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「明日からやることがない……」集会の終結、そしてクーデター

 反タクシン集会が連日続く最中、タクシンは「民意を問う」目的で解散を決断、2006年4月2日の選挙に打って出た。その選挙といえば、民主党など主要野党がボイコット、当然のごとくタクシンの愛国党が大勝。タクシンは勝利宣言によって反タクシン派の動きを押さえ込もうとしたが、その2日後の4月4日には首相任命を辞任した。厚顔で無神経とされるタクシンが自ら引いたわけではない。政情不安を憂うプミポン国王に謁見して存分に諭され、不承不承決めたのだ。

 タクシンが首相にならないといっても、愛国党が率いる政権であることには変わらない。反タクシン派にとってはタクシンを完全に押さえ込んだことにはならず、ソンティは「タクシンが政界を完全に引退するまで戦い続ける」と宣言したが、ジャムロンは「自らの集会参加がある一定の効果をもたらした」として、一旦は身を引くとした。4月4日を境に大きな集会はなく、記者たちは誰もが「ソンクラーン)もデモ取材か」との心配が杞憂に終わってホッとしていた。ソンクラーンは毎年4月13日から始まるタイ正月、水かけ祭りだ。

工夫を凝らした衣装で集会に参加

親に連れられてきた子どもも

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