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故郷を舞台にミステリを書いてみた・プロトタイプ版・便利屋AIAIの事件簿③消えたスリを追え!

故郷・埼玉県秩父市の名称を架空の市・父冨(ととふ)に変え、そのほかいろいろ秩父をモデルにしてミステリを書いてみました。書籍化もしていますが、現在、申し訳ありませんが在庫なしです。



「あ、スリ!」
 札所巡(ふだしょめぐる)は声を上げた。
 カーキ色のジャケットを着た長髪の人影がすれ違いざま、隣の女性のバッグから財布を取り出したのを見たのだ。
 だが、声が聞こえたらしく、犯人は財布を持ったまま駆け出し瞬く間に出口へ向かってしまった。
 巡は後を追いながら口元のマイクに向かって叫んだ。
「こちら札所。直売所にてスリ発生! 駐車場方面に逃げました!」

 毎年恒例『紅楽祭』での事件である。父冨市の紅葉を見に来る観光客を当て込んで、父冨アミューズメントパークで近隣の名物を集めて販売するイベント『紅楽祭』は、今年からパーク全体の建物や広場、駐車場を使って農産物直売所やフリーマーケット、ゆるキャラとの撮影会を開催する大規模なイベントになった。
 当然ながら警備などこれまで以上に人手が必要で、白羽の矢が立ったのが便利屋AIAIだ。
 所長の草鞋を筆頭とするメンバー三人は、それぞれ役目を任されて会場内に散っていた。
 巡は会場内を巡回する警備員だ。服装は簡素な警備服で、口元のマイクと右耳のイヤホンで仲間との連絡を取る。
 彼がスリに遭遇したのはパーク中心部の体育館で開かれている農産物直売所の一隅だった。
 父冨産の新鮮野菜や漬物、饅頭、味噌などの加工品、手芸品や工芸品が並べられた体育館内は盛況で、女性を中心に子供やお年寄りまで様々な年代が各ブースに見入っていた。
 両手に持ったカゴいっぱいに野菜をまとめ買いする女性もいて、通路は人と荷物でごった返している。
 そんな中、会場を見回っていた巡はスリに遭遇したのである。
 後を追ったものの、巡は人波に阻まれて出口周辺で目標を見失ってしまった。
 呼吸を整え、周囲を見回しながら、巡はスリの情報を仲間に報告する。
「こちら札所。スリを見失いました。特徴は……黒い長髪。身長百六十前後。中肉。カーキのジャケットにジーンズ。中身は黒いシャツ。白地に黒いヤシの木模様のトートバッグ。胸がでかかったので女です」
 まもなく、女の声で応答があった。
「了解。釈(しゃく)氏(し)です。駐車場には見当たりません。ドーゾ」
 ついで、低い男の声。
「……草鞋(わらじ)だ。フリーマーケット会場にもいない。ドーゾ」
「了解。本部に報告後、巡回を再開します」
 巡は通信を切ると、体育館脇の受付にある『紅楽祭』本部に向かった。

 草鞋勝也はフリーマーケットの会場内を歩いていた。
 桜並木に芝生を敷いた広場が会場で、出店者たちはブルーシートを敷いて、その上に商品を並べている。アクセサリー類を並べる女性もいれば、小さな本棚や飾り棚をスペースいっぱいに広げる老人もいる。幼児用の服やおもちゃを売る若奥様たちもいて、そこは客も子供連れの若い母親が多い。書籍やCD、ぬいぐるみ、贈答品とおぼしきタオル類を売るスペースや、古着をどっさり売るスペースもある。
「ひょっとして、所長さん? いい格好してるわね」
 声をかけられて振り向くと、顔見知りの美容院のおばちゃんがスペースの奥から手を振っていた。彼女も出店者らしい。スペースには長短さまざまなウィッグや毛染め、櫛やヘアアクセサリーなどが並んでいた。
「店で余ったものを売ってるのよ」
 草鞋の視線に気づいたのか、彼女はそんな説明をする。
「どう、なっちゃんにお土産買ってかない?」
 草鞋は手を振って断ると、おばちゃんとサービスに握手をしてから会場内の巡回に戻った。
「草鞋さんですか? ご苦労様です。これ、新商品の味噌ポテトンのビーズぬいぐるみですけど、気持ちいいですよ。触っていきませんか?」
 次に草鞋に声をかけたのは、和菓子屋・味噌ポテ堂のアルバイト、芝(しば)山桜(やまさくら)だった。彼女はスペースいっぱいに並んだ大小さまざまのぬいぐるみの中から、饅頭に似たブタのぬいぐるみを草鞋に差し出した。だが草鞋はそれを掴める状況ではなかった。
 草鞋はポンポンと彼女の頭を撫でると、無言で手を振ってその場を去った。
「お、かっちゃんかい? 色男になったね。どうだい、うちの店を見てってよ」
 ぐいっと草鞋の手を引いて注意を引いたのは、ばんばら商店街で古着屋を営む草鞋の幼馴染だった。彼のスペースの売れ行きは好調なようで、何もかかっていないハンガーが目につく。草鞋はハンガーラックにかかっているジャケット類をざっと見たが、服を手に取れる状況にはないので見るだけだった。
 草鞋は幼馴染とハイタッチするとその場を後にした。
 草鞋はフリーマーケットの会場内を抜けて隣のゆるキャラ撮影会の会場に向かった。
 そこはパーク西側にある花畑で、季節の花々が数多く咲き乱れている。
 先客がいた。
 味噌ポテ堂のマスコットキャラクター・味噌ポテトンの着ぐるみである。
 丸いジャガイモに目とブタ鼻とブタ耳、ブタ尾がついたその形状は草鞋には悪い冗談としか思えなかったが、これでも父冨周辺のゆるキャラの中ではいちばん人気なのである。父冨の人々の審美眼が疑われる、と草鞋は心配だ。
 味噌ポテトンは既に数人の男の子と女の子に囲まれて写真撮影を始めていた。
「所長さん、助かったよ。それ着る予定の新人が盲腸で入院しちゃって、他に背の高い人いないから困っちゃってさあ。所長さんが長身でよかった」
 人の良さそうな笑顔で草鞋に声をかけてきたのは、イベントの企画者である市役所観光課の小田巻(おだまき)だった。四十半ばでやや頭髪が薄いが、若い頃はイケメンだったと思われる。話しぶりも穏やかで信用出来そうな人物だが、草鞋としては心を許す気になれなかった。彼の芸術性に大きな疑念を抱いていたからだ。
「あ、フゴーくんだ!」
 味噌ポテトンの傍にいた男の子のひとりが草鞋の足元に駆け寄って来た。
「すげェ! きんきらきん!」
 目を輝かせて草鞋を見上げる。草鞋はいたたまれない気持ちになった。穴があったら入りたい。しかし……草鞋の素顔は実は既に隠れている。父冨市のイメージキャラクター、フゴーくんの着ぐるみの中に。

 冨(ふ)郷山(ごうざん)は父冨のシンボルである。父冨の南に位置し、父冨盆地を見下ろすこの山は、かつては石灰岩の産出で知られ、父冨の冬の大祭である父冨夜祭とも関係が深い。名が「ふごうざん」とおめでたいので、パワースポット扱いされて登山者が多い山だ。
それだけならまだしも、父冨市のイメージキャラクターを作る際のモデルにまでなった。しかし、市役所職員のひとりがデザインした素人仕事の結果、三角形の山に目鼻を付け手足が生え、きんきらきんの腕時計やじゃらじゃらした腕輪やネックレスや指輪を身に付けた、どうにもインチキくさい成金趣味のマスコットになってしまっている。
 草鞋は最初そのデザインを見たとき悪夢だと思ったし、今でもそう思っている。
 役所の発表によるとその着ぐるみをまとう犠牲者は市役所の新人男性に決まっているようで、草鞋は気の毒に思っていた。
 まさか、当の新人男性が盲腸で入院し、自分が依頼でそれを着ることになるとは。
 そして小田巻である。彼こそがフゴーくんのデザイナーだった。中学時代美術が五だったという、他に選考理由はないのか! とツッコみたくなる理由から、彼は父冨のイメージキャラクターのデザインを任されたのである。
 草鞋は彼を恨むのは筋違いだと確信していたが、それでも恨まずにはおれなかった。
「坊や、フゴーくん好き?」
 小田巻は草鞋の足元の男の子に話しかけると、あっという間に彼の母親からカメラを受け取って男の子とフゴーくん(中身は草鞋)のツーショットを撮り始めてしまった。
「フゴーくん、坊やの肩に手を置いて!」
と指示まで飛ばしてくる。
(こっちの気も知らずに)
 草鞋は心中、文句を垂れながら、言われた通りのポーズで写真に収まった。
 と、耳元でピピ、ガーと音がして、
「こちら釈氏。札所くんの言った通りの風体の人物を発見。フリマ会場に入る模様。尾行します。ドーゾ」
 事務員の奈津子の声がした。彼女は駐車場を警備しているはずだ。草鞋が了解、と伝えようとした途端、
「あ、あ、あー! もういない!」
 奈津子が悪態をつく。人混みで見失ったらしい。
「……駐車場に戻ります。ドーゾ」
「奈津子くん。駐車場に戻るなら、フリマ会場の入り口から離れるな。私も撮影会場側の入り口を見張っている。出入口は二か所だけだから、いずれどちらかに姿を現すはずだ」
 草鞋は声を潜めて奈津子に指示した。その声がわずかに震えているのは、小田巻が着ぐるみには無謀な体勢で草鞋に幼児を抱っこさせているからだ。草鞋はフゴーくんとして幼児と写真に収まりながら、こっそり奈津子と会話し、フリマ会場入り口を見張っているのである。
(絶対割増料金で請求してやる……!)
 草鞋は決意した。
 
 巡は休憩中にフリマ会場を覗いてみた。駐車場を通る時、警備員姿の奈津子とすれ違う。様子からして、まだスリはフリマ会場内にいるようだ。
(それにしても、制服姿の奈津子さんはやっぱりコスプレに見えるなあ)
 会場内では、知り合いの少女が首を傾げていた。
「芝山さん、どうしたの?」
 桜と巡は中高を通じて地学部の先輩後輩の間柄である。ブルーシートに座り込んでいた桜は巡を見上げて、両手に持った饅頭サイズのぬいぐるみを示した。
「それが、味噌ポテトンのぬいぐるみが二つ増えてて」
「へぇ?」
「他の店のが紛れこんだのかなぁ?」
 桜の言葉に巡もはて、と考えかけたが、その時、視界の端で見覚えのあるカーキのジャケットが揺れた。
(あいつ……!)
 思わず巡はその後姿を追いかける。カーキのジャケットは出入り口近くの店で立ち止まった。
「捕まえたぞ、スリ野郎!」
 腕を掴んで怒鳴ると、振り返ったのは野球帽を被った若い男だった。
「はァ? 何言ってんだ、テメェ」
 ガラ悪く凄まれて、巡は恐怖で顔を歪ませた。
 
 男は中肉中背で、服装はカーキのジャケットにジーンズ、黒いシャツと目当てのスリと全く同じだったが、当然のごとく胸は平坦だし、帽子の下は長髪ではなく坊主頭だった。持っていたトートバッグは偶然にも同じヤシの木柄だったが、黒ではなく黄色と緑のド派手な色合いだ。
 人違い!
 怒鳴る男に巡は慌てて平謝りしたが、そんなふたりへ、ふ、と影が差した。
「へあ?」
 男が間抜けな声を出す。
「謝る必要はないぞ、札所くん」
 影――フゴーくんは、草鞋の声でそう巡に呼びかけた。
「奈津子くんと桜ちゃんから話は聞いた。その男がスリだ。遠慮なく捕まえたまえ」
 フゴーくんの出現に戸惑っていた男は、草鞋の断言で正気を取り戻した。
「いきなり何だよ。俺がスリって証拠があんのか? スリは長髪の女だってコイツが言ったんだろ」
「そんなものいくらでもごまかせる。ここはフリマ会場だからな」
 フゴーくん(中身は草鞋)は会場の中を指し示した。
「長髪はウィッグ、胸は饅頭サイズのぬいぐるみを詰め物にする。どちらもフリマで手に入る」
「俺はウィッグもぬいぐるみも持ってねぇよ!」
「手に入るということは、売り物に紛れて置き去りにされても目立たないということだ。スリを行った後、フリマ会場に逃げ込んでウィッグを美容院の出店スペースに、ぬいぐるみをぬいぐるみの販売スペースに紛れ込ませる。こうして君は巨乳で長髪の女から坊主頭の男になる。後は帽子を買って、カーキのジャケットは……出入り口近くの古着屋に紛れ込ませようとしたのかな。その前に札所くんに捕まった」
 男は目に見えて狼狽したが、はっとなって、トートバッグを振りかざした。
「このバッグは違うだろ。スリのは白黒のヤシの木柄、でも、俺のはフルカラーだ!」
 草鞋は冷静な声で指摘した。
「特殊な塗料を使ったバッグなら、屋内と外で色が異なっても不思議ではない。屋内では黒いが、外では太陽光の紫外線に塗料が反応してカラーになる。そのバッグを屋内に持ち込んでもいいかな?」
 男は声を失った。
「それに、なぜ君はスリがヤシの木柄のバッグを持っていたと知っているんだ? 札所くんは、スリは長髪の女だったとしか言っていないぞ?」
 草鞋は言い終えて、ふと周りを見回した。
 撮影会に来ていた幼児と親たちと小田巻が、キラキラした瞳でこちらを見ていた。

「……解せん」
 草鞋はひとり、ぶすっとした顔で新聞を眺めていた。
『紅楽祭』翌日、便利屋AIAIの事務所である。
 新聞の見出しはこうだ。
『父冨に名探偵登場! スリを捕まえる!』
 地方欄中央で大きく写真に写っているのは、草鞋……ではなく、ホームズの帽子を被りパイプを咥えた、フゴーくんの着ぐるみであった。

(おわり) 

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