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タグ付けが風景を歪め、新たな視点を伝播する #ヴィ・ド・フランス秋葉原駅前店菓子パン落下監視委員会

#ヴィ・ド・フランス秋葉原駅前店菓子パン落下監視委員会 について

皆さんご存知ないと思いますがここ2年程、秋葉原駅前のヴィ・ド・フランスのパン棚の下を監視してパンが落ちていたらタグをつけてTwitterに放流するという活動をやっております。
ヴィ・ド・フランス秋葉原駅前店菓子パン落下監視委員会
委員長 はるかぜポポポでございます。

この活動は秘密めいておりながら公知でありまして、非常に楽しく週5日、日に二回の監視巡回を行っております。
昨年には本を出しました。

名前を付けるのは面白い

さて、Twitterでこのような発言を見かけたので関連して思うところをつらつらと書いてみようと思い立ちました。

ヴィ・ド・フランス秋葉原駅前店菓子パン落下監視委員会  
というのはまったくもって架空の委員会であったわけですが、タグをつけると不思議なもので、いろいろな方がタグを使用して報告していただくようになり、いつの間にか本当に委員会ができてしまいました。
名前が付いたことによってそれが存在するように成るわけですね。
名づけとは視点の発見であり、名前があることによってその視点は伝播するという現象が起こり始めました。
パンが落ちるのは悲しいですが、この伝播現象はわくわくします。

貴方は汚染された

これを読んでいる貴方は一生、ヴィ・ド・フランスの前でチラチラと目線をパンの棚の下に這わせてしまうのはほぼ間違いないかと思います。
誰かの行動に影響を与えるというのは非常に楽しいものです。
あなたの行動は影響を受け、汚染され、歪められたと表現してもよいでしょう。あなたの人生は狂ってしまいましたがご心配なく、元から狂っていました。

申し訳ありませんが、歪んでしまった景色を戻す方法はありません。
実際の光学的な景色は歪んでいませんし、あなたの水晶体も昨日と相変わらずです。
あなたの主観的な視界、フィルタは歪みました。
迷惑かもしれませんが、たぶん楽しかったりもすると思います。

視点に介入する楽しみ

とはいえこの歪みこそが、個々人の世界の認識の欠片であり、個性であり、視点そのものなのです。
我々はこの個性的な歪みなしに物を認識し、識別し、だれを嫌悪し、だれに愛を囁くか決めることはできないのです。
他人の個性に、「ヴィ・ド・フランス秋葉原駅前店菓子パン落下監視委員会 」という概念が入り込み、視界のフィルターを形成したわけです。

世界に新たな意味を加える試み

一昨年まで意味のない落ちたパンだった物に意味が加わりました。
タグをつけ、分類し、それによって行動するという事は、
すなわちそれが意味を持ったということです。
おめでとう、路傍のパンよ。
ヴィ・ド・フランス秋葉原駅前店菓子パン落下監視委員会  

では!ご唱和ください!

「パン落下なし!よし!」


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