祠の中にみっちり詰まっている。
「トシ、張り紙に何か書いてある」
祠から視線を外し物珍し気に小屋の中を見回していたアツシが、板塀の一部を指さした。
トシオが顔を上げてそちらを見ると、雨風が吹き込んだのかすっかり黒ずんであちこち破れた張り紙が、それでも何とか文字が読める程度に原型をとどめていた。
「『おたまさまの受取・貸出はこちら』?」
ふたりは同時に首を傾げた。
「”おたまさま”?」

太陽が傾き始めたが、好奇心に火が付いた二人はそれしきで帰る気にはならなかった。
張り紙に描かれた矢印に従って、広場の奥の林の中、祠が納まっている小屋の裏側へと歩を進める。
足元の地面はかつて人の往来が多かったことを示すように固く踏みしめられ、雑草はちょぼちょぼと生えている程度だった。道脇の草木がふたりの背丈に届くほど勢い良く伸びているのと対照的である。
道の両側から迫ってくる背の高い草やツル植物のおかげで視界が遮られ、進むのに苦労しながらも、ふたりは道を進み続けた。顔前の草を手で払って進んでいるので、手のひらの脇や腕に痛みが走る。ちくちくした痛みにいい加減うんざりしてきたころ、アツシが声をあげた。
「デッケェ家がある!」
草のトンネルを抜けた二人の前に現れたのは、瓦屋根に天窓がついた、この集落で見てきた家の二軒分ほどもある大きな農家だった。屋敷といった方が正しいかもしれない。
太陽の沈みかけた山奥の深い森の中に忽然と現れた、人気のない古い大農家。
二階の変色した白壁に並ぶ汚れた窓ガラスの奥は真っ黒で、いかにも不気味な雰囲気が漂っている。
「この家に”おたまさま”ってのがあるのかな」
言いながら、トシオは農家の玄関先に立った。平らな敷石の上の両開きの板戸は、古びてはいるが頑丈そうだ。
ふたりはそれぞれが片方の扉の引手に手をかけると、タイミングを合わせて一気に力を込めた。
音を立てて戸が動く。戸の軋みや舞い立つ砂ぼこりが、長い間この板戸が開けられていないことを示していた。
人ひとり分が何とか通れそうなほどの隙間を開けて、ふたりは中を覗き込んだ。
家の中はシンとして暗い。これまで”探検”ではめったに使ってこなかった小型の懐中電灯をポケットから取り出すと、ふたりは中に光を投げ込んだ。
「うわっああああ!」
あふれた悲鳴は果たしてどちらのものだったのか。
光に照らし出されたのは、土間の上がり框から廊下、その奥の和室の畳の上にいたるまで、視界に入る限りびっしりと敷き詰められた顔のない、のっぺらぼうの人形の群れだった。手足のない胴体に着物を着せられ、丸めた白い布か何かが頭部を模している。
土間の土壁の柱にも、和室の柱や鴨居や欄間にも、およそ木製の建材には例外なく、人形が何らかの方法で隙間なく括り付けられており、とっさに数える気も起きなかった。とにかく玄関から見える範囲のほとんどをのっぺらぼうの人形が埋めており、とてもかつて人が生活していたようには見えない。
数百体以上は確実にある、その目も鼻も口もない、白いだけの丸い頭が、暗がりの中でうすらぼんやりと、懐中電灯の光の輪の中に浮かび上がっていた。
「これが、”おたまさま”……?」
トシオは呟くと、戸の隙間から身体を内部に滑り込ませた。足の裏に感じる土間は、冷たく、硬い。長い間閉じていた空間独特の匂いが鼻をくすぐる。
上がり框に乗せられた、手近な一体を手に取った。
見かけよりも軽い。黄土色の紬の合わせ目から着物の内部を探ると、丸めた和紙が胴体として使われていた。すん、と漂う埃のようなカビのようなにおい。
そのままあれこれ触ってどんな作りかを確かめる。多少知恵がつけば幼い子どもでも作れるような、簡単なつくりの人形だった。
大きさは二〇~三〇センチ程度。白い布を丸めたものが頭部で、和紙を丸めて棒状にした胴体に着物を着せてある。手足はないが着物の袖は袂までたっぷりあるので、一見、腕はあるようにも見える。
他の人形へと目を移すと、頭部の作り込みは日本髪を真似しているとわかるものから、ただ白い布を丸めただけと見えるものまで千差万別であり、着物も粗末なものから雛人形の着物のように豪華なものまでさまざまであった。
「なぁ、トシ。さすがにヤバくね?」
アツシが雰囲気に気圧されて情けない声を出した。
周囲に差す茜色の光線から、日暮れが近いことが明らかだからかもしれない。
「二階へはどうやって行くんだろう」
アツシが止めるのも聞かず、トシオは手に持っていた人形をもとの場所に戻すと、つま先で器用に床の人形を動かし、出来た隙間に足を踏み入れて、家の奥へと入っていく。
「トシオ。もう帰った方がいいって」
アツシが呼びかけた時、トシオは廊下の奥で閉められていた襖を開けたところだった。
「うっ!」
トシオはうめいてすぐに襖を閉じる。アツシにも理由が分かった。玄関先にいるアツシにも届くほど、強烈な排泄物の匂いが流れてくる。
それは長い間閉め切られていた家の中から漂うには、あまりにも強烈すぎた。
「……家の裏手は表ほど無事じゃないらしいな。野生動物が入り込んで、巣を作っているのかも」
鼻をつまんで玄関先まで戻ってきたトシオは、そう言うと、つまんでいた手を放し、ケホケホと咳込んだ。
「な、もう帰ろうぜ。これ以上日が暮れたら、あの道はもう通れねぇよ。少なくとも、俺は運転ごめんだ」
アツシがトシオに言う。
あの道とはふたりがこの集落にたどり着くために通ってきた山道のことだ。途中まではコンクリで舗装され、車同士がすれ違える程度の道幅もあるが、高度が上がるにつれて道幅は狭くなり、道路脇に設置されたガードレールもなくなる。やがて道路はすれ違い不可能な一車線となり、片側は山林、片側は崖下へ直行の、大変危険な道のりになる。
りィりィ。そうだな、帰ろう。帰りは俺が運転するよ」
トシオは言うと、玄関をくぐろうとして――ふと思いついたように、上がり框にある、先ほどとは違う一体の人形を手に取った。二〇センチほどの小さいもので、黒地に赤く矢じりのような文様の描かれた、古びた着物を身につけている。
「元の場所に戻せよ、トシ。そんな人形どうする気だよ」
「記念に持って帰ろうと思って」
「やめとけよ!」
アツシは言ったが、それ以上止めようとはせずにトシオの先に立って祠へと戻る道を急いだ。
これ以上その場に居たくなかったのだ。

山の日が暮れるのは予想以上に早い。
ふたりが集落の入り口に止めた車まで戻った時には、あたりは闇に染まり始めていた。
トシオは持ってきた人形を無造作に後部座席に投げると、運転席に座りシートベルトを締めた。
アツシは助手席に座ると、シートベルトの金具を手にしながら、おそるおそる後部座席を覗いた。
「なぁ、やっぱりあの人形、置いていかね?」
「あんなのただの人形だろ、アツ。怖いんなら寝てろよ。疲れてっから怖くないもんも怖いんだよ」
トシオは応えると、車のエンジンをかけてライトをつけた。森の暗闇に明るい光線が差し込む。
「腹減ったな。山を下りたら何食おう。父冨っていったらやっぱホルモン焼かな」
トシオが車を動かし始める。
ゆっくりと山道を下る車内で、アツシもトシオを同じように夕食について考えた。
暑いのか、トシオがドアハンドル下部のボタンを押して、前後のウィンドウを全開にする。車内に流れ込む空気はすでに冷たく、山の気温変化の早さにアツシは驚いた。
吹き込む心地いい風が眠気を呼ぶ。いつしか意識が途切れていた。
トシオの言う通り、疲れていたのだろう。

体中の骨が折れるかのような衝撃と脳みそがひっくり返ったような異常な平衡感覚に、アツシは目を覚ました。とっさに自分がどんな体勢なのかわからない。
薄暗闇の中、混乱して周囲の気配を懸命に探り、乗っている車ごと自分が逆さまになっていることに気づく。シートベルトをしていたおかげで助手席から放り出されはしなかったが、その代わり、ベルトがぎりぎりと肌にくい込んで痛い。
目の前のフロントガラスいっぱいに、木の葉と枝の影がみっしりと重なり合っている。帰路の山道で道路から転落し、崖下の木々に車ごと引っかかったのだ、とアツシは直感した。
と同時に、鼻をツン、と刺激する匂いに気づいた。
(ガソリン!)
アツシはが危険を察知して、慌てて助手席から脱出を試みた。シートベルトを外し身体を回転させ、天井に足をつけて、開いていた助手席側のウィンドウから車外に身を乗り出す。瞬間、背後で炎が上がる気配がした。
「トシ、無事か?」
振り返ると、逆さまのままの友人は、ハンドルと座席に挟まれ、シートベルトで運転席に拘束されて、額には血が流れていた。後部座席から赤い炎の魔手が運転席に迫る。炎に照らされるその顔は、それでもなお青白いとわかるほど色がなく、友人は最期の力を絞り出すように言葉を吐き出した。
「飛び出した……」
「え?」
「白い……飛び出した……」
車の前に白い何かが飛び出して、それでハンドル操作を誤ったのだろうか。
もっと詳しく訊きたかったが、赤い悪魔はそれを許してくれなかった。
イチかバチか。
アツシは車外の暗闇に身を投げた。
垂直に地面に落下する。思っていた以上に車は崖下の低い位置に引っかかっていたらしく、衝撃はさほどでもなかった。新緑に萌える草がクッションの役目を果たしたのもあるだろう。
「トシ……!」
体勢を整えて友人の安否を確かめようと樹上の車体を見上げた途端、爆発が起きた。
目の前の車が火に包まれる。
思わず後じさり、アツシは気づいた。
すぐ近く、木の根元の、うねうねとシダ植物の重なり合った上に、人形が落ちていた。
トシオが廃屋から持ち出した、黒と赤の古い着物の、のっぺらぼうの白い顔の人形。
(どうしてここに……トシが後部座席に置いたはずじゃ……)
脳裏にトシオのうめき声が蘇る。
(飛び出した白いものって、まさか……)
車の窓はどれも全開だった。
祠の板塀の張り紙に書いてあった”おたまさま”はたぶんこの人形のことで、祠に案内が貼ってあったということは、この人形は祠にまつわるナニカなのだろう。
祠の中にあった白い蛇の石像。白い蛇。蛇神様。
もしこの人形がただの人形じゃなく、蛇神に捧げられたナニカだったら。
もしこの人形が、あの家から持ち出してはいけないものだったら。
もし超常的な力を人形が持っていて、あの家に帰りたがっていたら。
もしこの人形が、自分をあの家から持ち出したトシオを恨めしく思っていたら。
アツシの頭にある映像が浮かんだ。
後部座席に投げ出された人形が、ふわりと浮いて、窓から車外に出る。
人形はそのまま、車の前に回り込んで――
そのとき、夜道を運転するトシオの目にまず何が映ったのか。
炎上する車体の火に明るく照らされて、人形ののっぺりとした白い頬に赤みがさす。アツシはその白い顔から、どうしても目が離せなかった。


――「友人から聞いた実話」として小説投稿サイトにアップされたこの話は、実在の廃集落を舞台としていたことで、現場に興味本位の無作法な若者を呼び込んだ。
彼らは空き家への無断侵入やゴミの放置、山道での無謀運転を繰り返し、土地の所有者や近隣住民を悩ませた。
それでも多くの噂と同様に、いずれこの話も忘れ去られて、集落を訪れる者もいなくなるだろう。このトラブルを見聞きした多くの人間はそう考えたが、事態は意外な展開を見せた。
似たような恐怖体験をしたとの報告がネット上に次々と投稿されたのだ。投稿者は複数人で、ネット上で確認できる限り、投稿された場所もバラバラだった。何者かがいたずらで虚偽の報告をしているにしては、手が込みすぎていた。こうして集落を訪れる若者の数は増えていった。集落での体験談を投稿するだけではなく、なかには動画配信で集落を生中継する者まで現れ、“おたまさま”人形の呪いの噂は瞬く間に全国に広まった。



1


彩部さいぶ線父冨駅で池袋発の特急電車を降り、自動改札を抜けると、広い駅前ロータリーに出た。観光地らしくタクシーが並んでいるが、平日の昼間とて観光客は少なく、タクシー乗り場に近づく人影はない。
7月半ばの陽光はもはや盛夏のそれであり、周囲を山に囲まれた父冨の空気を温度と湿度マシマシの最高で最悪な夏のそれに仕上げていた。
足元の煉瓦色のブロックは水をこぼせばすぐ蒸発するほどの熱気をサンダル履きの俺の脚に伝えてきている。このまま移動しないと熱中症がカモンとばかりに俺たちに抱き着いてくるだろう。
と、駅前ロータリーの端に停まっている白い軽ワゴン車から、色白で細身の若い女性が降りて、俺たちに向かって片手をあげた。ロングヘアの黒髪を後ろで束ね、白Tシャツの上に赤いウインドブレーカーを着て腕まくりをし、下は濃紺のジーンズ、といういでたち。
礼一れいいちくん!」
俺の左斜め後ろから、白く細い手があがって、それに応えた。
奈津子なつこ姉ねえさん、久しぶり」
女性は俺たちのところへ小走りで駆け寄ると、俺と目を合わせて、花が咲くような笑みをこぼした。
「あなたが、小中こなか高大たかひろくんね。礼一の従姉の釈氏しゃくし奈津子なつこです。父冨へようこそ!」
ふうわりと柔らかな両手が俺の両手を包み込む。大きな瞳を細めて俺に歓迎の意を表する彼女と顔を合わせていられず、俺は俯いた。と、白Tシャツを盛り上げる豊満なバストを直視してしまい、慌てて今度は左に顔を向ける。
そこには彼女とよく似た、しかし彼女以上に繊細な美貌を持つ高校時代からの知人が立っており、俺はこみ上げるやり場のない怒りをせめて笑顔に込めて彼に向けた。反応は感情のこもらないただ一言。
「どうかしたか?」
(どうかしたも何も、なぜこの人はこんなに歓迎してくれてるんだよ。俺はこんな歓待を受けるほどお前と親しかったか?)

俺の名前は小中高大。二十歳の大学二年生。
埼玉県の都市部に生まれ、父は東京二十三区内の会社に勤務するサラリーマン、母は近所で働くパート兼業主婦という平凡な家庭に育ち、小中高と公立の学校に進学して、平坦かつ特徴のない顔立ちのまま一七〇cm弱の中肉中背の体型に成長するという、まるで将来は典型的日本人サラリーマンとして人生を送れと神に命じられて生まれてきたような男だ。
しかし苗字が偶然にも某有名紳士服メーカーと同じ読みであったため、そのことを逐一指摘されて育った結果、中学生の俺は心に誓った。
絶対に毎日スーツを着るサラリーマンにはならない。できればトラブルとロマンに満ちたリッチな人生を送りたい。
我ながら安心安全確実志向の平成生まれとは思えない人生指針だが、幸いにして俺は成績優秀で、県トップの偏差値の高校に進学できた。そして、学生ベンチャー企業社長から日本経済界のホープとなった人物から、性犯罪を繰り返し刑務所常連となるような人物まで、バラエティ豊かな卒業生を輩出している某有名私大に合格したのだ。
俺の学年でその年その私大の文学部に合格したのは、俺以外では男子生徒ひとりしかいなかった。高校三年間ずっと同じクラスではあったが、あまり親しくはならなかった、顔見知り程度の同級生。それでもいわば同郷の身、入学したら多少は交流することになるだろうと思っていたら、これが戸惑うほど顔を合わせない。俺は社会学科、彼は文化人類学科と学科は違うが、同じ文学部のはずだから、学部共通の必修科目ならば同じ教室で同じ講義を受けてもおかしくないはずなのに。
それでも彼の噂がちらほらと俺の耳に入ってきたのは、ひとえに彼の容貌が原因だろう。どこの少女漫画マニアが名付けたか知れないが、人呼んで『氷の王子様』。
それが今、俺が渾身の笑顔でにらみつけている人物、香西こうさい礼一れいいちだ。
なるほど『氷の王子様』と評されるだけあって繊細な美貌の持ち主で、面長の顔にまつ毛の長い切れ長の目、鼻筋はすっと通っており、唇は薄く品よく小さな顎に収まっている。おそらくは天然の茶髪で、髪型は首にかからない程度の長さのワンレン。前髪も長く伸ばして耳にかけ、白く広い額はギリシャ彫刻のように形がよい。一八〇cm近くの長身で痩せ型だが壮健であり、昨年春の新入生歓迎合宿のレクリエーションで初心者向けの登山が行われた際は、誰よりも早く頂上に到達していたそうだ。
これで愛想がよければアイドルばりにモテたであろうが、呼称に『氷』と入っているように、彼は徹頭徹尾鉄面皮の不愛想人間だった。入学当初はいくら女子が声をかけてもまったく色よい反応をしないので『女嫌い』という噂があったが、翌年春には『人間嫌い』に修正されていた。それだけ大学生活の中で、他者との交流に非積極的だったということだ。
そんな彼と俺が共にここ、埼玉県父冨市に来たのにはもちろん理由がある。
ひとつには、俺の野望を叶えるため。大学在学中に何らかの方法でバズって、とりあえず有名Youtuberとか、なんかそんなのになるのだ! という非常に曖昧模糊とした野望を抱えて俺は大学生活を過ごしていたのだが、最近ネット上で話題になっている都市伝説――通称“おたまさま”人形の呪いと呼ばれる恐怖体験談の中に、見知った地名を発見したのだ。
それが父冨だった。
父冨とは埼玉県西部の山間部にある父冨盆地周辺の一帯を指す。盆地の中心が父冨市だ。
その地名は俺に、高校入学時のとある人物の自己紹介を思い出させた。
身体より少し大きめの学生服に身を包み、染めているにしては自然な風合いの茶髪、幼さの残る白皙の美貌。黒板の前に立った高校一年生の香西礼一は、無表情でこう口にした。
「父冨第一中学から来ました、香西礼一です。よろしくお願いします」
ぺこりと頭を下げるとさっさと席に戻る。他のクラスメイトは出身中学の他に趣味や部活、高校生活の目標など何かしら付け加えていたので、この自己紹介は異色だった。
出席番号順で次は俺の番だったのだが、前の人物が予想外に短かったために、俺はあたふたしながら席を立って黒板前に向かった。その時すれ違った香西の横顔はいっそ青白いほどで、その硬質な美貌に、俺は彼を強く印象に残した。父冨第一中学――あんな山奥の田舎の中学校にこんな奴がいたなんて、なんて不似合いなんだろう。
そう、香西は埼玉県父冨市の出身だったのだ。
香西がレクリエーションの登山で登頂が早かったのも、父冨の山の中で育ったから、といえば説明がつく。彼のあまりの美貌ゆえに、周囲の誰もが彼を都会出身と誤解しているが、実は山育ち田舎の出。随分なギャップの持ち主である。
これを思い出したからには、俺は野望のために行動せねばならぬ。

さっそく彼を補足するため、文学部校舎前の広場にある学部掲示板で張り込むこと数日。
いくらオンライン上でも発表されるとはいえ、講師急病などの理由で当日休講が決定すれば、その情報の反映は掲示板の方が早い。ゆえにたいていの学生は登校すれば、一度は掲示板を確認する。さすがの『氷の王子様』香西礼一も例外ではなかった。
「よう香西! 俺、高校が一緒だった小中高大。覚えてる?」
六月半ば、薄曇りのとある朝。
掲示板の前で声をかけると、香西は胡散臭げに俺を振り返った。
そのファッションを見て、俺は『氷の王子様』の呼称の由来をもうひとつ思い出した。
香西礼一は白しか着ない。
『氷の王子様』なのだからそこは青じゃないかと聞いた時は思ったが、実際見てみるとなるほど、繊細な美貌と細身のスタイルが白を基調としたファッションでより強調され、今にも消えてしまいそうな儚さを醸し出している。高校時代は黒の学生服で気づかなかった。
その朝の香西は、高価そうな白Tシャツの上にアイボリーの麻のジャケットを羽織って、同じ色・生地でセット購入したと思われるパンツを着用。オフホワイトの靴下にジーンズ生地の黒い布靴で、足元だけが黒かった。細い肩には円筒形の、重そうなカーキのバッグを下げている。
(……確かに一見、都会富裕層御子息のインテリ大学生)
埼玉の山奥出身とはとても思えない。
香西は無遠慮に俺の顔をじろじろ眺め、「こなか…?」とあやふやに俺の苗字を口にした。
「そう、小中高大。K高校で三年間同じクラスだったんだけど、覚えてないか?」
もう一度名前を言うと、香西はふと思いついたように目を瞬いた。瞬くと、音がしそうなくらい長いまつ毛だ。これが生まれつきだとしたら神は不公平すぎる。
「……学校の名前の人」
「え?」
「いや、後ろの席の人だ。一年生の時」
「……」
俺はしばらく微妙な気持ちで彼を見つめた。
確かに彼と席が前後していたのは出席番号が前後だった一年生の時のみで、二・三年次は他の生徒が間にいたが、まさか三年間同じクラスで、それしか印象を持たれていないとは思わなかった。確かに親しくはなかったが、丸三年だぞ?
「何?」
香西が用向きを尋ねてくる。その言葉の短さに、必要最低限の言葉しか口にしないのか、と俺は感心してしまう。
「香西って、確か父冨の出身だろう。最近ネットで噂になってる“おたまさま”人形の呪いって、知ってるか?」
香西は形のよい眉を寄せ、考える仕草を見せたが、すぐに首を横に振った。
「“おたまさま”人形の呪いの舞台って、父冨の久鼻っている集落らしいんだよ。俺、行ってみたいんだけど、案内してくんない?」
ここで露骨に香西の表情が曇った。氷のような無表情を貫いてきた彼の表情をここまで曇らせたのは、この大学では俺が初めてかもしれない。
「実地研究の講義で夏休み中にどこかの地域をフィールドワークするっていう課題があってさ。テーマは自由なんだけど、どうせなら話題の場所を調べたいじゃん。『ネット上の噂がどこまで本当か、実際に行って確かめてきました』とか、面白そうじゃね?」
講義の課題があるのは本当のことで、嘘は言っていなかった。
ついでにそこで動画を撮って、何か面白いものが映っていたら、編集して動画投稿サイトに載せて、運よくバズらないかな、という、下心の存在を言っていないだけで。
「……夏休みの課題?」
香西が反応を見せた。お、疑問形だぞ、と俺は嬉しく思った。関心が出てきたのか?
「そう。夏休みの課題。前期試験がないかわりにフィールドワークに行って、夏休み後にレポート提出だってさ。単位かかってるし、結構真剣なお願い」
俺は両手を合わせてみせる。
文学部の前期試験は六月下旬から七月上旬に行われる。文学部の共通科目はだいたいこの時期に試験があり、前期のみの科目はここで合格点が取れれば単位取得できる。一方、学科ごとの専門科目の講義は前期後期合わせて通年で行なわれることが多く、単位取得の条件も試験で合格点を取る以外にレポート提出やゼミへの出席必須など、科目や講師によって様々に設定されている。
「……夏休み、帰省する時でいいか?」
おお? と俺は意外に思った。初接触なのに、予想以上に好感触だ。了承を得るまで、数日間声をかけ続ける覚悟でいたのだが。
「うん。帰省する時でいい。今からならバイトのスケジュールも調整利くし。金は払えないけどお礼はするから。飯おごってもいいし、香西の課題で手伝えることあったら手伝うし、他にも俺にできることあったら――」
「いや、帰省に付き合ってくれるだけで――」
香西は言いかけて、口をつぐんだ。
はて。親しくないから彼のプライベートを全く知らないが、香西には実家にひとりで帰りづらい事情でもあるのか?
香西はそれ以上自分のことを口にせず、俺たちは連絡先を交換して別れた。
……今どき、スマートフォンのメッセージアプリの友達登録の仕方を知らない大学生がいるとは思わなかった。
いや、香西の場合に限れば、メッセージアプリをスマホにインストールしていたこと自体が奇跡的なのか?

俺の父冨訪問にはネットで話題の廃集落に行ってバズる映像を撮りたいという裏の目的があったが、香西は帰省目的なので、わざわざ俺と廃集落に行く理由はなかった。
それが変わったのは、香西がネット上にまとめられている“おたまさま”人形の呪いの体験談を読んでからである。
香西と連絡先を交換した夜、俺はとりあえず父冨の人間と繋がることができたことに満足して、翌日一時限目の講義に備えて早めに就寝しようとしていた。俺は埼玉の実家から都心の大学に通っているので、一時限目の講義に間に合うように家を出るには、それなりに早起きする必要がある。
スマートフォンを充電コードにつなぎ枕元に置いて、さて、とベッドに横になろうとしたところで、スマートフォンがブルルと震えた。
取り上げてみれば画面には、今朝がた登録したばかりの名前が表示されている。
メッセージアプリの通話機能で電話してきたのだ。
「香西、どした?」
通話ボタンを押して電話に出ると、電話口の相手は「へあっ?」と妙な声を出して、数十秒沈黙を続けた後、「……こなか?」とか細い声で尋ねてきた。
「うん、そう。何か用事?」
やはり父冨には連れて行けない、と断りの電話を入れてきたのかと思ったが、香西は予想外のことを口にした。
「このアプリ、電話もかけられるって本当なんだな」
「……」
俺は微妙な気持ちで沈黙し、確か今朝も似たような気持になったな、と思い出した。
ひょっとして香西礼一は人間嫌いではなくて、単に他人に興味がないだけではないだろうか。興味がないから必要最低限のコミュニケーションで済まそうとする。本当に人間嫌いなら、メッセージアプリでわざわざ電話をかけては来ないだろう。
「ネットで“おたまさま”人形の呪いって調べてみたけど、俺も久鼻集落を見てみたくなった。小中と一緒に行ってもいいか?」
願ってもいない申し出に、俺は思わず左手で自分の頬をつねった。痛かった。
「そりゃあ大歓迎だけど、一体どういうワケで。香西ってホラー好き?」
「いいや」
即答された。
「ネットの体験談を読んでいたら、気になる箇所があって……確かめたいことがあるから」
「確かめたい。何を?」
質問は質問で返された。
「小中は学科どこだっけ。教育?」
俺の何を見てそう予想した?
「いや、社会学科」
高遠たかとお教授の『民俗学』の講義は取ってるか?」
「なかなか単位くれなくて再履修者続出って有名な講義じゃん。取ってないよ」
「そうなのか。面白い講義なのにな」
扱う内容が難しすぎて興味本位の素人にはついていけない、という評判でも有名な講義なのだが、それを面白いということは、香西自身がかなりの民俗学マニアなのだろう。
「確かに土俗ホラーな感じの体験談ばかり載ってるけど、何が気になるんだ?」
「……それを説明するとおそらく二時間はかかるが、聞くか?」
俺は丁重にお断りして通話を終了した。
どうやら香西の興味の対象は人間よりも民俗学に大きく偏っているらしい。
その後も何度かメッセージや通話でやり取りをして、俺は思った以上に香西が久鼻集落に興味を抱いていることに気づいた。
父冨の便利屋で働いているイトコに訊いたら、旧久鼻集落の住民が顧客の常連におり、話を聞くことができそうだ、と向こうからインタビューに行くことを提案してきたほどだ。
まさしく願ったり叶ったり。
それにしても香西はネット上の体験談の何がそんなに引っかかったのだろう。
訊きそびれたまま夏休みが始まり、気づいた時、俺は父冨駅前で美女から思わぬ歓待を受けていた。


第2話

第3話
https://note.com/newyamazaki85/n/ndc86e89bf116



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