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ナタウットが泣いたらさようなら

 2009年4月14日、赤シャツ最後の日。前日までにバンコク都内の道路封鎖が軍によって解放され、この日は赤シャツの最後の砦である首相府前の集会場が強制排除されることになっていた。

 強制排除を目前にして、リーダーであるナタウットが撤退を宣言、正午に実施された。政府や国軍に対する敗北宣言でなく、あくまでも撤退宣言。前日13日、赤シャツの一部のメンバーが意味もなく暴徒化し、都内ペッチャブリー通りのとある市場で反政府運動とは無関係な暴力沙汰を起こして一般都民を殺害したことを、撤退の理由としている。撤退宣言は負け惜しみとみなされ、一般都民の殺害も批判の的となったが、女性・子どもを危険にさらすことになる強制排除を回避したこと自体は、最終的に評価された。

 赤シャツの撤退を待たずして、バンコク都庁が周辺の掃除を開始、赤シャツによって焼かれた路線バスの残骸をさっさと撤去していた。タイはどんな場合においても、片付けだけは早い。それは事件事故の処理にとどまらず、例えばレストランでも客が食べ終わっていないのに料理の皿を片付けられてしまうことが多々ある。

地方の実家に戻るトラックに乗り込む赤シャツ

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