真実を追い求めるも志半ばで力尽きた妹
2010年5月19日の赤シャツ最後の日に銃弾に倒れたイタリア人ジャーナリストのファビオ・ポレンギ氏(享年48歳)。妹のイザベラ(エリザベッタ、愛称イサ)・ポレンギ氏は兄の死の直後から年に数回、タイを訪れることになった。
ファビオ氏は取り回しが面倒だったのか、機材(カメラ)にストラップを付けず、常に手に持っていた。そのため銃弾に倒れたときに手放し、病院に担ぎ込まれたときには機材がどこかに行ってしまっていた。機材が見つかっていないので、ファビオ氏が撮ったであろう「最後の1枚」がどのようなカットだったのか、今でも分からない。
イサとは来タイの際にほとんど毎回、会っている。当初は兄が倒れたときの状況を説明。以後は「最後の1枚は誰が持ち去ったのか?」「兄が受けた弾は陸軍が撃ったものか? 赤シャツが撃ったものか?」に関する知る限りの情報を提供し、話し合った。
結論から述べると、2つとも答えは見つかっていない。ファビオ氏のカメラを持ち去ったタイ人の男は記者でもなく赤シャツでもなかった。赤シャツメンバーのフリをして潜り込んだ、治安当局か政府の人間のようで、イサがタイのメディアに何度も登場して「最後の1枚を返して欲しい」と訴えても、とうとう名乗り出てくることはなかった。
どちらが撃ったかについては、銃弾が飛び交うあの日の状況を考えればどちらでも同じなのだが、イサは知りたがっていた。幾度となくタイ警察やタイ法務省特捜局(DSI)といった捜査機関を訪れ、責任者と話をするものの、捜査は全く進むことはなかった。あるときなど、
「銃弾を受けて倒れた直後の貴方の兄を撮ったカメラマンを探している。見つかれば話も進展するだろう」
と、DSIの責任者に言われたと呆れていた。
「それってあんたのことよね。私はタイに来てすぐあんたに会っているのだけど……」。
バンコクの外国人記者クラブでのイサ。
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