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自己紹介⑤ 家族に関心を持たず遊びまくってた大学時代

僕の大学時代は、遊びまくった という印象です。学校内の思い出よりも、学校外での思い出のほうが圧倒的に多く、

俺、大学行ってたっけかな?

と錯覚してしまうほどに、キャンパスライフの記憶が希薄。本当に外で遊んでばかりでした。

一浪して大学に入学。これから新しい生活が始まるとなると、ウキウキしてたまりません。というのも、大学生になればアルバイトもできるし、それで稼いだお金で好きなことができると感じたからです。高校時代までは、成績とお金がトレードされてたような感じでしたが、大学生になりそれがなくなった。これまでできなかったことややれなかったことを好きなようにできる。これまで抑圧してきた想いを一気に解放できる喜びを感じたのを覚えています。

大学生になって夢みたもの。それは、女の子との甘いキャンパスライフでした。高校生の頃は結局、女の子にモテずに終わってしまった。なので、トレンディドラマに出てくるような女の子と交流のあるキャンパスライフを夢みたのでした。女の子にモテたい。そのために僕がまずやったことは、見た目の改造です。高校の時に眼鏡からコンタクトに変え、髪型もセットするようになったのですが、いかんせん洋服が野暮ったい。どうもオシャレじゃない。ということで、入学祝でいただいたお金で洋服を買いそろえました。といっても、一気に見た目を変える勇気もなく、ほんの少し背伸びをしたファッション。過ぎオシャレじゃないけど、まぁまぁ整ってるよね、くらいのファッションからスタートしたのでした。

僕は、小さい時から身体が小さく痩せていて、それで馬鹿にされてきたので、見た目のコンプレックスがありました。大学入学時には身長も170センチと普通の身長まで伸びたのですが、見た目を馬鹿にされる恐怖心、そして、

お前なんかがおしゃれしてんじゃねぇよ

といった否定をされるんじゃないかという恐怖心がありました。なので、一気にオシャレをすることには、僕には勇気が必要で、その恐怖心のギリギリのところで少しずつ見た目を改造していったのでした。

これまで買わなかったファッション雑誌FINEBOYSを毎月購入。バイトの給料日には、渋谷でお買い物。色々なファッションを試し、最終的に当時流行っていたモード系ファッションに落ち着きます。その頃には、女の子からファッションで褒められるようにもなり、見た目のコンプレックスも次第に薄らぎ、自分に自信がついてきたのでした。

そうしたファッションを維持するためにやっていたのは、アルバイト。僕は、地元の駅前のカラオケやでアルバイトをしていました。時給1100円、夜10時から翌朝6時までの深夜バイトです。このバイトを約4年間やっていました。このカラオケやでは、本当にたくさんのことを学ばせてもらいました。その一番は、『自分で仕事を作る』 ということ。これを教えてもらったのが本当に大きくて、その後、どんな仕事をしても、起業しても、自分で仕事を作ることができるようになったのは、このアルバイトのおかげです。

アルバイトを始めた時、僕は何もできない状態なので、お客さんの案内や部屋の掃除、会計、飲食などの基本的なことを教わります。僕は、これだけやれば良いと思っていましたし、まわりのバイト仲間もそう思っていて、お客さんが来ない時はただ突っ立って、雑談している状態でした。はじめのころは、それで店長からも何も言われなかったのですが、ある時、店長が変わります。このカラオケ屋はチェーン店だったのですが、他のもっと大きくもっと売り上げのある店舗の店長が配属されてきたのです。その店長から見て、僕は使えない人間でした。最低限の業務しかできないからです。だから、店長に嫌われ、言葉遣いも僕に対して鋭く、シフトも全然入れてもらえません。店長のあたりは強いし、シフトも入れないからお金も稼げない。でも、僕はやめませんでした。この仕事が楽しかったし、一緒に働くバイト仲間が楽しかったし、ここでやめると負けた気がするし、自分のためにならない。そんな気がしたので、バイトを続けることにしました。

それから僕は、自分の仕事ぶりを見直すことにしました。店長に気に入られてるバイト仲間に相談し、基本的なことができているのかをチェック。声の出し方を始め、接客を自信をもってできるように練習。そして、暇さえあれば店内の様子を見て回り、改善できるところがないかを探し、ひとつずつ改善したり、店長へ報告したりするようにしていきました。そんなことをしていたら、店長の僕への見方が変わり、シフトも増え、時給も上がり、気がついたら準社員として月に一回、グループ全体の会議に出席するまでになっていました。

この時、僕はとても自身に溢れていました。人の意見に振り回され、誰かの指示を待つのではなく、自分の意志で考え、自分の意見を持ち、自分の考えを話す。これができるようになっていったのです。そこに来て、モード系ファッション。女性客から声をかけられるのが増えました。なにか自分が変わった気がしたのです。弱くて惨めな自分。コンプレックスの塊で自信のない自分。それが、少し変わった。堂々と話せて、堂々と仕事ができる。そんな自分を出せるようになったのが、カラオケのアルバイトでした。

しかし、その頃、家というのは寝に帰る場所でした。学校に行き、帰ってきて少し寝て、深夜バイト。帰ってきて、少し寝て学校。休みの日には、友達と遊びに行ってる。そんな生活をしていましたから、家族との会話なんてほとんどありません。それどころか、何日も顔を合わせていないなんてことはざらにありました。学校生活やアルバイトなど、家の外での活動はあまりに楽しく、劇的に自分が変化していきました。その一方で、家族との交流はどんどん減り、絆というものも薄れていきます。無関心。そう言っても良いでしょう。自分の家のことについて関心が薄らいでいきました。今思うと、そうした態度の裏には、拗ねていじけた自分が全開で顔を出してたような気がします。もっと素直になれば、家の中と外でこんなにも分離がしなかったことでしょう。しかし当時の僕は、2つの顔を持ちながら、自分の家族、自分の家を居心地の悪い場所にしてしまったのでした。

バンド時代へ続く


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