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赤シャツリーダーの大ウソ、タクシンの保身、日系メディアのいい加減さ

 2009年のソンクーン最中のデモが失敗に終わり、赤シャツはしばらく鳴りを潜めていた。アピシットを首相とした反タクシン政権が続き、タクシンは未だタイに帰ってこられない。家の周囲をうろついてワンワン吠えまくる犬に例えられていた。

 前回の暴動からほぼ1年後の2010年3月12日、赤シャツが再び騒ぎ出し、反政府集会を開くことになった。タイ最高裁判所が2月26日、タクシンの一部資産を不正蓄財とみなし、タイ国内の資産766億バーツのうち464億バーツの没収を命じた。赤シャツの集会はその判決に講義するためであり、赤シャツリーダーであるナタウットやチャトゥポンも「資産没収判決への抗議」を明言し、メディアも当時そう取り上げた。それがいつしか、「民主主義の確立」という大義名分にすり替わり、集会は暴動に様変わりしていった。

 タイや海外のメディアは冷ややかだったが、日本のメディアはまんまと乗せられて「民主化運動」と書き立て、「革命」という言葉さえ引っ張り出してくる大手新聞の特派員がいた。バンコクで一緒に取材を続けた、ネパールで10年以上の取材経験があり「ネパール王族殺害事件」にも詳しいカメラマンは、「革命が首都で起きるわけがない」と鼻で笑っていた。

参加者がなんとか集まってほっとする赤シャツリーダーたち

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