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友人と18切符で日帰り旅行してきました!(副題ː飯田線完乗) 旅行記vol.5

 ※今回はかなり鉄道色が濃い回になります!!

 3/25~3/27,3/29は私はバイトが1日中入っており、さらに長野市に住んでいるのに松本まで出勤していた。
 26日の夜、バイト後に松本に住む友人たち何人かとご飯を食べた際に友人の一人、仮にSと名付ける、から青春18きっぷの回数が余っているから一緒に豊川に行かないかと誘われる。
 二つ返事で了承したのだが、出発は中央西線方面の松本駅始発列車。長野の自宅からだと間に合わないんだが…?という話をしたら、27日の夜は泊めてくれるという。ついでに28日に帰ってきてからは飲み会が決まったため、1週間のうち4回も友人宅に泊まることが確定。
 俺は家なき子か…?ネットでアンチやってるやつに向けるのと似た惨めな視線がトイレの鏡に映った自分に注がれた。 

本編

出発

しょうもない話はさておき、28日の朝6時に出発。駅に着いたのは6時25分頃。そして改札で二人分とSが切符を見せハンコを押してもらいホームに下ると既にトップバッターとなる列車が待っていた。

 6時32分発普通中津川行。こいつは…211系かな?鉄道車両に対する興味は薄いから正直分からない。ただ言えることは、

 
 お前ロングシートだろ!!!!!!!

 ハズレを引いたのか、はたまたそもそも始発は確定でこれが運用されているのかは知らない。ただ運命の女神に鼻で笑われたと思いたくないので、後者を望みたい。
 
 電車の中で待つこと数分、扉は閉まり出発。実は松本のこの日の朝は非常に寒く、扉が閉まってくれるのを今か今かと待ちわびていたのだ。塩尻までは駅ですべての扉が開いてしまうためもうしばしの辛抱は必要だけれど。
 思いのほか少ないお客は6割塩尻で降り、電車はすぐさま山に入っていく。伊那谷と木曽谷。並行する2つの谷は間を木曽山脈に隔てられ、それぞれ飯田線とこの中央本線が今日も走っている。
 人口が多いのは圧倒的に伊那谷で伊那市や飯田市といった市が複数ある一方で、木曽谷には中津川市の一部がある以外は町か村かといった過疎ちいk…人口希薄地帯しか存在しない。この関係性は中央本線が開通した当初から変わらず、とはいえ木曽谷は一応中山道ルートではあるのだが、なぜ『本線』が過疎地域側を選んだかで言えば、塩尻を通ったのち名古屋に向かう場合最短ルートになることや、名古屋に出るためには木曽山脈のどこかで長大トンネルを掘削しなければならなかったという説が濃厚だという。
 とはいえ伊那谷経由の優秀さを理解していたからこそ中津川線の建設が始まったのだろう。もし無事開業していたら…特に何も変わっていなかったとは思うが。飯三線なんてどう転んでも閑古鳥が拡声器使って鳴いていたと思う。
 
 そんな感じの雑談をロングシートに座って向かい側の景色を眺めながらしている。個人的に旅行の際の移動中に景色を見ながらする雑談というのはとても楽しいものだと思う。
 奈良井と聞き秋に紅葉を見に行きたいなぁ、と思って紅葉の話をしているともう寝覚めの床に近づく。(写真はありません😢)
 そして南木曽で向かい側の席にマスクから立派なヒゲがはみ出している外国人が乗ってくると、しばらくした後トンネルに入る。トンネルを抜けると少し開けてくる。この辺で長かった木曽谷と長野県に別れを告げ、岐阜へと入る。
 Sは名古屋エリア出身なので、名古屋まで乗り入れる快速は一部中津川発着と聞いており中津川はそれなりに栄えているのか。また、リニア中津川駅の具合はどんなものか。と期待しつつ中津川駅に到着。

 …ああうん。それなりに栄えているね…。あとそういえばリニア中津川駅ができるのは中津川駅前じゃなくて美乃坂本駅前じゃん…。
 と微妙な気持ちになりながら乗り換え。さて再び出発。
 美乃坂本につくと右側には青い人工的なシートがかぶさったり点々と重機がおり少しだけ工事している感じであった。

というのは嘘で、電車が出発し小高い丘に邪魔されていた向こうには大規模な工事が行われていた。写真を撮ろうと思ったが窓が汚れすぎていて無理だった。

 電車が歩みを進めるにつれどんどんと人が増える。勝川で準備はされど来ない城北線用ホームを見たり、大曽根でゆとりーとラインという面白存在を見たりしながら金山に到着。金山では乗り換えて東海道線の新快速に乗車。
 新快速と言ってもよく知られる、大量の駅を通過しながら複々線を爆走する西日本の新快速ではない。しかし関東出身で、新快速に乗ったことが無い私からしたらワクワクの的。多くの駅を通過し爆走する東海の新快速は非常に満足だった。
 そして豊橋に到着!Sに大あんまきと云う和菓子が美味しいと聞いたので、食べることに。当然ジャンケンだ!!!

 勝ち申した。人の金で食うもんは美味しいなぁ!!!! 栗と抹茶を1個ずつ買ってもらったので半分ずつシェア。抹茶を下げるつもりはないけど栗が本当に良かった。見た目のわりに甘すぎず、そしてその甘さは甘いあんこに混ざっているのに栗の甘さとそれぞれの魅力を引き立てあうという感じ。うーん語彙力!これを読んでいただけた皆さんは豊橋に行ったときには是非。

 飯田線に乗り換え、下地駅の不思議な駅構造――駅東側の豊川を越える橋の架け替えのために生まれたH型の切り欠きっぽいホーム――のことや、狭い駅間のことを話しつつすぐに豊川駅に到着。

豊川に到着!

 改札を出ると少々、というには足りない割と不気味な豊川稲荷のお稲荷さんを模した像。

 そして階段を下って歩くとすぐに到着。Sは「初詣の時期じゃないとこんなに人が少ないのか!?」と驚いていた。俺の目には平日の割にはかなり人がいるように見えるが。というか私は鳥居があるのに寺だという事実に驚いたが。

 狐塚に向かう参道の雰囲気の良さったらまるで異界に来たかのような感じだった。

なんで稲荷には同じものが大量に並ぶんだ???
多分肝試しに来たら、知らん間に1人増えてるやつ。
この庭園が名勝と呼ばれるのは納得する。

 弟が御朱印を集めているので貰いに行くと、今は本殿を補修しているそうで、観音様は社務所の2階にあるという。

 ただ前にいるだけだというのに荘厳さに異様な圧迫感を感じる。恐ろしさとはまた違った畏敬の念というべきか。
 1回に降りると、将棋盤が展示されていた。これはかつてこの豊川稲荷で行われた名人戦で使われたものだそう。以来人知れず所蔵されていたが、2017年にその名人戦を戦った、木村名人の曾孫弟子の杉本氏と玄孫弟子の藤井氏がこの盤を使って対局したそう。

 さてそろそろお腹が空いてきたので2人で外へ出る。Sが豊川稲荷に来た時にはいつも食べるという稲荷寿司を購入し、次の目的地の砥鹿神社に向かう。
 途中のちくわの里によって、ヤマサのちくわを購入。ここでも当然ジャンケンじゃ!!!

はい勝利。どこかで惨敗しそうで怖い。

 ちくわも稲荷寿司もどちらもとても美味しかった。ちくわは普段食べるような安物と違って、『新鮮さ』やみずみずしさといった味わいを得られた。
 稲荷寿司はわさび稲荷が上にわさび菜の漬物が乗っており、その塩味とわさびのツンとした辛味と稲荷の甘さとがマッチして美味しかった。あと紅ショウガと稲荷寿司って一緒に食べるとあんなに合うのか。
 また食べたいと感じられる1品だった。

 そして再び立ち上がり砥鹿神社に向かう。ゆったりと雑談しながら歩いていたのだが案外時間が無いことに気づく。割と早足になって到着。
 お参りしたら社務所に向かって、Sが目的の交通安全守りを貰い、即座に神社を後にする。

 そして少し急ぎつつ、三河一宮駅に到着~。えっ、もしかして砥鹿神社って三河一宮なの!?着いてみて多少時間に余裕があったから御朱印貰えば良かった…。こういう時に教養の無さが身に染みる。

飯田線完乗

『線路は続くよどこまでも』と納得させられるように感じる。

 豊橋からどんどこやってきた飯田線岡谷行に乗車~。13時半三河一宮発の電車だが車内は割と混雑。座れない。
 おいおい、ゴミクソローカル線なんじゃないのかよ。というのは静岡長野の県境区間の話。伊那谷エリアや特に豊橋から新城のあたりは割といる。割といるとどこまで言おうと単線ローカル線なんだけどね。

 ここで飯田線の話を軽くしよう。飯田線の出自は4つの私鉄から来ている。豊橋⇔大海は豊川鉄道、大海⇔三河川合は鳳来寺鉄道、三河川合⇔天竜峡は三信鉄道、そして天竜峡⇔辰野は伊那電気鉄道というように。なお鳳来寺鉄道は豊川鉄道の傍系会社である。由来が私鉄だということもあり、駅間が非常に狭い。三信鉄道は前述したゴミクソローカル線なエリアを建設した会社であるが、マネーゲームの一環で作られた企業によるものだ。うーんこの。その後1943年に国有化され飯田線となり、のちに国鉄路線の1つとなった訳だ。
 話は戻り、車内だ。かなりの人間が乗っていたわけだが、1人また1人と降りていき、確か新城でSと座れた記憶がある。この時点ではまだ全ての席に人が座っていた。ほとんどの人が降りきったのは本長篠までで、この時同じ車両には我々含めて5,6人程度しか居なかった。

 しばらく雑談した後見えてきたのは下のものだ。

これどーこだ。

 私は鉄道に乗ることは好きだが、それ以上に道路オタクなのだ。上の写真は三遠南信道の建設中区間、三遠道路の東栄IC⇔鳳来峡ICの工事現場だを三河川合駅を過ぎたあたりで撮ったものだ。
 鉄道から話は変わるが、三遠南信自動車道とは飯田から浜松の引佐あたりを概ね飯田線に平行して建設されている高速道路…いや準高速道路というべきか。よく知られる東名高速や名神高速のように100km/h以上の速度では走れないものの、片側1車線でほぼすべて立体交差の70km/h程度で走れる自動車専用道路が飯田線に概ね並行して建設されているのだ。
 現在、静岡長野の県境区間、水窪駅から飯田線を離れて山奥へと入っていくエリアのトンネル工事が難航しており、未だ役目を果たせずいるが、2027年ころには、全区間完成していなくても全線無料で走れる伊那谷⇔三遠エリアの最速ルートになるだろう。
 嗚呼、また1つローカル線が廃線の危機に…。

 さらに山奥へと進むと私が1番楽しみにしていたものが見えてくる。城西駅を過ぎたあたりか、

外に出れないからゴミみたいな写真。仕方ないね。

 渡らずの橋だ!正式には第6水窪川橋梁。もともとトンネルを掘ろうとした居たところ、トンネルが崩れたためにそこを迂回するために建設されたものだ。うーん満足!これで満足とはさすが変態だ。

 そして水窪駅では飯田からやってきた特急伊那路4号と出会う。特急伊那路は飯田線を走る唯一の優等列車だが、如何せん飯田線は線形やらなんやらがゴミなので表定速度が50km/hsこら。どれだけ遅いかで言えば高速道路で豊田まで出て迂回して飯田まで行くよりも遅い。誰が使うんや…?と思いよく見ると2人だけ乗っていた。さすがJR東海。

 このあとすぐにまた新しい見どころが。

トンネルを出てすぐ駅
反対を向くとすぐに山肌が。トンネルとトンネルにに挟まれた秘境駅

 ここは大嵐駅。『おおぞれ』と読む。壁と壁に挟まれた場所とか我々陰の者に優しすぎないか?ああ!飯田線完乗なんて陰の者がやることだからこんな場所だらけで当然か!!!
 広範囲自爆技はさて置き、夕暮れのオレンジが良い装飾をしてくれている。 ちなみに大嵐駅の近くには小嵐という地名がある。なんと読むだろう。

 正解は『こおろし』だ。こぞれと読んだ人はキレてもいいと思う。

 この辺りで長野県に入る。千代駅付近で川の上を見上げて、飯田線に真っ向から潰しにかかる三遠南信道の天龍峡大橋が美しく見えれば、もう天龍峡駅に到着。
 対面には天竜峡発岡谷行がすでに止まっている。ここから先はかなり暗くなってきていて景色は見えず、雑談ばかりしていたので飛ばす。
 
 豊川を歩いていた時には暑くて羽織っていたものを脱いでいたのに打って変わって岡谷駅に降り立つとあまりの寒さに防寒着を引っ張り出す始末。長い長い時間に思える7,8分を待つと松本行の電車がやってきた。ああ、朝ぶりの211系。

 ここから先特筆すべきことは無い。松本駅に着くと何を食べようかという話になった。
 お腹ペコペコだったので選ばれたのは紅葉という台湾料理屋!

どちらも税込1078円

 量の割にコスパが非常によく大好きなお店!私は回鍋肉定食、Sは唐揚げ定食を頼んでいた。お腹いっぱ…いやホントに腹がパンパン!
 
 
 最後の最後まで満足しつくした。S、誘ってくれてありがとう!!!


 次回は家族旅行の旅行記です。読んでいただきありがとうございました!次回も是非読んでください!!!

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