あさがたの、人が少ない新宿二丁目を歩いているとき、どこか遠くへ来てしまった感覚に陥る。大都会、東京。当時の自分からしたら高い交通費を払い、無意味に来ていた、東京。

「アルタ前に集合ね」と聞くだけでテンションが上がり、雑踏の中を歩くだけで胸が高鳴った。無駄に上ばかりを見てしまう。どこにも行けない自分が、どこかへ来れた気がして、何者でもない自分が、何かになれた感覚。その「感覚」だけを求めて東京に来ていたのかもしれない。

新宿二丁目のあさがた。当時、僕はたしか終電で帰れなかったはずで、でも朝まで滞在する勇気も多分なくて、また、お金もなかったからホテルに泊まることもできないし、だからおそらく、おそらく、誰かの家に泊まっていたと思う。終電で電車に乗り、それで、人の家に帰っていたんだっけ。めっきり覚えていない。一番楽しかった季節も、会話も。

いま、時を経て、新宿二丁目のあさがたを堂々と歩いている。たまに知り合いや友人に会う。何気ない挨拶を交わす。新宿二丁目のあさがたの空気感はどこか特別だ。数時間まで路上に溢れていた人たちも途端に姿をくらます。みんな始発で帰ってしまうのだろうか。ハトが道路の隅に何匹もいて、吐瀉物を食べている。それを見て複雑な気持ちになる。タクシーの運転手と目が合う。そう、僕はもう大人になってしまったのだ。

それから、少し歩いた後、右手を挙げてタクシーに乗る。目的地を告げると同時に、窓を半分ほど開ける。電子広告をオフにする。体をシートに沈めつつ、窓からの景色を眺めてふと思う。僕はもう、大人になってしまったんだなと。

新宿二丁目のあさがた。太陽が街を照らし出す前に、僕は深い眠りにつく。つい深呼吸を忘れていたことに気づく。薄いブランケットを体に絡めて、横になって、ゆっくり時間を流していく。僕は大人になってしまったのだ。そして考えられないほどの時間が過ぎ去ってしまったのだ。喪失の過程を生きている。喪失の過程を生きている。


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