神になりたい人間たち
今日は、チャーリー・カーク氏(TPUSA創設者)の「世界市民の皆様、神の役割は今ダボスにいる人々の手に託されました」というタイトルの記事の一部を紹介したい。
アメリカでバイデン邸で機密文書やコカインが発見されたと大騒ぎしている中、スイスのダボスでは今週それよりもっと大切なことが起きています。それはWEF、ダボス会議。世界中のリーダーたちが集まり、私たち地球市民にとって何が最善かを議論しています。この少数のグループが全人類のためにそんな決定を下せるのかといぶかしがる人々もいるかもしれません。でも、神は唯一であられるのに、それを成し遂げました。21世紀の自称神たちが集結したときのパワーとはいかほどなのでしょう。彼らの手には、蓄積された知識と最新のテクノロジーがあります。それに比べれば、神の小道具なんて原始的にさえ見えるのでしょう。
昨年私は、WEFとその策略について、特にクラウス・シュワブが提唱し、同名の本も出版した「グレート・リセット」について、多くの時間を費やして説明してきました。その本で、シュワブは、『パンデミックは私たちが、国家からグローバルコミュニティへ、個人の願いから全体の益への従属へと、国際的に再構築されるニーズとチャンスを創り出した」と語っています。
一握りの人々が大多数を支配しようとするのは目新しいことではありません。それが人類の歴史です。現代との違いは何かと言えば、時と場所、人々を監視し支配するためのテクノロジーぐらいでしょう。
しかし、決定的に違うのは、このWEFの人々は、彼らは神を畏れない生き物で、自分自身がその役割を担おうとしている点です。
毛沢東、ヒトラー、スターリン、ポル・ポトのような独裁者達は、皆神を信じていませんでした。「より高次元の存在」に説明責任を負っていると考えませんでした。バチが当たると言う縛りなしに、彼らは地球をうろつき、娯楽として人を殺しました。
それでも、私の知る限りでは、これらの独裁者たちは自分自身を神とは呼びませんでした。少なくとも、演説の記録にそれは出て来ません。しかし、WEFの連中は、さらにレベルアップしたグローバルな統治を目指しています。
「次に人類のプロジェクトは老衰を乗り越え、幸福への秘訣の鍵を見出し、そして人間をアップグレードさせることです。私が言っているのは比喩的ではなく文字通りの意味でです。」とハラリ氏。
宗教は数多く存在しますが、基本的に2つの共通の真理があります。それは、1) 神は存在する、と、2) その神は私たちではない、です。ハラリ、シュワブらは、少なくともこれに関して「いや、なろうとすればなれる」と言うのです。
強調してもしきれない点はこれです:WEFのメンバーは彼ら自身の似姿に人を造ろうとしているということです。それを洗脳によって達成するのではなく、本当に「造ろう」としているのです。「造る」という言葉は聖書では神の創造のみに使われる単語です。
ドイツの哲学者フリードリッヒ・ニーチェの「ubermensch(スーパーマン)」、「神は死んだ」という言葉はあまりにも有名です。実はこのフレーズは元々はヘーゲルが語ったもので、「神が死んだ」というよりは「人間が神を社会から締め出した」という意味で使われています。人が人生に希望を見出すために神に頼ることをやめた、とという意味で語られた言葉なのです。
ニーチェはこれにより神秘主義から人々が解放され、人間の中に秘められた真の力を覚醒させることができるのではと考えました。それが「ubermensch(スーパーマン)」です。
ニーチェもヘーゲルも、人が神を”殺した”後に、超裕福で勝手なビジョンを打ち立てるスーパーエリートたちが、神の代わりに立つことになるとは思わなかったでしょう。
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私の好きな聖句の一つがこれ ↓↓
海に日が沈むのを見る時、畏敬の念に圧倒されないでいられるだろうか。
私たちは海の水を溢れないようにそこに留めておくことさえできない。
自分が神になれると思えちゃうことが、
人間社会が基本的な知恵から大きく外れてきているしるしなんだと思う。
人は神から離れれば知恵からも離れてしまうのだ。