タクシンがゴリ押し、自分の罪を帳消しにするための「国家和解法案」
反政府集会は2012年にも数回行われたが、警官隊が催涙弾を使用するなどの大騒ぎになったのは1回きり。同年はむしろ、国会が大荒れとなった。「憲法改正」と「国家和平法案」だ。
憲法改正は、2006年のクーデターでタクシンを追放した軍政が2007年に制定したもので、任命制の上院議員、裁判官、選挙委員会委員などを通じてタクシン派を押さえ込みやすい仕組みとなっていた。そのような憲法を改正すべく、インラク政権は憲法起草議会を設立しようと試み、まずはそのための憲法291条の改正に挑んだ。しかし改正自体が違憲か否かを審議する必要があるとし、憲法裁判所が審議を中止するよう命令する事態となった。
インラク政権は「司法クーデター」「権限の範囲外」と憲法裁の命令を批判したが、それを無視した法案可決も難がある。成立に必要な国王の承認が得られる見込みもなく、無理をすると政権自体が退陣に追い込まれる恐れがあった。後に憲法裁が「憲法改正自体は合憲」と判断したが、2014年のクーデター発生で憲法自体が停止してしまった。
デモ参加者よりメディアが夢中になってしまっていた、2012年の反政府集会。
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